龍翁余話(432)「お中元」
今日(7月10日)は、第24回参議院議員通常選挙日、参議院議員の定数242の半数、すなわち2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙で選出された121人(選挙区73議席、比例区48議席)が改選対象となる。今回の選挙から18歳、19歳が参加。約240万人のうち、何%が投票に行ったかによるが、いずれにしても“10代の票”が、どのような結果をもたらしたか、その行方がいよいよ今夜半、明らかになる。結果を『余話』で取り上げたかったが(配信日の)タイミングが合わないので、いずれかの機会に・・・
ならば(10日配信の)『余話』のテーマを何にしようかと思いあぐねている時、ある親友からお中元が贈られて来た。そうか、時は『お中元シーズン』真っ只中。現役を退いた翁にも、未だに幾人かの友人からお中元が届けられる。それは、現役時代の“義理中元”ではなく、真からの“友情中元”だから嬉しいのは山々だが、高齢になって世間や友人たちとの距離がだんだん遠のくにしたがって、嬉しいよりも恐縮度が年々強まる。(贈って下さった友人に)直ぐにお礼のメール(または手紙)を書く。「向暑の候、皆様におかれましては益々ご清祥の趣、お慶び申し上げます」に始まり「さて、このたびは・・・」と丁重に(お中元への)お礼を述べ、併せて翁の近況をお知らせする。そして末尾に「どうぞ、今後は過分のお心遣いをなさいませんように・・・電話、メールにて親交を深めさせていただければ幸甚です」で結ぶ。これは翁の本心だ。何故なら、お中元やお歳暮は、本来、お世話になった人へ感謝の気持ちを伝える贈り物、なのに、高齢になった翁、人さまにお世話になることはあっても、翁が人さまのお役に立つことが(殆ど)出来なくなったのだから(お中元やお歳暮を)いただくことは誠に心苦しく、ご遠慮申し上げたいのだ。
「お中元は、お世話になった人への感謝の気持ちを伝える贈り物」と書いたが、由来は、ちょっと違うようだ。資料によると、中国の三大宗教(儒教・仏教・道教)の1つ、道教に“三元”があり、上元(1月15日)には天神様を、中元(7月15日)には慈悲の神様を、下元(10月15日)には“水と火を防ぐ神様をそれぞれ奉る儀式があり、その中の”中元“が仏教の”盂蘭盆会(うらぼんえ)“(お盆)の行事と結びついたと言われ、その”中元“だけが日本に伝わり、お盆と混じり合い、仏に供えるお供物を親戚や隣近所に贈る習慣が、江戸時代からお世話になった人たちへ贈り物をする行為に転じた、とのことである。
この時期、デパートやスーパーに行くと“お中元コーナー”には(当然のように)買い物客で賑わっている。翁も先日、銀座のMデパートに出かけ買い物客のふりをして女性店員に“今年のお中元の人気ギフト”を訊いてみた。一番人気は、やはり“ビール、日本酒、焼酎・洋酒、ワイン、ジュース”などの飲み物だそうだ。次いで(テレビの影響で)“ケーキ、アイスクリーム、ゼリー、和菓子”など。“ハム、ローストビーフ、ステーキ用、すき焼き用牛肉”も安定した人気商品。そのほかソーメンなどの麺類、夏を彩るサクランボ、桃、メロン、マンゴなどのフルーツ。明太子や梅干しも売れているとのこと。せっかく贈るのであれば、相手の好みや家族構成を考え“喜ばれるものを選ぶ”のはもちろんだが「相手様のお好みが分からない場合は“カタログギフト”も重宝されます」とは店員さんの弁。そして金額は3,000円〜5,000円あたりが平均のようだ。
ところで翁、“お中元の由来”を調べて行くうちに(前述の)『道教』に強い関心を持った。
と言っても、今更“道教とは何ぞや”を体系的に学習する意欲も能力もない。ただ『道の教え』という言葉に魅かれたのが関心のキッカケだ。『道教』の始祖は老子(古代中国の哲学者)で、天地一切を包含する宇宙自然、万物の終始に関わる“天道”を説き、『儒教』の始祖と言われる孔子(古代中国の思想家・哲学者)は、老子の“天道”を継承しながら、
人間社会に関わる“人道”を創り上げた。(『儒教』については、これまでに何回か『余話』で触れたのでここでは割愛する。)
老子の『道教』(天道)は、「自然の道は万物の無為・無心・無作為に生み育てているのだから、人間の生き方も小賢(こざか)しい知・欲・偽を捨てて生きるべきである」と説いている。具体的には「無為自然」――作為を弄せず、あるがままの自然に従って生きよ。
「清浄恬淡」(せいじょうてんたん)――限りない欲望や執着心を捨てて自然体で生きよ。「柔弱謙下」(にゅうじゃくけんげ)――水のように柔軟で、謙虚な態度を保ち、強さや賢さをひけらかすこともなく、他者との争いを避けて生きよ。
これらの『道教』の教えを拾い読みしていたら、ふと、中国の習近平の(あの厚顔無恥・ふてぶてしい)顔が浮かんだ。作為を弄し、限りない欲望と執着に溺れ国際倫理も人道もわきまえず、威を張って偽りの強さと小賢しさをひけらかし、他者(日本や南シナ海沿岸諸国)に傍若無人の振る舞いを繰り返している習近平という男、どうやら老子の『道教』も孔子の『儒教』も(もしかして釈迦の『仏教』も)知らない無教養人間、文明・文化にほど遠い未開人かも知れない。
お中元の由来から『道教』の一端を読みかじり、“嫌習”翁の“こじつけ放言”に至った。
日本の政治家にも「清浄恬淡」「柔弱謙下」を求めたいが、果たして参議院選挙の結果は、いかが相成ったか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |