weekly

1054号

 

NO.1054       Ryo Onishi              7/24/2016

 weekly
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雑貨屋のひとり言

イチローのメジャーリーグ通算3000本安打達成が目前に迫ってきました。2000本でもすごいのに3000本ですから、ものすごい偉業だと思います。達成がとても楽しみです。
記録をつくれる選手は身体が丈夫です。すぐにケガをするプロ野球選手が多く、それで選手生命が絶たれてしまう選手がたくさんいる中で42歳でもまだ進化を続けているイチローは超人だと思います。日頃のトレーニングで常に身体を万全なコンディションにしている努力のたまものだと思います。イチロー以上の選手がこれから先、日本球界から出てこないのではないかと思います。≪R.O≫

 

 いいわけ

 「いいわけ」とか「弁解」と言うと、私達日本人にとって、なんとなく“後ろ向き”“ネガティブ”なイメージがします。たとえば自分が何かミスを犯したとき、自分の責任は棚に上げ、そのミスを相手・状況・などのせいにして責任逃れをするような場合を想定するからでしょう。

現に私の手許の国語辞典にも「いいわけ」の意味として、「自分のしたことが悪くなかったのだ、と説明すること(ことば)」とあります。【三省堂、国語辞典、第二版】

 日本人は古来、「いいわけ」「弁解」を軽蔑する風潮がありました。以前、ある文化講演会で講師(金田一春彦氏)からこんな話を聞いたことがあります。

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井原西鶴の「武道伝来記」という本があり、その中にこんな話があるそうです。

一人の武士が仲間の武士から、自分には身に覚えのない“いい掛かり”をつけられ、あげくに“果たし状(決闘状)”を突きつけられてしまいました。

“果たし状”を突きつけられた武士は、どう考えても身に覚えがない、しかし、「そんなことはない筈だ」というのは武士の道に外れると思ったので、潔(いさぎよ)く決闘に応じました。

そうしたところが、それを聞いた殿様が、普通ならば「まあ、まあ」と止めるところなのですが、止めるどころか殿様は「このときに及び、断りをせず一命を捨つる覚悟、あっぱれ武士の鑑である」と褒め称えたそうです。

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上記の話は明らかに誇張のし過ぎですが、日本のような、比較的“ホモジニアス(均一)社会”では、初めからある程度“相互理解”というベースがあるので、「いいわけ」や「弁解」しないこと、沈黙・寡黙・潔(いさぎよ)さが美徳として通用しています。

ところが、アメリカのような“多民族・多文化・多価値観”の世界では、そうはいきません。常に「いいわけ」や「弁解」の言葉を用意しておかなければ、いつもこちらが悪者にされてしまいます。

これからは私たちも、自分のミスを隠す「いいわけ」ではなく、もっと前向きの「弁明」「弁解」としての「いいわけ」表現を積極的に学び、実践すべきなのでしょう。

といっても、物事には“限度と節度”というものがあります。先日、知人からいただいた車の雑誌に面白い特集を見つけました。テーマは「車のトラブル現場で聞いた“いい訳セレクション”」というものです。ここには読者アンケートで寄せられた、車のトラブル現場で聞いたすごい「いい訳、名言(!?)の選りすぐり集」載っていました。

“日本の国際化もここまで進んだか?”といったら国際社会から叱られそうですが、ここに掲載されている「いい訳」はもはや“超国際的?!?”で、思わず吹き出してしまいます。

こういう特集は、当然ながら極端な例を取り上げているわけで、ジョークと思ってみれば良いのでしょうが、とに角笑っちゃうので、以下、その一部をご紹介しましょう。

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「心に残る(?)言い訳 & 捨てぜりふ集」
(1) 一方通行を逆走してきた欧州車のドライバーに注意したら、「外車には国内法は適用されない」といい訳された(宮城県、41歳男性)

(2) 友人の運転する車に同乗した時、居眠り運転をし始めたので指摘したら、「俺は寝ていないぞ。ただ、目をつぶって何も考えていなかっただけだ」弁解された。(東京都、39歳男性)

(3)上り坂で前車に続いて停車していたら、前車が急に後ろにずり下がり、私の車にぶつかってきた。前車のドライバーは開口いちばん、「ちゃんと車間距離とってよ」だって。(三重県、62歳男性)

(4)私と同じ会社の若い O.L.は、駐車場で車のうしろをぶっつけておいて、「私って、あんま後ろを振り返らない性格だから」と悪びれずに言っていた。(静岡県、43歳男性)

(5)赤信号無視をして警察官につかまった男性。「誰が赤信号で止まれと決めたんだ。俺は知らんぞ!」とものすごく強引なことを言っていた。(佐賀県、73歳男性)

(6)駐車場で互いにバックしていて接触。私は謝ったんですが、後日になって相手に「あなたが謝ったのだから、あなたの方が悪い」といわれビックリ。(愛知県、36歳女性)

(7)右折車線を無視して直進した女性ドライバー、パトカーに止められ、「路面の矢印見なかったの?」と聞かれて、「あれって、道路の模様かと思った」だって。(大阪府、48歳女性)

(8)渋滞時、前車がゆっくりバックしてきた。こちらのクラクションの甲斐もなく、ぶつかってしまった。降りてきたドライバーの男性いわく、「俺は前しか見ない。前を見ていないと前方不注意になる」とへ理屈をこねていた。(兵庫県、62歳男性)

(9)スピード違反取締りで、つかまったドライバー、警察官に「今日は私の誕生日なの、だから大目にみて」と真剣に頼んでいた。(京都府、28歳男性)

(10)駐車違反取締り中の警察官に「あんたたちだって、パトカーを違反駐車しているじゃあないか」と反論していた。(神奈川県、31歳女性)

(11)猫を乗せて運転中、スピード違反の取り締まりにあった時、私は「猫がトイレに行きたそうだったので」と訳のわからない言い訳をしてしまった。(熊本県40歳男性)

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


独身に戻り浅草カーニバル

ナツメロのワルツに祖母の腰が伸び

あの頑固 落研卒の顔も持ち

孫二人渾名クマモン フナッシ―

分別収集俺はどうやら粗大ごみ


( ニュースやぶにらみ )


「徘徊」

年寄りより若者が −ポケモンGO

「コンビニ人間」

ママも小説が書けるね −うちの食卓

「白鵬、日馬富士、稀勢の里」

さて誰が誰 −都知事有力3候補

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(434)「幕末〜維新の賢人に学ぶ」(拡大版)

都知事選、31日の投開票日まであと1週間、立候補者21人はそれぞれ都内各地で激戦を展開しているが、前号で述べた通りメディア(特にテレビ)に多く露出しているのは小池・増田・鳥越の3人だけ。あとの18人は依然として“その他の候補者”扱い。テレビの公共性・公平性から言って(この報道の在り方は)不公平極まりないのに“その他の候補者”たちからも(普段は正義ヅラをしている)評論家たちからも、文句が出ないのが不思議。思えば、都道府県知事選挙・国政選挙では名のある奴がメディアに取り上げられることが習慣になっており、国民も“そういうもんだ”という風に思い込まされ馴らされてしまっているのだろう。しかし、翁は懸念する「メディアに登場させてもらう候補者以外に(名は無いが)国家国民のために、たぎるような情熱と知恵(政策)を持った清廉高邁な人物が見捨てられているのではないか」と――

去る7月18日(海の日)に東京・すみだリバーサイドホール(墨田区役所内)で行なわれた『勝海舟フォーラム2016』(勝海舟顕彰会主催=第13回)へ行った。昨年、親友のCさんに誘われて初参加、今年は2回目。特に今年は、勝海舟の玄孫(やしゃご=ひ孫の子)・高山(こうやま)みな子氏をはじめ、徳川宗家18代当主・徳川恒孝(つねなり)氏、大久保利通の曽孫(そうそん=ひ孫)・大久保利泰(としひろ)氏、榎本武揚の曽孫・榎本隆充(たかみつ)氏の『幕末〜明治維新の賢人たち』の子孫が顔を揃え“先祖を語る会”だったので、幕末〜明治史好きの翁、大いに期待して9時半開演の少し前、炎天下の隅田川(吾妻橋)を渡り会場へと急いだ。

高山みな子氏の先祖・勝海舟(1823年〜1899年)は(今更説明するまでもないと思うが)幕末に活躍した幕臣。1860年に日米修好通商条約批准書交換のため遣米使節団として幕府の軍艦・咸臨丸で渡米(勝は艦長)、帰国後に軍艦奉行並となり神戸海軍操練所を開設、戊辰戦争の時は軍事総裁、その後、陸軍総裁となった勝海舟は大総督府下参謀の西郷隆盛に談判して江戸城無血開城を実現、維新後は参議、海軍卿、枢密顧問を歴任。高山みな子氏の話――幕府の重鎮になってからの海舟は、ひたすら“日本国の在りよう”“江戸市民の安泰と繁栄”のために奔走した。“江戸城無血開城”も江戸市民(150万人)の生命財産を守る一心からの交渉だった。更に「為政者は“知行合一”(行動が伴って本当の知恵・知識となる)また常に“赤心”でなければならない(ウソ偽りのない真心でなければならない)」が海舟の口癖であった。なお、海舟の座右の銘は“失意泰然、得意淡然”(物事がうまくいかない時は、焦らず時節到来を待て。うまくいった時は、奢らず、謙虚であれ)――

徳川恒孝氏の大先祖は遠く徳川家康だが、近くは第15代徳川慶喜(1837年〜1913年)。
慶喜には正室(一条美賀)との間に子は恵まれず、明治になって誕生した10男11女は、みな側室の間に設けた子女。したがって跡継ぎに初代静岡藩主・徳川家達(田安徳川家=1863年~1940年)を養子に迎え第16代徳川宗家当主とする。その長男・家正(1884年〜1963年)が第17代徳川宗家当主。家正の子に男子はなく、そこで娘・豊子と会津藩第9代藩主(最後の藩主・京都守護職)松平容保(1836年〜1893年)の孫・松平一郎(1907年〜1992年、秩父宮勢津子様の兄君)が結婚、その子(次男)が現在の第18代徳川宗家・恒孝氏である。恒孝氏の話――我が国の“開国”を主張したのは諸大名の中で松平容保公が最初だった。会津は蝦夷地・東北を管理して来た経験で“四方海に囲まれた島国日本を守るには、公武合体(天皇と幕府が一緒になって)諸外国と仲良くしなければならない”が容保公の国家観だった。更に15代慶喜公について語る――「徳川の名と我が身を守ってくれたのは海舟ら忠臣(ブレーン)のお蔭。また、禄(給与される金銭・物資)を失った多くの幕臣を静岡に連れて行った時、海舟が“茶の栽培”を薦めてくれた。そのお蔭で幕臣たちは生きる糧を得ることが出来た。徳川幕府の後始末と言い、徳川の名跡存続と一族の生命の保証と言い、更に幕臣たちの生計の道と言い、海舟の尽力はただただ感謝あるのみ。人(朋友)在りて我在り」が慶喜公の偽らざる心情だった。恒孝氏は(高山みな子氏に言う)「私が18代当主として本日、この『勝海舟フォーラム』に参席していることに深い感慨を覚えます」――

大久保利泰氏の先祖・大久保利通(1830年~1878年)は明治維新の元勲。西郷隆盛・木戸孝充と並んで“維新の三傑”と称された。維新で参議に就任し、版籍奉還、廃藩置県など明治新政府の中央集権体制を確立、学制、地租改正、徴兵令などを実施、“富国強兵”をスローガンに“殖産興業政策”を推進した。一方、朝鮮出兵を巡る“征韓論”で西郷隆盛や板垣退助らと対立、結果、西郷は参議の職を辞して鹿児島に戻る。西南の役が起きた時、大久保は「西郷は担ぎ出されただけ、今に収まる」と言っていたが、西郷の死が報ぜられると大久保は鴨居(かもい)に頭をぶっつけ号泣したと言う。その利通、1878年5月14日、東京千代田区紀尾井町にて暗殺される(紀尾井坂の変)、享年49。利泰氏の話――大久保利通は、幼馴染の西郷隆盛を窮地に追いやり、挙句の果てに見殺しにした冷たい人間、と思われているが、実際は真反対で、常に西郷を兄と慕い尊敬もしていた。その証拠に利通は、暗殺された時、生前の西郷からの手紙を大切に持っていた、と高島鞆之助(たかしまとものすけ、鹿児島出身の陸軍中将、のちに陸軍大臣、枢密顧問などを歴任)が証言している。また、利通は有能な人材を適材適所で起用し“発案者は自からそれを実行し、万一、不都合が生じた時は、吾輩が責任を取る”という親分肌だった。利泰氏は言う「子孫の私が先祖を美化しているのではなく、幾つかの文献にそう記されています」なお、利通の座右の銘は“為政清明”(政治を行なう者、常に清廉潔白でなければならない)――

榎本隆充氏の先祖・榎本武揚(えのもとたけあき、1836年〜1906年)は勝海舟と同じ幕臣。幕府直轄の学問所・昌平黌で学び、アメリカから帰国したジョン万次郎(中村万次郎)に英語や洋学も習う。19歳の時、樺太を探検(これが、のちに大いに役立つ)、20歳の時、長崎海軍伝習所で研修、その後オランダへ(約4年間)留学、そこで船舶運用術、砲術、蒸気機関学、化学、国際法を学ぶ。帰国後、幕府海軍の指揮官になるが戊辰戦争勃発後、幕府軍を率いて蝦夷地に渡り“蝦夷共和国総裁”となるも“函館戦争”で敗北、東京・辰の口(現・丸の内1丁目)の牢獄に2年半投獄された。しかし、函館戦争で戦った敵(新政府軍)の参謀・黒田清隆(1840年〜1900年、薩摩藩士、陸軍中将、函館戦争後、北海道開拓長官、第2代内閣総理大臣などを歴任)の尽力により助命され、保釈後、明治新政府に仕えた。黒田の推薦で北海道資源開発、駐ロ特命全権公使として樺太千島交換条約を締結した(これが19歳の時、樺太を探検した経験が大いに役立ったわけだ)。そのほか、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任、明治新政府の確立に貢献した。

余談になるが慶応義塾創設者の福沢諭吉が『痩せ我慢の説』で勝海舟と榎本武揚を罵倒していることは有名である。その内容は「元幕臣の身でありながら明治政府の要職に就く、即ち2君に仕えるとは武士の風上にも置けぬ輩」というもの。そのことに対して勝海舟は
「言いたい奴はご勝手に言え。だがな、誰も知らねえだろうが、俺の人生は痩せ我慢の連続だったのだ」と呟いたとか。一方、榎本武揚は「明治は既に武士の時代ではなくなった。我が身を国家建設に投じることが出来るのは男子の本懐である」と言った。そして武揚は(福沢諭吉同様)教育にも力を注いだ。北海道開拓に携わった武揚は「日本国力を高めるには国内農業の発展が不可欠」と考え、(最初)旧幕臣の子弟へ奨学金を支給する目的で創設した『徳川育英会』で農学校を設立した。それが現在の東京農業大学である。現在の東京農大は世田谷区にあるが、設立当初は飯田橋だった。東京メトロ飯田橋駅A4番出口前に『東京農業大学開校の地』の碑があるそうだが、翁はまだ確認していない。

榎本隆充氏の話――武揚が幕臣を連れて蝦夷地(北海道)へ渡った本当の目的は、新政府軍と戦争をするのではなく、蝦夷地を開拓して(禄を失った)旧幕臣たちの生きる道を拓くこと、もう1つは、ロシアの南下(北海道侵略)を防ぐため、その2つが武揚の大きな目的だった、と(武揚関連の)文献に記されている。隆充氏は更に言う「武揚が蝦夷地に行った本当の目的を、黒田清隆は充分に理解し、国家建設のために役立てようと考えた末の“武揚助命・武揚起用”だったと思います」――

『勝海舟フォーラム』のお蔭で、久しぶりに『幕末〜明治の賢人に学ぶ』ことが出来た。と同時に、政治家たちに賢人たちの遺訓を是非とも聴かせたいと思った。遺訓を今一度、整理しよう。海舟『為政者は常に赤心であれ、失意泰然、得意淡然であれ』、慶喜『人在りて我在り、感謝の心を忘れるなかれ』、利通『為政清明』、武揚『国家に我が身を投じるは男子の本懐なり』・・・都知事選立候補者の諸君、政策なくば、せめて己れの中身だけでも磨け。幕末〜明治の賢人に学ぼうではないか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

ココナッツ(ヤシの実)

ここ数年、ナチュラルヘルスエキスポではココナッツのブースを良く見かけるようになった。ココナッツジュースやココナッツの中の白い果肉をスナックにしたもの、また
クッキングオイルや美容としてのスキンクリームやヘアケア商品などなど、、、、
ハリウッドのセレブたちも使っているという、謳い文句で日本でも紹介されてブームになっているようだ。以前、日本ではココナッツそのものを売っているのを見かけた事が無かったがお菓子などココナッツを使ったマカロンクッキーやココナッツサブレなどは私も子供の頃に良く食べた思い出がある。料理でココナッツを使ったのは米国に来てタイカレーを初めて作った時にココナッツミルクを入れたくらいで普段は殆ど馴染みの無い食材だったと思う。先日、クライアントさんの家で初めて生のココナッツジュースを飲ませて頂いた。市販の缶に入ったココナッツジュースは飲んだ事があったけれどそれほど美味しいとは思わなかった。何となくあの独特な甘ったるい香りがちょっと苦手な感じがした。私が生のフレッシュココナッツジュースを飲んだ事が無いと言ったら是非飲んでみたらいいと薦められた。どうやって、あの固いココナッツの実を割るのだろうと思ったら、それ専用の道具があって丸い金具をココナッツの上にあててトンカチのようなもので思いっきり叩いてかち割るのだ。割る時はタオルを床に敷いて割るといいのだそうだ。バキッと音がするとココナッツの上部は丸い穴が開いた。クライアントさんの友人が”どーぞ”そう言って私に半透明なココナッツジュースを差し出してくれた。中を覗いてみると白いココナッツの果肉が付いている。乾燥しないうちにスプーンですくってその果肉を食べるといいのだそうだ。 ゆっくり口に含んでジュースを飲んでみた。滋養に満ちた、かすかな甘みが体に浸透していくのがわかるような気がした。それにしても、何とも不思議な飲み物だ。南国の潮風に吹かれながらヤシの実が育つ過程で実の中にジュースが作られる。何だかその液体の持つパワーはとてつもない秘められた栄養が備わっているような気がして改めてココナッツウオーターに興味を持った。家に帰ってココナッツジュースの栄養価を調べてみたら飲む点滴と書いてあった。
 

疲労回復の時に飲むスポーツ用ドリンクのような感じでもあり吸収がいいのは血液と同じような分子構造で血液と同じレベルの電解質なのだそうだ。100g 16カロリーなので糖尿病の人にもいいらしい。カリウムは多くナトリウムは少ないし 抗菌活性作用もあるらしい。脂肪、コレステロールは無し。 それに免疫力を高めマグネシウムが多いので酵素の働きを活発にさせ新陳代謝を促進させるとも書いてあった。
ココナッツの栄養や効能に関しては調べれば、まだまだ沢山あるようで、まるで万能薬のような飲み物なのだ。
ただ南国の食べ物なので体を冷やすらしい。どんないいものでも食べ過ぎは良くないのでバランスを考えて程々に取るのがいいようだ。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

先々週の土曜日、朝のテレビ番組で「サワコの朝」に出演した寺尾聡が選んでいた曲がDiana KrallのSorry Seems To Be Hardest Wordでした。アマゾンMusicでダウンロードしたアルバムWallflowerの8曲目にあったので、早速聴いてみました。とても味わい深く聴けます。オリジナルはElton Johnの曲です。私が大好きだったMamas And PapasのCalifornia Dreamin'から始まる懐かしいポップソングを集めたアルバムです。

"Wallflower" Diana Krall

01-California Dreamin' / オリジナル: The Mamas & Papas 1965年
02-Desperado Piano: David Foster / オリジナル:Linda Ronstadt 1973年
03-Superstar / オリジナル:Delaney & Bonnie 1969年
04-Alone Again (Naturally) feat. Michael Buble / オリジナル : Gilbert O'Sullivan 1972年
05-Wallflower feat. Blake Mills / オリジナル:Bob Dylan 1971年
06-If I Take You Home Tonight / Paul McCartney本作のためにき下ろし
07-I Can't Tell You Why / オリジナル:The Eagles 1979年
08-Sorry Seems To Be The Hardest Word / オリジナル:Elton John 1976年
09-Operator (That's Not The Way It Feels) / オリジナル:Jim Croce 1972年
10-I'm Not In Love / オリジナル:10cc 1975年
11-Feels Like Home feat. Bryan Adams / オリジナル:Bonnie Raitt 1995年
12-Don't Dream It's Over / オリジナル:Crowded House 1986年


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

駅前のスポーツジムの隣に建設中のマンションがもうすぐ完成します。基礎工事をやっていたころは完成までだいぶ時間がかかるだろうなあと思っていましたが、完成してしまうとあっという間にできたように感じます。この工事で撤去されていたスポーツジムに続いている歩道橋が元に戻されるので歩道上のマナーの悪い自転車を気にすることがなくなるので助かります。《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1054

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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