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1004号
 

NO.1004        Ryo Onishi              8/9/2015

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雑貨屋のひとり言

日本は花火大会の季節です。土曜日は我が家からも淀川の花火と神戸の花火が見えました。
昨年中止になった淀川の花火は、夕方の局地的豪雨で開催はどうなるのかと思いましたが予定どおり開催されました。孫は初めて見る花火に喜んでいましたが、花火よりライトを点滅させながら伊丹空港に向かう飛行機に興味があったようです。途中から分厚い雲が視界を遮り花火が半分しか見えないちょっと珍しい光景になりました。夕方に雨が降ったので街が冷やされ涼しく感じました。 久しぶりの感覚でした。≪R.O≫

 

アメリカへ来て30年になりました

――― 30年間の仕事以外の備忘録(7)これから ―――
(前号からの続き)
しかし、70歳を過ぎたころから、これまでの無理と不摂生が表面化したのか、急速に身体のあちらこちらにガタが出始め、生活習慣病に、特に高血糖症になり、その後毎日数回、血液検査とインシュリン注射のお世話になっています。私の場合、時々、逆に低血糖値になることがあり、意識が朦朧としてきます。だから常に付き添いが必要で、単独ドライブなど論外なのです。

 高血糖症が原因なのか、その後、腎臓の機能が落ち、2000年12月から週3回の透析を受けることになりました。透析は5年半欠かさず続けています。さらに2011年に膨大部癌(十二脂腸周辺の癌)が見つかり、摘出手術を受けました。現時点で、手術から満4年が経過しましたが、再発、転移の兆候は見られず、一応、癌からは生還できたといえそうです。しかし、体重は手術前にくらべ約3分の2にまで減少し、歳のせいもあるでしょうが、体力の低下が目立っています。

病み上がりの体力回復にむけ、企業定年後も続けてきた対外活動からも原則として一切縁を絶ち、趣味の詩吟と一部の仲間内の月例勉強会を除いて、もっぱら透析と、ドクターの指導による週3回リハビリ・センター通いに集中している毎日です。

リハビリ・センターに通うようになって1年以上になりますが、四股の筋力訓練により、内臓を含む体力の強化に役立っていることが最近少しずつ自覚できるようになっています。リハビリ・センターへ通うことをしなかったら、多分足腰も悲惨な状況に陥っていたかもしれません。このリハビリも今では習慣になり、日常生活の一部として苦痛なしで通えるようになってきました。このセンターに通ってくる人々の中には杖、歩行器、酸素吸入器などの器具に頼っている人もおおぜい見かけます。

 人間は一度、怠けぐせが身につくと、自発的な活動意欲が減退するもののようです。特に私は、ビジネスからの引退後、病気と年齢をいい訳に動くのが億劫になり、その上、ドクターからの外出制限もあり、自宅に引きこもる時間が多くなっています。つい数年前までは自他ともに認める『元気印』だった私にとって外出しない自分が夢のようです。日本へも5年も行っていません。

さて、私の筋力(と一部内臓を含む)の強化のための道筋はリハビリ訓練で最小限度達成されつつありますが、次は記憶力と思考力の劣化が気になりはじめています。最近では人名を覚えることがすっかり弱くなっています。友人や知人の名前を度忘れしたり、テレビを観ていて出演俳優の名前が出てこなかったり等、病的症状までには至っていないものの、自分にいらつくことがしばしばです。

若いころは自分のパスポートや運転免許証の番号などは当然のように自然に記憶していたし、かなりの数の友人・知人の電話番号も無理なく暗記していました。また、自分の考えをまとめたり、新しいことを考え出したりが以前にくらべて思うように捗りません。あきらかに加齢に伴う脳神経の弱体化が進行しているようです。

 こういった物忘れや思考力の低下は脳の老化に起因するといわれ、使っていない筋肉がだんだん衰えていくように、脳も働かせなければ弱ってくるようです。体力増強または維持にとって運動訓練が必要であるように、脳力強化、維持のための脳トレーニングも必要のようです。

脳にとって最も必要なことは前向き、積極的に「アタマを使う」ことであると理解しています。脳も働かせなければ弱ってくるのは当然のこと、好奇心旺盛で感動の多かった若いころは記憶力、想像力、創造力、やる気など、無意識のうちに持ち合わせていたものを、歳をとってからは意識して保持しなければならないようです。「脳のリハビリ」ともいえるかもしれません。

人の脳細胞(脳の神経細胞)の数は若いうちに最高値に達し、その後は歳を重ねるごとに減少してゆくといわれます。しかし、もともと人間は自分の脳のうち本当に有効活用しているのはごく限られた部分であり、脳細胞が減ることを心配するより、もっと脳の有効活用を心がけるほうがはるかに効果的だと思っています。
    
さらにもう一つ、物忘れ(「忘却力が充実」)についても前向きにとらえたいと考えます。人が一生の出来事をすべて覚えていたらたいへんです。私自身、過去の半生を振り返ってみても、どうでも良いこと、無意味なこと、出来たら忘れたいことの連続であり、これだけは一生の記憶に留めたいと思える有意義な出来事なんぞ100のうち1つあるかどうかです。今、私が自分にとって都合の悪い記憶はさっさと忘れ、平気な顔していられるのも「忘却力が充実」出来たおかげです。

人が一番幸せなのは「時を忘れ、我を忘れ」ている時ではないでしょうか。「物忘れが多くなった」という後向き発想を「忘脚力が充実した」という前向き発想に変えただけで人生は180度変わるはずです。

目下、私にとって「時を忘れ、我を忘れ」ることができるのは趣味の詩吟に没頭している時です。詩吟を学ぶことによって中国、日本の歴史を知り、漢字に親しむと同時に、腹の底から声を出して詩を吟ずる呼吸法は内臓を強くし、身体内から活力を生み、その上ストレスの解消にも役立ち、心身最高の健康法のひとつであり、「脳のリハビリ」に適していると信じています。

現在の私は、基本的に対外活動から身を引いていますが、ただ、上記の詩吟と、「一期会」という月例勉強会だけは当分続けるつもりです。そして体調を元に戻して60歳代のころの心身を取り戻すべく、もうしばらく養生に努めたいと思っています。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


冷房を切って原爆忌を祈る

核ボタン未だ磨いている平和

原発に安全と言う崩し文字

人間は利口か馬鹿か原子の火

未来図にどう描かれる原子の火


( ニュースやぶにらみ )


「あれから70年」

まだ安らかに眠れません −原爆碑

「阿波踊り」

♪えらいこっちゃ えらいこっちゃ −合区の徳島県

「戦力外通告」

本社の会長が −ロッテオリオンズ


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(387)「また吼える“北方領土を返せ!”」

前号の『余話』(386)では、“広島・長崎への原爆投下、玉音放送、ソ連(現ロシア)の騙し討ち日本侵攻”など「忘れまい!昭和20年8月の悲劇」を書いた。いくら書いても、(いくら吠えても)書き足りない(吠え足りない)のが、“ドロボウ猫”(ソ連)による北方領土不法占拠問題だ。翁が40数年前、総理府(現・内閣府)の提供番組で、北海道根室近海で操業中にソ連の艦船に拿捕され、サハリン(旧・樺太)の拘置所に拘留される多くの漁民たちと、その家族の苦しみと悲しみを取材して以来“我が国固有の領土”である『北方領土問題』は、翁の生涯のキャンペーン・テーマ(の1つ)になっている。当然、この『余話』にも何回か取り上げた。今号もまた“北方領土返還”を吼える。今年2度目である。1度目は、2月9日配信の『龍翁余話』(361)「盛り上げよう“北方領土返還要求運動”」。これは2月7日の“北方領土の日”に際してのキャンペーン。2度目の今号は(この8月が)ソ連が“日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)”を一方的に破棄して日本に侵攻した月であることから政府(内閣府)は(2月同様、8月も)『北方領土返還運動全国強調月間』と定め、全国運動を展開している。故の翁の“再吼え”である。

まず『2月の北方領土返還運動全国強調月間』についてであるが(これも過去に幾度も書いたが)1855年(安政2年)2月7日、伊豆・下田において『日露和親条約』(日露通好条約とも言う)が調印され(本条約によって)千島列島は得撫(ウルップ)島以北を北千島、択捉(エトロフ)島以南を南千島と呼び、北千島をロシア領に、南千島(択捉・国後・歯舞群島・色丹の4島)を日本領土とすることで条約が結ばれ国際的にも認知された。いや、それ以前から徳川幕府は千島列島の探検を行ない日本領であることを宣言していた(以下、2月9日配信の『龍翁余話』(361)「盛り上げよう“北方領土返還要求運動”」より引用)。
【1780年代(安永年間)、探検家の最上徳内(もがみ とくない=出羽国出身)が松前藩の普請奉行(建築・道路・河川などの土木工事の監督)として数回にわたって択捉島・国後島、その他の島を探検、先住民(アイヌ人)に農業・林業・漁業などの技術を指導、道路、港湾、村づくりを指導した。その頃、ロシアの千島列島を狙う動きを察知した幕府は、国防上の必要から千島・樺太を含む蝦夷地を幕府直轄地として統治することとし、1798年(寛政10年)、180余名の大規模調査隊を蝦夷地に派遣した。この時、最上徳内は(7回目の蝦夷地上陸経験者として)案内役を務め、彼ら一行は択捉島に“日本領土”を宣言する『大日本恵登呂府(エトロフ)』の標柱を建てた。それにしても現代のような情報・通信網が発達していなかった江戸時代、ロシアの南下気配を察知した幕府が、即、対応策を講じたことは驚きであり特筆に価する。思えば、ロシアの“ドロボウ猫根性”は、この時代から始まっていたのだ】。

『8月の北方領土返還運動全国強調月間』についても、前号の『余話』(386)「忘れまい!昭和20年8月の悲劇」から引用する。【・・・昭和20年8月8日、ソ連(現ロシア)は“日ソ不可侵条約”を一方的に破棄し、突然、日本に対し宣戦を布告、翌9日午前零時に軍事行動を開始した。8月15日に日本が(天皇の肉声による)玉音放送、すなわち国の内外に終戦宣言をしたにもかかわらず、ソ連は国際法を無視して侵攻・蛮行を続け(それまで日本領だった)南樺太(現在もなお日本固有の領土である)択捉・国後・色丹・歯舞の北方4島を占領(略奪)して9月5日にようやく(武力行為を)終了させた。その間(ヨーロッパ各地で極悪非道の残虐行為を行ない、世界に悪名を轟かせた)ソ連兵は南樺太・南千島においても婦女暴行、金品強奪、無抵抗の日本人数万人を虐殺・・・近代日本史上、これほど日本人が激怒したことはなかった。(現在では、尖閣諸島周辺で、これまた国際ルールを無視してドブネズミ作戦を展開する中国に対して激怒しているが・・・)】

不法占拠されて70年を経た現在、北方領土がどうなっているかの情報探がしをしていたら『月刊WiLL』という雑誌の今年3月号に掲載された拓殖大学教授・名越健郎氏の「知られざる島の実態・北方領土でいま何が起きているか」を見つけた。その体験レポートによると(1部拝借)【ロシア人がどのような生活をしようと勝手だが、わが国固有の領土である北方四島に居座るロシア人の生活は注視せざるを得ない。自宅の庭の一角が武器を持った隣人に不当に奪われて居座り続ける状況では、奪われた庭がいまどうなっているのか、誰もが関心を持つだろう】――翁は、名越氏のこの前書きが大いに気に入った。そして名越氏は、島民(ロシア人)の経済事情、生活環境などを詳しくレポートしている。【北方4島は連邦資金の流入でミニバブルの様相だが、これはあくまで公共投資の効果であり自律的な経済発展にはほど遠い。資金流入は社会的格差を拡大し、ロシア特有の汚職・腐敗も派生する。気候条件が劣悪で、食糧自給もできない北方領土が自立発展出来るとは思えない。やがてモスクワからの資金が途絶えた時、島民経済は疲弊していくだろう】【島は日照時間が短く天候が急変、住宅事情も悪く、生活環境はけっしてよくないので、年々、離島者が増えている、とも言われている】・・・

4島に住みついたロシア人は(この70年の間に)すでに3世代になっている。内閣府の資料によると択捉・国後・色丹の居住者合計約18,000人(軍人を含まない)、主に水産業・水産加工業に従事している(歯舞群島には国境警備隊員以外に民間人は定住していない)。日本政府は「3島居住者の人権、利益及び希望を十分に尊重していく」としており、これはまさに日本のお家芸“人道主義”、これは翁も賛成だが、人権と生活権を保障するというだけで果たしてロシア政府がどう動くか、見通しはけっして甘くない。北方領土も竹島も尖閣諸島もそうだが“領土“は1ミリ四方でも守らなければならない。そのためにも国民世論の盛り上がりが外交の強烈な後押しになることは言うまでもない。翁がいくら吼えてもドロボウ猫には届くまいが、『北方領土返還』は翁の生涯のキャンペーン・テーマ、これからも(機会あるごとに)吼え続けたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

世界のブレンドスパイス(アフリカ、中東編)ラ カマ

もし、スパイスに興味があったらモロッコに行ったらいいとベトナム生まれでフランス育ちの友人が教えてくれた。特にマラケシュにある宮殿や雑貨屋は見ごたえがあり日が暮れても益々賑わう夜店は活気があって面白いからモロッコに行ったら是非行くといいと言っていた。その時はモロッコが中東のどのあたりにあるのか、どんな所なのかイメージが湧かなかった。中東と言うとペルシャ、ペルシャと言うと何となくお伽噺に出てくる”アラジンと魔法のランプ”とか”魔法の空飛ぶ絨毯”とか”月の砂漠とラクダ”ぐらいしか頭に浮かばなかった。そのくらい私にとってはミステリアスで霧の中に包まれた遠い余所の国という感じだった。今回、アフリカや中東で使われているブレンドスパイスを見ていたらモロッコのラ カマというスパイスがあるのを知った。そう言えば少し前に日本でもタジンというとんがり帽子のような形をした土鍋が流行ったがその土鍋もモロッコの定番調理鍋で私も友人から頂いたタジン鍋がキッチンの奥にある。今回、改めてモロッコの地図を見てみると北の方は地中海、西は大西洋の海に面し東はアルジェリア、西はサハラ砂漠やアラブ国に隣接しているのが今頃になってわかった。食材も豊富そうでスパイスのシルクロードとして昔からアラビア商人たちが売り買いをしていた場所なのだろうと想像して益々行きたくなった。このモロッコのブレンドスパイスのラ カマはブラックペパーとターメリック、ジンジャー、ナツメグ、シナモンこの5つのスパイスが基本でブレンドされたものを言うらしい。
カサブランカ ペルシャ料理
Morocco モロッコ地図 マラケシュ夜店

レシピはシナモン(小さじ1)、ペパコーンか黒胡椒(小さじ2)、ターメリック(小さじ2)
ナツメグ(小さじ1/4)ジンジャー(小さじ1)これらを良くふってガラス瓶に入れて密封し6か月保存して熟成させると出来上がるそうだ。作ってから半年も待たなければならないのですぐに試すわけにはいかないけれど気が向いたら半年後のお楽しみで作り置きするのもいいかもしれない。
昔、UCLAの近くにあるWest Woodという街に行くとアラビア文字が書かれたペルシャ料理の店が結構たくさんあった。店の名前は覚えていないが初めてペルシャ料理を食べた時この街のどこかのレストランに入った。いきなり半分に切った白い玉ねぎが出てきてどうやって食べたらいいのか戸惑っていたら友人が”こうやって食べるの”と生の玉ねぎを手掴みでそのままかじり、次に肉とサフラン入りのライスを食べ、焼きトマトを食べ、また玉ねぎを交互にかじって食べていた。私も同じようにやってみたが、どうも生の玉ねぎだけはいただけなかった。ただ肉料理の香辛料は今まで食べたことの無い独特なスパイスの香りがした記憶がある。あれもラ カマのブレンドスパイスが使われていたのだろうか…
そう言えば有名な映画 ”カサブランカ”の舞台もモロッコだった。テーマ曲で流れる ”As Time Goes By” (月日が経つにつれて)が記憶の彼方で聞こえてきた。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

海舟の足跡を訪ねて下町散策

7月初旬の日曜日、午前10時半に浅草吾妻橋脇で柳生新陰流の達人で本願寺の僧籍を持つ友人N氏と勝海舟の玄孫のK女史の案内で勝海舟の足跡を訪ねる半日徒歩ハイクに出かけました。

隅田川にかかる吾妻橋を渡り区役所内の勝海舟展示館へ。その後区役所前の海舟の銅像へ。(写真1から3)
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徒歩で川沿いを歩きながら三囲神社へ(写真4,5)
4 5 6

ここには三越池袋店に飾られていたライオンの像が鎮座。
何でも三井本家が祭神として熱心に祭っていたとか。
黄檗宗の名刹・弘福寺に移動。ここは海舟が江戸島田虎之助道場で剣道の修行に励んでいた青年期、師の勧めでこの寺に通い数年間座禅を組んだそうです。
ここは咳止め飴が有名だそうで、受験生に席止めという縁起を担いで人気があるそうです。(写真6)

長命寺の桜餅、言問い団子に寄り一息後、王貞治さんが荒川氏に見いだされた有名な隅田公園少年野球場(写真7)を通り、本所の能勢妙見山別院へ。ここは、海舟の父が息子の開運出世を願って水行をしたので有名なところ。(写真8,9,10)
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海舟は何度か引越しをしてますが本所亀沢町の旧宅跡へ。今は、保育園になってました。
その後、海舟生誕の地の両国公園へ。ここは父小吉の実家、小谷の家のあったところ。(写真11,12)
10 11 12

海舟から離れ、忠臣蔵で有名な吉良邸跡へ。討ち入りで有名で語るまでもないかと思います。(写真13)
13 14 15

写真14,15は、回向院。ここは、歴史的に有名な名刹。(写真14,15)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%90%91%E9%99%A2

ここまでで1万8千歩、両国駅前で軽く会食をしての半日旅でした。
若かりし20代の頃、子母澤寛の勝海舟を読んで大きな感銘を受けました。
幕末、尊王攘夷、討幕だなどと云って国論が大きく分かれているいる時、終始一貫して開国の意味をぶれることなく声をあげていたの唯一の人が勝でした。
長州、薩摩共に馬関戦争、薩英戦争で異国の力に驚き、尊王攘夷から開国へと転換していったのでした。
玄孫Kさんからの話ですが、海舟病床にて“これで御終い”と云って死んだというのは、作り話で“もう俺も死が近いな”と云ったのが誤ってそう伝えられたとのことでした。

写真16,17,18は勝海舟の年譜、情報まで。敢えて圧縮してません。拡大してお読みいただければ幸甚に思います。
16 17
18

中條 石(いわお)

 

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

朝はまだいいのですが昼からは暑いのでジャズをゆっくり聴く気にはなれません。そんな時はゆったりしたジャズを夜寝る前にスリープタイマーにして聴くことにしています。そんな時も良いですし、朝からでも聴けそうなTerence Blanchardのアルバム"Jazz in Film"はいかがでしょう?
トランペットで聴かせる映画音楽を集めたジャズです。どんなシーンで流れているのかわかりませんがトランペットの音が好きになる素敵な曲ばかりです。Terence Blanchardは1962年ルイジアナ州出身のトランぺッター、コンポーザー。


"Jazz in Film" Terence Blanchard

1. A Streetcar Named Desure
2. Chinatown
3. The Subterraneans
4. Anatomy Of A Murder
5. The Pawnbroker
6. Taxi Driver
7. Degas' Racing World
8. Mn With The Golden Arm
9. Clockers

Recorded on March 17, 18 and April 7, 1998
Personnel: Terence Blanchard(tp), Joe Henderson(ts), Donald Harrison(as), Steve Turre(tb), Kenny Kirkland(p), Reginald Veal(b), Carl Allen(ds)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

夕方5時ごろ、保育園に孫を迎えに行くのがすっかり日課になっています。最近は孫がベビーカーに乗りたがらず、あちこち動き回るので目が離せません。この暑さの中で追っかけるので汗びっしょりになります。《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1004

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com