龍翁余話(403)「オアフ島最古の神殿」
ハワイには、もう何十回と行っているのに、“ハワイ諸島はどうして出来たか”(形成史)、“ハワイアンはどこから来たか”(有史以前のポリネシア人渡来説“、”ハワイの古代史“
などについては、ほとんど学習したことがない。ただ、翁が少しばかり、ハワイについて(知ったかぶりを)話せるとしたら、1795年(日本は寛政7年=江戸開府から192年目)カメハメハ1世がハワイ諸島を統一、ハワイ王朝を築いて以来の近世後半史(江戸時代中期〜幕末)から近代史(明治時代〜1945年の終戦まで、特に日本人移民の歴史)そして現代(1945年以降)についてである。ハワイ王国最後の国王(第8代)リリウオカラニ女王(第7代カラカウア王の妹)の時代に、アメリカ合衆国はハワイの領土化を企み、カメハメハ王朝成立からちょうど100年目の1895年、アメリカ政府はリリウオカラニ女王を(アメリカ統治反対運動首謀者として)逮捕軟禁、これをもって事実上、ハワイ王国は滅亡したことになる。1898年にハワイ準州としてアメリカ合衆国に併合、1900年にアメリカ領となるのだが、ハワイがアメリカ合衆国50番目の州となったのは、つい56年前の(戦後の)1959年(昭和34年)のことである。余談だが、現在でも多くの人に親しまれている名曲『アロハ・オエ』は、リリウオカラニ女王の作詞・作曲によるもの。女王は逮捕・軟禁させられてから22年目の1917年、多くのハワイ人に敬愛され、惜しまれながら79歳でこの世を去った。カラカウア王、リリウオカラニ女王については、いずれかの機会に詳しく書きたい。二人とも“親日家”として知られた国王であったから・・・
さて、このたび翁、初めて“ハワイの古代”に近づこうと『オアフ島最古の神殿』を訪ねた。その名を『ウルポ・ヘイアウ』と言う。ワイキキから車で北東の海岸線(72号線)、ココヘッド、ハナウマ・ベイ、ハワイ・カイ、シーライフ・パーク、ワイマナロ湾を経て、近年、観光客に脚光を浴びているカイルアの町へ。翁、カイルアが詳しくないので現地の友人ロビン君に案内をして貰った。中心地からやや離れた住宅街にある教会とYMCAの共同駐車場に車を止めて少し歩いた所に『ハワイ州立公園ウルポ・ヘイアウ史跡』がある。
その“聖地”に足を踏み入れた途端、異様な雰囲気を感じる。(前述のように)ハワイの古代史に疎い翁には、そこはまさに“古代”。神殿跡の石垣の脇に建てられている説明板によると、5世紀ごろ、伝説の民(メネフネ)数万人が、ここから16kmも離れたノースショア方面のクアロア(翁が、たまに乗馬を楽しむクアロア牧場一帯)から石を運んで、一晩で建立した、とある。“一夜城”と言えば、豊臣秀吉の墨俣城(すのまたじょう=大垣)や石垣山城(小田原)が有名だが、事実は一晩で完成させたものではない。ところが、ここ『ウルポ・ヘイアウ』は(数万人の人手で)本当に一日一晩で造り上げたと書かれている。故に『ウルポ・ヘイアウ』は“一夜の閃きで造った神殿(寺院)”と言う意味だそうだ。
翁とロビン君の2人きりで静寂に包まれた“古代”の雰囲気に浸っていると、そこへ突然、薄汚い衣をまとった、髭もじゃの男が現れた。“聖地の案内人・ケント”を自称する老人だ。「身なりこそ貧しいが、彼は、かなりの知識人のようだ」と通訳してくれたロビン君は感心する。それでは早速その知識人・ケントさんの話をまとめてみよう。
このヘイアウ(神殿)は北極星に向けて建てられていた。その理由は(想像するに)北極星は(日周運動で)ほとんど動かず、いつも、ほぼ真北に見えることから神(王)の存在の不動性・絶対性を象徴していたのではないか。神殿の規模は長さ42m、幅54m、石垣の高さ9m。北側の湿地帯は、かつては入り江になっていて漁の出入口(漁港)、また周辺の沼地ではタロイモ等栽培の農地が広がり、今でもバナナの木やティ・リーフ(お供え物などを包む葉っぱ、日本の笹の葉に該当する)が神殿を取り囲むように随所に生い茂っている。このような環境から、神殿は豊漁・豊作祈願祭をはじめ、生贄(野豚)を捧げる儀式、また高貴な婦人の出産所としても使われていたと、と伝えられている。現在、神殿を守る有志(ハワイアン)によって年に数回、“先祖の供養祭”が行なわれているそうだ(写真右)。最後にケントさんは(翁に向かって)言った「この神殿跡に上がって歩けるのはハワイアンだけ。ハワイアン以外のアメリカ国民、外国人は入れない」翁が石垣の上を歩き回って写真を撮っていたのをケントさんは見ていたのだろう。翁は素直に「アイム・ソーリー」。
ほんの少しハワイ古代史に接しただけだが翁、ふと思った「古代人の知的能力や精神性、人間性は現代人より優れていたのではないか」と。彼らには一般的に超能力が備わっており自然と人間の調和を保ちながら常に知恵を出し合い、人間的な生活をしていた。現代人は“自然への畏敬と感謝の心”を忘れ、コンピュータに頼り過ぎて“考えること”(思考力)、“人を思うこと”(人間性)から遠ざかり、思い上がりの精神だけを増幅させた。(極端かも知れないが)そんな反省と“古代人に学ぶ心”に芽生えたのが『オアフ島最古の神殿・ウルポ・ヘイアウ』探訪の収穫であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |