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1042号

 

NO.1042        Ryo Onishi              5/1/2016

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雑貨屋のひとり言

今日から5月ですね。気が付いたら5月になっていたという感じです。日本中がちょっとゆるくなるゴールデンウィークに突入しましたが熊本や大分ではまだまだ余震が続いていて、ゴールデンウィークどころではないと思います。気がかりなのは住民の方の気持ちです。素晴らしい故郷でゆったりと暮らしていたのに突然の地震で大事なものを失くして、この先どうしたらいいか途方にくれていると思うと心が痛みます。一刻も早い復興をお祈りしています。≪R.O≫

 

春季吟詠大会

今年も恒例である私たちの詩吟流派の春季吟詠大会が4月24日(日)に開催されました。吟詠大会は春・秋の年2回開催され、会場である「ロングビーチ市のハーバー日系人会館」の体育館に普段、小クラスにわかれて練習を続けてきた成果を発表するものです。

以前にも当欄で書きましたが、詩吟とは、漢詩に独自の節をつけて吟ずるもので、数百年の歴史を持つ日本古来の伝統文化です。東洋古今の偉人、賢人や詩仙・詩聖たちの磨きぬいた詩からは品位と人生に対する幾多の教訓を学ぶことができます。

詩吟の一番の魅力はなんといっても高吟することによる爽快感でしょう。丹田(下腹)に力をこめ、思い切り大きな声を出して詩を吟ずる呼吸法は内臓の血液循環を良くし、新陳代謝を高め活力を生むだけでなく、日ごろのストレス解消にも役立ち、心身最高の健康法のひとつといえます。

このところ日本では若者の中に歴史ブーム、漢字ブームが発生したり、日本古来の文化に対する関心が高まっているようです。戦後70年を経て日本の若者たちの間で自国の文化を見直そうとする動きが出てきたからかもしれません。

海外であるこちらの日本人、日系人の間でも現地化の動きと同時に、自分たちのルーツについて関心を持ち始めている若者が、人数は決して多くはありませんが、増加していることも確かです。詩吟のような日本古来の伝統文化が、一部といえども、当地で認識されるのも同じ流れなのかもしれません。当地にも私たちの会派の他、ロサンゼルス周辺に6つの詩吟の会があり、これら7つの会派が「南カリフォルニア詩吟連盟」を形成し、年一度の二世週祭への参加などを通じて活動しています。

詩吟は前記のごとく健康向上に役立ち、その上、歴史とその教訓を知り、一般教養が身につくのだから健康指向・教養指向の現代人にもピッタリな趣味になりうるものです。最近は伴奏付きの詩吟など、カラオケ時代に合わせた工夫もされています。

詩吟本来の基本はきちんと守りながらも、時代の趨勢にも合わせた吟詠形式を工夫してゆけば、若い世代の心を捉えることは確かであり、詩吟の前途は明るいと期待を込めて思っています。

今回の大会では私は吟士の一人として『梅花の詩(本宮三香作)』を吟じました。その時の雄姿(?)の写真を添付します。

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☆梅花の詩  本宮三香作

五辨花開いて 万朶香し
名郷の遺愛 紋章を見る
籬に老木を栽えて流謫を慰め
箙に一枝を挿んで戦場に魁く
窈窕たる美人 夜月に来り
風流の高士 晨霜を踏む
菅公の忠節誰に?って訊ねん
空しく飛梅を憶うて転た断腸

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今回の春季吟詠大会には当地の日刊新聞で、海外最大級の日系新聞である「羅府新報」が取材に訪れてくれました。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


一匹と二人になった子の巣立ち

夫婦喧嘩も年金の枠内で

柔がよく剛を制して妻の勝ち

サラ川に苦笑し合って夫婦です

ケーキより団子モナリザより女房


( ニュースやぶにらみ )


「なでしこ」

若い芽をのばしたいー高倉新監督

「迷子」

私の行くとこどこでしょう −聖火台

「法令違反はしていない」

別荘も小菅ではありません −舛添都知事

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(423)「憲法記念日に、改めて自衛隊を考える」

2011年3月11日の東日本大震災以降、昨年9月11日の鬼怒川堤防決壊、そして先ごろの熊本・大分地震まで発生した我が国の地震・風水害・豪雪などの自然災害は85件以上を数えるが、その都度、自衛隊の活動には(被災者及び関係者のみならず)全ての国民が瞠目し、感動と感謝の拍手を送っている。「自衛隊は違憲」などとほざいていたかつての社会党や共産党、それに左翼系の学者や評論家たちは、今、どの面(つら)下げているだろうか?

5月3日の『憲法記念日』に際し、改めて自衛隊を考えようと思う。今更、自衛隊の沿革を辿る必要はないのだが、概要だけはおさらいをしておきたい。1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法(別称マッカーサー憲法)が公布され、翌年(1947年)5月3日に試行、更にその翌年(1948年)5月3日に施行(実施)され、この日を『憲法記念日』(祝日)とした。その憲法内容は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」という3つの柱を持っており、特に憲法第9条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」の部分が“平和憲法”として国際的に評価されて来た。しかし、間もなく朝鮮戦争が勃発(1950年6月25日〜1953年7月27日休戦、現在なお南北朝鮮は休戦中)、その朝鮮戦争が引き金になって(か、どうか定かではないが)1950年(昭和25年)7月8日、マッカーサー(連合国軍最高司令官)は日本政府(吉田茂内閣)に対し「日本警察力の増強に関する書簡」(日本国内を日本自身で防衛する手段)を提示し『警察予備隊』が設置された。翌年(1951年)9月8日サンフランシスコ平和条約調印、翌年(1952年)の発効によって日本国は主権を回復、それを機に吉田首相は(日本への外敵による直接・間接の侵略に備え、自国防衛のために自らの責任を負うため)1952年10月15日に『警察予備隊』を改編して『保安隊』を発足させた。これが現在の陸上自衛隊の全身である。

1954年(昭和29年)3月、日米相互防衛援助協定(MSA協定)が調印された。これは米国と日本の双方が互いに“軍事的に支援する“ことを決めたもので、具体的には米国が地域の安全保障を維持するために日本国土に米軍を配置することを可能にし、更に日本は自らの防衛に責任を果たすよう義務付けられ”再軍備“することが認められた。憲法第9条で「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」が謳われているのに”再軍備“とは?
戦後、9年も経てば日本の国内事情も世界情勢も大きく変わる。それらを見据えてMSA協定が調印され、日本政府は同年6月、防衛2法(自衛隊法・防衛庁設置法)を成立させて翌月(7月)に陸・海・空の3軍を備えた『自衛隊』が発足したのである。それから歳月は半世紀以上を経た。当然、日本を取り巻く国際環境は想像以上に大きく変化した。防衛問題では中国・ロシア・北朝鮮が狡猾な戦略で日本の隙を窺っている。そんな状況下で日本の防衛問題はこれまでにない危機感をもって対処しなければならない事態になっていることを政治家もマスコミも国民も一様に認識しなければならないのだが、長年の“平和ボケ”が染み付いている輩(やから)が依然として「軍事力を持たないことが、平和への道」と“逃げ腰発言”をして周辺の危険国を喜ばせている。とんでもない錯覚だ。彼らはカビの生えたイデオロギーから脱皮して日米安保に基づく米軍の(あまり、当てにならなくなった)防衛協力、日本独自の相応の軍事力が“制止力”となっている現実を直視すべきだ。今後、自衛隊の存在とその任務は、ますます重要になって来ること必定である。

『自衛隊の任務』の第1は『防衛』――日本国民・領土・領海・領空を(外敵の侵略から)守る。侵略を受けないためには普段からの平和外交努力が大切だが、世界の常識(国際ルール)や人道を逸脱する野蛮国からの侵略に対処するため、自衛隊は必要軍事装備を整え、訓練しておかなければならない。ここで問題になるのが『武力の行使』である。個別的自衛権は「外国からの侵害に対して自国を防衛するために緊急の必要がある場合、武力をもって反撃することは国際法上、認められている権利である」のだが、現行法では“武器使用”に制約があり、自衛隊員たちは手足を縛られたまま危険な任務に立ち向かわなければならない。相手が撃って来たら撃ち返す?それでは遅い。先に撃たれて死んだら撃ち返すことは出来まいに・・・『自衛権』では“個別的自衛権”のほかに国連憲章第51条には“集団的自衛権”も規定されているが、この問題については過去2回吼えたので割愛する。

『災害派遣』――言うまでもなく、地震・風水害・雪害などの自然災害、その他、テロ事件などが起きた際、国民の人命、財産を守るための救助活動、復旧活動を行なう。これは冒頭に述べた通り、全ての国民が“頭が下がる”思いで自衛隊を歓迎している。

『国際平和協力活動』――我が国は、国際の平和と安全のための協力を積極的に進めており、PKO(国連平和維持活動)や多国籍軍(国連安全保障理事会などの国際合意に基づく複数国の軍隊)への協力、緊急人道支援、復旧復興支援などさまざまな形(道路・病院・学校・水・電気・ガスなどの復旧・整備など)、これまでに23カ国の人道的救援活動を行なって来た。自衛隊の礼儀正しさ、丁寧で几帳面な仕事ぶり、その技術の確かさなど、今まで関わって来た国々から絶大な信頼と尊敬を受けていることは多弁を要しない。

『自衛隊を考える』――まだまだ論じたいことは沢山あるがスペースの関係で1つだけ提言したい。それは憲法第9条の改正である。いや、“改正”ではなく“修正”の方がいい。はっきり言って翁は自国防衛以外の“積極的戦闘行為(戦争)”や“積極的海外紛争参加(海外派兵)”は絶対反対。つまり戦後の“平和憲法”の基本理念を堅持、その上で現実に即した“第9条の修正”――翁が考える文言は「日本は主権国家として国連が定める個別的自衛権に基づき交戦権を有する。但し、その行為は、日本の領土・領海・領空、及び日本人の生命・財産が脅かされる危険事態に限定するものとし、広くは国際平和への貢献を目指す」――その具体的な内容はいずれかの機会に・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

4月の花と柚子

日本の連休、ゴールデンウィークの今頃の季節になるとLAの街の街路樹には紫のジャカランタの花が満開になる。この花が咲く頃になると今は亡き祖母と祖父がLAを訪れた頃を思い出す。祖母は淡い紫色が好きだったので、このジャカランタの花がお気に入りだった。6月に咲く紫陽花の花も祖母の大好きな花だった。今回LAを発つ数日前にふと庭を見ると一足先に紫陽花の花が咲いているのに気が付いた。日本では桜が終わって今はどんな花が咲いているのだろうと思っていたら、ちょうどツツジが満開であちこちに赤やピンクの花が街を華やかに染めていた。このツツジが終わると今度はアヤメや枝垂れ藤のシーズンになる。そう言えば先月にはこの枝垂れ藤もトーランスの公園や日系人の方の庭ではちょうど見ごろを迎えていた。
 

ところで今回も日本に帰る前にハウスオーナーの人から自分の畑で出来た柚子と大根の加工食品を頂いた。柚子は黄色になる前の青柚子を使い、そこに塩とセラノチリを入れて柚子胡椒にしたものだ。いたってシンプルだけれど、ふんだんに柚子が使われていて香が強い。余計な調味料は一切入っていないのがいい。これを焼き鳥に付けると最高に美味しい。大根は生を千切りにした後カリフォルニアのサンサンと降り注ぐ太陽でカラカラに干して作った切干大根だ。母はこの切干大根が大好きでコトコトゆっくり長く炊いてふっくら柔らかく美味しく煮て料理する。残念ながら殆どのアメリカ人はこの大根の調理した匂いが好きではない人が多い。大根はともかくとして柚子の方はだんだんポピュラーになってきてヨーロッパでも柚子を料理に使うシェフもだいぶいるようだ。
今回、イタリア人で、もとフィッシャーマンの友人に柚子を紹介してみた。柚子胡椒と柚子味噌の両方を味見してもらったら柚子味噌の方が好きだと言ったのでおすそ分けしたら、とても喜んでくれた。今度LAに戻ったらどんな風に料理してみたのか聞いてみようと思う。時々、外国人のシェフが日本の食材を使って日本人とは全く違う発想と斬新なアイディアで料理を創作していくのを見て感心してしまう事がある。
柚子は食べるだけでなくその独特な香りがいい。同じかんきつ類でもレモンやオレンジやライムとは全く違う。香りの効用も少しずつ違うのだろうと思う。先日またユタに帰った日本の友人に冷凍してあった柚子を数個おすそ分けしたら早速持ち帰って塩麹に漬けたスルメいかの上に柚子の皮を擦って食べたら激ウマだったとメールが来ていた。
柚子の事を書いていたら急に日本産の柚子を試してみたくなった。今日は久しぶりに八百屋さん巡りでもしてみよう。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「ふるさと」

「私たちは無事です」、短いこの一文がどんなにありがたかったことか。4月14日(木)午後9時26分、マグニチュード6.5、震度7。さらに2日後の4月16日午前1時25分、マグニチュード7.3、震度7の本震が、私のふるさと・熊本を襲った。私の実兄家族、娘家族、その他の親族や友人・知人など、その時から“被災者”となり、今も1000回を超える揺れの、真っ只中にある。幾重もの恐怖と不安の重なりあう我がふるさとの人たちは、“負けんばい、熊本”と踏ん張って、今を生きている。

熊本で生まれ育った人の多くは、活火山阿蘇の噴火時に、多少なりとも地震が発生し、鹿児島の桜島程ではないにしても、降灰や震度3レベルの地震には慣れている。また、台風時の大雨による洪水や高潮などにも、体験で得た知恵があり、緊急時災害対策・対応、その訓練なども長けている県民だと思う。しかし、活断層の存在や400年前にさかのぼる過去の大地震については、あまり語り継がれていなかったように思う。少なくとも私は、全く聴いたことがない。熊本気象庁は「予測できない一連の連続地震」と表現した。熊本出身の私は“我がふるさとは大地震とは全く無縁の土地だ”と思い込んでいた。3.11の東日本大震災を東京で体験したので、地震・耐震・発災時の必需品の備え等の対策には、関心が高い。でもそれをふるさとの人々に伝えていたかどうか、今はそれが悔やまれる。

ところで、熊本地震発生後、多くの方々からお見舞いのメールや電話を頂戴した。最初に受け取った安否確認兼お見舞いの電話・メールは、茨城在住のIさんからだった。Iさんは東日本大震災の被災者の一人でもある。嬉しかった、ありがたかった。おりしも熊本大震災の1週間前、ちょうど花吹雪が舞っていた頃、彼は私の健康を案じ、私の自宅(佃)を訪ねてくれた。持参したハーモニカで『ふるさと』を演奏してくれた。今は亡き共通の友人、私の大先輩である三本松さん告別式で演奏された曲。桜並木の美しい、武者返しの石垣上に凛として聳え立つ熊本城、小さいながらも清い湧水を活かした名園・水前寺公園、Iさんが吹く『ふるさと』の、哀感のこもったハーモニカの旋律が私達夫婦を一瞬、熊本へ引き戻してくれたようだった。再び観ることが出来ないかもしれない“ふるさとの歴史の姿”が、そこにはあった。

さて、熊本の友人の中には、家全倒壊でいまだに避難所生活をしている人も多い。つい数日前まで車内に寝泊まりしていた実兄夫婦は、やっと家に戻れた。2歳、5歳、そして9歳のこどもを持つ(熊本在住の私達の)娘は、4月18日から私達と一緒にここ佃に住み、こどもたちは明日から近くの小学校と幼稚園に通う。時折、3人の孫が“地震ごっこ”遊びをするが、カウンセラーのアドバイスを受け、決して叱らないよう、また助長しないようにと務めている。娘と孫たちもようやく地震酔いや恐怖・緊張が和らいできた。東京中央区の被災児童受け入れの素晴らしさと迅速さにも頭がさがる。日本も、熊本も、“負けんばい!”・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

アルバムの演奏時間にはずいぶん幅があるものです。長いのはいいとしても極端に時間の短いアルバムを出す理由は何なのかなと思ってしまいます。
Xアプリに入っているジャズアルバムをチェックすると1時間20分からたった15分というものまであります。今週はゴールデンウィークでたっぷり時間があるので演奏時間が1時間17分のKenny Gの"Greatest Hits"を選びました。時間の長いアルバムはヒット曲やベスト曲を集めたものが多いようです。アルトサックスのさわやかな音色が今の季節にぴったで気分がよくなります。Kenny Gの曲を聴くとロスにいたときのことを思い出します。

"Greatest Hits" Kenny G

01-Songbird
02-Silhouette
03-Forever In Love
04-Everytime I Close My Eyes
05-Sentimental
06-The Moment
07-How Could An Angel Break My Heart
08-Loving You
09-You Send Me
10-Havana
11-By The Time This Night Is Over
12-Baby G
13-Don't Make Me Wait For Love
14-Theme From Dying Young
15-All The Way_One For My Baby (And One More For The Road)
16-My Heart Will Go On
17-Asian Dream

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

ゴールデンウィークは保育園が2日と6日以外は休みなので両方のジージとバーバが交代で孫の面倒を見ることになっています。外でも遊ばせることになりますが好奇心が強く広範囲に動き回るので一日中付き合うと ちょっと疲れますが可愛い孫と一緒に楽しみたいと思います。
6月に待望の二人目の孫(長男夫婦の子供)ができます。孫娘とともに楽しみに待っています。明日は二人目の孫のための買い物を予定しています。

先週開催された関西加州会の集合写真が送られてきましたので、一週間遅れですが掲載します。
《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1042

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com