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1116号

NO.1116     Ryo Onishi              10/1/2017

 weekly
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雑貨屋のひとり言

いろんな場面でパスワードを要求されますがパスワードを思い出せなくなったことがあると思います。そこでついつい簡単で覚えやすいパスワードを設定し、しかもそれをいろんなところで使いまわしている方がいます。
怪しいネットでパスワードを設定したりすると、その個人情報がハッカーに盗まれることがあるようです。その個人の情報(例えばHPやブログなど)を分析すれば他のパスワードは簡単に推測されてしまいます。銀行口座から知らない間にお金を引き出されてしまうのはこういうことをやっているハッカーがいるからです。
見破られない、記憶もしやすいパスワードに変更することをお勧めします。≪R.O≫

 

 ルート66

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『 ル ー ト 6 6 』(羅府新報、99年7月掲載)
 ドライブ好きの私にとって「道路」は関心事のひとつだ。ひとつひとつの道路に秘められた歴史は、そこに生きた草の根の人々の歴史でもあるからだ。

アメリカの道路と言えば、私の頭の中を最初によぎるのは“ルート66”である。

 今から35年以上も前、1960年代初め、アメリカ製のテレビ・ドラマに“ルート66”と言うのがあり、日本でも放映された。

当時の日本は戦後の荒廃期をようやく脱出したばかりであり、自動車の台数も少なく、既にモータリゼーション(自動車社会)時代に入っていたアメリカとは格段の差があった時代だった。  

そんな頃の“ルート66”というテレビ・ドラマは、まだ20代初めで若かりし頃の私にとって驚きと憧れ以外の何物でもなく、白黒テレビ画面に目を凝らし、胸をときめかしたものだった。

 シカゴからロサンゼルスまでの約2,500マイルを走る栄光のこの道路も既に公式地図からは抹消されており、今はない。既に道路としての役割を終了し、代わって建設された州間高速道路(インターステイト・フリーウエイ)にその座を譲ったからだ。

 第二次世界大戦後、現在の高速道路の本格的出現はその後のアメリカ人の生き方を大きく変えた。大規模店舗やショッピング・モールが出現し、また市街地の「ドーナッツ現象」でダウンタウンの廃墟化が進んだりと、今日私達が日常見かける現象がこの頃から始まっている。

“ルート66”はもはや古き良きアメリカを偲ぶ郷愁の対象であると同時に、単なる「道路の名前」を越えて、アメリカが世界の頂点に立った最も華やかで誇らしい黄金時代の象徴的存在でもあったのだ。

 より便利で効率的な高速道路に取って代わられ、かつてこの道路が走っていた跡に“Historic Route 66”という標識だけが散在し、わずかに名を留めている事実に歴史の宿命を感じざるを得ない。

効率を追求する時代だからこそ“ルート66”のような道をゆっくり走ってみるのも良いかも知れぬ。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


引っ越しの車に犬も猫も乗せ

「金のなる木とかローンの庭に植え」

隣から見れば我が家も青い芝

別荘はないがわが家の風通し

ローン終えガタピシ家も関節も



( ニュースひとりよがり )


「政界激動」
シャンシャンとはいかないね −パンダ

「上演中」
「二足の草鞋」 −小池劇場

「経営統合」
希望寿司としようか ―スシロー、―元気寿司


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(493)「“中秋の名月”を詠む」

『中秋の名月』(十五夜=今年は10月4日)近くになると子どもの頃の我が家の“お月見の宴”を思い出す。縁側の中央に2個の三方(さんぽう=神様にお供えするための食べ物を乗せる木の器)を置き半紙を敷いて1つの三方には(お月様をイメージした)白い団子、もう1つの三方には小豆餡をまぶした団子をそれぞれ(十五夜にちなんで)15個ずつお供えし、2個の三方の両側にススキと季節の花(多分、桔梗、萩だったと思う)を飾って家族揃ってお月見をするのが我が家の“十五夜行事”であった。家人誰も酒を飲まないので御神酒の代わりにサイダーやラムネで献杯した。戦争が激しくなって(敗戦の色が濃くなって)から終戦までの2,3年は翁の田舎でも町全体がお月見どころではなかったのだろう、その間の我が家の“お月見の宴“は中断したが、終戦(昭和20年)の翌年の秋から復活した。そのことについては昨年9月11日配信の『龍翁余話』「十五夜雑感」に詳しく書いたが、今号は”中秋の名月“を詠んだ歌人たちの句を紹介する。その前に――

『中秋の名月』(十五夜)とは“秋の真ん中に出る満月(または満月に近いお月様)のことで、旧暦の8月15日がその日の夜にあたる。旧暦では1月〜3月が「春」、4月〜6月が「夏」、7月〜9月が「秋」、10月〜12月が「冬」であった。したがって旧暦の葉月(8月)15日が“秋の真ん中の満月“『中秋の名月』になる。旧暦と新暦(明治6年1月1日から始まる)とでは、約2か月の差(ずれ)がある。

実は、暦の上では“十五夜”は毎月あるのだが、何故か月見をするのは葉月(8月)だけ。その理由は、農作物の秋の豊作を神に感謝する行事であったから、と解釈されている。その証拠に“月見の宴”では団子のほかに里芋や豆類、栗、柿なども供えられる。百人一首に(詠み人知らずの)有名な句がある。【月々に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月】(毎月のように月を鑑賞出来るが“名月”と思える月は今月(葉月)のこの月だけだ。)この観月会は平安時代に始まったと伝えられるが、庶民の間に広まったのは江戸時代に入ってからだそうだ。

占星術(占星学=太陽系内の太陽・月・惑星・小惑星などの天体の位置や動きなどと人間や社会の在り方を結び付けて行なう占い)によると「“月の満ち欠け”は人間の体調や感情にさまざまな影響を与える。特に、満月には“お願い事”をしてはいけない」という説があるそうだ。“月の満ち欠け“が人間の体にさまざまな影響をもたらすという研究は古くからなされて来たようだが、翁の知る限り、人間の心(感情)への影響(作用)に関する学術的な研究結果を(翁は)知らない。したがって、翁の勝手な考えだが「月は人を詩人にする」ほど(月は)人間の心を抒情に誘う力を持っていると思う。それ故に、月を観る人は”郷愁の念”にかられたり“物悲しさ”を感じたり、“淡い喜び”や“希望”を抱いたり、時には“祈り”などの敬虔な感情を呼び起こす。萩原朔太郎(明治19年〜昭和17年、大正・昭和の詩人“日本近代詩の父”)の『月の詩情』の中に「昔は多くの詩人たちが月を題材にして詩を作った。支那(中国)では李白や白楽天らが“月の詩人”として有名だが、日本でも西行や芭蕉をはじめ、多くの詩人や俳人たちが月を詠った。(中略)月と月光とが、古来、人々の心を強くとらえ、他の何物にもまして好餌の詩材とされたのは、天の夜空に輝く灯火が人間の向光性(植物の茎などが光の刺激の強いほうへ曲がっていく性質)を刺激し、本能的なリリシズム(詩的な感情)を高めたことは疑いない・・・」と書かれている。そこで翁が好きな西行・芭蕉・一茶・子規の(月を詠んだ)作品を拾ってみた。
【ともすれば 月すむ空に あくがるる 心の果てを 知るよしもがな】(西行)
(時には、澄んだ月に照らされた私の想いが、あの人(恋しい人)に届いてほしいものだ。)
【名月や 池をめぐりて 夜もすがら】(芭蕉)
(中秋の名月に魅せられ池のほとりを歩いていたら、いつの間にか夜が明けてしまった)この池は“古池や 蛙飛び込む 水の音”を詠った芭蕉庵(現在の文京区にある旧芭蕉の住居跡)の池ではないか、と、これは翁の想像である。
【名月を とってくれろと 泣く子かな】(小林一茶)
(背中に背負われた幼子が、大空に煌々と輝く満月を指さして“あのお月様を取ってくれ”とねだって泣いている)・・・と解釈されているが、翁の解釈は異なる。一茶は3歳の時、実母を亡くし、その後の父の後妻(継母)に虐められ、少年時代は実に不遇な暮らしを強いられていた。異母弟を背負いながら水汲み、薪集め、薪割り、土間掃除の毎日だった。ある満月の夜、泣きじゃくる背中の幼子をあやしながら一茶は呟いた「泣きたいのは俺のほうだ。いつになったらこの不遇から逃れられるのだろう」その時、一茶は満月に救いを求めたのではあるまいか・・・と翁は独断の解釈をしている。(ちなみに、一茶は14歳の時、故郷の信濃(長野県)柏原村から江戸へ奉公に出、25歳から俳諧を学ぶ。)

正岡子規もまた“名月”を多く詠んだ。いずれも胸が痛む句ばかりだ。2句を紹介しよう。
【名月や われは根岸の 四畳半】
(哀しきかな、あの名月は、四畳半の病床からしか見られない)――根岸とは現在の東京都台東区根岸にある子規終焉の棲家『子規庵』。
【名月に 飛び去る雲の 行方かな】
(名月との別れを惜しんで去って行く雲の行方が気になる)――この句は明治31年の作。我が病状(結核)の芳しからざるを憂い、名月から去って行く雲と己れの命の行方を重ね合わせた句であろう、と翁は解釈している。(子規、明治35年死去、享年35)

10月4日の『中秋の名月』は全国的に晴れて“お月見日和”とのこと。翁もまた月光を浴びて詩的感情を昂らせることだろう。そこで1句【リビングの 窓から満月 独り占め】
・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

スペースシャトル

毎週火曜日の夕方6時半から8時半、時間がある時にはサンペドロのハイキンググループに参加して歩く。山の方から下のサンペドロ港やパロスバーデスの海沿いを上がったり下がったりしながら2時間歩くといい運動になるし気持ちがリフレッシュ出来る。

この火曜日はちょうどスペースシャトルが7時5分に私たちの頭上を通過するという情報があったので皆で立ち止まって数分空を仰ぎ見る事にした。月が東の空にくっきり見えるようになった頃、その右手からスペースシャトルは現れると言うので目を凝らして見ていたら“あれだ!”と一人が空を指さした。スペースシャトルはスーッと現れて2−3分ぐらい飛行して空の彼方に消えていった。

日本の空では何回も北からミサイルが飛びトランプが北朝鮮のリーダーをリトルロケットマンと呼んでいる。ハイキング仲間でイタリアのお爺ちゃんはそのリトルロケットマンをボックス男と呼んでいる。体の縦と横が同じ大きさだからなのだそうだ。 私は日本ではエリンギ男とも言われているよと説明したけれどお爺ちゃんにはエリンギの事を知らなかったので後からエリンギとはキノコの種類で北のリーダーの髪型と似ているからなのだと説明を加え写真と共にお爺ちゃん充てにメールを送っておいた。

この所、北朝鮮とトランプの応酬が活発になっている。北朝鮮の放送局ではトランプのツイッターに反応してはアナウンサーの女性が飛び上がってこぶしを振り上げ体全体で怒りをあらわにしている。それにしても半島の人達のあの感情表現の豊かさには、いつも感心してしまう。使う言葉の激しさも口調もアクションもアジア民族の中では群を抜いている。お葬式に泣き屋という職業があるというのも珍しい文化だ。

日本はと言うと、感情表現を抑える民族なのか北の脅威が高まる中でまだまだ呑気そうに構えている人が多いように見受けられる。先日、日本のバラエティ番組を見ていたら、いかにも自分はアメリカの事情を知っている風な事を言っているコメンテイターがいて呆れた。“アメリカでは、そんな北朝鮮問題など気に留めていない。中東情勢や移民問題で忙しい”と。米国は今、朝から晩までラジオでもTVでも北朝鮮情勢一色なのに適当な事を言っているな〜と驚いた。この人物は、まさか米国に住んでいる日本人がこんなバラエティー番組を見ているなどとは思っていなかったのだろうか、、、
相変わらず“もりかけ”問題しか出せない自称文化人や評論家タレントたちも嘘がバレバレな事を今も気がつないのだろうか、、私たちは彼らが思うほど愚民では無いと思う。
昨日、ネットニュースに面白い事が書いてあった。芥川龍之介のクモの糸を例えに今、小池新党に群がっている人はうまく、彼女の糸にからめとられて最終的に選別されてハサミでチョッキン、チョッキンと落とされると言うわけだ。

昨晩、若狭さんに似ている友人とお蕎麦屋さんで飲みながら、こんな話題に盛り上がった。豊洲問題が〜とか盛り掛け問題が〜とか消費税の問題が〜とかキーキー言っている人は北から、もう一発ミサイルが飛んで来たら、そして、それが日本のどこかに撃ち込まれたら黙るだろう。その前に北のエリンギ男が亡命してくれたら助かる。亡命先は北朝鮮のラジン港からロシア極東のハサンまでを地下鉄の下にもう一つ掘られたトンネルを経由してウラジオストック経由でノルウェーの島(ロシアの治自区)にという説があるらしい。

スペースシャトルから地球を見下ろしたら、どんな風に見えるだろう。下界は騒々しく様々な人の思惑に溢れている。


茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「シニアの美しさ」

夏が終わり、やっと秋――秋は清涼爽快の候ではあるが、時として人に“そこはかとない憂い”を抱かせる季節でもある。つい先頃までの真夏日に涼を運んでくれた風鈴を仕舞い、スズムシの声も遠のいて行くこの時季、西の空に傾く夕陽と宵の明星(金星)を眺めていると、何故か、私の心の片隅に“憂い”が忍び寄る。しかし、その“憂い”は、けっして沈痛のものではない。自然の移ろいに感動したり、人を偲んだり、現実の自分の暮らしを顧みたり・・・私が言う“憂いの時”とは、まさに自然への、そして人への感謝の気持ちを蘇らせる“心の動きの時”のことである。そして思う「人の持つ独特の美しさや品格、それは、その人が生きている(来た)中で、どれだけ“憂い”を帯びているか」ではないかと。そういえば「人」と「憂い」を合わせると「優」すなわち「優しさ」になる。この「優」の文字の美しさは、時の深さや歳の重なりを示す美しさなのだと、私は思う。

去る9月10日(日)、成田ゴルフ倶楽部で開催されたPGAツアーチャンピオンシップ最終日、友人の招待で観戦にでかけた。出場選手達が会場に到着してバスから降りるところから、ショットやパターの練習、スタートからホールアウトして、アテストを済ませ、表彰式、そしてまたバスに乗り込んでゴルフ場を後にするまでの一連、テレビ画面には映し出されない風景を身近に見聞きでき満喫することができた。この日私が観たもの、感じたもの(感動したこと)、それは、世界最高峰の選手の最高のプレーは勿論だが、最も魅せられたものは彼らの品格・美しさだった。1,礼儀正しいが気さく、2,シンプルだが丁寧、3,真剣だが華やぐ、そして4,タフだが和らぐという、不思議な美しさに包まれていた。今まで何度もプロゴルフトーナメントの観戦に出かけ、興奮したり感動したりもしたが、今回のような“美しさ”は感じなかった。私が歳をとったということなのかもしれないが・・・

ところで、1980年に発足したこのPGA TOUR Championsは、世界殿堂入りした選手32名を含む50歳以上の選抜されたゴルファーからなる会員組織で、ゴルフファンを大切にし、プレーで魅了し続けつつ、開催する大会運営のサポートやボランティア創出をはじめとする慈善事業や経済活動を行なっている。今回は日本で初めての開催のPGAツアー・チャンピオンズ、大会を通して日米文化交流の実現を目指したものとして日本ゴルフ界の歴史に残るトーナメントになったと言われているそうだ。同組織メンバーからは、トム・ワトソン、トム・カイト、ジョン・デーリー、コリン・モンゴメリー、ジェッフ・スルーマン、といったゴルフ歴の浅い私でも知っているようなレジェンドプレーヤーたち、そして日本PGAツアーからは中島常幸、室田淳、倉本昌弘、尾崎直道、そして井戸木鴻樹らそうそうたるメンバーが参戦した。

さて、前述の私が感じた4つの“美しさ”をもう少しまとめてみると1,プレーヤー1人ひとりが、とても紳士であったということ。選手が選手に対しても、キャディに対しても、観客(ギャラリー)に対しても差別なく、エチケットやマナーを大切にしつつやわらかい笑みで挨拶や言葉を交わす様。2,自分のボールの前に立ち、スタンスを取り打つルーティン(一連の流れ)は質素だ(何度もブンブン素振りをするという余計な動作がない)が、1つひとつの流れがとても丁寧で繊細、“1球入魂”そのもの。3,ラウンドパートナーは友でありながら競技では敵であるという緊張感を保ちつつもちょっとした挨拶や会話を互いに交わしたり、ギャラリーにお茶目な言動をサービスしたり歓声に応えたり、ボランティアに敬意を表したりする姿。そして4, 初めて訪れる難コースでも、ラフは深く長くても、30度を超える猛暑でも、最後まで淡々とプレーする。彼らの選手生活の中で、多くのケガや病、厳しく不運な出来事に遭遇しても、プロゴルファーとしてボールを前に運び続けるように、自らの今を、人生を、和・輪に創り続ける、そんな生きざまが素晴らしい。どの選手もそれなりに年齢を重ね、様々な痛みが心身にある。歳をとるということをまざまざと見せられるが、その“優しい姿”に魅せられ、本当に“美しい”と感銘を受けた。彼らはいったいどれくらいの長さ、どれくらいの高低差を歩いてきたのだろう、地球を何周するくらい歩いたのだろう、と想像が膨らんだ。勿論、若いゴルファーの活躍は、男女問わず力強く逞しく、ワクワクドキドキさせてくれる。若い力そのもの、これも美しく学ぶべきテクニックや気合が多くある。でも私は、品格ある50代、60代,70代そして80歳を超えたシニアプロゴルファーたちの背中が、今、最高に眩しい、・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

私がサウスベイにいたころFM放送局KTWV(94.7MHz)でスムースジャズやフュージョン系ジャズをよく聴きました。耳障りがいいので好んで聴きました。今週はギターリストKen Navarroの"Smooth Sensation"を紹介します。夜寝る前に聴くのも良いと思います。

“JSmooth Sensation" Ken Navarro  

01-Time And Love 4:52
02-Smooth Sensation 4:34
03-I'll Tell You What 4:48
04-By My Side 4:28
05-I've Always Loved You 4:24
06-Out Of The Blue 4:23
07-Magic 4:20
08-A Place To Start 4:27
09-All I Need 4:31
10-Kiss Of Life 4:54

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

8月ごろからスマホでPinterestというサービスを利用しています。自分の好きな写真や画像を自分専用のコルクボードにピン止めしてそれをシェアできるサービスです。男性ファッションのトレンドを調べていて見つけたのですが、いろんなカテゴリーがあり、料理レシピや名言集などもあります。最近、よく集めているピンは名言集です。中には自分が以前から言っていたこともあります。松下幸之助さんの名言で心に響いているのは下記の言葉です。

「どんなに悔いても過去は変わらない。

どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。

いま、現在に最善を尽くすこと。」・・・です。

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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1116

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com