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1055号

 

NO.1055       Ryo Onishi              7/31/2016

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雑貨屋のひとり言

孫が生まれて一か月が経ちました。無事に生まれ、育ってくれていることに感謝しています。金曜日、宝塚市にある中山寺にお宮参りに行きました。孫に着せたベビードレスは息子が生まれたときのもので、親子二代で使えていることもうれしいことだと思います。そのあとスタジオアリスで記念撮影を行いましたが、孫はむづがることもなく極めて短い時間で撮影できみんなを驚かせました。≪R.O≫

 

 詩 吟 の 効 用

私の詩吟歴も18年になりました。日本の伝統文化の一つといえる詩歌吟詠ですので、その奥が深く、何十年続けても奥義を究めることは不可能でしょうが、それでも18年も先生(師範)について習っていればいつまでも「新人です」とはいえないようです。

尤も、私がそもそも詩吟に興味を感じ、会に入門した動機は吟詠の達人になるためではなく“なんとなく興味を覚えた”程度ですので一向に上達しないのも当然です。

詩吟とは漢詩に節を付けて吟ずることをいいますが、さすがに日本古来の伝統芸術であり、その奥の深さに今更ながら感じ入っているところです。

南カリフォルニアにはいくつかの詩吟流派の会が存在しますが、私達の会もそのひとつです。私のような進歩が遅く、出来の悪い生徒も、週一回詩吟クラスに通い、師範の先生に迷惑をかけながらも和気藹々と楽しく研鑽に励んでいます。

「最近の日本人の皆さんは詩吟をどのように理解しているのだろうか?」 ――― こんな疑問から私のまわりにいる友人・知人を対象に調べてみました。

「エッ、シギン?何ですかソレ?」、「あゝ、ナニワ節みたいに唸っている変なもの!」といった反応(回答)から「詩吟って、“ベンセイ、シュクシュク・・”のこと?」、「時代遅れの難しい節回し!」、「あんな大声は私には無理!」といったものまでまさに十人十色でした。

さすがにある程度の年齢に達している日本人は詩吟に対する理解度は高いようでしたが、若年層になるにしたがって詩吟はおろか漢詩さえ知らない人がいるのには少々驚きでした。
    
“古臭いもの”というイメージが定着している詩吟を若年層に普及する方法はないものだろうか? そこで先ず詩吟の効用を考えてみました。

(1)心身の健康に資する:腹の底から声を出して詩を吟ずる呼吸法は内臓を強くし、身体内から活力を生み、その上ストレスの解消にも役立ち、心身最高の健康法のひとつである。――― 私達の流派の会では90歳以上の会員もおり、かくしゃくとして詩吟を吟じています。この事実こそ詩吟が心身にわたる健康法である何よりの証拠といえましょう。

(2)歴史、文化の勉強が出来る:吟ずる漢詩は主に中国、日本の歴史や文化を題材とするものが殆どです。自然に歴史への興味がわき、文化を学ぶことが出来ます。

(3)漢字の読み書きの機会が増える:コンピュータ時代の今日、私たちは自分で漢字を書くことが少なくなっています。私自身も最近は紙の上にペンで字を書くことは殆どなく、原稿もメールもパソコンのキーボードに頼っています。漢字を書くのは詩吟クラスだけといっても過言ではないほどです。

私にとって詩吟とは、趣味であると同時に実益をも兼ねた最高の余暇利用法と言えましょう。

私達の詩吟の会では、全員による吟詠大会が春・秋に開催され、吟詠・吟舞の二部門について、半年間の成果を発表しています。

先日、恒例の大会がロングビーチ市の日系人会館で開催されました。私が選んだ吟題は「結婚を賀す(並びに和歌)」(松口月城作)でした。

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婦(つま)となり夫となる これ宿縁
同心一体 天に乖(そむ)かず
  (和歌)幾千代の ちぎりなるらん常磐(ときわ)なる
      松のこずえに 鶴の巣ごもり
人生の航路 あに容易ならんや
永久(とこしえ)に違(たが)うことなかれ 貞と賢と。

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健康志向、教養志向の現代人にとって詩吟の効用はぴったりではないかと思います。皆さん詩吟の世界にもっと興味を持ちましょう。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


宵祭りちゃんで呼び合う友が寄り

じいちゃんが満開になる夏祭り

だんじりの迫力軒が身構える

宮入に喧嘩神輿の向う傷

思慕胸に秘めた太鼓は無法松


( ニュースやぶにらみ )


「厚化粧」

どなたも公約でやっている −小池候補

「クリントン対トランプ」

ガラスの天井を突き破るか

メキシコ国境に壁を作るか −米大統領選挙

「ロシヤを排除せず」

参加することに異議がある −反ドーピング団体

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(435)『鎮魂と祈り』(その1)<長崎の鐘〜永井博士を偲ぶ>

今日(7月31日)は東京都知事選の投開票日。タイミング的には“都知事選“をテーマにしたかったが、今夜半でないと選挙結果が出てこないので、いずれ「頑張れ新都知事」か「くたばれ新都知事」のどちらかで吼えることにして、8月は3回に亘って『鎮魂と祈り』を書くことにした。

毎年のことながら8月は『鎮魂と祈りの月』であることを(これまでに)数回書いてきた。特に6日広島・9日長崎の原爆投下、15日の終戦記念日は、何回書いても書き過ぎることはない。それはむしろ、永久に語り継いで行かなければならない日本人としての義務だと思う。それにもう1つ、翁がどうしても吼え続けたいのが8月8日の『ソ連対日宣戦布告』である。日本の敗戦の色が濃くなる時期を見計らっていたかのように、ソ連(現ロシア)は日本に対し(日ソ中立条約を一方的に破って)宣戦を布告、8月15日に日本が世界に向けて終戦を宣言したにもかかわらず、その後もソ連は無抵抗の日本兵及び一般人を大量殺害して南樺太・千島列島、それに古来の日本領土である択捉(エトロフ)・国後(クナシリ)・色丹(シコタン)・歯舞(ハボマイ)を不法占拠してしまった。故に翁、ロシア(政府)を“ロスケの泥棒猫”と呼んでいる。そのことについては次号に詳しく書くことにして今号は『鎮魂と祈り』(その1)<長崎の鐘>をお届けする。

翁が初めて長崎を訪問した時のことを2010年8月8日配信の『龍翁余話』(142)「ああ、長崎の鐘〜永井博士を想う」に書いた。1部を抜粋する
【♪こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ うねりの波の人の世に
 はかなく生きる野の花よ なぐさめはげまし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る
                         (『長崎の鐘』1番)
丸坊主の中学1年生の少年が、大人のバンド(楽団)に加わり、顔が隠れるほどの大きなアコーデオンを抱えて『長崎の鐘』を演奏している。時は、昭和24年(1949年)8月9日『原爆を許すまじ 被爆者大会』、場所は、長崎市公会堂。ステージ下手(しもて)から晴れ着姿の娘さんたちが1人ずつステージに上がる。8人程だったろうか、原爆で被爆した娘さんたちの顔の全部、または半分が火傷(やけど)によるケロイド状、彼女たちはその顔を隠すことなく、むしろ凛としてステージに立つ。会場のあちこちから啜り泣きが・・・ピアノ(バンドリーダー)もバイオリンもトランペットもクラリネットもギターもドラム
スも皆、泣いている。アコーデオンの少年も涙で楽譜がぼやけたが懸命に弾いた――

『長崎の鐘』(サトーハチロー作詞、古関裕而作曲)は、永井隆博士(明治41年〜昭和26年=長崎医大<現長崎大学医学部>教授、放射線研究者)の随筆『長崎の鐘』をモチーフにした歌謡曲、その後、映画化もされたが、実は翁、中学1年の頃は永井博士を知らなかった。その後、博士の著書『長崎の鐘』『この子を残して』『ロザリオの鎖』などを読んで永井 隆博士の偉業と、人類愛に満ち満ちた人柄に魅せられ、博士の終の棲家『如己堂』(にょこどう)を2度訪ねた。

随筆『長崎の鐘』には、1945年8月9日の原爆投下直前から終戦の日(8月15日)までの長崎の惨状が詳細に描かれている。博士は爆心地からわずか700メートルの距離にあった長崎医大の診察室で被爆、右側頭動脈切断という重傷を負いながら、自分は頭に布を巻いただけで(9日、1日中)大勢の(瀕死の)被爆者を献身的に治療・救護、翌10日、やっと我が家に戻ると台所跡から骨片状態になっていた妻・緑(みどり)さん(洗礼名マリア)の遺骸を見つけ、その骨片を拾って屋敷内に埋葬。
  ♪召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ かたみに残るロザリオの
   鎖に白き我が涙(『長崎の鐘』2番)
翁、この歌詞を聴くと今も胸が熱くなる。

病に倒れた永井博士のために1948年(昭和23年)3月、浦上(天主堂)のカトリック信者と近所の人たちの厚意で建てられた2畳1間と4メートル×2メートルの土間があるだけの小さな木造家、これが博士の終の棲家『如己堂』である(写真は『永井隆記念館』より)。『如己堂』の名は、博士が生きる指針とした聖書の1節「己れの如く隣人を愛せよ」から(博士ご自身が)つけられたそうだ。被爆による“原爆病”と闘いながら博士は2人の子どもと一緒にここに住み、ここから世界中の人々に原爆の恐ろしさ、戦争の愚かさ、平和の尊さを発信し続け1951年(昭和26年)5月1日に永眠された(享年43)。博士が生存中『如己堂』にはヘレン・ケラー女史(1880年〜1968年=米国・教育者、社会福祉活動家、作家、重度の視聴覚障害者でありながら世界各地を歴訪、障害者の教育・福祉に貢献した)、ローマ教皇特使ギルロイ枢機卿やフルステンベルク大司教が見舞いに訪れた(ローマ教皇からロザリオが下賜される)。なお、2人の子ども、とは長男・誠一氏(時事通信社〜永井隆記念館館長、2001年4月4日死去、享年66)と次女・茅乃さん(作家、2008年2月3日死去、享年66、兄・誠一氏と偶然にも享年が同じ歳だった)。

今年5月27日に広島を訪問した米国オバマ大統領は言った「広島と長崎は、我々に戦争の愚かさ、悲惨さを教えてくれた。広島・長崎は、人類の目覚めの地である」と。8月6日に広島平和公園の鐘が鳴る。8月9日に“長崎の鐘”が鳴る。鎮めよう 戦争犠牲者の魂を!祈ろう 世界の平和を!・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

リコリス

アメリカのお菓子というと色がカラフルで派手なものが多い。特にキャンディーショップは多彩な色のお菓子で賑わっていて子供にしたらワクワクする空間だ。ところがそんな中で珍しく黒いゴムのようなお菓子があるのだ。グニャグニャしたゴムのような触感でグミとも少し違う。見かけもグロテスクで気味が悪い。黒いのと赤いのと2種類がある。先日もスプラウトマーケットの量り売りのセクションで、このお菓子を見かけた。カラフルなグミやキャンディーの中でひときわ異様な存在だ。それでも、結構売れているらしく、どこでも、その黒いお菓子は常時、売り場に置いてある。
初めてそのお菓子を食べたのはアメリカに来て間もない頃に近所の子供がモグモグかじっていたのを見かけた時だった。何を食べているのか聞いたら私にも一つ分けてくれた。食べてみたら薬臭いような味でまずかった。おそらく日本人の人が10人食べたら10人とも、まずいと感じるだろうと思う。スパイスで言えばセリ科のアニスやフェンネルシードのような味だ。それ以来この黒いお菓子を食べる事は無かった。それからだいぶたって友人がこの黒いゴムのような、お菓子をモグモグ食べていたので聞いてみた。
キャンディー グミ グミ グミ
サワーキャンディー ジェリービーンズ リコリス(赤) リコリス

このお菓子はリコリスと言って植物の根の成分が入って体にいいのだと説明してくれた。彼女はフランス系日本人だったので、この個性的なリコリスの味には慣れているらしい。リキュールにもこのリコリスが使われているというので調べてみたら以前、飲んだ事のあるリキュールにも入っていた。やや甘口で養命酒のような薬草の味がしたのを覚えている。漢方では甘草の仲間でマメ科の植物。根の方は砂糖の50倍の甘さがあるらしい。ビタミンショップに行くとこのリコリスのタブレットやハーブティーもある。その薬効を見てみると風邪で咳が出る時、喉が痛い時、便秘やお腹が張る時などいろいろな効能が書いてあった。成分の方ではグリチルリチン、フラボノイド、コリン、アスパラギンと体には良さそうだ。今回、少しだけ、そのリコリスを買ってみようか、しばらくその売り場で考えていたけれど、やっぱり止めておいた。
体にいいと言われていても、まずいと感じるものは体が反応してストレスを感じてしまうような気がする。わざわざ、まずいものを選ぶより美味しいと思うもので体に良さそうなものを選んだ方がいいに決まっている。
それにしても米国のみならずヨーロッパでも定番になっているリコリスのお菓子
これを美味しいと感じる味覚の差はどこから来るのだろうと不思議に思ってしまった。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

雑貨屋ウィークリー1050号で紹介したばかりですが、すっきりしたイメージのジャズがいいなあと思い、今週も松居慶子のアルバムを選びました。
すこし甲高いすっきりしたピアノの音が、松居慶子のジャズって感じのアルバムです。

"Deep Blue" 松居慶子

01-Deep Blue
02-Water For The Tribe
03-Across The Sun
04-Trees
05-Mediterranean Eyes
06-Rose In Morocco
07-Moonflower
08-Crescent Night Dreams
09-To The Indian Sea
10-Mystic Dance
11-Midnight Stone
12-Deep Blue


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

5年前からお世話になっている私たちの尊敬するヨガのインストラクターが突然、来週から降板することになりました。その理由が本人に腫瘍が見つかり手術しなければならなくなったからです。すごいショックを受けています。私たちができるのは一日も早く回復されてまた元気に戻ってきてくれることを祈るばかりです。《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1055

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com