『過去と未来の22年』磁針寄稿文、1998年6月掲載)』
私の所属するグループの勉強会では今、「日本の2,020年を考える」というテーマと取り組んでいる。もしこのまま我が祖国が何の策もなく時を重ねたら2,020年前後には経済だけでなく国家そのものが破綻しかねないと推測されるからだ。
そこでどうすれば21世紀の日本が世界に信頼され、国際社会で名誉ある地位を占められるようになるか、そして我々一人一人の役割は何か、などを我々なりに探ろうと言う訳だ。
ところで2,020年(22年後)とは我々にとって果たしてどのくらいの先の未来なのだろう。一つの手掛かりとして今から22年前(1976年)の新聞縮刷版をめくりながら考えてみた。
そこには思い出深いニュース(ロッキード事件で田中前首相ほか逮捕、毛沢東中国国家主席死去、カーター氏米大統領に当選、日本で初の5つ子誕生など)が紙面を賑わせている。
こんな出来事があった年が今から22年前なのだ。さらに現在の自分の年齢で
22年前を振り返るのと、22歳も年齢を重ねた後から現在を振り返るのでは同じ22年間でもその感じ方はかなり違うはずだ。
書物からの知識だが、イギリスの心理学者の説によると、人間は年をとるにしたがって肉体の新陳代謝は弱まり、頭の中の時計もそれに合わせてゆっくりと廻るようになるので相対的に時間が早く過ぎるように感ずるのだそうだ。
また別の学説に、「10歳の子供にとっての1年とは過去の全人生の
10分の1だが、50歳の人にとっては50分の1にしか過ぎず、それだけ人は歳をとると時間経過が早く感じられる」というのもあると聞いた。
どうも我々にとって22年後(2,020年)とは、はるか先の未来では決してなく、少なくとも時の流れの感じ方は過去の22年間よりはるか短い期間という事になるわけだ。
1976年の新聞記事を見て「昨日のこと」 のように当時を思い出す私などにとっては
2,020年とは、もう目の前まで来ている近未来だと言うことになる。―― さあ、大変だ! こんなことしている暇などない!!
大急ぎで 2,020年のための準備をしなくっちゃ。 |