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1043号

 

NO.1043        Ryo Onishi              5/8/2016

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雑貨屋のひとり言

スポーツジムに行くと、顔見知りの方がたくさんいて、挨拶を交わします。しかし何年も前から話をしたりしているのですが、お互いの名前を知らず、今更聞けない状態になっています。ワイフとその方たちの話題になると名前を知らないので、「あの上品な方は・・」とか「あの元気印の方が・・」といった具合にその人の特徴で話をします。彼らも私たちのことを話すときは同じようなことをしているのかなあと想像しています。いつかこの件について皆さんに聞いてみようと思います。≪R.O≫

 

党人の歎

 前号の当欄で私たち詩吟仲間の「春季吟詠大会」について書きましたが、この大会で会員それぞれが自身で選んだ吟題を吟詠し、競い合いました。その中に私たちのクラスの担当師範が吟じた詩が私にはひときわ印象深く響きました。

 その吟題は「党人の歎」という詩で、安井朴堂(1858〜1938)という明治・大正・昭和にわたって活躍した教育者が作ったものです。

 この漢詩は明治31,2年ごろの政党人の対立、抗争、謀略に憤慨して卜堂が作ったものだそうで、この時期の政界は伊藤博文の立憲政友会結成の前夜で、大隈重信、板垣退助、山形有朋らが抗争を繰り返した時期にあたります。

 この詩の字句を現在の政界に置き換えても完璧に相通ずる内容であり、政治家とか政党人は昔も今も少しも変わっていない、進歩の跡が見当たらないものだと痛感するものです。

 以下はその「党人の歎」の詩(読み下し)と語訳および大意です。

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 ☆党人の歎   安井朴堂作

党人党人 汝 何の職ぞ
飢ゆれば則ち咆哮し 飽けば則ち黙す
党利 甚だ重くして 国利軽し
頭顱 幾百 尽く臧獲
巧言 簧のごとく 鷺を烏と為す
手に利権を握れば 虎に翼有り
天子 汝を待つに 国士を以てす
盍ぞ 臣節を致して 輔弼に任ぜざる
山は抜くべく 鉄は磨すべし
嗟乎 党人 汝を如何せん

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(語訳)
  党人(とうじん):政党を司る人
  咆哮(ほうこう):けものが吼え叫ぶ(咆吼)
  頭顱(とうろ):頭、頭蓋骨、ここでは議員の頭数だけあることをいう
 臧獲(そうかく):臧は男の召使い、獲は女の召使い。
巧言(こうげん):口先のうまいこと
簧(こう):笛の振動させて音を出す部分
鷺(さぎ)と烏(からす):全身が白い水鳥である「鷺」と真っ黒な「烏」と対比している
盍ぞ(なんぞ):なんぞ(〜せざる)。(否定文で用いる再読文字)どうして〜しないのか。相手に催促する反語の意
臣節(しんせつ):人臣の守るべき節義
輔弼(ほひつ):天子の政を助けること
嗟乎(ああ)=ああ。嘆いて発する語。

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(大意)
 党人よ、党人よ。諸君の職務はいったい何なのだ。諸君はおのれの欲望が満たされない時は猛獣のごとく吼えたて、いったんそれが満たされると、言うべきことも言わず沈黙を守っている。

 党の利益は甚だ重視するが、国の利益は軽視する。議場に幾百の頭を並べていながら、すべて教育のない召使いと変わりない。

 弁舌は滑らかで笛の舌のそよぐが如く、詭弁を弄して鷺を烏と言いくるめるくらいは朝飯前、ひとたび利権を手に入れると虎に翼を生じたように暴威をたくましくする。

 天子は諸君を国家の選良として特遇し信任されているのに、諸君はなぜ臣下の節義をささげて天子をお助け申し上げようとしないのか。

 山は動かすこともできよう。鉄も磨滅させることはできる。ああ、政党人よ、いったい諸君はどうしたらよいのだ。まったく困ったものである。

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 今の政治体質を見ていると、安井朴堂が嘆いた当時の政党人と本質的に変わったとはとうてい思えません。今の政治家は弁舌鮮やかに口を開けば天下国家を論じていても、その実は党利党略に精力を注ぎ、自分の立ち位置を次の選挙でいかに有利にするかに汲々としているのが見え見えです。身を捨てて信念を貫こうとする本当の政治家がどれほどいるでしょうか。大多数は家業としての政治屋となり下がり、国のかたちやあるべき姿とはかけ離れた政治より政局重視の人たちとなっています。

 その場で大衆受けをする実現不可能なことをいったり、対案なしに反対するだけに走ったりすることも許されるものではありません。

もっとも、これらの政治屋を選んでいるのは他ならぬ私たち有権者です。政治に関心を持たず、選挙投票にも行かない有権者は真剣に民主主義の意味を考える必要があるのではないでしょうか。

政党とか政治とは何か。結局は政治家個々の資質の問題であると同時に有権者である私たちが日常の中で政治を考える文化を創ることが必要であり、これは民度の問題に期するということになりそうです。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


落日がきれい旅人岬とか

お日さまをローンで買った南向き

坪庭といえど律儀に四季の花

ビルの影 断りもなく塀を越え

未来図を照らす太陽エネルギー


( ニュースやぶにらみ )


「首相、欧州ロシヤ訪問」

費用はいくら位だろう −舛添都知事

「パナマ文書流失」

書き換えます −長者番付

「年間賞賞品」

三菱自動車 −USO放送

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(424)「無人島・淡島」

高齢になるにつれ“おっくう病”が翁の行動半径をだんだんと狭くしている。「こんなことでいいのか」と、いささか焦りもあるが、2009年以降の3度にわたる大手術で健康上に心配があるのと、去る3月28日配信の『龍翁余話』(418)で述べたように“臆病ドライバー”になってしまった、などの理由で春の連休・お盆・年末年始ほか休日・祭日の車による遠出は避けるようになった。ところが、どういう風の吹き回しか、この連休(GW)に、急にどこかへドライブしたくなった。勿論『余話』のネタ探しという目的もあるが、それより、やたら、運転をしたくなったのだ。“臆病ドライバー”になったものの、いまだに車(運転)が大好きで“17年目の古女房”(クラウン)と一緒に動き回っていると、何故か落ち着き、楽しく、年齢を忘れる。近年200km、300kmの長距離ドライブはしていないが、「まだ走れる」――その自信(過信?)は、一体どこから来るのだろうか?

東京近辺で、いくつかの候補地を探していたら“豊かな自然と出会える無人島・淡島”が目に止まった。そこを更にネットで調べたら「淡島(あわしま)は、静岡県沼津市、駿河湾の湾奥に浮かぶ海岸線長わずか2.2kmの小さな島。かつては無人島で、1940年に海軍施設が出来、戦後は少数の地元漁民が住み着いて漁をしたが流通の便が悪く再び無人島になった。バブル期の1980年代に某銀行が島全体をリゾート開発し(淡島海洋公園)、現在は(あわしまマリンパークの名称で)ホテル、レストラン、水族館などを経営している」とある。「なーんだ“豊かな自然と出会える無人島”というのは単なるキャッチコピー(宣伝文句)か」とがっかりしたが、それでも「島の裏側は手つかずの自然がいっぱい、散策だけでも楽しめる」に翁は少しばかりメルヘンチックなファンタジーの世界を期待して、行くことに決めた。東京方面へのUターンが始まる5月5日。行きは(東名高速は)Uターン組と反対方向だから(多分)空いている。帰りは(多分)Uターン・ラッシュは終わる頃だろう、と勝手に予想して朝7時に家を出た。東名高速は予想通り順調な走りが出来た。途中、御殿場(足柄サービスエリア)で少し休憩、沼津ICに着いたのが9時半。そこでカーナビに『あわしまマリンパーク』をセットして沼津市内を南下(国道414号線)、大津橋・三津方面に向かい、狩野川放水路沿いを走り県道17号線に入りと、ほどなく駿河湾に浮かぶ島が目に飛び込む。(沼津ICから途中もたついて到着までに1時間もかかった。)

駐車場で駐車料500円と入園料1600円を払い渡し船に乗る。なるほど小さな島だ。久しぶりに“美しい富士山”を観た。それにしてもGWはまだ終わっていなかった。アシカショー(写真左)もイルカショー(写真右)も満員。翁も童心に戻って2つのショーを楽しんだ。

「ホテルやレストラン、水族館などの施設があって働き手が大勢いるのに何故、無人島と言うのか」渡し船のスタッフに訊ねたら「施設で働く人たちは、この島が居住地ではない。毎日通勤して来ている」なるほど、そういうことか。ついでに訊いた「弥生時代の遺跡があるそうだが・・・」「この島の向こう側にあるが、今は、崖崩れなどで通行止め。それと向こう側には戦時中の“海軍桟橋”も残されています」通行止めなら仕方がない。ほかに翁好みの“歴史”が偲ばれる場所はないか?

『淡島神社』鳥居の脇には「由緒・創立は不明、安芸の厳島神社を本社と仰ぐ駿河湾の守り神」との簡単な説明板、その下に「標高137m、急な石段、往復約50分、登山中の事故等の責任は負いません」の注意書き。やーめた。鳥居から礼拝。(近くに)同じ海の安全と大漁を祈願する金比羅様も祀られている。もう1つ、1913年(大正2年)9月13日、昭和天皇が皇太子時代、マグロ漁ご見学の際、お立ちになられたと伝えられる石がある。へ―駿河湾でマグロが獲れた?調べて見たら江戸時代後期から明治・大正・昭和初期までクロマグロが漁獲されていたそうだ。“昭和天皇お立ち石”に黙礼。

“メルヘンチックなファンタジーの世界“の期待は裏切られたが、湾上のレストランで、遠くの雄姿・富士山を眺めながら食べたシラス・ホタテ・サクラエビの混合かき揚げ丼が美味かった。3時頃、島を離れる時に耳にした「東名高速は大渋滞」を避けるため、帰路を熱海・小田原方面へ。”小田原厚木道路“を経て(厚木から)東名高速に入るコースに変更、翁の”Uターン予測“は大ハズレ。帰宅は何と夜の9時を過ぎていた。クタクタになったが無事故ドライブに満足、神仏のご加護に感謝・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

5月5日こどもの日

風薫る5月と言う言葉を思い出させるような爽やかなお天気に恵まれた5月5日こどもの日、久しぶりに母とお墓参りに出かけた。東京から電車とバスとタクシーを乗り継いで、のんびり一日がかりで埼玉の生越まで出かけてきた。タクシーの人に丘の上まで上がってもらい父の墓前にたどり着いたのはお昼近い時間。静かな空気の中で、うぐいすの鳴く声が響き渡っていた。帰宅途中、何度か鯉のぼりを見かけたけれど昔に比べたらずいぶん鯉のぼりの数が減っていて寂しい感じがした。外国に住んでいると日本の文化行事が懐かしくなる。せっかく日本に戻ってきたのだからせめて菖蒲湯に入って邪気を払い柏餅は食べなければと、それらを購入した。その時ふと子供の頃に唄った童謡が頭に浮かんだ。“ 柱のキズは、おととしの5月5日の背比べ、チマキ食べ食べ兄さんが測ってくれた背の丈” 5月5日に食べるのは柏餅なのに、どうしてチマキなのだろうと思って調べてみた。こどもの日は奈良時代に中国から伝わった風習でチマキを食べると言うのも中国から伝わったものなのだそうだ。
お墓参り 柏餅、菖蒲 柏餅

昔、中国で多くの人から尊敬され慕われていた政治家の屈原(くつげん)という人物がいたそうで、その人物が陰謀の為に追われ川に身を投げ亡くなったのが5月5日で人々が屈原の死を嘆き悲しみチマキを川に投げ入れ彼の死を弔った事から始まったのだとか…一節によると彼が身を投げた川の魚が彼の亡骸を食べないようにチマキを投げ入れたとも竜から彼の身を守るよう人々がチマキを投げ入れたともいろいろな伝説があるらしい。日本でも昔、都は関西だった事から西の方でチマキを食べる風習が広がり関東では柏の木が多くあったので柏餅を食べる日本独自の風習が広がっていったようだ。それでは何故、柏の木の葉っぱがこどもの日のお菓子に使われるようになったのかというと柏の木の古い葉っぱは、新しい目が出てくるまで、ずっと落ちずにあるのだそうだ。そんな、けな気な柏の木をこどもの成長と幸福を祈る親になぞらえたのだそうだ。同時にこどもの日は母親に感謝する意味でも、あるのだそうだ。柏の葉でお餅を包むのは香り付けと共に抗菌作用もあるそうだ。柏餅の種類はヨモギ入りの粒餡、白いお餅のこし餡、味噌餡がある。私はヨモギ入りの粒餡派。今まで柏の葉っぱなんて見向きもせずにポイと捨てていたのだけれど今年は柏の葉っぱにも関心を持ち、ちゃんと香りも楽しんで味わった。
菖蒲の葉の精油はオイノゲール、アサロンといった成分が神経痛や腰通にも効くとの事、普段の生活の中で私たちは植物からの様々な恩恵を受けているのですね…
茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今回はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

気持ちのいい季節の中でジャズを聴いていると幸せな気分になります。今週はArt Farmerの品のあるトランペットのアルバム"Work Of Art"を選びました。トランペットのワンホーンの聴けば聴くほど味のあるアルバムです。

"Work Of Art" Art Farmer

01-Red Cross
02-You Know I Care
03-(I Got A Woman Crazy For Me) She's Funny That Way
04-Change Partners
05-Summersong
06-Love Walked In
07-One For Sam

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

私が初めて回転寿司を知ったのは1982年、ロスの駐在員になったときでした。ガーデナ市の回転寿司店(東京寿司?)に家族でときどき食べに行ったことを覚えています。娘がいくらやウニなど高めの寿司を食べ、息子がきゅうり巻きやおしんこ巻きなど安価なものばかり食べるので兄弟でもずいぶん違うなあと思ったものでした。
5月2日の夜、回転寿司店に行きました。回転寿司は相変わらず人気で家族連れでいっぱいでした。ひさしぶりに行ったのですが、ネタがちょっと小さくなっているような気がしました。今回は好奇心で初めての経験をしました。寿司とは関係なさそうなラーメンを食べました。小さなサイズなのでちょっとだけ食べたい人には好評なようです。

連休中、孫を朝から面倒見ましたが思った通り外に連れて行ったらはしゃぎまくり追いかけるのが大変でした。遊び方も変わってきたことにも気づかされます。一日があっという間に過ぎます。
《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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Zakkaya Weekly No.1043

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com