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1099号

NO.1099     Ryo Onishi              6/4/2017

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雑貨屋のひとり言

2月に孫が誕生してから5人で暮らして4ヶ月が経ちました。孫は時々、怪獣のように泣きわめきます。これには疲れますが愛嬌のある笑顔をたくさん見せてくれるので癒されています。来月で4歳になる孫娘は弟が気になるらしく私たちが孫にかまっているとやきもちを焼きます。孫娘の扱いも気を使います。5人暮らしは朝から晩までとても賑やかで、あっという間に一日が終わります。もうすぐしたらこのにぎやかな生活から二人の生活に戻ります。ホッとする一方、寂しい気持ちもあり複雑な心境です。≪R.O≫

 

 過去と未来の22年

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『過去と未来の22年』磁針寄稿文、1998年6月掲載)』
私の所属するグループの勉強会では今、「日本の2,020年を考える」というテーマと取り組んでいる。もしこのまま我が祖国が何の策もなく時を重ねたら2,020年前後には経済だけでなく国家そのものが破綻しかねないと推測されるからだ。

そこでどうすれば21世紀の日本が世界に信頼され、国際社会で名誉ある地位を占められるようになるか、そして我々一人一人の役割は何か、などを我々なりに探ろうと言う訳だ。

ところで2,020年(22年後)とは我々にとって果たしてどのくらいの先の未来なのだろう。一つの手掛かりとして今から22年前(1976年)の新聞縮刷版をめくりながら考えてみた。

そこには思い出深いニュース(ロッキード事件で田中前首相ほか逮捕、毛沢東中国国家主席死去、カーター氏米大統領に当選、日本で初の5つ子誕生など)が紙面を賑わせている。

こんな出来事があった年が今から22年前なのだ。さらに現在の自分の年齢で 22年前を振り返るのと、22歳も年齢を重ねた後から現在を振り返るのでは同じ22年間でもその感じ方はかなり違うはずだ。

書物からの知識だが、イギリスの心理学者の説によると、人間は年をとるにしたがって肉体の新陳代謝は弱まり、頭の中の時計もそれに合わせてゆっくりと廻るようになるので相対的に時間が早く過ぎるように感ずるのだそうだ。

また別の学説に、「10歳の子供にとっての1年とは過去の全人生の 10分の1だが、50歳の人にとっては50分の1にしか過ぎず、それだけ人は歳をとると時間経過が早く感じられる」というのもあると聞いた。

どうも我々にとって22年後(2,020年)とは、はるか先の未来では決してなく、少なくとも時の流れの感じ方は過去の22年間よりはるか短い期間という事になるわけだ。

1976年の新聞記事を見て「昨日のこと」 のように当時を思い出す私などにとっては 2,020年とは、もう目の前まで来ている近未来だと言うことになる。―― さあ、大変だ! こんなことしている暇などない!! 大急ぎで 2,020年のための準備をしなくっちゃ。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


谷底に落とさぬ獅子の子も過保護

子の個性違う答えで良しとする

駆け持ちの塾に遺伝子の悲鳴

サインコサイン何のまじないだったっけ

手を焼いた教え子の今日披露宴


( ニュースやぶにらみ )


「小池氏の離党届」
三行半で書いてきやがった −自民党

「安倍首相激怒」
前文部科学次官にだね −北朝鮮

「13歳張本選手大活躍」
若い者には負けられない −藤井四段


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(479)「兄を偲ぶ――百舌鳥(モズ)と鵯(ヒヨドリ)」

6月の別名を“水無月(みなづき)”と言う。6月は雨期で水が多い月のはずなのに“水が無い月”とは解(げ)せない。そこで、語源由来辞典を調べたら「水無月の“無”は、神無月の“な”と同じく(現代語の)“の”に該当するもので“水の月”と言う意味」と説明されている。ならば神無月は“神の月”と言うことになるが(翁は長年)「10月は全国の神様が出雲の国に集まるので出雲以外の地域は“神様不在の月(神の無い月)」と理解していた。だから翁はやはり“水無月”は“水の無い月”と解釈したいのだが、暦上の言葉、信仰上の言葉、伝統催事の言葉などの語源を辿ると(現代用語の意味や感覚と大きく矛盾するものがあるけれども)自然崇拝や農業と密接なつながり(意味あい)を持つものが多いので、結局は、逆らわずに“語源由来説”に従うことにする。

さて“水無月”は、梅雨(五月雨=さみだれ)の季節に入る。梅の実が青色から黄色に変わり、そろそろホタルも飛び、百舌鳥(モズ)が鳴き始める。実は翁、春夏のモズと秋のヒヨドリには格別の思い出がある。翁は少年時代、学校が休みの日など、よく空気銃を持って(ハンター気取りで)“狩猟”に出かけていた。終戦直後は、空気銃は自由に持ち歩くことが出来、自由に“狩猟”することが出来た。「銃刀法」の施行は1958年(昭和33年)、「狩猟法(改正)」の施行は1963年(昭和38年)。この話は翁が小学校5,6年生の頃の話だから「銃刀法」にも「狩猟法」にも引っ掛からない、のどかな時代だった。

龍少年が狙った獲物は、秋から冬にかけてはヒヨドリ、春から夏にかけてはモズであった。ヒヨドリはハトと同じくらい大きいので狙い易く、おまけに翁の近くのお寺の境内の栴檀(せんだん)の木に(実を食べに)群がって来る(枝ごとに密集する)ので龍少年の未熟な腕前でも(50m離れていても)撃ち落とせる状況だ。しかし翁、“狩猟”と威張っているが、実は1度も(1羽も)殺したことはないのだ。その理由は――ある休日、お寺の境内の栴檀の木の枝に群がっているヒヨドリを目がけて空気銃を1発撃ったら、パッと羽を散らして1羽のヒヨドリが地面に落下した。少し興奮気味の龍少年は急いで“獲物”に駆け寄った。しかし、もがき苦しんでいるヒヨドリが急に可哀想になり、空気銃を肩に担いで両手でヒヨドリを掴み自宅に走り帰った。さて、どうしたものか、幸いに(休日で)家にいた役所勤めの兄が、ピンセットで(羽の付け根辺りにめり込んでいた)弾を抜き、その跡を赤チン(マーキュロクロム液=殺菌・消毒液)で消毒したり、(何かの)塗り薬を塗ったり・・・数時間後、器用だった兄は“俄か鳥籠”を作り、中に綿を敷いてヒヨドリを入れた。弱り切っていたヒヨドリは、目だけクルクルさせていたが(籠の中で)おとなしくしていた。しばらくして兄が弟を叱った「お寺の境内で生き物を殺すとは何事だ!今後、境内で絶対に生き物を撃ってはならぬ」――学徒動員(最後の少年兵)で死線を潜り抜け“命の重み”を体験した兄の厳命に、きかん気の弟もさすがに逆らえなかった、と言うより、たかが1羽のヒヨドリの命を、あれほど懸命に救おうとした兄の優しさに弟は(子ども心にも)何とも言えぬ感動を覚え、自分がなした(射撃した)蛮行を、いささか後悔したのだ。その夜、兄弟はヒヨドリの籠を挟んで寝た。弟が、兄の“死線経験”(敵機の機銃掃射で大勢の同僚を失った悲しみと命の大切さ)を聞かされたのは、その時が初めてだった。翌朝早くヒヨドリの(スズメに似た)鳴き声で兄弟は目を覚ました。ヒヨドリは見違えるほど元気になり、水を飲み(龍少年がお寺の境内で集めて来た)栴檀の実をつつくようになった。そしてその翌日、ヒヨドリは大空へ飛び立った。

こんなことがあって龍少年の空気銃は、しばらくは封印された。だが、翌年の新緑の季節、龍少年は再び“狩猟”に出かけるようになった。ターゲットは森林や林縁、農耕地などに姿を現すモズであった。モズは、さまざまな鳥の鳴き声を真似る珍しい才能を持った鳥だ。だから日本名を“百舌鳥“と書く、そのことと、モズの生態について(龍少年は)兄から教わった。モズは昆虫・ムカデ・クモ・ヘビ・トカゲ・ネズミ・カエルなどを食べる動物食。樹上から地表の獲物を探して襲いかかり、捕らえた獲物を、いったん”はやにえ“にする習性があるとのこと。”はやにえ“とは、捕らえた獲物を小枝や有刺鉄線のような尖ったものに突き刺し保管すること、と兄は説明してくれた。ついでに兄は(弟を)厳しく戒めた「空気銃で脅すのはいいが、殺すなよ」・・・モズはヒヨドリより一回り小さく(約20cm)、50m〜60mも離れて撃つのに少年の腕前ではとうてい当たりっこない。その日は、幸か不幸か、モズには出遭わなかった。夕飯時、兄が訊ねる「射止めたか?」弟は首を振って「いや、わざと外して脅かしただけ」とウソをつく。兄の(クスッと笑った)優しい笑顔が今も忘れられない。ついでに申し添えておく。”ハンター“を気取っていた龍少年、中学生になるまで空気銃は手放さなかったが(前述の)ヒヨドリを傷付けた以外、1度も鳥類を殺傷したことはない。野山の草木を的(まと)に射撃練習をしただけだった。

♪ モズが枯れ木に鳴いている おいらは藁をたたいてる 綿引き車はおばあさん
  こっとん水車も回ってる 
みんな去年と同じだよ けれども足ん無(ね)えものがある
兄(あん)さの薪割る音が無(ね)え バッサリ薪割る音が無(ね)え・・・
翁が学生時代、クラブの仲間と新宿の歌声喫茶『灯』や『カチューシャ』へ行き、ロシア民謡や労働歌、反戦歌を歌ったが、その中に『モズが枯れ木で』(作詩:サトウハチロー、
作曲:徳富繁)があった。これは一種の厭戦歌だが、翁にとっては(今は)“兄を偲ぶ歌”
である。<替え歌> ♪ モズが枯れ木に泣いている 兄(あん)さを偲んで泣いている 毎年“水無月”やって来る けれども足ん無(ね)えものがある 兄(あん)さの声が聞こえねえ――奇しくも『水無月』の某日は兄の祥月命日、来年は17回忌。翁、何年振りかで兄(さん)さに会いに行く。(すでに古木になったであろう)お寺の栴檀の木の下で兄(あん)さと語り合うのを楽しみに・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

軽井沢の旅A

東京から新幹線で約1時間。こんなに近いリゾート地なのに軽井沢には行った事が無かった。北海道から東京に戻る時に “そうだ、明日は新緑の軽井沢の散歩道を歩いてみよう”と決めた。東京駅からトンネルを超える度に新緑の緑が広がっていくのを見て気持ちが弾んだ。
当日の軽井沢のお天気は時々小雨が降るとかで肌寒い日になると言っていた。これなら人が少ないかもしれないと期待して出かけた。軽井沢に到着すると観光局は、まだ開いていなかった。それで駅に置いてあるパンフレットを先に見ながら夕方まで、どこを散策出来るか眺めていた。最近、駅前にアウトレットも出来たと友人が言っていたけれど今回は駅から北側にある旧軽井沢だけに決めた。9時に観光局が開くと一番乗りで地図をもらって散歩コースを選んでもらった。ピンクのマーカーでなぞってくれた通り道を歩いて行くと緑の木々に包まれて途端に幸せな気分になった。
矢ケ崎公園 万平ホテル よもぎプリン

人形

ジョンレノンの通ったパン屋さん

トルコのランプ(上)ティーブレイク(下)

空は曇りなのに新緑で覆われた散歩道は明るく眩しいくらいだった。矢ケ崎公園に向かい大賀通りを歩いてささやきの小道という名前の通りに向かった。鳥のさえずりと自分の足音以外何も聞こえてこない。ところが目的の道が新渡戸通りに来たら3か所に分かれていて、どちらの道だかわかりにくかった。その時、軽トラックに乗った女性が走ってきたので万平ホテルへの行先と地図を見せたら、地図をグルグル回して見ていた。その途端、私の頭の中にふと“地図が読めない女、話を聞かない男”という本のタイトルが浮かんだ。やっぱり聞かなければ良かったと少し後悔。自分が思った方向と違う方向を彼女が指示した。案の定、教えてくれた道は間違っていた。それでも3つの道はどちらにしても万平ホテルにぶつかるから問題は無かった。今回は無計画の旅を楽しむつもりだったので、それも良しとして万平ホテルへ向かった。由緒ある昔の面影を残すホテルで小さな資料館もある。そこでしばらく過ごし万平ホテルを出た。その時に小雨がパラパラと降ってきた。用意してきた傘をさしてまた緑の小道を銀座通りに向かって歩いた。軽井沢の歴史を知るためにもう一つ銀座通りにある観光局に向かった。途中路地を曲がるとおしゃれなお店が両脇に並んでいた。ここでもう一度、どこかで銀座通りに出る道を尋ねようと思ったら、まだお店が開いていない。ふと見ると雑貨屋のお店が開いたばかりで店頭の品物を整理している人がいた。そこで道を尋ねてみたら“そこを真っ直ぐに行ったら銀座通りに突き当たりますよ”と教えてくれた。”今日の軽井沢は珍しく人が少ないし暇そうだし、もし時間があれば、お茶でも飲んでいきませんか?”と誘ってくれた。無計画にフラリと軽井沢を訪れた私にとっては嬉しいご招待だった。“ちょうど今日はトルコのお菓子もありますよ”と言ってくれた。店の人はお茶を入れる時に”何色が好きですか?”と聞いて私の好きなメロングリーンの色のティーカップでトルコのお茶を入れてくれた。そこで、どのくら、おしゃべりをしただろうか…どうして、この軽井沢を選んで住むようになったのか、何故トルコの雑貨屋を開いたのか等など、話はいろいろ食から始まって戦争まで?がった。突然、店の人が“そこにある人形いいでしょう?この人がこの店のオーナーなのですよ”と店にディスプレイされている人形を指示した。私は“ふ〜ん、なかなか味のある顔をしたオーナーなのですね”と言ったら笑って“わからなかったかな〜その人形は自分ですよ。”と言った。名前は忘れたけれど有名な人形を作るアーティストの人が、その人の為に作ってくれたとか…その頃、店の馴染のお客様が数人で入ってきた。そろそろ行こうとソファーから立ち上がろうとした時にオーナーの人が“ランプは好きですか?”と言って店の明かりを消してトルコのランプを灯してくれた。その途端、幻想的な明かりが店を照らし、まるで異次元の世界になった。旅の楽しさは、美味しいものを食べるとか綺麗な景色を見るだけでなく偶然出会った人との会話にもあるものだ。それから軽井沢の銀座通りの観光局に向かった。人が少なかったせいか係りの人は丁寧に一つ一つ私の質問に答え調べて説明してくれた。きっと週末だったらこうはいかないだろう。それからこの観光局の休憩室にある自動販売機で買った珍しい、ヨモギプリンを食べながら次にどこへ行こうかと窓の外を眺めていた。昔ジョンレノンが毎朝買いに来たというお店のパン屋さんが見えた。そこと、もっと古くからある石窯のあるパン屋さんの2件に寄ってパンを買った。それから街の歴史を写してきた古い写真屋さんに寄って3代目のオーナーとおしゃべりをした。おしゃべりをしているとあっと言う間に時間が過ぎる。写真屋を出て銀座通りから駅に向かう通りでシルクのスカーフを買った。ここのブティックの女性は毎年5月から10月下旬頃まで、この軽井沢に住んでいるらしい。冬の間は東京らしい。何気ない短い会話だったけれど彼女の素敵な笑顔が印象に残った。石が好きで天然石のお店を始めたというオーナー。もうからないけれど好きだから続けられる仕事だと言っていた。愛犬と一緒に乾物屋の店番と販売をしている女性の人。毎朝、毎夕愛犬と40分かけて自宅からこの仕事場まで来ているという。ワンちゃんもこの女性も幸せそうな顔をしていた。また秋に訪れてみよう、そんな
ふうに思える、つかの間の軽井沢の旅だった。 

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

最近は赤ん坊の泣き声を聞くことのほうが多くなりジャズを聴く時間が少なくなっています。さわやかで気持ちのいい日が続いているのでジャズを聴くにはいい季節なのですが。今週はピアノトリオを代表するアルバムを紹介します。メリハリのある音色が特徴のWynton Kellyのアルバム"Kelly At Midnight"です。

"Kelly At Midnight" Wynton Kelly

01-Temperance
02-Weird Lullaby
03-On Stage
04-Skatin'
05-Pot Luck

Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Philly Joe Jones (ds)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

日本人が世界中で活躍しているニュースが入ってくるとうれしくなります。特に10代の若者が大活躍ですね。頼もしい限りです。若い人の励みになると思います。いじめで自殺なんかを考えないで、そんなくだらない学校なんか行かなくていいから自分の好きなことをやって生きてほしいと思います。

トランプ大統領の地球温暖化を無視し、目先の利益だけを考えた行為はとても愚かだと思います。これ以上地球温暖化が進むと近い未来にアメリカだけでなく私たちの地球がいよいよダメになってしまうことを真面目に考えてもらいたいと思います。


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Zakkaya Weekly No.1099

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com