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1067号

 

NO.1067     Ryo Onishi              10/23/2016

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雑貨屋のひとり言

金曜日、ヨガクラスでポーズをとっていた時、地震の警告アラームがけたたましく鳴り、その直後、ジムの建物が揺れ出しました。結構な揺れだったのでどこかで大きな地震があったと直感しました。震源は鳥取県の活断層のない場所ですが、地震の発生が予測されていた地域でもあったようです。各地で近い将来大きな地震が発生すると予測されていても、実際に起こるまではなかなか行動しない自分が情けないと思っています。さあ何から始めましょうか?≪R.O≫

 

 アメリカン・フットボール

アメリカ国民に最も好まれているスポーツである アメリカン・フットボール(通称:アメ・フト、アメリカ国内では単に「Football」で通用しています)が今年もシーズンたけなわで、こちらでは目下、テレビの中継ほか、スポーツ人気を独占している感じです。

アメ・フトにはプロリーグであるNFL(National Football League)や大学リーグ(カレッジ・フットボール)などがありますが、世論調査によるとアメリカ人が観戦を好むスポーツは、NFLが一位で、これに大学アメリカン・フットボールを加えると全体の半分近くになり、それに続く人気の野球やバスケットボールに対しても大きく差をつけているようです。

当地ロサンゼルスにはここを本拠地に置くプロリーグはありませんが、大学リーグのためのローズボウル競技場(Rose Bowl Stadium)は有名で、毎年元日(一部例外あり)に行われる試合は有名です。

しかし何といっても全米を熱狂させるゲームは、NFLの優勝決定戦であるスーパーボウル (Super Bowl)でしょう。スーパーボウルはアメリカ最大のスポーツイベントであり、この試合は全米テレビ番組史上視聴者数トップ10のほとんどを占めています。

今年のスーパーボウル(2月7日開催)の場合、全米で1億人以上の人がテレビを視聴し、テレビ中継に流されるコマーシャル枠の価格は世界で最も高価といわれ、今年のCM出稿料金は30秒で500万ドル(1ドル100円換算で5億円)といわれました。つまり、1秒につき17万ドル(1700万円)ということになります。

企業にとってスーパーボウルの実況中継にCMを流すことにより商品を一躍有名に出来ることがあるのです。その有名な一例として、アップル・コンピュータが1984年のスーパーボウルでマッキントッシュの発売告知のコマーシャルを放映したことにより、一躍その名を知られるようになったといわれます。

これだけの多額のCM料金を支払っても広告主になる企業があるわけで(最近では、バドワイザー、コカ・コーラ、ペプシ、ホンダ、現代自動車などなど)どれほど効果が期待できるかわかります。さらにこれらの企業は当然ながら30秒で500万ドルという料金を、はるかに上回る費用を使ってCM制作をするわけです。

 実のところ、私自身はアメフトについてはルールも詳しくないのですが、スーパーボウルは二度も実際に観戦しました。それは1987年(パサデナ、ローズボウル競技場)と1988年(サンディエゴ)で、当時私はまだ日系企業の駐在員で、自社の販売促進事業の一環として顧客の招待に利用していたのでした。

実のところ、当時の私はアメフトにはなじみがなく、ルールさえわからなかったのでしたが、試合の躍動感と迫力には圧倒されました。開催地周辺は数日前からスーパーボウル・ウイークと称し、街を挙げて大騒ぎで、観客も何日も前に現地入りして楽しんでいました。

また、試合の前半と後半の間に行われるハーフタイム・ショーではハリウッドをはじめ、超有名なタレントが次々と登場し、ド派手なパーフォーマンスを繰り広げ、いかにもアメリカらしさを感じさせていました。

私がこのロサンゼルスへ日本企業の駐在員として赴任したての頃、私の上司の社長(日本人)は会社を訪問する日本からの来客や役員などから、「もっともアメリカらしいものはどこへ行けば見られますか?」と問われると、いつも次の3か所をあげていました。

(1) ロサンゼルスの近くのロングビーチ港にある大型木造飛行艇(スプルース・グース、Spruce Goose)を見ること。
(2) カリフォルニア州の隣、ネバダ州のラスベガスを体験すること。
(3) アメフトの試合を観戦すること。

(1) の「スプルース・グース」とは、第二次大戦終了直後の1947年に製作され、実際に試験飛行で飛んだ超大型の飛行艇で、翼幅(スパン)が91.47メートル(現在のジャンボ航空機B-747よりも長い)あり、8発プロペラエンジンを装備している。アメリカのヒューズ・エアクラフト社により製造されたもの。正式名称はHughes H-4 Herculesという。現在はオレゴン州のエバーグリーン航空博物館に移され、展示されている。

   この飛行艇はとにかく大きかった。アメリカ人の気質のひとつは“大きいことはいいことだ”ということがよくわかるという意味です。

(2) のラスベガスはいわずと知れたカジノ、エンターテインメントの街で、ここではすべては“マネー(オカネ)”がものをいうところといえる。人種や身なりがどうであろうと“マネー”がすべてに優先するところです。アメリカも結局、すべての価値は“マネー”の多寡で判断されるところがあるということです。

(3) のアメフト観戦ですが、アメフトのゲームはド派手でいかにもアメリカ生まれのスポーツといえます。ここではクオーターバック(QB)というポジションが非常に重要で、QBは攻撃の中心となる花形で、チームの司令塔です。QBは試合中、冷静な判断力、正確なパス能力、チームを引っ張るリーダーシップが強く求められ、アメリカの企業でいえばCEO(最高経営責任者)に相当します。アメリカではQBやCEOが優秀であることが必須条件になるのだということです。


上記3要件の内(1)のスプルース・グースはすでにロングビーチ港にはないので見に行くには大変ですし、(2)のラスベガスはどなたもご存知でしょう。もうひとつ(3)のアメフト観戦は、まだでしたらこの時期に機会を作ってぜひ実行してみてはいかがでしょうか。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


土の香を知らずに猫の血統書

老猫がゴロリあくせくしなさんな

初孫に主役取られたポチの鬱

急追もそこまでだった万馬券

昼寝してゴールの夢を見る兎


( ニュースやぶにらみ )


「口語化」
もうかりまっか −商法

「都知事給与半減」
よくやるよ ―政活費不正議員

「結果を残して引退」
黒田投手が羨ましい −黒田日銀総裁

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(447)「教育勅語」

遠い昔の話――大東亜戦争(太平洋戦争)が終結した1945年(昭和20年)8月15日まで、
全国の小学校や旧制中学校に『奉安殿』(ほうあんでん)という(コンクリートで造られた)一見、祠堂(しどう=先祖の位牌を祀っている堂)のような頑丈な建造物が職員室近くに建てられていた。この堂の中には『御真影』(天皇・皇后のお写真)と『教育勅語』という
修身・道徳教育の根本規範が書かれた巻物(?)が奉納されていた。『紀元節』(初代天皇・神武天皇即位日2月11日、現在の『建国記念日』)、『天長節』(天皇誕生日=昭和天皇4月29日=現在の『昭和の日』、今上天皇12月23日=現在の『天皇誕生日』)、『明治節』(明治天皇誕生日11月3日=現在の『文化の日』)には、白手袋に礼服(モーニング)の正装の校長が『奉安殿』の中の『教育勅語』を黒塗りの長角盆に乗せ、恭しく押し戴いて丁重に講堂に運び、全校生徒の前で厳粛に読み上げるという儀式が行なわれていた。小学校の何年生からこの『教育勅語』を暗唱させられたか知らないが、翁の兄・姉たちが時折、大声で読み上げていたのを聞いていて、翁、今でも前段の部分“朕(ちん)惟(おも)うに 我が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 國(くに)を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に コを樹(た)つること深厚(しんこう)なり・・・”を覚えている(勿論、子どもの頃は意味不明)。その前段部分を口語体(現代文)で表すと――
【私が思うには、我が皇室の先祖が国を始められたのは、はるかに遠い昔のことで、代々築かれてきた徳は、深く篤いものだった。我が国民は忠義と孝行を尽くし、全国民が心を1つにして、世々にわたって立派な行ないをしてきたことは、我が国の誇るべき優れたところであり、教育の根源もまた、そこにある】――

いとも簡単に、人を傷つけたり殺したり、イジメたりする生徒が増えている――その原因(責任)の大部分は家庭教育、学校教育、つまり“子どもの育て方”にある。子どもの顔色ばかりうかがい機嫌をとり甘やかす親、PTAやマスコミから”暴力教師“の烙印を押されたくないばかりに生徒の非行に目をつむったりイジメに関わりたがらない臆病な教師。言い換えれば、親も教師も(在るべき)威厳を失い、子ども(生徒)になめられる時代になってしまったのだ。元を糾せば戦後の民主主義の誤った運用、人道(道徳)を無視した日教組による”偏り教育“が今日のような(人間教育が出来ない)腑抜けな教師や親をつくりあげたのだ、と(極論を承知で)翁は吼え続けて来た。

10月30日は『教育勅語発布の日』である。明治維新後、ようやく日本が国家として世界にその名を馳せるようになった明治20年頃、「国造りの根本は人づくりである」と仰せられた明治天皇は、時の内閣総理大臣・山縣有朋(やまがた ありとも)と文部大臣・芳川顕正(よしかわ あきまさ)に対し「我が国の人間教育の在りようを示す“基本教育方針”をまとめるよう」命じられた。その草案にあたったのが井上毅(いのうえ こわし=熊本藩士・官僚・政治家)と元田永孚 (もとだ えいふ=熊本藩士・儒学者)。2人が欧米の教育事情を参考にしながら日本独自の伝統文化を織り交ぜて作り上げた“教育基本方針”を『教育勅語』として1890年(明治23年)10月30日に発布した。

前述の前段以降のお言葉を口語体(現代文)で表記すると――
【あなたたち国民は、@父母に孝行しA兄弟姉妹仲良くB夫婦は仲睦ましくC友達とは互いに信じ合いD行動は慎み深くE他人に博愛の手を差し伸べF学問を修めG仕事を習い、それによって知能を更に拓き起こしH徳と才能を磨き上げI進んで公共の利益や世間の務め(社会貢献)に尽力しJいつも憲法を重んじ法律に従いKそしてもし危急の事態が生じたら、正義の心から勇気をもって公のために奉仕しなさい】以上は『教育勅語12の徳目』であるが、明治天皇は結びに、以下のように仰せられた【これらのことは単に、あなたたちが忠義の心が厚く、善良な国民であるということだけでなく、あなたたちの先祖が残した良い風習を褒め称えることでもある。このような道は、実に我が皇室の祖先が残された教訓であり、その子孫と国民が共に守っていかなければならないことで、昔も今も変わることはなく、国の内外を問わず、間違いのない道理である。私は、あなたたち国民と共にこの教えを胸中に銘記して守り、みな一致して立派な行ないをしていくことを、切に願っている】――(翁は“国の内外を問わず、間違いのない道理である”の箇所で、近年、国際的問題を引き起こしている諸国の(厚顔無恥な)トップ連中の顔を思い浮かべ、彼らに明治天皇の高潔なる大御心を知らしめる術(すべ)はないものかと考えたが・・・)

さて『教育勅語』起草者の1人・井上毅は3年後の1893年(明治26年)3月、第2次伊藤(博文)内閣で文部大臣に就任した。その時、小学校に“修身科”を創設、『教育勅語』の精神を基調にして『修身に関する25項目』を実践した。その25項目とは【@子どものしつけA親孝行B家族愛C勤労・努力D勉学・研究E創意・工夫F公益・奉仕G進取の精神H博愛・慈善I質素・倹約J責任K友情L信義・誠実M師弟愛N反省O正直・至誠P克己・節制Q謝恩R健康・養生S武士道?愛国心?人格?公衆道徳?国旗・国歌?国際・協調】――どれもこれも当たり前(常識)の項目ばかりであるが、それを敢て“修身科”の学習項目に置いたのは、やっと国家の形が整い、世界に認知される時代になったとは言え、世界列強と肩を並べるだけの“国造りは人づくり”が本格化しておらず、井上は百年先を見越して“修身教育”に情熱を注いだのだ。

百年を超えた21世紀の今日でさえ“国造りは人づくり”が国(安倍内閣)の重要な政策の1つに置かれている。『教育勅語12の徳目』、『修身25の項目』は、時代や国、文化に縛られない普遍的な“人間の在りよう”を示すもので、今でも教育の場に採り入れる価値は充分にある、と翁は思う。翁は提言したい「小中高に“修身科”を設置せよ」と。それに反対する奴らを翁は「反日亡国人」と切り捨てる・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

サバ(鯖)の塩焼き”

“また鯖を焼くから食べに来ない?”と先週末、友人から、お誘いを受けた。誘ってくれたのは日系3世のSさん。Sさんとはサウスベイ支部シエララクラブ主催のハイキングで知り合った。家も近くだったので時々、遊びに行くようになった。
そして長年、このグループのボランティアリーダーを務めているJさんにも声をかけた。
Jさんはユタ州出身でモルモン教の宣教師の祖父を持つ家で育った白人女性。でも彼女の場合は全く宗教色が無く自由を愛しパーティーの時には好んでお酒を飲んでいる。映画が大好きでいろんな国の映画を週2―3本の割合で見ている。だからなのだろうか、いろんな国の文化を尊重しているし興味があるようだ。私にも日本文化についていろいろ聞いてくる。いつか日本にも行って見たいし日本の山も歩いてみたいと言っていた。
食事前にSさんは自宅で採れたオレンジを絞り、そこにパイナップルジュースをブレンドしウオッカで割ったカクテルを私達の為に作ってくれた。
その日のメニューはカクテルとアンバランスではあるけれど味噌汁から始まって豆腐ステーキときゅうりの酢の物と桃太郎のトマトで作ったサルサ、それにメインが鯖の塩焼き、もしJさんが食べられないと困るのでSさんはチキンのバーベキューも用意してくれた。
鯖は室内で焼くと匂いや煙がこもるので滅多に家では食べられない。以前、鯖を室内で焼いたらその煙が2階のベットルームまで上がってきて部屋中が鯖の匂いで寝つけなかった。その点、Sさんの家の裏庭は結構スペースがあって煙を出しても大丈夫。魚も肉も、やっぱり煙をモクモク出して焼いた方が美味しく感じる。Sさんがせっせと6枚も鯖を焼いてくれた。その煙が立ち昇るのを見ながらキャンプ場での夕食を思い出していた。今年の夏は1度もキャンプやバックパックに行けないまま夏が終わってしまった。それにしても煙のゆらぎは人の気持ちをリラックスさせる。
2杯目のウオッカを飲みながらSさんが日系3世の事を語り始めた。自分の両親も含め殆どのカリフォルニアに住む日本人は農業や漁業や庭の仕事で生計を立てていた人が多く戦争中は苦労して収容所に入れられた。その為、子供には(今の3世)には自分達のような苦労をさせたくないので医者や弁護士に成るために教育を与え自分達の仕事を継がせなかったと言う。日本人としてよりアメリカ人の社会の中で子供を育てようとした日系2世の人が多かったと言う。だから中には日本語学校など行かなくてもいい。日本食など食べなくてもいい。そして彼女自身もアメリカ社会の中で生きるように育てられたと。それを聞いてJさんは”それは悲しい事ね”と言った。自分もそうだが異国に住んでいるとなおさら自分のアイデンティティを意識するものだ。自分の国やルーツを誇りに思えない事は寂しい事だと思う。Sさんがいくら自分はアメリカ人だと思っていても私には日本人特有の気使いや日本人的な思いやりの気持ちを感じる。それに何より鯖や納豆や沢庵も好んで食べる所が日本的だ。そのSさんの美味しそうに食べる鯖の塩焼きの姿の向こうにご両親の姿が見えるような気がした。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

今週も先週に続き、女性ヴォーカルのアルバムを紹介します。久しぶりにNoonのアルバムです。前回紹介したのは761号(2010/12/12)ですから約6年前です。
アルバム"FOR YOU -noon's best" は17曲も収録されていて聴きごたえがあります。彼女のさわやかで澄んだ歌声に癒されます。

"FOR YOU -noon's best" Noon

01-How Long Has This Been Going On_
02-Tea For Two
03-So Far Away
04-Sabado Em Copacabana
05-On The Street Where You Live
06-It Had To Be You
07-River
08-Moon River
09-500 Miles
10-Someday My Prince Will Come
11-Alfie
12-Hallelujah I Love Him So
13-It Might As Well Be Spring
14-The Look Of Love
15-I'll Never Fall In Love Again
16-涙そうそう
17-Close To You 〜TOYOTA HOME CM VERSION〜

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

服を修繕しようと思い針に糸を通そうとしました。焦点が合わないので糸がなかなか通らず、イライラしました。これは不可能だとほとんどあきらめかけていたら偶然にできました。糸が通ったことはうれしかったのですが、こんなに苦労するとは思わなかったので情けない気持ちになりました。でもまだ自分でやろうというだけましだと自分に言い聞かせています。簡単に針に糸を通す方法を後でウェブで調べたらいくつかありました。次の機会にやってみようと思います。そのときに報告します。《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1067

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com