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1058号

 

NO.1058     Ryo Onishi              8/21/2016

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雑貨屋のひとり言

金曜日は朝から大阪で開催されているバーゲンセールに出かけました。どの会場も混み合っていましたが、家にいても暑いので出かけてきた人もいるのではないかと想像しています。買い物を済ませ午後に帰宅すると気分が悪くなるような暑さでした。大阪で38℃を記録しその日全国で一番の暑さを記録していたようです。厳しい暑さが続き、弱まる様子がありませんが、いつまでこれが続くのでしょうか?せめて朝夕は涼しくなってほしいと願っています。
この暑さでは身体がだるくなるのでヨガで身体をすっきりさせています。しかもスポーツジムの中は涼しくて快適です。≪R.O≫

 

 私の東京オリンピック

 リオ・デジャネイロのオリンピックが閉幕し、オリンピック旗が次期開催地となる東京の小池知事に引き継がれます。トウキョウはこれからオリンピックとパラリンピックの開催準備が本格化するわけです。

 前回の東京オリンピックは、今から52前の1964年(昭和39年)でした。実は、東京は1020年(昭和15年)に一度開催が決定したのですが、日中戦争の影響等から日本政府が開催権を返上、実現には至らず、幻のオリンピックとなった経緯がありました。

 1970年代以降に生まれた日本人なら前回と次回の東京オリンピックと、2回も体験できることになります。

 前回のオリンピックの時、私はすでに社会人になって3年、長野県・諏訪市で迎えました。当時の会社は独身寮の部屋数が不十分で、私のような新人は会社が借り上げた民間のアパートの一室でした。テレビもなく、他の電化製品もない閑散とした部屋でした。

私の就職先は時計会社(諏訪精工舎)であり、セイコーがはじめて東京オリンピックの公式計時を担当することとなり、全社を挙げて電子計時装置を開発、同時に開発したプリンターとともにオリンピック史上初めてクオーツ式の卓上型電子時計で計測に成功したのですが、私のような事務担当の若造ですらも、自分たちの仕事が東京オリンピック成否の鍵を握っているとの認識で、心引き締まる思いでした。

仕事から離れても、当時20歳代前半で、まだ学生気分の抜けきらず、若さに満ち溢れていた私は、青春時代を謳歌していました。パソコンやITなどという便利なものもない時代でしたし、労働日も土曜日も含めた週6日制、夏休みも4日程度だったと記憶します。それでも夏の間、日曜日は必ずといっていいほど近くの八ヶ岳、北八ヶ岳、霧が峰その他のハイキングコースを仲間たちと巡っていました。

東京オリンピックが近付くにつれ、その熱気を感じながらラジオから流れてくる三波春夫の唄う『東京五輪音頭』に胸をときめかし、そして歌いました。当時、私は自転車通勤をしていましたが、通勤の往復に自転車のペダルを踏みながら歌ったことをはっきり覚えています。

また、テープレコーダーもまだオープンリール方式(卓上型)がようやく一般に普及し始めたばかりで、IC式はもちろん、携帯カセット式もなかった時代でした。レコード盤すら私たちには簡単に買える値段でなく、ただ、それに代わる「ソノシート盤」という簡易盤があり、雑誌の付録などで入手でき楽しんだものでした。

1964年東京オリンピックに関連する思い出のひとつは、マラソンコースを実際に選手と一緒に走ったことです。当時、このオリンピックを記念して自分でも何か記憶に残ることをしたいと考えた私は、住んでいた諏訪(長野県)から東京の実家(東京・墨田区)まで自転車で走ることを考え付きました。

会社の先輩から無料同然で譲り受けた3段変速の自転車を毎日通勤に使用していたのですが、2ヶ月間ほど、会社終了後は近くの塩尻峠(標高1,012メートル)まで往復し、トレーニングをかさね東京行きを実行しました。1964年9月だったと思いますが、上司に事情を正直に説明し、土曜日の休暇を申請し、金曜日の終業時間とともに会社からスタートしました。

当時はまだまだ優雅な時代だったことがわかるのは、まずこんな馬鹿げた理由でも休暇をもらえたこと。さらに金曜日に会社から自転車でスタートする時、課長以下全員が会社の門の前まで出てきて手を振って送り出してくれたことです。私も課の皆さんの声援にこたえながら力強くペダルを踏み込んだのでした。私がマイ自転車に積み込んだのは雨合羽、前の晩に仕入れておいた寿司2人前、栄養剤(リポビタンD12本)それに東京までの道路地図ぐらいのものでした。

今では中央自動車道が完備され(尤も自転車の通行は不可でしょう)、その他の道路や環境整備も整っているでしょうが、1964年当時は国道20号線が主で、それも未舗装部分がかなりありました。街路灯さえないところも多く、夜を徹して走るには少々危険だったかもしれません。

途中、山梨県に入ったところで道端に寝ていた犬の尾を踏んでしまい、犬に追われて必死で逃げたり散々の思いもしました。笹子トンネルでは換気が不充分だったようで息苦しさも体験しました。

当時のオリンピックでカヌー競技場として使用される相模湖にも立ち寄りました。そして国道20号(甲州街道)の大垂水峠をこえ東京に入り、マラソンと競歩(50キロ)のコースを実際に選手たちが練習する脇を自転車で通過しました。これが君原健二(結果8位)、円谷幸吉(結果3位)らが走るマラソンコースなのだ、と思いながら通過したことを覚えています。(結果としてはエチオピアのアベベ選手が優勝)

私はこの時、合計約250キロメートルを17時間あまりかけて走破し、東京の実家へたどり着きました。走破とは名ばかりで、途中から上り坂のほとんどは自転車を降りて引きずったといったほうが正しかったかもしれません。

東京から諏訪への帰りは時間的にも体力的にも限界で、自転車はチッキ(鉄道手荷物扱い)として送り返し、私も鉄道で戻りました。帰りの列車の車窓から前日走った道路が見え、この時ぐらい列車のスピードが速いと感じたことはありませんでした。上諏訪駅にたどり着き下り線到着ホームから改札口へ移るための袴線橋を渡ろうにも足腰の筋肉痛と股ずれ痛で動けず苦労したのも今となっては懐かしい思い出です。        

 どうしてもオリンピックの実況中継を見たかった私は、何とか白黒テレビを購入し、東洋の魔女(女子バレーボール)、柔道、体操、レスリング、重量挙げ、陸上競技、水泳競技など、胸をときめかし、感動の連続でした。期間中はこれらの思い出は私の公私にわたり、その後の人生に大きな影響を及ぼしたことは間違いありません。

 すでに体力が衰え、感動する力も少なくなっている現在の私にとって、次の2020年東京オリンピック/パラリンピックは、私にどれほどの感動を与えてくれるか定かではありませんが、待ち遠しい想いです。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


大逆転 内村着地ぴたり金

銀メダル王者沙保里の意地が泣く

堂々の銅 愛ちゃんよ胸を張れ

しがらみのない日の丸を見る五輪

五輪旗を引き継ぎ さてと聖火台


( ニュースやぶにらみ )


「金メダルラッシュ」

すごいのひと言 −黒田日銀総裁

「沙保里先輩へ」

金金金金その上に銀 −女子レスリングチーム

「新曲」

俺たちに明日があ… ―SMAP

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(438)「“天皇陛下のお気持ち”を考えるとき」

翁は以前、撮影(テレビ取材)を通して幾人かの皇族の方々にお目にかかったことがある。例えば、靖国神社では三笠宮崇仁殿下(身位は親王だが、皇室典範における敬称は殿下=昭和天皇の弟宮)、寛仁殿下(ヒゲの殿下=三笠宮殿下・百合子妃殿下の第1男子)、皇學館大學(伊勢市)では高円宮殿下(寛仁殿下の弟宮)と久子妃殿下、そして最も長い時間、お近くで撮影させていただいたのが常陸宮殿下(今上天皇の弟宮)と華子妃殿下だった。1986年の秋、“日本人移住50周年記念”で南米パラグアイを訪問された常陸宮殿下・華子妃殿下の(10日間に及ぶ)随行取材、その間、華子妃殿下からは幾度か(ねぎらいの)お言葉をいただき恐縮した。もともと皇尊派の翁、これらのことで一段と皇室への敬愛(尊敬・親しみ)の情を深めている。

代々、天皇は現人神(あらひとがみ=この世に人間の姿で現れている神)として畏れ敬われていた。しかし、1946年(昭和21年)1月1日に発せられた詔書(しょうしょ=天皇が発する公文書)の中で、昭和天皇は自ら神性を否定し“人間天皇”を宣言された。そして日本国憲法に「天皇は日本国及び日本国民統合の象徴である」と規定された(昭和21年11月3日)。それでも、明治・大正・昭和生まれの(左翼思想の人間を除く)多くの国民は、昭和天皇への畏敬の念を忘れることはなかった。

1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇崩御によって、翌1月8日から平成が始まり、今上天皇が即位された。但し、即位の礼が行なわれたのは1990年(平成2年)11月12日。今上天皇は即位に際し次のようなお言葉を述べられた(要旨)「日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承したことを内外に宣明する。60有余年にわたる御父・昭和天皇は、いかなる時も国民と苦楽を共にされた。その御心を(私も)心として常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望する」・・・

それから28年間、今上天皇(以下、天皇とお呼びする)はそのお言葉通り、否、それ以上に『国事行為』や『ご公務』に粉骨砕身されてこられた。『国事行為』とは、内閣総理大臣及び最高裁判所長官の任命、国務大臣の任免、国会の召集、衆議院の解散、栄典の授与など。『ご公務』とは、国民的行事へのご臨席(例えば、戦没者慰霊・全国植樹祭・国民体育大会・全国豊かな海づくり大会・全国赤十字大会など)、国内ご巡幸(例えば、被災地お見舞い・福祉施設ご訪問・企業・産業地ご視察など)、外国要人の応対、外国への公式ご訪問(これまでに約50カ国をご訪問された)、先の大戦の激戦地へ戦没者慰霊の旅、また皇居内においては宮中伝統祭祀(歴代天皇慰霊供養祭・国家国民の安寧祈願祭、五穀豊穣祈願祭など年間約20件、特に12月、1月に多い)。それらご公務の間にハゼ類のご研究や皇居内の動植物のご研究もなさっておられるとか。とにかく365日、ほとんどお休みになられる日はないそうだ(宮内庁談)。その上、天皇はこれまでに大腸ポリープ摘出、前立腺癌手術、胃潰瘍・十二指腸炎発症、冠動脈のバイパス手術など、数度ご身体にメスを入れられた。そして、天皇は今年12月23日に満83歳におなりになる。

去る8月8日に(ビデオメッセージで)表明された『天皇陛下のお気持ち』は、内外に大きな衝撃を与えた。28年前のご即位の際に述べられたお言葉「天皇の務めは何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切にし、常に国民に寄り添うことが国民統合の象徴としての天皇の務めであると考える」それを天皇は充分(以上)にお努めになられたことは全国民が認識し感謝しているところ。その上で天皇は「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか」を問うメッセージを発した。(暗に)“生前退位”のご意向を示唆した。“摂政には否定的”なお考えも窺えた。

