weekly

1019号
 

NO.1019        Ryo Onishi              11/22/2015

 weekly
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雑貨屋のひとり言

先々週、ロス駐在時に知り合ったMさんからメールをいただきました。15年くらい前にお会いして以来だったのでとても懐かしく思いました。私のことを思い出していただき雑貨屋と大西で検索して雑貨屋ホームページを見つけ出してくれました。雑貨屋を続けていてよかったと思う瞬間でした。とてもうれしいことです。≪R.O≫

 

引退日本人H氏の旅(10)、
車の運転中、方向指示器を出さないアメリカ人が多い

 ――― 前号からの続き ―――
「ロサンゼルスの道路で気になるのだけれど、こちらでは道路を運転する車、特に一般乗用車のドライバーは左折や右折、または車線変更時にウインカーを出さないことが多いね。とても気になったのだけれど・・・」H氏の感想に私も思わず同意していました。

 私も数週間前、前方を走行する乗用車がウインカー(方向指示器、a traffic indicator、a turn signal)を出さずに何度も車線変更を繰り返し、挙句の果てに割り込んだ車線で乗用車と接触事故をおこしたのを目撃しました。また、数日前には、我が家に近い交差点で乗用車同士の衝突事故があり、これも車線変更とウインカー操作ミスによる事故だったそうです。この車のドライバーも普段からウインカーの操作の習慣がなく、また車線変更時の危険に関する認識の乏しい人なのでしょう。

 私は最近、あまり遠距離ドライブをしないので、自分で確かめてはいませんが、知人たちの話から類推しても全米一般にこの傾向がみられそうです。少なくとも近隣を走っている限り、使うべき時にウインカーを使わないドライバーが多いことは確かで気になります。

当地で運転免許証を取得する試験では車線変更時などでのウインカー操作について厳しく出題されているし、実技テストでも同様です。

最近、青色矢印のある交差点が多くなり、対向車や、前方車は矢印にしたがって走ればよいですが、それでも曲がるときはウインカーを出すのがルールであり、マナーというものです。交差点の赤信号で停車中、信号が青に変わっても同時に発信した対向の車がウインカーの表示なしで左(右)折されると恐怖すら覚えます。

交差点で信号待ちの歩行者にとっても曲がるのか直進なのかわからなければ対応に困るでしょう。

どんな車両にもウインカーが必ず装備されています。使うためのルールやマナーは明確です。私たちがドライバーの席に座ったら、歩行者と周囲の車両に対する迷惑行為とならないよう、ウインカーは正しく使うことにしましょう。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


七坂を越えその先の男坂

自適とは行かず余白にまたト書き

かと言ってハイドになれるわけでなし

関節はまだ錆びてないマイペース

自己流を踊ろう電池切れるまで


( ニュースやぶにらみ )


「北の湖理事長死去」

日本人横綱もいたんだ ―平成っ子

「解禁」

先ずテロ被害者に献杯 −ボージョレヌーボ

「逆転負け」

韓国にも五郎丸がいた −侍ジャパン


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(102)-最終回
*千駄木、あの人この人 A
団子坂を下ってすぐ左側に続く石垣が岡田銀行頭取邸跡で、今は東洋大学国際会館になっています。
坂を下りきる手前の狭い路地を左折した少し先が、明治42年若き野間清治が「大日本雄辨会」の看板を掲げた講談社発祥の地です。その隣には大聖寺藩の屋敷の庭園が須藤公園として開放されています。
団子坂上に戻ります。坂上交差点を北方向に左折した先に、安田財閥三代目の安田楠雄邸が現存しています。その一軒おいた先に宮本百合子が少女期を過ごし、宮本顕治、百合子が晩年を過ごした実家跡があります。父親は建築家の中條精一郎(慶大美術館―重要文化財等)で、今はあずき色の門柱だけが残っています。安田邸の裏が高村光雲邸(改築現存)。宮本邸跡の前の坂が大給坂で旧大名の大給子爵邸があり、昭和になって、この屋敷を三木証券の鈴木三樹之助が譲り受け、戦後その女婿で大蔵官僚だった大平正芳(元首相)が住みました。大給家がこの家を手放す際に、「何があってもこの銀杏の木だけは残して欲しい」と伝え、後に大平家が世田谷区へ転居するとき、銀杏の木のある一角を文京区に児童公園として寄付し、公園の片隅で大平銀杏として平成の子どもたちを見守っています。そのすぐ近くに画家の児玉希望邸。今その跡に民家が建ち並んでいますが、縄文杉の一枚板を割った、左右対称の門だけは残されています。そこを下ったところに戦前、戦中の一時期、サザエさんの長谷川町子が。戦後、その跡地を講談師の宝井馬琴が譲り受けて総檜造りの邸宅を建て、近所の人からバッキンガム宮殿ならぬ馬琴ガム宮殿と呼ばれていました。
坂を戻って中條邸の前を真っすぐ行くと、高村光太郎と智恵子の住居跡、この光太郎の家は、この地の植木職、大蔵家の借地で、その敷地には、皇居前の楠正成像の乗馬、上野西郷隆盛像の犬等を作った彫刻家の後藤貞行、日本抽象画壇の重鎮灘波田龍起も同時期にいました。その裏の文林中学校は旧大名藤堂子爵の屋敷跡です。長野から上京した10歳代の池田満寿夫もこの近くに下宿をして、ぼさぼさ髪の腰手拭で歩いていたそうです。その裏の方には「早春譜」を作詞した吉丸一昌がいました。
その先が千駄木小学校。水泳の北島康介(越境入学)が卒業しています。小学校の前を更に北へ行くと、動坂の通りに突き当たります。そこを右に曲がったところにあったのが、カフェ「紅禄」。ここは室生犀星を慕って集まり、雑誌「驢馬」を出した窪川鶴次郎、堀辰雄、中野重二などのたまり場になっていました。そこの「女給募集」のビラを見て飛び込んできたのが若い日の佐多稲子でした。 作家佐多稲子の出発点です。動坂を左に曲がったところに居たのは戦後最大の思想家と言われている吉本隆明で、娘のよしもとばななはここで生まれ育っています。昭和落語の名人五代目古今亭志ん生も戦後この近くで借家住まい。次男の志ん朝は千駄木小卒です。その少し西方向に当時新進気鋭の歌人 詩人だった北原白秋が(大正初期)。そこを南に歩くと漫画家の横山泰三、時事漫画の近藤日出造が。そして戦後ブームを呼んだ漫画「少年ケニヤ」を山川惣治が画いてたのも、この近くの鶴の湯(現存)の傍です。さらに南に歩くと駒込学園(句会場)に戻って私の千駄木散歩の終点です。
長い間お付き合いをいただき本当にありがとうございました。

龍翁余話

今週はお休みです。
 

 

茶子のスパイス研究

裏目(残念な話)

良かれと思ってやった事が相手にとって有難迷惑になる事がある。今回、冬に備えて母にダウンのベストや暖かいソックスをお土産に持って帰った。特に肌触りの良さそうなフワフワソックスはアロエ入りでカサカサした踵にもいいとか言う事で早速、母はそのソックスを履いて寝た。その翌日の明け方頃、突然2階でドーンという音が聞こえたので、びっくりして行ってみると母が転んだのだ。そのフワフワソックスと木のフロアーのせいでツルンと滑って転倒してしまったのだ。後頭部を打った母の頭にはコブが出来ていた。慌てて脳神経外科に行ってMRIを撮ってもらったところ幸いな事に問題はなかったが医者から”一週間後にあちこち痛みが出てくる可能性があるので、その時は、いつでも、また来てください”と言われた。とりあえずは経過監査という事で様子を見る事になった。一週間ほどすると母の頭の後頭部の腫れもひいてきて、ホットしていた矢先、今度は背中の方の痛みが出始めたのだ。転んだ時に背中も強く打ったらしいがコブの痛みが背中の痛みを上回っていて感じにくくなっていたのかもしれない。
昔、祖母の介護で無理をして背中の何か所か圧迫骨折になり、その後自転車にぶつけられて2度目の圧迫骨折で骨が弱くなっているところ、また転倒して背中を打ったのだから母にとっては災難だ。
背中の痛みで仰向けに寝られなくなった母を連れて今度は整形外科に行く羽目になった。そこでレントゲンをとってもらい、とりあえず湿布薬をもらって自宅に戻った。ところが数日たっても痛みが酷くなるので再び、今度は新たに脊椎脊髄神経科でCTを撮ってもらった。治療方法としては今後、骨を強くする為の注射を一週間に1度、1年半にわたってやる事になった。そんなこんなで、母の医者通いにもう一つ行く医療機関が増えてしまった。私があげたフワフワソックスは1度だけ母が履いて廃棄処分の運命になってしまった。“ それじゃ〜そのソックスは私が履くわ ” と言っても母は“ 危ない、危ない “の一点張り、まるで危険物を扱うようにその靴下を何重かに包んでゴミ箱にポイと捨ててしまった。
後悔しても仕方がないけれど、私が、あのソックスさえ買わなければ、こんな事にはならなかったのにと、、、罪の意識を感じながら行った先の病院や薬屋さんで、せっせと山のようにある骨粗鬆予防の資料を集めてみた。
茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

 

 

 

   

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

ロス駐在時代からの友人Mさんとメール交換しているうちに楽天でCDをレンタルされていることを知りました。早速、私もメンバーになりJAZZアルバムをレンタルすることにしました。これまでより安い料金でレンタル出来るので助かります。これからうまく活用したいと思います。
楽しいことって続くのでしょうか。画期的なことがわかりました。私はAmazonの通販をよく利用するので、Amazonプライム会員になっています。プライム会員は、今月18日からスタートしたAmazonミュージック聴き放題サービスが無料で利用できることがわかりました。もちろんJAZZもたくさんあります。嬉しいことに私が愛用しているMarantzのAirplayシステムで聴くことができます。初めて聴くアーティストのアルバムがたくさんあり、かなり楽しめそうです。新しい発見、驚きは毎日の生活も変えてくれます。

先週の流れで今週もボサノバと行きましょう。ボサノヴァのトップアーティスト小野リサのアルバム"The Music Of Antonio Carlos Jobim `ipanema`"を選びました。タイトルのようにAntonio Carlos Jobimの作品です。小野リサの心地よい歌い声でイパネマの娘から始まるこのアルバムはとても聴きやすくさわやかな気分にさせてくれます。

"The Music Of Antonio Carlos Jobim `ipanema`" 小野リサ

01-Garota De Ipanema
02-Samba De Uma Nota So
03-Brigas Nunca Mais
04-Sabia
05-Bonita Demais
06-Fotografia
07-Falando De Amor
08-A Felicidade
09-Aguas De Marco
10-Olha Pro Ceu
11-A Correnteza
12-Insensatez
13-Samba Do Aviao
14-Agua De Beber
15-Two Kites
 
ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

知らないことがあると、初めて知ることの喜びがあります。知ったときの驚きや感動は脳のため(認知症の予防)にも良いそうです。新しい発見、驚きは毎日の生活も変えてくれます。これから先も、いろんなことを知って驚きたいと思います。《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1019

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com