龍翁余話(485)「クアロア・ランチ」(拡大版)
(はじめに)8月は「鎮魂の月」である。太平洋戦争(大東亜戦争)関係では、6日の広島と9日の長崎の原爆忌、15日の終戦記念日(全国戦没者追悼式)、そして32年前の1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故慰霊祭など、(13日から16日のお盆の行事と併せて)各地で鎮魂の行事が行なわれる。『龍翁余話』もこれまでに何回か“慰霊・感謝・祈り”を書いて来た。今年もその執筆準備をしていたのだが、7月に3週間に亘って旅をしたハワイ・オアフ島の紀行文を書くため、今年の8月は“1人静かに祈る月”にした。
さて――日本テレビ系「金曜ロードショウ」が“夏は恐竜・ジュラシック祭り”と題して、7月28日『ジュラシック・パーク』と8月4日(『ジュラシック・ワールド』を(いずれも21時から)2週連続で放送した。『ジュラシック・パーク』は1992年にスティーヴン・スピルバーグが製作、『ジュラシック・ワールド』は2015のナンバー1ヒットを記録した(同じくスピルバーグ制作の)恐竜映画。最近では、今年の春に公開された『キングコング
髑髏島の巨神』が話題を呼んだが、これらの主なロケ地が(翁がたびたび乗馬で訪れる)ハワイ・オアフ島の北東部にある『クアロア・ランチ』(牧場)なのだ。ハリウッド映画やテレビドラマの撮影ばかりでなく、いくつかの日本企業のCM撮影にも使われているので、その風景(背景)をご記憶の人も多いのでは・・・
ハワイ・オアフ島は2つの山脈で構成されている。ワイキキから北東に見えるのがコオラウ山脈、西の方にあるのがワイアナエ山脈。翁は男性的なコオラウ山脈が好きだ。ワイキキから北東(カネオヘ方面)に向かってパリ・ハイウエイを20分ほど走ると、コオラウ山脈を刳り貫いたパリ・トンネルがある。その真上が強風の崖と言われる『ヌアヌ・パリ』(標高960m)の展望台だ。『ヌアヌ・パリ』は、カメハメハ大王が強敵・オアフ軍と激戦のすえ勝利し、ハワイ全島を統一した歴史の場所であり、ここから見るコオラウ山脈(上段写真左)とカネオヘの町やカネオヘ湾(上段写真右)のパノラマは息を呑む。太古より雨で浸食された奇観のコオラウ山脈の尾根がギザギザで連なっているところから、翁は以前からこの山脈を“ノコギリ山脈”と呼んでいる。
ワイキキから車で約50分(カネオヘの町から20分)の所に、乗馬好きの翁が、たびたび訪れる『クアロア・ランチ』(牧場)(下段写真左)がある。(2009年11月29日配信の『龍翁余話』(106)「乗馬」にも書いた)。壮大なコオラウ山脈の麓に約4,000エーカー(約500万坪、東京ドーム約450個分)の草原が広がり、随所にジャングルや谷、小川などがあって大自然をそのまま味わうことが出来る。また、クアロア公園の沖合、カネオヘ湾に浮かぶ『チャイナマンズ・ハット』(島の形が中国人の帽子に似ている無人島)(下段写真右)を含むプライベートビーチなどを有するオアフ島屈指の観光スポット。したがって、ここは乗馬ばかりでなく、4輪バギー(主として舗装道路以外の場所で走る車体の軽い4輪車)(写真中)、ジャングルエクスペディション(特別な仕様車で、山道を登ったり下ったり、小川を横切ったりする特殊車)(写真右)などで、日本人観光客にも人気が高い。しかし今号は観光案内ではなく、古代には王族しか立ち入ることが許されなかった“聖地クアロアの伝説と歴史”にスポットを当ててみることにする。(註:上記3枚の写真は資料から)
『クアロア』はオアフ島で最も神聖で強い霊力が宿る場所の1つとされている。古代は王族(酋長一族)だけが入ることを許され、今でも『クアロア』一帯の随所には酋長一族の遺骨が埋められているとも言われている。また『クアロア』の後ろの山(コオラウ山脈)の麓には“天国と地獄”の分かれ目があり、それにまつわる伝説が数々残されている。翁、数年前から(乗馬でこの牧場を訪れる度に)“天国と地獄の分かれ目”を探しているのだが、資料を見ても牧場のスタッフたちに訊いても(その場所は)未だはっきりしない。思うに、このパワースポット全域に“地獄と天国の分かれ目”があり、それは、ここを訪れる人の行ないと心次第、ということだろうか?
幾つかの伝説の中で翁が興味を持つものを2つ拾ってみた。1つは『ホロアペエ伝説』――
コオラウ山脈に深々と刻まれている渓谷(写真左)は、古代ハワイアンが大きなカヌーを引きずりながら山越えをした際に削られた跡と言われる。その渓谷の至る所には、イノシシの化身・カマプアアが掘った洞窟が多数残されており、敵が攻めて来た時、その洞窟を隠れ場所にした、と伝えられている(翁は、その洞窟を確認していない)。そう言えば『ホロアペエ』とは、ハワイ語で“走る”とか“隠れる”と言う意味だそうだ。カマプアアとは、ハワイ語で”イノシシの子”と言う意味。普段、人間の姿をしている時は美男子だが、本性は獰猛なイノシシの神(半猪半人)(写真中)。
もう1つは『メネフネ伝説』――「古代ハワイには(先住民族と言われる)『メネフネ族』がカウアイ島を中心に全島に住んでいた。『メネフネ族』は別名“小人族”と言う。普通の大人の半分の身長だが筋骨隆々、強靭な体力を持つ働き者であった」と言う説や「西洋人がハワイに来て(西洋人より背の低い)先住民を奴隷化した」など諸説あるが翁は前説の(小人の妖精)を支持する。というのは、2015年12月配信の『龍翁余話』(403)「オアフ島最古の神殿」で『メネフネ族』を紹介した。“最古の神殿”とは“ウルポ・ヘイアウ”のこと。ハワイ諸島の先住民『メネフネ族』数万人が夜から朝にかけてクアロアから岩石を運び、一晩で神殿を造り上げた、との言い伝えがあり、そのためか“ヘイアウ”には“夜のインスピレーション”と言う意味があるそうだ】――『メネフネ族』は、どうやら昼間は密かに身を隠し(眠って)、夜になると行動を開始する夜行性人間だったのかもしれない。いずれにしても働き者の『メネフネ族』は“神殿”ばかりでなく、クアロア地方を支配する酋長一族のために夜な夜な働いて“養魚池”を造った。今から800年も前のことである。海岸近くに石壁を作り、海から入り込んでくる稚魚をそこで飼い、その魚が大きくなると柵(石壁)から出られなくなる仕組み。しかも魚の餌となる藻やサンゴ類が成長しやすいように、池の深さを1m〜1.5mと浅くしたのがミソ。今から800年も前に『メネフネ族』にこんな海洋養殖術があったとは・・・それが今に残る『クアロア・フィッシュポンド』(写真右)。ここに立つと“『メネフネ族』の息遣い”が感じられる、不思議な雰囲気が漂う。まさに『メネフネパワー』だろうか・・・
『クアロア・ランチ』の歴史を辿ってみよう。ここ『クアロア』は元来、カメハメハ王朝の所有地であった。カメハメハ3世(1813年〜1854年)の時、米国人で内科医だったゲリッド・P・ジャッド(1803年〜1873年)がハワイに移住してカメハメハ3世の相談役となり、3世の信用を得て今から167年前の1850年にこの広大な土地を購入、サトウキビ栽培に着手した。この時代の日本は徳川第12代将軍・家慶の代。翌年(1851年)にはジョン万次郎が米国から帰国。それから2年後(1853年、第13代将軍・家定の代)ペリー率いる黒船が浦和に来航・・・と言う時代だ。それはさておき、ジャッドのサトウキビ栽培と精製事業は不運にも1871年の大干ばつで大打撃を受け閉鎖、その後、子孫は牧場を始めたが太平洋戦争でクアロア牧場は軍に没収される。戦後、クアロア牧場はジャッド家に返され、1970年に乗馬事業に乗り出し、これが当たった。現在のようなアクティビティ(さまざまな遊び・活動)施設が出来たのは1980年に入って以降である(以上、資料参考)。
オアフ島で最も神聖で強い霊力が宿る場所の1つと言われる『クアロア・ランチ』の伝説には、ほかに『チャイナマンズ・ハット伝説』(コオラウ山脈で暴れ回っていた巨大トカゲを
女神ヒイアカ(ハワイの“火山の女神・ペレの妹)が退治して、巨大トカゲの尻尾を海に放り投げた、長い年月が経ち、その尻尾が島になった、という伝説)もあるが、翁は、もっと『メネフネ族』のことを知りたくなった。理由は、ハワイ全島に残されている『ヘイアウ』
(神殿)、『養魚池』、『灌漑施設』など、パワー・スポット(霊的な力が満ちている場所=気場)には少なからず『メネフネ族』が関わっている(と言われている)からだ。ハワイ原住民については未だに不明瞭なことが多いが、ハワイ史によると最初に登場するのがマルケサス諸島(南太平洋の14の火山島からなるフランス領)からやって来た“強靭な肉体を持つ小人”、それが『メネフネ族』である、と記されている。いつの日か『メネフネ族』のルーツを訪ねてマルケサス諸島へ。いや、それは、もう無理な話。
(あとがき)『メネフネ伝説』に刺激されてハワイの古代にロマンを求めたが現実に戻ると、やはり(日本人として)真っ先にしなければならないのは今日(6日)の広島、9日の長崎の原爆忌、15日の全国戦没者追悼式など“慰霊と感謝と祈り”である。(冒頭に書いた)「今年の8月は1人静かに祈る月」を実践しよう・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |