龍翁余話(460)「日本人のハワイ移住史」
翁が、毎年ハワイへ旅行するようになって35年近くになる。行き始めて2,3年のうちに
各界のOBや現役など多岐に亘って“友だちの輪”が広がった。その中心は日系人であり、多くがゴルフ仲間だ。いつもは11月に行くのだが、ある年、1月に行ってオアフ島の北部(タートル・ベイ)でゴルフした時のこと、小雨、海からの寒風に見舞われ、寒さに震え、途中でプレーを中断。帰りの車中で、翁はゴルフ仲間に言った「日本では、昔からハワイを“常夏の島”と呼んでいるが、それ、嘘だね」彼らは笑いながら教えてくれた「ハワイの12月・1月・2月はレイン・シーズン(雨期)で、日や時間帯によって肌寒い時もある」その夜、翁はショッピングモールで厚手の長袖のシャツとジーンズの長ズボン、革ジャンを買った。それらは今でもハワイの定宿(コンドミニアム)に置いてあるが、その後、翁のハワイ行きの恒例月11月でも、時々それらが役立つ日や時間帯がある。
このように今の時期は、ハワイは観光シーズン・オフなのに、何故、今号で“ハワイ”を取り上げたかというと、実は1月27日は『日本人のハワイ移住出発の記念日』なのだ。と言っても、ほとんどの人(日本人もハワイ日系人も)が、そのことを知らない。たまたま翁は、恒例ハワイ旅行の始まりの頃、ハワイでの“友人の輪“を広げてくれた親友(日系2世)からプレゼントされた『ハワイ官約移住75周年記念・ハワイ日本人移民史』(1964年発行)という分厚い本を持っており、ハワイ日系人の歴史を知る上での貴重な資料であり、今は亡き親友の形見として大切に保存している。その移民史に「1885年(明治18年)1月、日本ハワイ移民条約が結ばれ、946人が“ハワイ官約移民第1号”として1月27日に横浜港を出帆した」と記述されている。それから9年後の1894年(明治27年)に“官約移民”が廃止されるまでの9年間、その“官約移民”を約3万人もハワイに渡航させたのが(当時の)ハワイ王国駐日総領事ロバート・W・アーウインだった。余談だが、彼は日本人女性と結婚、日本における公式の国際結婚第1号である。なお、アーウインの別邸が群馬県伊香保町に現存している。(写真左)。
“ハワイ官約移民”は1885年に始まったが、実はアーウインの前任者(ハワイ王国公使)
ユージン・ヴァン・リードが幕末(慶応年間)に徳川幕府から“日本人のハワイ移住”の許可を取っていた。ところが倒幕によって明治新政府が誕生するや、“ハワイ移住”の許可は取り消され無効となった。しかしリードは1868年(明治元年)、すでに渡航を希望して集まっていた日本人141人を横浜港から英国船に乗せて移民を強行した。これがいわゆる“元年者(がんねんもの)”と呼ばれるハワイ日系人の一番の先祖たちである。彼らの幾人かがホノルル市マキキ・セメタリ―(墓地)に眠っており(写真中)、慰霊碑も建立されている(写真右)。
さて、日本人のハワイ移民は1868年の“元年者”に始まり、1885年(明治18年)からの移住者を“官約移民”と呼んだことは前述の通りだが、1894年(明治27年)にハワイ王国政府が消滅、それに伴い“官約”が廃止され、移民事業は政府ではなく民間会社が行なうようになった。これを“私的移民”(あるいは“自由移民”)と言う。初期の移民のほとんどは“出稼ぎ”気分で、いずれは故郷に錦を飾ることを夢見て渡って行った。現地には、すでに中国人、フィリピン人らが入植していた。翁が持っている『ハワイ日本人移民史』には次のような記述がある「地主(白人)に雇われた契約労働者は“半奴隷”だった。契約期間は3年間で、その間は地主に割り当てられた持ち場と仕事から勝手に離れることは出来なかった。サトウキビ畑では1日10時間、製糖工場では12時間、1か月26日働かされた。住居と言えば“豚小屋”同然だった・・・日本人移民たちは当初、3年契約が明けたら帰国しようと考えていたが、あまりの低賃金で身動きがとれず“半奴隷”を続けるしかなかった」・・・以下、筆舌に尽くし難い艱難辛苦の歴史を重ねることになるのだが、その(悲惨な)史実は別の機会に書くことにして、翁は、次のことを強調しておきたい。
日系1世たちは、いかなる苦境にあっても、けっして“日本人の誇り(大和魂)”を失わなかった。そして“子孫のために”を合言葉に、懸命に(まさに、馬車馬の如く)働いた。更に彼らは教育の大切さを痛感し、子ども(2世=現在90歳代)、孫(3世=70歳代〜60歳代)に高等教育を受けさせた。その甲斐あって、ハワイにおいて(いや米国本土においても)日系人の評価の高まりには瞠目すべきものがある。“真珠湾攻撃”に始まった大東亜戦争(太平洋戦争=第2次世界大戦)で日系人1世・2世たちは塗炭の苦しみを味わうことになるのだが、彼らはいささかも怯むことはなかった。自分たちの親(1世)や子孫のために
米国に忠誠の意を示し“米国市民権”を獲得しなければということで立ち上がった2世たちの“日系二世部隊”(アメリカ陸軍第100歩兵大隊・442連隊)のヨーロッパ戦線での勇猛なる活躍は、今もなお米国戦史上に燦然と輝き続けている。米国で確たる地位を築いた日系人社会は“元年者”“官約移民”“自由移民”のいわゆる1世たちの血の滲む歴史を忘れることなく、勤勉・誠実・日本精神を4世・5世にもしっかりと受け継がせている。国籍と言語は異なるが(翁が知る)ハワイ・米国本土の日系人は、間違いなく我々の同胞である。翁をメンバーの一員に加えてくれたTファミリーの(5年に1度の)リユニオン(再会)パーティが今年の7月にオアフ島で開催される。世界各国から200人は集まるだろう。翁も楽しみにしている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |