夏が終わり、やっと秋――秋は清涼爽快の候ではあるが、時として人に“そこはかとない憂い”を抱かせる季節でもある。つい先頃までの真夏日に涼を運んでくれた風鈴を仕舞い、スズムシの声も遠のいて行くこの時季、西の空に傾く夕陽と宵の明星(金星)を眺めていると、何故か、私の心の片隅に“憂い”が忍び寄る。しかし、その“憂い”は、けっして沈痛のものではない。自然の移ろいに感動したり、人を偲んだり、現実の自分の暮らしを顧みたり・・・私が言う“憂いの時”とは、まさに自然への、そして人への感謝の気持ちを蘇らせる“心の動きの時”のことである。そして思う「人の持つ独特の美しさや品格、それは、その人が生きている(来た)中で、どれだけ“憂い”を帯びているか」ではないかと。そういえば「人」と「憂い」を合わせると「優」すなわち「優しさ」になる。この「優」の文字の美しさは、時の深さや歳の重なりを示す美しさなのだと、私は思う。
去る9月10日(日)、成田ゴルフ倶楽部で開催されたPGAツアーチャンピオンシップ最終日、友人の招待で観戦にでかけた。出場選手達が会場に到着してバスから降りるところから、ショットやパターの練習、スタートからホールアウトして、アテストを済ませ、表彰式、そしてまたバスに乗り込んでゴルフ場を後にするまでの一連、テレビ画面には映し出されない風景を身近に見聞きでき満喫することができた。この日私が観たもの、感じたもの(感動したこと)、それは、世界最高峰の選手の最高のプレーは勿論だが、最も魅せられたものは彼らの品格・美しさだった。1,礼儀正しいが気さく、2,シンプルだが丁寧、3,真剣だが華やぐ、そして4,タフだが和らぐという、不思議な美しさに包まれていた。今まで何度もプロゴルフトーナメントの観戦に出かけ、興奮したり感動したりもしたが、今回のような“美しさ”は感じなかった。私が歳をとったということなのかもしれないが・・・
ところで、1980年に発足したこのPGA TOUR
Championsは、世界殿堂入りした選手32名を含む50歳以上の選抜されたゴルファーからなる会員組織で、ゴルフファンを大切にし、プレーで魅了し続けつつ、開催する大会運営のサポートやボランティア創出をはじめとする慈善事業や経済活動を行なっている。今回は日本で初めての開催のPGAツアー・チャンピオンズ、大会を通して日米文化交流の実現を目指したものとして日本ゴルフ界の歴史に残るトーナメントになったと言われているそうだ。同組織メンバーからは、トム・ワトソン、トム・カイト、ジョン・デーリー、コリン・モンゴメリー、ジェッフ・スルーマン、といったゴルフ歴の浅い私でも知っているようなレジェンドプレーヤーたち、そして日本PGAツアーからは中島常幸、室田淳、倉本昌弘、尾崎直道、そして井戸木鴻樹らそうそうたるメンバーが参戦した。
さて、前述の私が感じた4つの“美しさ”をもう少しまとめてみると1,プレーヤー1人ひとりが、とても紳士であったということ。選手が選手に対しても、キャディに対しても、観客(ギャラリー)に対しても差別なく、エチケットやマナーを大切にしつつやわらかい笑みで挨拶や言葉を交わす様。2,自分のボールの前に立ち、スタンスを取り打つルーティン(一連の流れ)は質素だ(何度もブンブン素振りをするという余計な動作がない)が、1つひとつの流れがとても丁寧で繊細、“1球入魂”そのもの。3,ラウンドパートナーは友でありながら競技では敵であるという緊張感を保ちつつもちょっとした挨拶や会話を互いに交わしたり、ギャラリーにお茶目な言動をサービスしたり歓声に応えたり、ボランティアに敬意を表したりする姿。そして4,
初めて訪れる難コースでも、ラフは深く長くても、30度を超える猛暑でも、最後まで淡々とプレーする。彼らの選手生活の中で、多くのケガや病、厳しく不運な出来事に遭遇しても、プロゴルファーとしてボールを前に運び続けるように、自らの今を、人生を、和・輪に創り続ける、そんな生きざまが素晴らしい。どの選手もそれなりに年齢を重ね、様々な痛みが心身にある。歳をとるということをまざまざと見せられるが、その“優しい姿”に魅せられ、本当に“美しい”と感銘を受けた。彼らはいったいどれくらいの長さ、どれくらいの高低差を歩いてきたのだろう、地球を何周するくらい歩いたのだろう、と想像が膨らんだ。勿論、若いゴルファーの活躍は、男女問わず力強く逞しく、ワクワクドキドキさせてくれる。若い力そのもの、これも美しく学ぶべきテクニックや気合が多くある。でも私は、品格ある50代、60代,70代そして80歳を超えたシニアプロゴルファーたちの背中が、今、最高に眩しい、・・・っと呟く、さくらの独り言。 |