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1021号
 

NO.1021        Ryo Onishi              12/6/2015

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雑貨屋のひとり言

スポーツジムは元気な中高年でにぎわっています。みなさんエネルギッシュで楽しそうです。肩凝りや腰痛でマッサージに何度通っても、病院で毎回シップ薬をもらって貼っても一時的には和らぎますが、すぐに元に戻ってしまいます。私はヨガを始めてからマッサージも湿布薬もお世話になっていません。スポーツジムに投資するほうが、これから先のことを考えても経済的なのではないかと思っています。医療費を削減する一案として高齢者には奨励金を出してスポーツジムに行けるようにしてあげたらどうでしょうか?≪R.O≫

 

年末スタート

早いもので2015年も最後の月になりました。あと4週間ほどで今年も終わりです。激動する時代の、厳しい環境に適応して生存するだけでも大変な時に、私はなんとか1年を過ごすことが出来そうで、今年の締めくくりや、来年の予定、予想を思いめぐらすことが出来る今を感謝しつゝ生きています。

今年のはじめ、私は体調があまり思わしくなかったこともあり、月の変わり目にカレンダーをめくりながら、「このカレンダーの最後まで(12月まで)自分は使い切れるのか?」との思いに囚われたりしました。こんな何でもない時にふと自分の寿命について思いをよせるなど、年寄りじみた発想に自分でも驚いたものでした。

そのカレンダーが今まさに12月にまで達し、私は今年最後のページまですべて無事使い切ることが出来そうです。その間、妻の徹底指導のもと、酒と美食を断ち、高血糖、高血圧などに対する体調管理に徹し、リハビリ・ジムへ精勤しました。

 さて、ことし一年を振り返り、世界の激変も大きかったようですが、特に日本の世界への位置づけが歴史的な大変動した年であったといえるのではないでしょうか。

日本全体では、ここ何年も“動かない政治”といわれてきたものが一気に大きく動いた感じです。戦後一貫して守り通してきた日本の世界に対する立ち位置である平和憲法のもとでの自衛権のありかたに変化の方向付けがなされたのは、まさに日本の歴史が大きな変換点にさしかかったとみるべきでしょう。

集団的自衛権の行使容認に関しての法的整備はこれからですが、行使容認への閣議決定が行われた事実は大きく、後世の日本の歴史書や歴史年表に2015年が第二次大戦後の日本の歴史の転換点だったことが大きく取り上げていることになるでしょう。

この結果、日本はこれまで貫いてきた“平和主義”から一歩踏み出し、安倍内閣は“積極的平和主義”へと軸を変えることとなりました。安倍内閣のいう“積極的平和主義”の考え方について、第二次安倍内閣の『国家安全保障戦略』の一部を抜粋すると、次のとおりです。

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現在、我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増していることや、我が国が複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面していることに鑑みれば、国際協調主義の観点からも、より積極的な対応が不可欠となっている。我が国の平和と安全は我が国一国では確保できず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で、国際社会の平和と安定のため一層積極的な役割を果たすことを期待している。

 これらを踏まえ、我が国は、今後の安全保障環境の下で、平和国家としての歩みを引き続き堅持し、また、国際政治経済の主要プレーヤーとして、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、我が国の安全 及びアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していく。このことこそが、我が国が掲げるべき国家安全保障の基本理念である。
*****************

上記の考え方からこれまで日本国憲法の制約のもとでは行使不可とされてきた集団的自衛権の行使、さらには武器輸出の禁止などが憲法の解釈の変更で可能にしようとなったのです。

私は現在直面する世界の安全保障問題の緊急性にかんがみ、日本国政府の当面の方針には賛同の立場ですが、でも、現行憲法の解釈変更だけで、国家の命運を左右する政策転換にはもろ手をあげて大賛成とはゆかない心境です。日本国の命運のかかったテーマだからこそ国民の納得が欠かせない重大問題です。政府による国民への丁寧な説明を求めたく希望すると同時に、国民の同意を得て必要な憲法改正をするべきではないでしょうか。 

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


息抜きの碁も定石の几帳面

茶柱が今日の予定をヨイショする

吉と出た賭け年金がふん切れず

苦は楽の種その種が多すぎる

漢字変換さて悠々か憂々か


( ニュースやぶにらみ )


「ハヤブサ2、りゅうぐうへ」

乙姫様によろしく −浦島太郎

「年金運用損7.9兆円」

どうってことないよ −千兆円の赤字国債

「格差社会」

違憲状態は他にも −一票の格差


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(402)「クリスティ・ヤマグチ、フィギュアスケート・ショー」

翁は、スピードスケート、ショートトラック、フィギュアスケートを問わず、氷上の競技にはあまり興味を持っていなかった。それでも、たまにテレビで視るオリンピックや世界選手権での一流選手のスケーティングには(スケート音痴の翁でも)ハラハラ、ドキドキ、そして感動させられることもあるが、数時間も粘ってテレビにかじりつくとか、深夜でも目をこすりながら視るとか、あるいは録画するとか、そこまでして“観たい競技”ではなかった。

先日、ハワイ・ホノルルへ行った時、たまたま『クリスティ・ヤマグチ、フィギュアスケート・ショー(チャリティ)』を観る機会があった。翁が足を運んだ目的は“スケート”を楽しみに、と言うより、子供の教育や社会奉仕活動を行なう『オールウエイズ・ドリーム・ファンデーション』の主宰者クリスティ・ヤマグチが、どんなメッセージを発するか、それを聴きたかったのだ。『ファンデーション』については後ほど述べることにして、まずはフィギュアスケート・ショーから。

伝説のフィギュアスケーター、クリスティ・ヤマグチ(米国:1992年アルベールビル五輪の金メダリスト、その時の第2位が伊藤みどり)とブライアン・ボイタノ(米国:1988年カルガリー五輪の金メダリスト)を筆頭に、エカテリーナ・ゴルデーワ(旧ソ連:1988年カルガリー五輪、1994年リレハンメル五輪ペア金メダリスト、カート・ブラウニング(カナダ:1989年、90年、91年、93年世界フィギュアスケート選手権優勝、国際スケート連盟公式戦で初めて4回転4回転トウルーブを成功さ   (10歳の次女と共演 写真右)
せた選手)、そして日本から荒川静香、安藤美姫、佐藤有香(1993年、94年全日本選手権優勝、1994年世界選手権優勝、浅田真央のコーチ佐藤信夫の娘)、本田武史(1999年四大陸選手権優勝)らの名演技が満場の拍手を浴びたことは言うまでもなく、いかなスケート音痴の翁も華麗なる“氷上の芸術”に陶酔させられた。(解説と写真は当日販売のパンフより)

荒川静香 安藤美姫 佐藤有香 本田武史

さて、ショーの開演に先立ちクリスティ・ヤマグチは『オールウエイズ・ドリーム・ファンデーション』について、こう語った。「未来を担う子供たちに、読む・書く・描く機会を与え困っている人たちに手を差しのべる活動に皆様のご理解ご協力をいただきたい」――クリスティ・ヤマグチは(ご承知のように)米国カリフォルニア州生まれの日系3世。それだけに、彼女はことのほか“日本への思い”が強い。その具体的な例(行動)が見られたのが、未曽有の大悲劇『東日本大震災』が起きた2011年3月11日からわずか7か月後、まだ地震・津波の爪跡が生々しく、福島原発事故による危険が懸念されている最中の10月24日、世界のどの国の民間人・民間団体よりもいち早く被災地を慰問した。それは米国本土やハワイの日系人コミュニティからの要請もあったが、一番の動機は(前述の)子供の教育や社会奉仕活動を行なう『オールウエイズ・ドリーム』の精神によるものだった。

その東北慰問団は『プロジェクト・アロハ』と呼ばれ、クリスティ・ヤマグチと、プロジェクトの趣旨に賛同した高見山(ハワイ・マウイ島出身、元関脇、引退後は年寄・東関、2009年日本相撲協会を定年退職後、日本とハワイの文化交流に努めている)が共同慰問団長を務めた。カリフォルニアからはクリスティ団長以下、日本文化コミュニティ・センター事務局長、弁護士、元アイスホッケー選手、ライオンズクラブ役員、それにクリスティの姉ロリ・ヤマグチ(オールウエイズ事務局長)ら7人のほか、ロサンゼルスの大学生20人が参加。ハワイからは高見山団長以下、ホノルル商工会議所会頭、ミュージシャン、ファミリー・バンド(マノアDNA)、プロ・ダンサーなど11人が福島(いわき市)、気仙沼、仙台、石巻を訪問して、それぞれ地元の人と一緒になって残骸の片づけを手伝ったり、音楽や食事を提供したり、被災者の悩みを聴いてあげたりなど、数千人との交流を深めた。翁、この記録ビデオをホノルルの友人宅で見せて貰った。親や子を失った遺族の悲しみ、土地や家屋を失った被災者の苦痛の叫び、そしてクリスティたちの“温か訪問”を受けた被災者たちの喜びの涙が翁の胸を打つ。「目の当たりにする現実の厳しさ悲惨さは、新聞記事やテレビ報道のアナウンスメントをはるかに超え、心が痛む。私たち米国の日系人社会が、いかに被災者の皆さんに心を寄せているかをお伝えしたい」ビデオカメラの前で語るクリスティ・ヤマグチの言葉が実に重かった。ところで今の被災地の復旧・復興状況は?

道路や施設、交通などのインフラ面の復旧は比較的早く進められたが、行方不明者の捜索が困難を極め(いまだ2633人)、住環境の整備が依然遅れている。今年3月現在、死者1万5884人、避難生活者26万7419人、仮設住宅生活者10万2650人(復興庁調べ)・・・「 福島の復興なくして東北の復興も日本の再生もない」の安倍首相の演説が実現するのはいつの日か――それにしても翁のフィギュアスケート観に少しばかり変化が生じたようだ。翁のような古風な老人があの観客席に座っている様は何とも“場違い”に思えるが、機会があればナマでもう一度観たい、それほどに魅力を覚えた『クリスティ・ヤマグチ、フィギュアスケート・ショー(チャリティ)』だった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

お野菜の保存

何となく知っているつもりでも改めて調べてみると知らなかった情報も、たくさんあるものだ。今後の為にも役立つので、お野菜の保存方について、おさらいをしてみる事にした。まず冷蔵庫に保存して立てて保存した方がいいお野菜は大根、カブ、セロリ(葉と茎を切り分けてから)ホウレンソウ、小松菜、白菜、春菊、みず菜などの葉物類(根を軽く洗って水につけてから)は軽く湿らせたキッチンペイパーか新聞紙に包んでポリ袋に入れる。キュウリ、人参、ネギ、アスパラガス(ポリ袋かラップに包んで保存)ごぼう(洗ったものはポリ袋で立てて冷蔵保存、土付は常温で新聞紙に包んで立てて保存、れんこん(湿らせた新聞紙で冷蔵保存)じゃがいも、サトイモ、さつまいも、山芋は紙袋に入れるか新聞紙で包んで常温保存)カットした場合はポリ袋で冷蔵保存。
ここからは立てても横でもどちらでもいいお野菜
ナスの場合はヘタが大事だそうでヘタを包むと保存日数が倍になるらしい(キッチンペイパーか新聞紙に包んで穴のあいたポリ袋で保存)キャベツ、レタス(芯の部分をくり抜いて水を含ませたキッチンペイパーを詰めてポリ袋)トマト(1個ずつキッチンペイパーで包んでヘタを下にしてポリ袋に入れる)ブロッコリー、カリフラワー(茎を下にしてポリ袋)ピーマン(ポリ袋)ゴーヤ、かぼちゃ(種とワタをとって水洗いしないでラップ保存)オクラ(ポリ袋)アボガド(固い場合は袋に入れて常温、熟した場合は冷蔵庫)さやいんげん (湿らせたキッチンペイパーか新聞で包みラップ)枝豆(枝付は新聞紙に包んで冷蔵庫)もやし(タッパーにヒタヒタの水を入れて保存)生姜(よく乾かしてからラップに包む)
冷凍庫で保存ーしいたけ(石ずきをとってポリ袋)トマト(使い切れなかったらスープ用として冷凍庫)もやし(調理の直前まで冷凍庫に入れて保存)
吊るすー玉ねぎ、にんにく(風通しのいい場所でネットやいらなくなったストッキングに入れる)その他、私が日頃使っている緑のポリ袋も野菜や果物の鮮度が長持ちするので便利に使っている。このポリ袋は野菜や果物が発生させる老化促進ホルモンやエチレンガスを吸収浸透させて鮮度を保つのだそうだ。 将来人間にも使えるような鮮度保持効果、老化防止効果のある衣服や寝具が出てきたらいいのだけれど…
茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言「再会そのA  みんなの手」

その電話は突然だった。今から3年ほど前、2012年のこと。「さくら先生、“やすし”です。お久しぶりです、覚えていらっしゃいますか?お会いしたいのですが、先生のお宅に遊びに行ってもいいですか。」耳を疑った。全く聴き覚えのない声だったから。でも名前を聴いて、直ぐに思い出し、再会の約束をした。“やすし”は教え子、私が新任教諭として赴任した小学校で受け持った5年生、その24児童のひとり。驚いた、感激した。こんな再会があることを、誰が想像できただろう。私の心は桜吹雪・・・そういえば、彼ら教え子たちと別れた日も、桜花が舞っていた。あれからすでに、35年もの月日が流れていたのだった。

“やすし”たち24名は、校内きってのやんちゃ(問題児)揃いで有名、加えて私は、大学出たての右も左もわからない型破り(はちゃめちゃ)の新米教師。そんな私たちに、様々なドラマが生まれたのは言うまでもない。そのほんの一部を、雑貨屋142号「アラレ先生奮闘記・チャッチャクチャラ」、143号「アラレ先生奮闘記・奇跡のスイカ」、そして144号「アラレ先生奮闘記・みみずとおちんちん」でも紹介したことがある。だが、彼らが小学校卒業と当時に、私は思うところがあって、熊本県の教員を辞め、福岡の大学院へ戻り、修了後、再び高校教師となった。その数年後には、比較教育学の博士号学位を取るべく渡米したが、マスターで断念。いずれもそれは、“やすし”達にとっても、周りの人たちにとっても、あまりにも突然の“びっくりポン”、そして大きなショックを与えたらしい。彼らにとって私の“思うところ”というのは、未知の希望やワンダーでもあったという。そして今から3年前、我が家の玄関に“やすし”が立った時、私は35年という歳月の早さと重さを痛感させられることとなった。今の彼は、日本国を背負う重要な仕事に就いていた。もちろん、素晴らしい家庭も、築いていた。そんな彼が、“やんちゃ時代”と全く変わらない笑みを浮かべ、私に飛び込んできてくれた。夢に見るような再会の瞬間、私は喜びの血潮が体中に湧き起こる思いがした。生きているって素晴らしいっと、心の底から実感した。

この“やすし”は、3年前から幾度となく、我が家を訪ねてくれている。しかも泊まりがけで。「また来ちゃいました!」っとニヤリ、時には独りで、時には彼の娘3人を連れて。私の健康を案じたり、自分の憩いや指針を求めたり、娘たちに何かを伝えようとしたりしながら、我が家に数日間滞在する。彼は高校時代に、1年留年してまでも米国留学を敢行したこと、大学卒業後に一般企業へ就職したが辞職、その後、“思うところ”があって国家公務員となり、今は最先端で“日本国を守る“ための指導・仕様書作成などの任務に就いていることなどを話してくれた。聴きながら私は、人知れぬ努力と苦労があったことと察した。でも彼は言う、「もし”さくら先生“が教師を辞めなかったら、もし“さくら先生”が渡米することがなかったら、自分(やすし)は、アメリカという国にも、何かにチャレンジするために何かを(会社勤めを)潔く辞めて今の任務につくこともしなかった、私は小学校5年生の時から“さくら先生”の影響を大きく受け、大きく変わった。だからこれからも”さくら先生“の影響を受け続けたいと思っている」と。私の口は、アングリと、大きく開いたままだった。高層ビル34階に住む私は、地下数メートルの岩盤に至るまで穴を掘って入りたいと思ったほど、恥ずかしかった。だって私は、そんな立派な教師ではなかったから。そんな“やすし”が我が家に来ると、きまって祝杯をあげる。その度に、今や40代半ばになった彼が小学校5年生の時に教室で歌った歌を“さくら先生と一緒に歌った歌”といって歌いだし、しまいには50代半ばになった私と合唱する、今や35年の時を超えて――♪ひとりの小さな手、何もできないけど、それでもみんなの手と手を合わせれば、何かできる、何かできる・・・♪〜ともだち、愛の形、幸せ一人ひとり、互いに手を取り合い、あしたを語り合おう♪・・・「いい歌だね」といいながら。35年前の私たちの教室では、毎朝、授業開始前と下校前に、教科書に載っていない歌、フォークソングなど様々な歌を歌った。そして“やすし”は言った、「“いしころ”を思い出します」“いしころ”とは、私が教壇に立った日から毎週1回、手書きで出していた学級通信のタイトル。まさに、このZAKKAYA WEEKLYのように、毎週欠かさず出していた(書いていた)。『道端の小さな石ころは、よほどの事がない限り人の手に触れたり大切にされたりすることはない。蹴られても投げられても、じっと耐えている。でも、いつも石ころは大切なことを叫んでいる。その叫びを聴き洩らさない私たちでいたい』という願いから“いしころ”と名づけ、ただただ書き、そして発行し続けた学級通信。気が付いたら“いしころ”は、いつの間にか児童の家庭・家族を超えた町中の“瓦版”になっていた。最終46号は、教室にいつも張ってあった広用紙、それは前述の歌詞、その上に生徒自身の手形と寄せ書きの写真だった。“いしころ”の手書き原本46枚は、今も私の手元にあり、これは日本からアメリカ、そしてまた日本へと、私とともに旅をした。“やすし”たちは毎年5年おきに同窓会をしているそうだが、この学級通信“いしころ”をもとに、35年振りに“さくらの集い(再会)”を企画しているという。「35年前のいしころが、叫んでいるんですよ」と、“やすし”は言う。石ころ(いしころ)が、コロコロと、音を立てて生きているように感じる。

さて“やすし”の任務は、時折、国内外のメディアで大きく報道されるものだが、だからと言って彼は、気負うことなく自慢することなく、彼は彼、35年前の彼のまま。しかし当然ながら彼の体躯や志は、当時をはるかに超える大きさに成長し、日本魂のサムライを思わせる逞しさ、頼もしさ。私は思う“彼らこそ日本の誇り、私の誇りなのだ”と。彼に接しながら私は、君が代の“さざれいしのいわおとなりて”を想起した。そして、何かを創り出すであろう彼の手と、彼を取り巻くみんなの手を信じて、今後の日本に期待と希望を持とうと思う。日本の未来を語り合えるって、なんと素晴らしことだろう・・・っと呟く、さくらの独り言。

 

 

 

 

   

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

楽天のCDレンタルをフル活用しています。TSUTAYAのお店で探すワクワク感はなくなりましたが、その代わりネットで時間をかけて、新しいアーティストのアルバムを見つけることができるのでうれしい限りです。注文してから届くまでのワクワク感も楽しんでいます。一回に20枚もレンタルするので、聴くのがちょっと追いついていません。
今週はBill Charlap Trioのアルバム"I'm Old Fashioned"を選びました。
トリオですがピアノの音が目立つのでソロピアノのアルバムなのかと思ってしまいました。ピアノトリオはピアノ、ベース、ドラムが一般的ですが、このトリオはピアノ、ギター、ベースの構成になっています。透き通ったピアノの音が耳に心地よい素晴らしいアルバムです。

"I'm Old Fashoned" Bill Charlap Trio

01-I'm Old Fashioned
02-I Can't Get Started
03-Stella By Starlight
04-Ghost Of A Chance
05-All The Things You Are
06-Easy Living
07-Darn That Dream
08-Angel Eyes
09-What Is This Thing Called Love
10-Body And Soul
11-Gone With The Wind
12-Everything Happens To Me
13-These Foolish Things

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

地球温暖化が世界中で異常気象を招き、水不足や食糧不足が民族の紛争にまで発展しています。そしてこういう背景からテロが生まれているところがあります。この中に日本が支援するためのキーワードがあるように思います。
私たちが望む支援は軍事支援ではなく日本が持つ経験や技術を地球温暖化防止のため、食料不足、病気などを抜本的に解決するための支援だと思います。
《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1021

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com