各報道機関が行なった世論調査では85〜90%以上の国民が『天皇陛下のお気持ち』を理解している。識者の間でも政界でもさまざまな意見がある。「ご意向をくみ“生前退位”を可能にすべきだ」「法改正は無理、特例法を」「いや、性急な法改正や皇室典範改正は国民生活に思わぬ混乱をきたす恐れがある」――翁もそう思う。もし“生前退位“を制度化した場合、「天皇に退位を迫る第三者の介入を防ぐ仕組みは」、「誰が(どの機関が)退位を認めるか。改正政治利用につながらない方策は」、「年号をどうするか」、「退位後の地位や称号、お住まい、待遇、儀式の見直し」などの課題が次から次と出て来る。また、現状を見るに、もし(今)“生前退位“を行なうとしたら、皇太子不在ということになるし(議論が中断したままの)女性天皇論や、そのお子である女系天皇の是非、皇族女子が一般男性と結婚した後も皇室に残ることを可能とする女性宮家問題などを巡る議論が再燃しそうだ。

『天皇のお気持ち』は翁にも痛いほどよく理解できる。が、“生前退位”とか“摂政”など型にはまったものではなく、何か方法はないものだろうか?翁は、とにかく「天皇は、そのまま天皇でいていただきたい」と願うのだ。甚だ不敬な言い方だが「象徴天皇としての在りようは国事行為、公務を自ら行なう」という(かたくなな)お考えを和らげていただき、天皇には国事行為と宮中行事のお勤め、お誕生日の記者会見、新年のお出ましくらいにして、ご公務は全て皇太子殿下に代行していただく、というのはどうだろう?それは、前述の“生前退位”における諸問題を起こさないため、と言うこともあるが、国民が、いかに天皇のご健勝・ご長寿を切望し、天皇はずっとそのまま天皇でいていただきたいと願っているか、その国民の心情を、天皇におかれては何としてもお汲み取りいただきたい。天皇がご公務を皇太子殿下に代行していただいても、国民の“今上天皇への敬愛の情”はけっして変わることはないのだから・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

お盆祭りin Gardena

先週、初めてロスアンジェルスのサウスベイガーデナで行われたお盆祭りに行ってきました。老いも若きも子供もアジアの人も白人も黒人も皆が輪になって楽しそうに踊る盆踊りを見て感動しました。ささやかな小さな町での日本のお祭りでしたが、毎年ずっと行われているのだそうです。其々に自由なスタイルで踊っているのを見ていたら車椅子に座って鑑賞していたクライアントさんが“来年は私も踊るから、貴方も踊るのよ”と約束させられてしまいました。2人のゴールが出来ました。
盆踊りを通して、いろいろ感じたこと思う事がありましたが、今回は時間切れです。
いつか、また、この事を書きたいと思います。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

朝から蒸し暑いとあまりジャズを聴く気にはならないのですが、このコーナーのお陰でアルバム探しができます。たくさんのアルバムがあっても聴かなければ宝の持ち腐れですからどんどん聴きたいと思います。
すっきりした音のジャズがいいかなと思い、Chris Bottiのトランペットにしました。
選んだアルバムは"ITALIA"です。Chris Bottiのアルバムはトランペットのイメージを高めてくれる素晴らしい音色でゆったり聴けます。上品なバックのサウンドがアルバムの質をさらに高めています。いつ聴いても何度聴いても飽きないアルバムです。

"ITALIA"  Chris Botti

01-Italia
02-Estate
03-Deborah's Theme
04-The Very Thought Of You
05-Gabriel's Oboe
06-I've Grown Accustomed To Her Face
07-Caruso
08-The Way You Look Tonight
09-It Never Entered My Mind
10-Ave Maria
11-Venice
12-Nessun Dorma
13-Smoke Gets In Your Eyes
14-If I Loved You


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

開幕前はちょっと心配されていたリオオリンピックですが、始まると盛り上がりましたね(ブラジル国内はどうかわかりませんが)。日本は私が予想、期待していたより多くのメダルが獲れ、日本の選手もなかなかやるなと感心させられました。男子100メートル×4リレー決勝は圧巻で感動しました。そのリオオリンピックもいよいよ閉幕です。さあ次は東京オリンピックです。期待が高まりますね。

明日、久しぶりに健康診断を受けることになりました。こんな時期に健康診断を受けるのはどうかと思うのですがたまに調べておいた方がいいと思います。《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1058

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com