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1080号

NO.1080     Ryo Onishi              1/22/2017

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雑貨屋のひとり言

トランプ大統領が誕生しましたね。新政権に代わった途端、これまで長い時間、交渉を重ねてきたTPP協定から離脱することになり、NAFTAも再交渉の方針となってしまいました。関係者は頭を痛めていると思います。さあこれから世界はどうなるのでしょうか?

先週から寒さが続いています。寒いとどうしても身体を動かすのが億劫になります。空気も乾燥しているのでちょっと油断すると喉の調子が悪くなり体調を崩します。まだしばらくは寒い日が続きそうなので気を付けたいですね。≪R.O≫

 

 平成29年、昭和は遠くに・・

平成の世になって今年は早や29年です。私のような昭和の世代を主に生きてきた人間にとって時代の移り変わりの激しさはとてもついてゆけません。

 昨年の暮れのNHK紅白歌合戦の事前予告を見て、出場歌手の大半は知らない名前ばかり、とてもチャンネルを合わせる気持ちにはなりませんでした。私には美空ひばりや石原裕次郎の時代が懐かしく思い出されます。

昭和を代表する俳人、中村草田男の有名な句に『降る雪や 明治は遠く なりにけり』というのがあります。この句は昭和6年に大学生だった草田男が詠んだものだそうですので、明治が終わって20年ほどで詠まれたことになります。

今年が平成29年ということは、昭和が終わって既に28年が経過したわけで、今や『昭和は遠くなりにけり』ということになったといえそうです。昭和39年に開催された東京オリンピックに日本中が盛り上がり、のちに開会式が行われた10月10日が「体育の日」として祝日に指定されました(現在は10月第2月曜日)が、平成生まれの若者にはその指定経緯もすっかり忘れられています。

今年の平成29年にちなんで、昭和29年にはどんな出来事があったのか調べてみました。次のような事件が世間を騒がせていました。

☆昭和29年(2016年)
*二重橋事件、一般参賀の混乱で16人死亡。(1月)
*青函トンネルの起工式を開催。(〃)
*シャープ兄弟と力道山・木村のタッグマッチ初挙行、プロレス人気高まる。(2月)
*ビキニでの米水爆実験で「第五福竜丸」被爆。16日乗組員全員原爆症と確認。(3月)
*犬養健法相、造船疑獄で佐藤栄作自由党幹事長の逮捕要求に対し指揮権 発動(4月)
*黒澤明監督『七人の侍』(東宝)と溝口健二監督『山椒大夫』(大映)ベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞。(9月)
*青函連絡船「洞爺丸」台風15号の影響で沈没。死者・不明1155人。(〃)
*東宝の特撮映画「ゴジラ」が封切。(11月)
 当時、高校生であった私にとって、ニュースの主なネタは新聞とラジオでした。私はスクラップ・ブックを作り、これらのニュースの新聞記事を切り抜いて貼り付けたものでした。昨日のことのように思い出され、記憶に残っています。

また、この年に生まれた流行歌は、
*『高原列車は行く/(唄)岡本敦郎』
*『真室川ブギ/(唄)林伊佐緒』
*『ひばりのマドロスさん/(唄)美空ひばり』
*『お富さん/(唄)春日八郎』
*『岸壁の母/(唄)菊池章子』などでした。
そして邦画の世界では『二十四の瞳(松竹)』が封切りされ私も夢中でした。
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最近、天皇陛下のご退位をめぐり、2019(平成31)年1月1日に皇太子殿下が新天皇に即位し、同日から新元号を適用する案が政府内で浮上しているそうです。

この案については、宮内庁側が、元日は皇室にとって極めて重要な日で、譲位、即位に関する行事を設定するのは実際にはなかなか難しいとの意見もあり、これからの検討事項になるようですが、いずれにしても、『平成』もここ数年のうちに改元されることになりそうです。

 そうすると、私など昭和生まれの人間は『昭和』、『平成』、を経て新元号まで三つの時代を生きることになります。私のような『昭和生まれ』にとって『明治』ははるか遠い歴史上の時代に感じていましたが、これからの超新人類は『昭和』と聞いて私が思い起こす『明治時代』と同じ感触になるわけです。

私などは、現・近代史を生き抜いた「歴史上の人物」としての位置付けになり、現・近代史上の生き証人となるわけです。

人間は長く生きることは無駄ではないし、出来ることならこれからも長生きしたいものです。河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


年金が趣味のゴルフを碁に変える

6打目もまだバンカーで遊んでる

三代目ゴルフの腕は父を越え

ホールインワン記念ボールがよく喋る

ビギナーズラックが後で高くつき


( ニュースやぶにらみ )


「テーピーピー」
ピコ太郎の歌にされちゃった −TPP

「首相 70年後への国造り」
ほんとに頼みますよ −赤字国債

「共闘へ柔軟路線」
協賛党でいきます −共産党


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(460)「日本人のハワイ移住史」

翁が、毎年ハワイへ旅行するようになって35年近くになる。行き始めて2,3年のうちに
各界のOBや現役など多岐に亘って“友だちの輪”が広がった。その中心は日系人であり、多くがゴルフ仲間だ。いつもは11月に行くのだが、ある年、1月に行ってオアフ島の北部(タートル・ベイ)でゴルフした時のこと、小雨、海からの寒風に見舞われ、寒さに震え、途中でプレーを中断。帰りの車中で、翁はゴルフ仲間に言った「日本では、昔からハワイを“常夏の島”と呼んでいるが、それ、嘘だね」彼らは笑いながら教えてくれた「ハワイの12月・1月・2月はレイン・シーズン(雨期)で、日や時間帯によって肌寒い時もある」その夜、翁はショッピングモールで厚手の長袖のシャツとジーンズの長ズボン、革ジャンを買った。それらは今でもハワイの定宿(コンドミニアム)に置いてあるが、その後、翁のハワイ行きの恒例月11月でも、時々それらが役立つ日や時間帯がある。

このように今の時期は、ハワイは観光シーズン・オフなのに、何故、今号で“ハワイ”を取り上げたかというと、実は1月27日は『日本人のハワイ移住出発の記念日』なのだ。と言っても、ほとんどの人(日本人もハワイ日系人も)が、そのことを知らない。たまたま翁は、恒例ハワイ旅行の始まりの頃、ハワイでの“友人の輪“を広げてくれた親友(日系2世)からプレゼントされた『ハワイ官約移住75周年記念・ハワイ日本人移民史』(1964年発行)という分厚い本を持っており、ハワイ日系人の歴史を知る上での貴重な資料であり、今は亡き親友の形見として大切に保存している。その移民史に「1885年(明治18年)1月、日本ハワイ移民条約が結ばれ、946人が“ハワイ官約移民第1号”として1月27日に横浜港を出帆した」と記述されている。それから9年後の1894年(明治27年)に“官約移民”が廃止されるまでの9年間、その“官約移民”を約3万人もハワイに渡航させたのが(当時の)ハワイ王国駐日総領事ロバート・W・アーウインだった。余談だが、彼は日本人女性と結婚、日本における公式の国際結婚第1号である。なお、アーウインの別邸が群馬県伊香保町に現存している。(写真左)。

“ハワイ官約移民”は1885年に始まったが、実はアーウインの前任者(ハワイ王国公使)
ユージン・ヴァン・リードが幕末(慶応年間)に徳川幕府から“日本人のハワイ移住”の許可を取っていた。ところが倒幕によって明治新政府が誕生するや、“ハワイ移住”の許可は取り消され無効となった。しかしリードは1868年(明治元年)、すでに渡航を希望して集まっていた日本人141人を横浜港から英国船に乗せて移民を強行した。これがいわゆる“元年者(がんねんもの)”と呼ばれるハワイ日系人の一番の先祖たちである。彼らの幾人かがホノルル市マキキ・セメタリ―(墓地)に眠っており(写真中)、慰霊碑も建立されている(写真右)。

さて、日本人のハワイ移民は1868年の“元年者”に始まり、1885年(明治18年)からの移住者を“官約移民”と呼んだことは前述の通りだが、1894年(明治27年)にハワイ王国政府が消滅、それに伴い“官約”が廃止され、移民事業は政府ではなく民間会社が行なうようになった。これを“私的移民”(あるいは“自由移民”)と言う。初期の移民のほとんどは“出稼ぎ”気分で、いずれは故郷に錦を飾ることを夢見て渡って行った。現地には、すでに中国人、フィリピン人らが入植していた。翁が持っている『ハワイ日本人移民史』には次のような記述がある「地主(白人)に雇われた契約労働者は“半奴隷”だった。契約期間は3年間で、その間は地主に割り当てられた持ち場と仕事から勝手に離れることは出来なかった。サトウキビ畑では1日10時間、製糖工場では12時間、1か月26日働かされた。住居と言えば“豚小屋”同然だった・・・日本人移民たちは当初、3年契約が明けたら帰国しようと考えていたが、あまりの低賃金で身動きがとれず“半奴隷”を続けるしかなかった」・・・以下、筆舌に尽くし難い艱難辛苦の歴史を重ねることになるのだが、その(悲惨な)史実は別の機会に書くことにして、翁は、次のことを強調しておきたい。

日系1世たちは、いかなる苦境にあっても、けっして“日本人の誇り(大和魂)”を失わなかった。そして“子孫のために”を合言葉に、懸命に(まさに、馬車馬の如く)働いた。更に彼らは教育の大切さを痛感し、子ども(2世=現在90歳代)、孫(3世=70歳代〜60歳代)に高等教育を受けさせた。その甲斐あって、ハワイにおいて(いや米国本土においても)日系人の評価の高まりには瞠目すべきものがある。“真珠湾攻撃”に始まった大東亜戦争(太平洋戦争=第2次世界大戦)で日系人1世・2世たちは塗炭の苦しみを味わうことになるのだが、彼らはいささかも怯むことはなかった。自分たちの親(1世)や子孫のために 米国に忠誠の意を示し“米国市民権”を獲得しなければということで立ち上がった2世たちの“日系二世部隊”(アメリカ陸軍第100歩兵大隊・442連隊)のヨーロッパ戦線での勇猛なる活躍は、今もなお米国戦史上に燦然と輝き続けている。米国で確たる地位を築いた日系人社会は“元年者”“官約移民”“自由移民”のいわゆる1世たちの血の滲む歴史を忘れることなく、勤勉・誠実・日本精神を4世・5世にもしっかりと受け継がせている。国籍と言語は異なるが(翁が知る)ハワイ・米国本土の日系人は、間違いなく我々の同胞である。翁をメンバーの一員に加えてくれたTファミリーの(5年に1度の)リユニオン(再会)パーティが今年の7月にオアフ島で開催される。世界各国から200人は集まるだろう。翁も楽しみにしている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

霰(あられ)菓子

最近は日本の米のお菓子お煎餅も米国のマーケットで普通に売られているし珍しくもない。柿の種のお煎餅も日系のマーケットだけでなく米国のラルフマーケット、ボンズマーケット、アルバートソンマーケットでも見かけるようになった。特にこのサウスベイあたりはアジア人が多いからだろうか…先日、毎週行くマーケットでトレイダーズジョーンズに行ったら新しいスナック商品を発見した。パッケージを見ると日本語のカタカタでクランチ、クリスピー(カリカリとした歯触り)と書かれてあった。商品名はMochi (餅) Rice(米) Nuggets(塊)これは、あられ煎餅の事かな〜と裏を見たらProduct of Japanとあったので、やっぱり、あられ煎餅に違いないと思った。

早速試しに買って食べてみた。久しぶりにあられ煎餅を食べたら昔、母が作ってくれた揚げ霰を思い出した。お正月が過ぎてお供え餅が乾燥してひび割れてきた頃、それをトンカチとノミで細かく砕いてゆっくり油で揚げ、お餅がプーッと膨れてきたら取り出して一振り軽くお塩をふる。ただそれだけのシンプルなものなのに揚げたての霰煎餅はすごく美味しかった事を覚えている。それを持って外で遊んでいたら近所の子供に盗られて、すごく悔しかった事も覚えている。食い物の恨みは幼少の頃まで覚えているものだ。
この新しい商品、餅ライスナゲットは果たしてどれくらいアメリカ人に受け入れられるのだろうか…
トレーダージョーンズでは頻繁に新しい商品が出てくる。行くといつも試食コーナーがあるので必ず立ち寄ってみる。売れるものは継続して置いてあるが売れないものは、すぐに商品の棚から消えていく。他に日本の商品だとカルビーから出たさやえんどうのスナックは未だにあるところを見ると定着してアメリカ人に受け入れられているのだろう。一時期置いてあった冷凍のBento(弁当)は玄米と煮物が入っていたが間もなく冷凍のセクションから消えた。ホールフーズマーケットもあらゆる国のお米をとりあつかっていて量り売りのセクションで黒米、赤米、ジャスミンライス、玄米、ロングライス、ショートライス、もち米と様々な、お米が売られている。以前、感心したついでにお店の人に玄米糯米は無いのか聞いてみたら聞いた事が無いというので、どんなに美味しいか説明してみた。玄米でも、玄米モチは普通の炊飯器でも炊けて柔らかく健康にもいいとか何とか話したと思う。そのせいかどうかわからないけれど次の週に行ったら、ちゃんと入荷されていた。その後も時々店に行ってみると、まだ玄米餅米が出ている。
米国で受け入れられている日本の食品を見るとやっぱり素直に嬉しくなって応援したくなる。さて、今週はどんな新しい商品に出会えるだろうか…

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

今回はピアノソロのアルバムを紹介します。
7年前に大阪通天閣の近くにある澤野工房で購入したアルバムです。
旋律が美しく、音のバランスもいい品のあるアルバムです。Avantiはイタリア語で「前進」という意味です。哀愁の漂う曲が多いと思っていたら、このアルバムに登場する曲は革命歌、反戦歌で14曲目は聞き覚えのある"Imagine"です。一人静かに聴くのにいいと思います。聴けば聴くほど味のあるアルバムです。このアルバムは私の名盤の一つです。

"Avanti!" Giovanni Mirabassi

01-El Pueblo Unido Jamas Sera Vencido
02-Le Chant Des Partisans
03-Ah! Ca Ira
04-Le Temps Des Cerises
05-Hasta Siempre
06-Je Chante Pour Passer Le Temps
07-Sciur Padrun
08-El Paso Del Ebro
09-A Si M'Bonanga
10-La Butte Rouge
11-Addio Lugano Bella
12-Johnny I Hardly Knew Ye
13-Bella Ciao
14-Imagine
15-My Revolution
16-Plaine, Oh Ma Plaine


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

定期検診を受けた後、バスを待っていてバス停の時刻表を見たら、QRコードが印刷されていました。なんだろうと思ってスマホのアプリでQRコードを読み取ると次に来るバスの時刻が表示されました。それはそれでいいのですが、時刻表がでてくるようにしてくれたらもっといいのになあと思いました。

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1080

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com