龍翁余話(477)「洗足池・春宵の響」
東急池上線「洗足池駅」前に在る『洗足池』の傍は車ではしょっちゅう通っているのだが、公園内(池の周辺)を散策するのは、2010年10月『龍翁余話』(152)「洗足池」で配信して以来、2度目。実は、今夜(5月17日)『洗足池・春宵の響(しゅんしょうのひびき)』と題する“能楽囃子”(笛・謡・囃子)の演奏会が催されると聞いてやって来た。翁は今まで知らなかったが、このイベントは1995年(平成7年)に始まったそうで、23回目の今年は従来の和楽器演奏に加え、ピアノとのコラボレーションを行なうとのこと。前述のように翁が洗足池(周辺)を散策するのは7年ぶりのことなので『春宵の響』が始まる2時間前にやって来て、再び史跡を巡ることにした。
池に向かって左側から時計回りに歩くのが一般的な道順だそうだが、翁が是非とも行きたい(妙福寺境内にある)『袈裟掛けの松』(写真左)や『勝海舟(夫妻)の墓』(写真右)は池の右端にあるので、今回は(出口の方から)反時計回りに歩くことにした。妙福寺境内の左奥(竹林の向こう)に(日蓮上人の)『袈裟掛けの松』がある。1282年に日蓮が身延山から現在の大田区・池上本門寺に向かう途中、大池(千束池)にさしかかった際、松の木に法衣を掛け、池で足を洗った。それに因んで“千束池”を“洗足池”と呼ぶようになった、と由来書に書かれている。なお日蓮が足を洗っていると突然、池の中から“弁天様”(福徳財宝授けの神)が現れた。
以後、弁天様は日蓮宗の守護神になった、とも言われている(写真中=弁財天の祠堂)。
勝海舟は晩年、この地に邸宅を求め、その名を『千束軒』と名付けた。海舟の幾つかの要求(江戸城無血開城ほか)を聴き入れた西郷隆盛も再三訪れ、海舟と親しく懇談したという記録がある。西郷が西南の役で倒れた後、海舟は西郷の遺徳を偲んで『西郷隆盛留魂碑』を建てた。その石碑が『海舟夫妻の墓』の直ぐ近くに建っている。また、徳富蘇峰(ジャーナリスト、評論家・歴史家)が海舟と西郷の偉業(江戸城無血開城)をたたえ、1937年(昭和12年)に『海舟夫妻の墓』の傍に“海舟・南洲詠嘆の碑”を建立した。
さて、40,000uの洗足池に陽が落ちる6時半、いよいよ『春宵の響』の始まりだ。西岸に架かる『池月橋』から幻想的な笛と鼓の音が水面に響き渡る。その幽玄の音をお届け出来ないのが残念だが、せめて写真で雰囲気だけでも味わっていただきたい。
「元禄花見踊」、「メロディの散歩道」(お馴染みの名曲数曲)、「桜の花のワルツ」(中川俊郎作曲)「月の光」(ドビユッシー作曲)、「京の夜」(寶 山左衛門作曲)と和洋の曲目が続くが、翁にとってクライマックスは「六条河原院幻想」だ。福原 徹(一門)の笛が宵闇に響き渡る。福原百之助(一門)の囃子(大中小の太鼓・鼓)と中川俊郎のピアノが笛とコラボする。そして厳かに小早川 修・泰輝親子の謡(能楽)が始まる。松の木を背景に架設された能舞台での仕舞(装束・面をつけず、紋服と袴だけで舞う能)は、翁と(推定1,000人)の大観衆を幽玄の世界へと誘ってくれた。足ではなく“心が洗われた”『洗足池・春宵の響』であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |