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1111号

NO.1111     Ryo Onishi              8/27/2017

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雑貨屋のひとり言

蝉の声が消え、秋の虫の声が秋の訪れを感じさせてくれますが、まだまだ続く酷暑にうんざりしています。
今年の夏は猛暑でクーラーと扇風機がフル稼働していますが、30年前、扇風機もクーラーもなくてつらい夏を過ごしたことがありました。ロスからトロントに転勤した1987年の夏は異常に蒸し暑い日がありました。家はレンガ造りで窓が小さいので風通しが悪く、暑くて眠れない日が二週間も続きました。扇風機は売り切れ状態が続いていましたからいかに異常な暑さだったかがわかります。
猛暑が長く続いている日本列島ですが、これが異常ではなく常態化すると困りますね。≪R.O≫

 

 老舗は新しい

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『 老 舗 は 新 し い 』(羅府新報1999年3月号掲載)
日本では「創業元禄XX 年」とか、「天保XX 年」 などと古さと伝統を看板にしている老舗(しにせ)デパートや商店を街で見かけることがある。 

当地ロサンゼルス小東京などにも、何代にもわたって立派に営業を続けている日本または日系の店がいくつかあり、私はそんな「お店」の前を通るとき、何世代にもわたって店を維持してきた “古さ” と “貫禄” を感じ、一種の感動さえ覚える。

でもよく考えてみると 今、私達が街で見かけるこれら老舗とは “古い伝統があるから貴い” というだけでなく、長い年月の間、何度も襲ってきたであろう あらゆる危機に対し、いつもその時代にふさわしい新しい内容の経営改革をし、生き残り、 今に至っているからこそ、貴いのではないだろうか。

これに対し、伝統のみを重んじ、時代に即した改革が出来ず 消えていった店はこれまでに無数あった筈だ。

今、生き延びている老舗は、花も嵐も踏み越えて常に新しく 脱皮してきたからこそ 、老舗と言われ残っているのだろう。
 
先日、知り合いの大学生からこんな便りを受け取った。「僕は今日まで帰省をしていました。久しぶりに親元へ戻って驚いたことは、古くからある商店街がさびれていることでした。僕がそこに住んでいた3年前よりも明らかに人通りが減っていました。郊外のディスカウントストアに人が移っていったようです。これも時代の流れでしょうが、商店街の勢いを復活させる道ってないのでしょうか?」
 
今年にはいって、日本の東京・日本橋たもとのデパートの一店舗が閉店した。ここはかつて日本の衣服文化に多大な影響を及ぼした “老舗呉服店” だったこともある由緒あるところだ。時代の流れに翻弄された結果といえばそれまでだが、少々さびしい。

 思うに “老舗ほど新しい” ものはないと言えよう。 いつも 時代に即して新しく脱皮しなければ伝統もただの過去と同じになってしまうのだから。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


正眼の構えに無手勝流の意地

実力は五分 根性で負けてない

敗色に根性論が姦しい

敗けて勝つ術を覚えた痩せ蛙

八起き目を敗れ太鼓に励まされ


( ニュースひとりよがり )


「ミサイル三発失敗」
北朝鮮もてこずってるな −三本の矢

「キャラクター商品」
言わざる −都民ファースト都議

「緊急連絡」
ポテトサラダに気を付けろ −カラス


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(488)「戸越八幡神社と戸越公園」

お盆明け、じとじとした“戻り梅雨”のあと今度は急激に猛暑日の連続、O−157の発生や熱中症事故のニュースを耳に(目に)しない日はないほどの“酷烈残暑”。いかにゴルフ好きな翁でも“こんな酷暑の中のゴルフは狂気の沙汰“と、じっと我慢して“涼風到来”を待っているのだが、1か月もコースに出ないと、どうにも体がなまって心身のバランスが
保てない。ゴルフに行く朝は、だいたい4時に起床する。その習慣で昨日の土曜日も4時に目を覚ました。昨夜から冷房をつけっ放しにしておいたので部屋は適度に冷えている。“よし、今日は『余話』を書こう”と(早めの朝食を済ませ)パソコンに向かった。“さて、今号は何をテーマにしようか”とパソコン画面と睨めっこしていたのだが、心身のバランスを欠いていると頭の回転も悪く、いっこうにアイデアが浮かんで来ない。仕方なくパソコンを離れ、しばらくテレビを視ていたのだが“よ〜し、こんな時は気分を一新しよう”と急に思い立ち、Tシャツ、半ズボン、帽子、ズックの“散歩スタイル”で8時に家を出た。外はすでに“猛暑”、途中の自販機で麦茶を買って、いつもの散歩先である戸越公園へ向かった。戸越公園散歩の途中、必ず立ち寄るのが『戸越八幡神社』。

静かな拝殿前、拝礼を済ませた1人のお年寄り(翁と同年輩くらい)とすれ違いざまお互いに会釈を交わして拝殿前のお賽銭箱にコインを投げ入れ、お決まりの作法(2礼2拍1礼)で拝礼した。翁がいつも拝礼時に念ずるのは“お守り下さい”のただ一語、誰を守ってほしいのか(具体的には念じることはないが)欲張りな翁、私を、親戚を、友人を、国を・・・多分、全部だろう。拝礼の後、振り向いたら先程のお年寄りが参道脇の“囲い石”(写真右)に両手をかざしている。翁、この“囲い石”のことは以前から知っている。『さし石』と言って江戸時代、神社の氏子の若い衆がこの石を担いで力くらべをした。故に『さし石』は別名『力石』とも言う。この石に御祭神の応神天皇(270年頃?第15代天皇)の御神霊が宿り、この石に触れると不思議なパワーが授かり病を防ぎ健康になる、との説明板が立っている。翁が近づいて、そのお年寄りの仕草を眺めていたら、彼(微笑みながら)「迷信と思われるかも知れませんが、パワーを貰っているんです。あなたもおやりになりませんか?」と勧めてくれた。「はい、では私も」と言って2人の老人が並んで『さし石』に両手をかざした。ほんの5分くらいのお付き合いだったが、その間、そのお年寄りの身の上話が聞けた「私の“石信仰”は丸2年になります。3年前に家内に逝かれた後、私は大病して生きる意欲を失いかけた時、親友に誘われて大分県へ行きました。“仏の里”国東(くにさき)半島と臼杵市(うすきし)の石仏巡りです。私の家内の郷里が臼杵市なので親戚周りをかねて・・・その時、石仏から何とも言えないパワーを戴きました。以来、近所のこの『力石』を信仰するようになりました。単なる“気休め”ですがね」――翁も大分県出身、しかも国東半島(摩崖仏)・臼杵の石仏のことは当然、熟知しているので、そのお年寄りの話が嬉しくて“実は私も大分県・・・”と言いかけたが、何故か思いとどまり「気が休まることは、我々老人には一番ですよね。私も、これからこの『力石』からパワーを貰いに、お参りに来ます。いつかまた、お会いしましょう」と言って別れた。別れる時のお年寄りの会釈が、とてもいい笑顔だった。

『戸越公園』へと歩きながら『戸越八幡様』の由緒を思い返した。(以前にも『余話』で紹介したが)1526年に京都・石清水(いわしみず)八幡宮からの分霊を勧請(かんじょう=神仏の霊や像を寺社に迎える)して建立したもの。ご承知のように、全国4万4千社の八幡宮の総本山は宇佐神宮(大分県宇佐市、725年建立)。石清水八幡宮(865年建立)や筥崎宮(はこざきぐう=福岡、921年建立)、鶴岡八幡宮(鎌倉、1063年建立)などはいずれも宇佐神宮の分霊を勧請して建立された神宮だし、いずれの神宮も主祭神は応神天皇、配神は比売神(ひめがみ=神道の女神)、神功皇后(じんぐうこうごう=応神天皇の母神)だから、元は宇佐神宮に繋がっている。故に石清水八幡宮は宇佐神宮の“子ども神宮”、『戸越八幡神社』は“孫の神社”ということになる(と、翁は勝手にこじつけている)。

『戸越公園』は江戸時代初期、熊本藩・細川家の下屋敷だったところ。ここは、以前から翁の憩いの場所でありパワースポット、中でも武家屋敷を偲ばせる正門(薬医門)(写真左)、回遊式庭園の池(写真中)、庭園の中の小さな2つの滝(写真右)が好きだ。この公園については以前にも『余話』で数回紹介したことがあるので今号は詳細を割愛する。

「犬も歩けば棒に当たる」とは「出しゃばると思わぬ災難に遭う」という戒めの諺だが、もう1つ「じっとしていないで何でもいいから動けば思わぬ幸運に会う」の意味もある。昨日の翁の『戸越八幡神社』参りは、まさに“神棒に当たる”と思えるほど(かのお年寄りとの)いい出会いがあった。心身のバランスを欠いた時、(
気休めでもいい)『力石』のパワーをいただきに参詣する楽しみが出来た・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

残暑お見舞い

今週は時間が無くてエッセイを書く時間がありませんでしたので花の写真を5枚送らせていただきます。
友人の庭に咲いていた鮮やかな色の花が綺麗でしたので今週は、残暑お見舞いとして写真だけ送らせていただきます。
    ハイビスカス(黄色)
 
アーティーチョークの花    



茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「さようならの力」

好きな作家の一人に、伊集院静がいる。彼のエッセイ集『大人の流儀』シリーズが好き。最初は『大人の流儀』という題に、単に惹かれて買ったが、『大人の流儀』続編、3『別れる力』、4『許す力』、5『追いかけるな』、6『不運と思うな』、そして7『さようならの力』は、発行・発売と同時に読んでいる。どの書も、その時々の私に必要で、ありがたい語り掛けが、しかもすぅっと風が吹く様に、私の心に吹き抜ける。だから、時々さらっと読み返すこともある。今、読み返しているもの、それは3『別れる力』と7『さようならの力』、真夏の風が流れる中、私の悲しい時と熱い涙も流れている。

この8月9日(水)午後12時22分、兄ちゃん(次兄・通称俊ちゃん)が逝った。享年60。食道癌。その告知を受け、治療を始めたのは昨年の7月、熊本大地震の直後だった。原発主である食道癌は、放射線治療や抗がん剤治療の効果が見られたが、転移した首のリンパ筋の腫瘍は血管に食い込みながら猛威を振るい、その痛みは最後まで俊ちゃんを苦しめた。科研段階の免疫治療も期待と希望で臨んたが、治療どころかリンパ筋の癌は逆の方向へつっ走り、若い俊ちゃんの細胞をみるみる食い尽くしてしまった。著しい体力低下と狂った癌細胞に、今後の治療が困難と告げられた時、俊ちゃんの強い要望であった“自宅”における訪問治療とホスピス、その戦いを俊ちゃんの家族は臨んで受けてくれた。癌がむしばむ俊ちゃんの肉体、その痛みは、想像を絶する(言葉では表現のしようのない)ものだった。それを支えた家族は、まさに俊ちゃんの生なる戦友である。最後の3日間(8月7・8・9)日は、俊ちゃんの家族である俊ちゃんの妻と息子、娘、私たち姉妹、そして私たちの母が彼を囲うという、俊ちゃんの旅立ちにふさわしい顔ぶれで“時”と“業”が備えられた。“完璧だった!”と残された私たちは口にした。立派な、立派な最期だった。男のロマンと哲学を貫き通し、戦うべき戦いを懸命に戦い抜いた戦士だった。最高の最期、近年見たことのない男の終焉だった!

ところで、亡くなった兄・俊ちゃんは、私とは4つ違いのバリバリ新聞記者。お転婆でハチャメチャな私と違い、幼い頃から優秀な“おぼっちゃま”だった。この兄・俊ちゃんについては以前、雑貨屋705号(2009,11,15)『兄の上京』と題して紹介したことがある。そんなおぼっちゃまだった兄・俊ちゃんだが、全てに生き字引のような人で、且つ、“流儀”にはとてもうるさい人だった。その“流儀”には、社会で生きるうえでの、人として、男として、熊本県人として、聞屋(ブンヤ=新聞記者)として、趣味を極める海の男(釣り人)として、料理人として、などなど、彼なりの知識や経験をユーモアに富ませた、素敵な素敵な兄・俊ちゃんであった。彼が闘病中初期のブログ『くたばれ食道癌』の一節にこんな文章がある。【無常観と言えば、劇作家の山崎正和氏が「積極的無常観の勧め」を説いている。“人の世の無常、はかなさを自覚した上で、前向きに”ということか。熊本地震で“何ら変わりなく明日は来るもの”と信じていた根拠のない思いは一瞬で崩れた。そして普通に食べて飲み、眠り、話し、排泄するという日常がどれほど大切であり、また脆弱であるかも思い知らされた。ある程度予想が付く台風や水害などと違い、何ら前触れのない大地震による被害は、ことさら世の無常を感じさせたのではないか。病に伏して知る普通の暮らしの尊さ、命には限りがあるという無常・・・。これからは積極的無常観でいきますかな。そして目指すは、ひょうひょうと生き、さらりと逝く―。むしゃはいいが(カッコはいいが、という熊本弁)難しそうだ】―伊集院静の大人の流儀シリーズに負けないほど、兄・俊ちゃんの流儀シリーズは素晴らしいものばかり、私に「さようならの力・・・積極的無常観」をくれた。今やそれは、私の大きな財産だ。

さて、雑貨屋379号(2003,8,17)のさくらの独り言「兄ちゃん」では、私の長兄が喉頭癌のため52歳で逝ってしまったことを書いた。残された私たちきょうだいは、その後、それぞれが52歳を迎えると「兄ちゃん(長兄)の歳までこれたね」と語り合い、感謝したものだった。当時73歳だった母が、最初の息子を見送らなければならなかった心情を思い、残された自分たちはそんな思い(不義理)を母にさせてはならぬという痛みだったのだと思う。長兄がなくなった時の、あの火葬場で、点火スイッチを押さなければならない母の指の震えを、私たちはいまだに忘れられない(大変酷なことだが、熊本市の火葬の点火ボタンは家族代表が押す)。今年87歳になった母は年相応の不調はあるものの、一緒に住んでくれている私の姉のおかげで元気だが、また一人、自分の息子を見送ることになり、埋められない空白が母の心の奥深く生まれたことは言うまでもない。この8月11日、俊ちゃんのお棺が運び入れられ閉じられた厚い壁の前で、激しくなり響く炎の音を打ち消すかのように、何度も何度も、何度も何度も、兄・俊ちゃんの名を呼び続けた母。皆が控室に移動してもなお、母は兄・俊ちゃんの名を呼び続け、その場から離れなかった。最期の頃の兄は、母が自分の名前を呼ぶことをこよなく愛したが、母はまた自分の愛情をその名を呼ぶことで伝えようとしていたのかもしれない。きっと、60年前、兄・俊ちゃんをこの世に迎えた時の喜びの何倍も何倍もの痛みと悲しみが、母の五臓をえぐりとったに違いない。その母の横についていた私の頭に、伊集院静の「さようならの力・・・さようならから本物の人生は始まるんだ」のエンディングの一節が頭をよぎった。『苦しく、哀しみを体験した人たちの身体の中には、別離した人々が、いつまでも生きていて、その人の生の力になっています。だからこそ、懸命に生きなければならないのです。私は今、“さようならが与えてくれた力”を信じています』と。作家伊集院静、彼も最愛の人を見送った一人。だけどこの言葉は、兄・俊ちゃんが炎の中から、母に、そして私たちにささやいた『さようならの力』だったのかもしれないと思った・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

1985年イタリア生まれのピアニストGiovanni Guidiのアルバムを紹介します。
ビートルズのTomorrow Never Knowsをアルバムタイトルにしています。
すこし前衛的な部分もありますがしぶいアルバムです。

“Tomorrow Never Knows”  Giovanni Guidi

01-Sleep Safe And Warm
02-Turnaround
03-Joga
04-By This River
05-Back In The USSR
06-Begatto's Kitchen
07-Tomorrow Never Knows
08-Bella
09-Motion Picture Soundtrack
10-Norwegian Wood
11-Duff
12-Alice In Neverland
13-Girotondo Per Francis

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

今週は創刊から22年目でとても珍しい4桁のゾロ目のウィークリーとなりました。
次の2222までかなり遠いですがそのうちやってきますから楽しみに続けましょう。

昨日から孫がお泊りしていて、朝からにぎやかです。雑貨屋の編集中にどこかに連れて行けとせっつかれています。

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Zakkaya Weekly No.1111

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com