今年も恒例である私たちの詩吟流派の秋季吟詠大会が9月25日(日)に開催されました。吟詠大会は春・秋の年2回開催され、会場である「ロングビーチ市のハーバー日系人会館」の体育館に普段、小クラスにわかれて練習を続けてきた成果を発表するものです。
以前にも当欄で書きましたが、詩吟とは、漢詩に独自の節をつけて吟ずるもので、数百年の歴史を持つ日本古来の伝統文化です。東洋古今の偉人、賢人や詩仙・詩聖たちの磨きぬいた詩からは品位と人生に対する幾多の教訓を学ぶことができます。
詩吟は臍下丹田に力を込めて吟ずるため、健康向上に役立ちます。今回も参加吟士には93歳1名、92歳2名、90歳2名の方々が矍鑠(かくしゃく)として声を張り上げていました。もっともこれらの年輩者は全員女性で、男性の私としては少々肩身の狭い思いです。
また、詩吟は歴史とその教訓を知り、一般教養が身につくのだから健康指向・教養指向の現代人にもピッタリな趣味になりうるものです。最近は伴奏付きの詩吟など、カラオケ時代に合わせた工夫もされています。
今回、私が舞台上で吟じたのは、『児島高徳(榛葉 竹庭作)』でした。
独り 鸞輿を遂いて 火坑に入る
(ひとり らんよをおいて かこうにいる)
秉忠憂国 烈夫の情
(へいちゅうゆうこく れっぷのじょう)
胸懐 一に託す 荒庭の樹
(きょうかいひとえにたくす こうていのじゅ)
十字 万世の名を留むるに堪えたり
(じゅうじ ばんせいのなをとどむるにたえたり)
天 勾践を空しゅうする莫れ
(てん こうせんを むなしゅうするなかれ)
時に 范螽 無きにしも非ず
(ときに はんれい なきにしもあらず) |
太平記で有名な南朝方の忠臣・児島高徳は元弘の乱の際、北条方に敗れた後醍醐天皇が隠岐に流される時、天皇の奪還を試みるものゝ成功せず、庭木の幹を削って『天莫空勾践 時非無范螽』(天勾践〈こうせん〉を空〈むな〉しゅうする無かれ、時に范螽〈はんれい〉無きにしも非ず)と書きつけて立ち去ったという話はよく知られています。
因みに勾践は中国古代春秋時代の越の国王で、ライバルの呉王闔閭を破ったものゝその息子の夫差に敗れてしまった。―――
雌伏する勾践に仕え、後に夫差(呉王)を討って「会稽の恥」をすすがせた忠臣が范螽というわけです。児島高徳は自分を范螽になぞらえて、自分の気持ちを後醍醐天皇に伝えようとしたと言う逸話です。後醍醐天皇は良い忠臣を持っていたものです。児島高徳は仕える天皇の不遇に際しても変心することなく忠誠心を貫きました。
********************
戦前の古い小学唱歌に「児島高徳」という歌がありました。私自身は学校では習っていませんが、兄や姉が歌っていたのでしょう。なんとなくこの歌も私の「懐かしのメロディ」に含まれています。
♪ 船坂山や杉坂と 御あと慕いて 院の庄
微衷をいかで 聞えんと 桜の幹に 十字の詩
「天勾践を空しゅうする莫れ 時范螽無きにしも非ず」♪
今回の吟詠大会でも、最後の部分である「天勾践を空しゅうする莫れ 時范螽無きにしも非ず」は特に力をこめて吟じました。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |