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雑貨屋が1000号 に到達しました!!
 

NO.1000         Ryo Onishi              7/12/2015

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雑貨屋のひとり言

祝雑貨屋ウィークリー1000号!!   
1996年5月のはじめ、セントカタリナ島が望めるサウスベイのHesse Parkをワイフと早朝に散歩していたときのことです。それまで頭の中で漠然と考えていたインターネット(Eメール)を活用して何かやりたいという想いが、メルマガを発行しようという具体的な考えになりました。さっそくサウスベイの仲間にEメールでこのアイデアを伝えたところ賛同を得たので、1996年5月3日にメールで雑貨屋を創ることを宣言しました。自信はなかったのですが週一ならなんとか続けられるかもしれないと思い、5月12日に第一号を配信し雑貨屋を見切り発車させました。一週間は意外と早く過ぎ ます。河合さんが登場するまで毎週発行するのがちょっとつらいなと思うこともありましたが、しばらくして西尾さん、成近さんが投稿してくれるようになり雑貨屋が盛り上がっていきました。その後もたくさんの執筆者が登場し、雑貨屋の内容が充実しました。(雑貨屋の変遷については刷新したホームページに載せましたのでご覧ください。 (上の「ホームページ」をクリックしてください。)
あの見切り発車の日から毎週発行していたらとうとう1000号に到達しました。創刊時の私の想いである「仲間で創っていく」というスタイルがインターネット上で実現でき、それが1000号まで続いたのですからこんなうれしいことはありません。雑貨屋をスタートする前からEメールでやり取りしていたみなさんが最初の雑貨屋の仲間ですが、その後、その輪が大きく広がり、たくさんの執筆者のみなさんに参加していただき、たくさんの読者に愛読していただきました。これらすべての皆さんが雑貨屋の仲間です。この仲間がいたからここまで来 られたのです。みなさんに感謝申し上げます。雑貨屋の仲間のみなさんといっしょに1000号をお祝いしましょう。これからもこの仲間で雑貨屋を創っていきたいと思います。執筆者のみなさま、読者のみなさま、これからもよろしくお願い申しあげます。

読者のみなさんからの祝辞がたくさん届きました!ありがとうございます。
読者からのメッセージの欄で紹介していますのでご覧ください。≪R.O≫

 

祝、1,000号 ―― 継続ゆえに得るもの

 あの痛ましい阪神淡路大震災が発生したのが1995(平成7)年1月でした。その時生まれた赤ちゃんはあと半年で20歳の成人式です。そう思うと、大震災も今では歴史の教科書に掲載される遠い昔の出来事になっています。大西良衛さんが「雑貨屋ウイークリー」の前身である「News Letter from Ryo Onishi、雑貨屋」をスタートさせたのがその大震災の翌年1996(平成8)年5月であり、これも「歴史上の出来事」として分類・記憶されるべきことになりそうです。

1996(平成8)年といえば、次のようなことがありました。
☆ 1月:村山富市首相、退陣。橋本龍太郎内閣発足。
☆ 2月:イギリスのチャールズ皇太子、ダイアナ皇太子妃夫妻が離婚。 
☆ 7月:世界初のクローン羊『ドリー』がスコットランドで生まれる。
☆ 7月:アトランタ・オリンピック開催。
☆ 11月:アメリカ大統領選でビル・クリントン再選。
☆ 12月:在ペルー日本大使公邸占拠事件発生(解決は翌年4月)

そして、ポピュラーソングの世界ではEvery Little Thing、SPEED、PUFFY、T.M. Revolution、猿岩石などがデビューし、DEPARTURES(globe)、Don't wanna cry(安室奈美恵)、あなたに逢いたくて(松田聖子)、名もなき詩(Mr. Children)、愛の言霊(サザンオールスターズ)、PRIDE (今井美樹)などのヒット曲でにぎわいました。

また、渡辺淳一の恋愛小説「失楽園」が「日本経済新聞」に掲載され話題となり、のちに映画化されました。

 この年(1996年)は新語・流行語大賞に「自分で自分をほめたい」(アスリート有森裕子)、「メークドラマ」(長嶋茂雄)などが選ばれています。

 こんな頃からの「雑貨屋」ですので、「雑貨屋」の誕生はすでに歴史上の出来事に分類されるといっても過言ではありません。

 私は大西さんの、当時としては画期的な行動に共鳴し、覚えたてのコンピュータやE-Mailと格闘しながらも、「News Letter from Ryo Onishi、第16号」に初投稿し、第20号から今度はデジカメ片手に“あまり知られていないL.A.観光スポット”シリーズをスタートさせたのです。

 私にも「雑貨屋」を通して多くの友人が出来ました。私は近年、体調不良のため観光スポット取材も、日本行きもストップ状態ですが、数年前の元気だったころ、年に一度日本へ行き、そこで多くの「メール友人」に会い、初対面の挨拶をしていました。これも元をたどると「雑貨屋」からスタートした人脈が多かったことに気がつきます。

 これまで、私の“観光スポット・シリーズ”は地元ミニコミ誌に何度も転載されましたし、また地元日系紙(羅府新報)にこの原稿が連載されたり、更にはローカル・ラジオ局(ラジオ・パシフィック・ジャパン)のマイクを通して私が週一回、一時間放送させてもらうまでになりました。

 この“観光スポット”への問い合わせのおかげで、日本とアメリカの見ず知らずの多くの人々とも知り合いになることも出来、また、実際にツアーを計画してご一緒させてもらったこともあり、楽しい思い出も出来ました。

これらはすべて“ひょんなことから”雑貨屋に投稿させていただいた結果であり、思いもかけぬ成果に当事者である私が一番驚いています。このような人脈はじめ国内外を問わず、多くの人々との絆を持ち得るのも『雑貨屋』という媒体を通じての成果です。「継続するが故に得るもの」の大きさは『雑貨屋』が良く教えてくれています。
 
 雑貨屋ウイークリーが1,000号に到達し、輝かしい金字塔を打ち立てられた大西さんに対し、心から敬意を表します。しかも創刊以来、毎週一度の休刊もなく継続発行されたことは驚きと感服以外のなにものでもありません。

 大西さんがこの偉大な業績を今後、どのように発展なさるのか大いに注目いたしております。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


サウスベイの風Zakkayaの心地よさ

継続は力 千里を一歩ずつ

一羽ずつ折って見事な千羽鶴

Zakkayaに千号という通過点

Zakkayaに百歳までを励まされ


( ニュースやぶにらみ )


「新国立競技場」

よりはやく、より安く、より強く −見直し派

「心配」

爆落 −中国株

「運用開始」

いきなり9号 10号 11号かよ −ひまわり8号


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(383)「祝1000号 “ZAKKAYA WEEKLY”」

「継続は力なり」と言う言葉を、よく耳にする。何事も、弛まず挫けずに続けていくことの大切さを述べた格言だ。この格言を翁が身に沁みて実感している事実が、ここにある。
それは、翁の拙文(『龍翁余話』)をも掲載してくれている『ZAKKAYA  WEEKLY』だ。1996年5月12日に米国・南カリフォルニアのサウスベイで“在米日本人相互の情報交換便り”から始まったこのWEEKLYは、本日(2015年7月12日)で1000回(号)を迎えた。1000週間、7000日、19年2か月という超ロングランに理屈抜きで驚嘆と感動を覚える。まずは、主宰者(配信元)の大西良衛さん(元・米国駐在員、現在、兵庫県在住)と、この『ZAKKAYA』に初期のころから執筆しておられる河合将介さん(元・米国駐在役員、退職後、現在もロサンゼルスに在住)のお二人に、心からのお祝いを申し上げ、敬意を表したい。1000回(号)記念に『龍翁余話』でも“お祝いエッセイ”を書かせていただこうと、先日、主宰者の大西さんにZAKKAYAの沿革を伺った。以下は大西さんのお話の要旨である。

【私(大西)が、トロント(カナダオンタリオ州の州都・同国最大の都市)から米国ロサンゼルス(LA)に2度目の転勤をしてきた時、(LAの)我が社がJBA(南カリフォルニア日系企業協会)のサウスベイ支部・教育部会長役を仰せつかっていたことで、たまたま私がその役を担うことになりました。それがきっかけでLA及びその周辺にある日本企業の駐在の皆さんと知り合うことが出来ました。その中に河合将介さんがおられました。お知り合いになって間もなく、河合さんたちとJERC(日米教育サポートセンター)という教育ボランティアのNPOの発起人になりました。私は、会員のために、まず“インターネットビギナークラス”を担当しました。PC(パーソナル・コンピュータ=インターネット)は、アメリカで少しずつ普及し始めていた頃で、日系人社会ではまだ馴染の薄いツールでしたが、会員の皆さんには興味を持つ方が多かったように記憶しています。私は友人と一緒に、毎週末に個々の会員宅に行き、PCの初期設定からインターネットの立ち上げ(接続)、Eメール送受信の仕方などをお手伝いしました。皆さんは歓迎してくれ、あちこちのお宅でよくバーベキューをご馳走になりました。しかし、インターネットは開通したものの、ほとんどEメール交換は行なわれませんでした。そこで私は“ニュースレター”を仲間たちに配信することを提案しました。そして第1回の“ニュースレター”が『ZAKKAYA WEEKLY』の予告号となった次第です。私が仲間たちと呼んでいる人たちは、その当時、インターネットクラスに来てくれていた方々です。その後、教育ボランティア活動(JERC)や異業種勉強会で知り合った皆さんたちも仲間に加わってくれました。当時の仲間は約30人でした。1996年5月12日第1号『ZAKKAYA WEEKLY』配信以来、今日まで河合将介をはじめ多くの方が寄稿して下さいました。そして、多くの方に(今もなお)愛読していただいております。『ZAKKAYA WEEKLY』が今日、1000回(号)と言う記念すべき日を迎えることができましたのは、執筆者、愛読者皆様のお陰にほかなりません。心より感謝申し上げ、今後、更なるご支援を賜りますようお願い申し上げます】――以上は主宰者・大西良衛さんの談話である。

“雑貨屋”とは、諸種雑多な日用品を取り扱っている店。この『ZAKKAYA WEEKLY』の内容も、その名にふさわしく、なかなかバラエティに富んでいる。例えば、現在もサウスベイで文化的活動をしている将介さんは“エッセイ”のほかに時折“あまり知られていないLAの観光スポット”を紹介、川柳作家の成近さんは“川柳”のほか時勢の寸評“ニュースやぶにらみ“、スパイス研究家の茶子さん(LA在住)は主として“食に関するエッセイ”、主宰者・大西さんは、なかなかのジャズ通で、毎回“ジャズ(楽曲と奏者)評論”を掲載しているが、その見識たるや(ジャズやラテン音楽愛好家を自認する)龍翁は足元にも及ばない。そして(常に“上から目線で)独断と偏見で吼えまくる『龍翁余話』――

翁が『ZAKKAYA』を知ったのは、(今世紀の初め)米国から帰国したばかりの経営コンサルタント・さくら つぼみさん(ペンネーム)のご紹介によるものだった。(さくらさんとの出会いは、現在、翁の親友の1人、元某商社米国社長だった中條 石さんのご紹介によるものだが、その辺の話はいずれかの機会に)――当時は、さくらさんも『ZAKKAYA』の執筆者で“さくらの独り言”を書いておられた。しかし(米国系コンサルタント会社の重要ポストにいた)さくらさんは、多忙のほか諸事情で、惜しまれて“休筆”を余儀なくされた。そして、さくらさんに薦められて龍翁が執筆者グループに加わることになったのは(『龍翁余話』第1号)2007年6月24日(『ZAKKAYA』580号)だった。『ZAKKAYA』の沿革やコンセプトを知らないまま、翁は、まさに個人的観点から物事を論じ、遠慮会釈なく吼えまくった。(前述の通り)主宰者・大西さんから“ZAKKAYAの沿革”を伺って、翁は初めて己れの異端ぶりを悟った。大西さん、将介さん、成近さん、茶子さんたち執筆者は、翁のあまりの傍若無人ぶりに驚かれたり、呆れたりされたのでは、と(今頃になって)恐縮しているのだが、皆さん、寛大に翁の我が儘を受け入れて下さっている(と勝手に判断して)、今後も、このスタイル(筆運び)を変えることなく執筆者グループの末席に居座り続けようと思っている。

突然、嬉しいことが起きた。前述のさくら つぼみさんが『ZAKKAYA』1000号記念を機に『さくらの独り言』を再開してくれた。何と、そのタイトルが「サクラ サク」である。
翁流に言い換えれば「桜花、再び」である。月1回のペースだそうだが、サクラに限らず、これからは『ZAKKAYA』の誌面を多種多様の花々で飾ってくれることだろう。さくらさんの再登場は米国時代からの“仲間“である大西さんや将介さんは勿論のこと、成近さん、茶子さんの喜びもいかばかりか。それぞれの執筆者の豊かな経験と感性が、新たなる『ZAKKAYA文化』を創造することを期待して・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

渡り鳥になって

月日が経つのは早いもので会社を辞めて日本と米国の行き来が始まってから、あっという間に5年の歳月が流れた。
環境が変わってから出会う人達も今まで接する機会の無かった医療関係の人や福祉関係の人が増え全く違う世界を見聞きする事になった。
以前、仕事をしている時は意識する事の無かった日系人と呼ばれる方々と接する機会も増え様々な発見が今も現在進行形で続いている。
この南カリフォルには明治時代に日本からたくさんの日本人が海を渡ってやってきたそうだ。その殆どが農業や漁業、林業や庭師の仕事をしながらここで一生懸命働いた人たちで最初の1歩を踏み出した人達だ。その最初の移民の人達をパイオニア一世と呼ぶ。そのパイオニアの子供たちが現在生きておられる米国生まれの2世と呼ばれる方々で年代はだいたい70代から80代90代の人が多い。その中でも第2次世界大戦前に米国から日本に戻って日本の生活を体験した事のある人、日本へ留学した経験のある人でその後、再び米国に戻ってきた人達を帰米2世と呼ぶ。この帰米2世の人達は日本語を話すし一番日本の事を理解している。明治時代の教育を受けた親に育てられているせいか昔の良き時代の日本の影響を強く受けているような気がする。むしろ今日本人が忘れてしまっている大事なものをこの帰米2世の方々はしっかり受け継いている。
第二次大戦中はこの殆どの2世の人達が米国の収容所に入れられた体験を持っている。
米国で生まれ育っても日本人を祖先に持つという理由だけで4年もの長い間、収容所で過ごしたのだ。戦争が始まって米国にいる家族と離ればなれになって日本で過ごした人もいる。この世代の人達の話を聞くと本当に波瀾万丈、誰もが映画や物語になりそうな人生を歩んできている。そういう話を私は興味があっても殆どの子供たちは興味が無いのだ。その子供たち3世と言うのは30代から60代の人達になる。この世代になると片言の日本語ぐらいしか話せない。殆ど英語だ。結婚も日本人に限らず白人やスパニッシュ系、他のアジア系移民の人と結婚している。そうなるとその4世代、5世代は、もう全く日本語を話せなくなってくる。もちろん米国生まれだから当然、自分はアメリカ人だという意識を持つようになるし日本に対する興味も薄れてくる。

それからもう一つ新一世と呼ばれる人がいて、こちらは戦争が終わって日本からやってきた人の事をそう呼ぶのだそうだ。私のハウスオーナーは戦争が終わって10年後に金の成る木を求めてこのカリフォルニアにやってきて農業を始め成功させた。やはり裸一貫、0からのスタートだった。この時代まだ大正時代に日本から農業従事者としてやってきた季節労働者もいてブランケット(毛布)を担いで畑から畑へ移動していた人がいたらしい。
その新一世も含めパイオニア一世、2世の人たちが築いた米国での信用評価は高い。
“日本人は勤勉で正直で信頼出来る”こういう関係を米国で作りそのレールを引いてくれたのはやはり彼らがいたからだと思う。そしてレールの上を日本の企業が走り米国で活躍できる時代になっていったのも彼らがいたからだという事を忘れてはいけないと思う。そのお蔭で私もこのLAの日系企業で働く事が出来たわけなのだから、、、、

昨日、帰米2世の方の話を聞いていて驚いた。彼女は米国で生まれ6歳から戦前の日本で過ごし戦後はハワイの日系新聞で働いてその後LAの米国の会社で25年働いた経験を持つ。頭もシャープで話題も豊富だ。その彼女から私が今ネットで見ているTVや新聞に出ない日本の歴史や情報を話してくれるのだ。実際に見聞きしてきた実話だから面白い。分析能力もあって感心してしまうが日本にいる自虐的日本史を信じている人と真逆なのだ。
そう言えば先日、久しぶりに以前この雑貨屋にも書かせていただいた和菓子屋さんのあるモールに行った。昔懐かしいお饅頭を買おうと行ってみたら閉店で店が無くなっていた。いくつかある店舗のうちの一つが閉店したわけだが長く営業していた店だっただけに残念だった。昔から来ていた店の顧客もだんだんいなくなっていっていたのだろう。また一つ町の明かりが消えてしまったようなそんな寂しい気持ちになってしまった。

茶子 スパイス研究家

 

『さくらの独り言』・・・“サクラ サク”

少し時季外れになったが、“サクラ サク”、なんとめでたい一節。今は昔、大学受験の合否を知らせる手段のひとつが“電報”であった頃、“合格”の良き報せに使われた文言。目標に到達・達成できた時、その成果に対する最高の褒め言葉であったに違いない。無論、本人の努力や周囲の協力・支援あってのこととはいえ、なんとも美しい電報文だと思う。目指したゴールに到達できた瞬間、それは同時にスタート、新たな挑戦への一歩が始まる。雑貨屋123号からお世話になったさくらだが、雑貨屋の大きな達成のこの時を機に、一歩ずつ、1、2、さんっと掛け声かけて、新たな一歩を、また皆さんとご一緒させていただきたいと願う、さくら、さ・ん・か!

話はさかのぼること半年前の今年のお正月、我が家の新年祝いの花はチューリップだった。例年飾る庭の南天に赤い実がならなかったので、花屋へ走り、よき訪れの春を願う遊び心から、チューリップを選んだ。師走の寒い中、我が家に飾られたチューリップは、うなだれていて、私の心もうなだれた。ところが、数日後の元旦の朝、赤、白、そして黄色のチューリップが、頭を天に向けているではないか。私は思わず、♪咲いた、咲いた、チューリップの花が〜♪と喜び祝った、今年こそ、さくら、咲こうっと。そう、雑貨屋1000号から、ひと月に一度を目標に、上を向いて歩いていこうと思う。いいかしら?!

ところで、大学受験合格の電報文について調べてみると、なかなか面白い発見がある。そもそも受験合格電報を最初に始めたのは早稲田大学、昭和31年前後だといい、合格は「サクラ サク」、不合格は「サクラチル(またはイチホ チル)」。次第にこれに影響を受けた各大学も、合否電報を始めて、合否文も多種多様、各大学や地域の特性あるものだった。私もその合否電報の時代に生きた一人、当時を懐かしく思い、検索してみたのでここに紹介してみたい。意味を伝えやすくするため、電報のカタカナ表記ではなくそのまま書いてみる。お茶の水女子大合格「お茶薫る」・不合格「木の芽時待て」・補欠合格「薫りまたよし」、千葉大学合格「房総の波は春を告げ、君を待つ」・不合格「成田空港霧深し」、静岡大学合格「富士山頂征服し」・不合格「駿河湾未だ波高し」、富山医科薬科大学合格「立山に雷鳥歌う」、東京医科歯科大学合格「一次合格君を待つ医科歯科」・不合格「春まだ遠し神田川」、三重大学合格「伊勢海老大量」・不合格「伊勢湾にて座礁」、大阪大学歯学部合格「乳歯生える」、高知大学合格「鯨が釣れた」または「鯨潮吹く」、奈良大学合格「大仏喜ぶおめでとう」・不合格「大仏の目に涙」、長崎大学合格「マリア微笑む」・不合格「雨の長崎」東京大学合格は「ゴウカク」・不合格「サクラチル」。青春時代のゴールとスタート、喜怒哀楽が美しい文ばかり。

雑貨屋の1000号を祝うとき、元野球選手、千葉茂の名言を心に刻む。「伝統は守るもの、歴史は創るもの」。1000号の歩みの中で、雑貨屋の店主にも、来店する客にも、多くの出会いや別れがあったことだろう。守るもとの捨てなければならないもの、変わるものと変わらないもの、そして変わらなければならないもの、そんなこんなを想いめぐらしながら、“さくら・まだ・つぼみ!”、っと呟く、さくらの独り言。

ジャズライフ−今週のお奨 めアルバム

今日はタイトルが気にいったアルバムを選びました。Fourplayの"Let's Touch The Sky"です。これまでにもFourplayのアルバムは数枚紹介していますが、このアルバムからギターがLarry CartonからChuck Loebに変わったFourplayです。これまでとちょっと違った評価をする人もいるようですが、私にとっては、そんなことはお構いなしです。サウスベイにいたころFM放送局から流れていたニューウェーブジャズを聴いてジャズが好きになったわけですから、Fourplayの演奏するジャズは変わらず好きです。
きれいな響きで楽しませてくれるスムースジャズです。

"Let's Touch The Sky" Fourplay

1. Let's Touch The Sky
2. 3rd Degree
3. More Than A Dream
4. Pineapple Getaway
5. I'll Still Be Lovin' You
6. Gentle Giant (for Hank)
7. A Night In Rio
8. Love TKO
9. Above and Beyond
10. Golden Faders
11. You're My Thrill

Bob James (p)
Nathan East (b)
Harvey Mason (ds)
Chuck Loeb (g)
Anita Baker (vo)
Ruben Studdard (vo)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

読者からのメッセージです。
たくさんのメッセージをいただきました。ありがとうございます。
懐かしい皆さんのお顔を思い出しています。
皆さんのメッセージがとてもうれしく、そして励みになります。
これからもご声援よろしくお願いします。≪雑貨屋≫

雑貨屋ウイークリー、1,000号達成おめでとうございます。
1996年から今日までの長い間、一度も休まず続けて発刊されているのだそうで、関係者の皆さんの熱意に感心しています。
私も河合さんはじめ皆さんの文章を毎週楽しみに拝読しています。
これからも頑張ってください。
今年も私は日本との文化交流使としてたいへん忙しく、それでも充実した時を過ごしました。これからも日本との文化発展のために尽くしたいと思います。
皆さんのますますのご活躍を期待いたします。
Special Advisor for Cultural Exchange by Government of Japan
          (日本国文化庁文化交流使)   杉 葉子

雑貨屋千号 出版御芽出度うございます
意思が強くて長期間 頑張ってこられたのには限りなく尊敬の念をいだきます。
よくぞ1000号まで続投されました。
改めて有り難うと申し上げます。河合さんも病身を押してよく頑張られましたね。
本当にご苦労様でした。
小川勝義

雑貨屋ウイークリー1000号おめでとうございます。約19年の長きにわたり毎週、休むことなく発刊・継続していくご尽力に脱帽です。
米国駐在中に大西店主、河合将介氏の知己を得ましたがお二方同様、友達の輪を広げ社会貢献を通じ人のお役に立てる喜びを退職後の現在感じてます。
今後ともお二方の健康と雑貨屋ウイークリーの益々の発展をお祈りします。中條 石(いわお)

雑貨屋ウィークリー 1000号の発行、おめでとうございます!!
大西さんのアイデアと行動力、そしてそれを陰で支えて来られた皆さまに敬意を表したいと思います。
これからも、一人一人が"考える"ことができるマガジンを、作り続けていただけるよう願っております。
JERC日米教育サポートセンター 岩永留美

雑貨屋ウイークリー1000号達成おめでとうございます。
心からお祝い申し上げます。
本当に良くやりましたね、是も貴殿の様に、30年の長きに亘るロス在住のご経験はもとより、貴殿初め皆さんが絶えざる愛情と情熱をこのメルマガに注いで来た結果だと思います。
どうか1000号に留まらず、今後も継続して下さい。
             在 ニュージャージー 北島

メルマガ「雑貨屋ウイークリー」1,000号達成、本当におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
19年間の間、一度の休刊もなく、週一度の発行を継続するのは並大抵の事ではありません。皆様のご努力と献身に感謝申し上げます。
私もこのウィークリーを通じて、何度となく貴重な情報を頂きました。また河合さんの身近な観光スポットの案内のお陰で日本から訪れた友人・知人を喜ばせる事が出来ました。バルボアパークの桜開花の情報など、日本に比べて四季感に乏しいカリフォルニアで、折々の花情報なども楽しませて頂きました。
末尾ながら河合さん、大西さんのご健康、ご多幸をお祈り申し上げます。
                   鶴亀 彰

「雑貨屋ウィークリー1000回記念」おめでとうございます。LA にいる当時からいつも楽しみに読んでいました。それにしても1000回も続くとは・・・。大西さんの継続への固い決意とそれを支えた河合さんはじめ寄稿者の皆さんのご努力の賜物ですね。
定期的なものごとを続けるということは一時の情熱と馬力だけではでき ません。皆さんのチームワークがしっかりと噛み合ってこそと、ここまでの継続に敬意を表します。
今後もどうか末長く続くことを祈念しています。
1000回記念、まことにおめでとうございます。
若尾龍彦

この度雑貨屋1000号を迎えられ誠にお目出とうございます。
思い返すと私が雑貨屋を知ったのは16・17年前河合さんに紹介いただき、会社のパソコンで休み時間に覘いたのが最初でした。
あれから毎号ではありませんが、思い出したように拝読させていただいておりました。
あれから世界は劇的に変わり、雑貨屋を支えていたインターネットもパソコンからスマートホーン全盛になり今では風呂の中で時々スマホで楽しんでおります。
改めて1000号継続された大西さん河合さん及び関係者の皆様に感謝と敬意を表したいと思います。
南十字星の輝く常夏のマレーシアよりお祝い申し上げます。
松浦 信之

「雑貨屋ウイークリー」が1000号に到達されるとのことおめでとうございます。河合さんからメールが来るたびに珍しいニュース等楽しみに読んでおりました。これからも益々永く楽しい情報を発信していただきますよう応援しております。
私は昨年主人が脳梗塞で倒れてしまいましたがお陰さまで麻痺も残らずすっかり良くなりましてほっとしております。
私自身は元気にゴルフとボランティアに頑張っております。
また、これからもよろしくお願いいたします。
土橋 知子(旧酒井)

メルマガ「雑貨屋ウイークリー」がこのたび1,000号 に 到達しましたことおめでとうございます。コンピューターが家庭でこんなに普及するとは、想像できませんでした。雑貨屋のページはたまに拝見してきました、海外からの日本に対する見方等、なるほどと思うことがあります。
私の疾患は脳の血流障害による視界不良で、投薬により何とか維持しております。今思いますと浅草でのカラオケや佐原へのドライブ等、あの頃はまだまだ元気でした。毎年6月になると思う次第です。   平木 正幸

「雑貨屋ウイークリー」1000号到達おめでとうございます。20年近く継続されたのは発信内容良さと読者のご声援の賜物ですね。私にとっては「サウスベイ経営セミナー」の歴史を書いて頂き興味深く読ませて頂きました。感謝いたします。今後のさらなる発展のため、スタッフ皆様のご健勝を祈念致します。                                   水野 穣

雑貨屋ウィークリーの1,000号到達の偉業をなしとげられたとの事、大西さんと毎回投稿なさっていらっしゃる皆様に敬服致しております。これからも毎週拝読させていただきます!     日高衣音

雑貨屋創刊1000号おめでとうございます。
河合さんからの紹介で、私は会社勤めの頃1号から1000号までずっと毎週楽しみに読ませていただいていました。
毎週月曜日の朝発行を心待ちにし、いろいろな情報やニュース政治まで勉強させていただいています。
大西さんの絶え間ないご努力が、今日まで皆さん大勢の方のもとに届いたことと思います。本当に有難うございました。これからもお体に気をつけて末長く続きますようにお祈りしています。
河合さん長い間のご寄稿本当に有難うございます。
毎週遠くロスからのお便り楽しみに読ませていただいています。
体調がすぐれないそうですが、無理をしないようにして下さい。
                 諏訪市 山田 節子

継続は力なり。そこから次の命が生まれる。雑貨屋に関わる人々の絆が末永く続きますように。                      諏訪市 矢島常雄

暑中お見舞い申し上げます。 お久しぶりです。 
ロサンゼルス滞在満30年おめでとうございます。 奥様共々!
4月には春季吟詠大会 − 国峯流 / 『滑舌へのちょっぴり自信』
5月にはジャカランダの季節撮影。プラス 「ばあちゃんの青春にいるプレスリー」 東京 ・ 成近(様)。面白い情報 / 役に立つ情報いっぱいの「雑貨屋ウイークリー」お届け下さり深謝です。
貴重な1,000号に到達のお知らせ嬉しく頂戴致しました。重ねておめでとうごさいます。
河合さんの「あまり知られていないLA観光スポット」も今まで(羅府新報から)切り抜いていましたのよ。私にはTorrance方面よりの場合というのが気に入っていました。それに親切・丁寧・注意事項まであり素敵でした。その上に写真は視覚も喜ばしてくれますものね。丁度行った気分になっていました。ドライブ好きな河合さんのリポート満喫。 
驚いたことに嬉しい発見を致しました。作者は河合さんご自身でしょう? 勿論。この度のご案内をもとに自作リストを「Hollywoodサインを背景 に写真を撮ろう」#20(9/29/96)から。。。 驚きです! 全リストが見つかったのです。 #214(2009) 「Lake Balboa Park 桜便り」
御メルマガ「雑貨屋ウイークリー」1000号すごいですね。
日本へ帰国されたもと駐在の諸氏にはこの南カリフオルニア サウスベイ 懐かしさがいっぱいね。 
第9号 7/14/96  河合さん曰く: 『私もインターネットの世界に "ついてに” じゃなかた ”ついに” 登場です。』 
益々のご活躍期待致していますよ。
お世話になっています。ご自愛の程。
                       土網 康子

1000号発行おめでとうございます。これまでのご努力に感服しております。
大分前に河合さんから一言をとの連絡を思いだして、1000号の前はおそらく100号だろうとバックナンバーを探したところ「信州そばのように細く?長く」と言う私の駄文が有りました。発行するのも大変ですがこれをきちんと整理保管されているのは流石ですね。
私事ですが最近同じ市内に転居しました。地域のボランテイアグループを担当しており、引き継ぐ方がなかなか見つからなかったところ、幸い4月上旬清明の時期に若い方に引受けて頂きました。その折「清明や白紙に描く未来地図」の句を作り今後の展開に期待しました。
同様に貴誌の今後の益々のご発展を祈念しお贈りしたいと存じます。
長野県諏訪市 和泉屋 敬二

突然のご依頼に戸惑っておりますが、大西良衛氏の驚異的な忍耐と行動力に敬意を表し、祝辞を述べさせていただきます。
雑貨屋ウイークリー1000回の発行おめでとうございます。一口に1000回と言いますが、略20年間一度も休刊せず毎週発行し続けることはまさに神業です。
私のような凡人は、長期間の旅行がしたくなったり、風邪などの体調不良にはいちどくらいやすもうかと、つい怠け心が出るものなのです。
本当にご苦労様でした・・・継続は力なり・・・を実践で教えていただきました。
今後も十分体に留意なさり、ご健闘くださりますようお祈り申し上げます。
私は札幌に住んでおりますので、北国らしい写真を添付させていただきます。
メールのトラブルでこのメールは重複するかもしれません<悪しからず>
                札幌市 根元敬祐、佐智子

雑貨屋1000号達成、誠におめでとうございます。
貴殿はじめ執筆者、編集者皆様方の19年に亘るご努力に心から敬意を表します。
毎号、豊かな人生経験を重ねた方々の文章により多大の啓発を受けております。
これからも長く続きますようお祈りいたします。
河合さんとは随分お会いしていませんね。充実した人生を送られてきたようにお見受けいたします。
しかし透析を受けながらのご活動でさぞ大変だろうとお察しします。どうかお身体大切に過ごし下さいますようお祈り致します。
                宮坂 修平

ご無沙汰致しております。
メルマガ「雑貨屋ウイークリー」1000号とのこと、おめでとうございます。
1000号と聞き、私も思わず7×1000の計算をしてしまい、足かけ7000日、確かに20年になろうとする息の長い取り組みなのだなと感じ入りました。
この間の、大西様や河合様たちの関係者の皆様のご尽力、ご精進には頭が下がる思いです。作製に向けての毎回の知恵や工夫は、想像を越えるものがあったのだろうと推測しますが、ここまで来てみると、「千夜一夜物語inLA」みたいなどという類推も思い浮かびます。
今後千回が千二百となり、千五百ともなることを祈り、そのためにも皆様にはお元気でお過ごしになられるよう、心からお祈り申し上げます。
          2015.7.5. プロセス・ラーニング研究所 八巻俊道

1,000号達成、おめでとうございます。確実な発行、充実した内容、いつも感心しながら読ませていただいております。約20年継続するとは凄いことです。敬服します。
今後も頑張って発行、送信してくださることを切望いたします。
雑貨屋ウイークリーで河合さんのご病気のことを、心配しつつ読ませていただいております。どうかお大事になさって下さい。
          長野県茅野市より   牧島正勝

大変ご無沙汰しています。井出"Hank"英雄です。
一回の休みもなく1,000号到達とは・・・・大西さんの容姿を思い浮かべています。ファイト満々のガッツあふれる姿・・・ではなく、ひょうひょうとして力みがなく、難しいことも”なんちゃない”と片付けてしまう 自然体ですよね。野球で言えばイチロータイプかなあ。あごひげを付ければ仙人タイプ・・・さらっとやってしまう。陰での苦労は表に出さない。凄いです。

私 は1985年から2008年まで23年間米国で勤務し、最後の14年はLAでしたので、大西さんや河合さんとも交流がありました。たしか200号記念には LAからコメントしたことを記憶しています。2008年にリタイヤしてLAから茨城県ひたちなか市に戻ってもうすぐ7年になります。帰国を機に再結成した おやじバンド「ヒマナスターズ」の懐メロが受けて訪問ライブは70回ほどに達しました。フルート、オカリナ、尺八のレッスンも続行中。月例の句会に出て俳句の勉強もしています。現在73歳。ゴルフは今エージシュートに挑戦中です。大西さんのように力まずにやってゆきます。

羅府の空煮詰めて染めしジャカランダ  井出半句

「雑貨屋ウイークリー」の1,000号達成おめでとうございます !!!
河合さんの「あまり知られていないLA観光スポット」は知らなかったLAの穴場や知っていた場所でも隠れていた情報の提供などで私達LA在住の者にとって楽しく親切なガイドさんでした、いや今もそうですね。

私がやっているパサデナセミナー会でも河合さんに2005年の1月に講演して頂きました。もう10年になるのですね。お正月気分のまだ残る中に沢山の参加者を前に河合さんはスライドを使って「LA周辺の楽しみ方」の題で豊富な情報を披露して下さりとても好評でした。スライド映写の為に会場の窓にカーテンを張った室内の様子を今も覚えていますし、あの時の楽しい雰囲気も思い出します。

これからも止まる事ない情報の発掘と提供を期待し楽しみにしております。
1,000号達成をお祝いすると共に、河合さんのご健勝と「雑貨屋ウイークリー」の更なる継続発展を祈念します。    半田俊夫

本当に1000回も続けて出すことは凄い記録ですね。
この間からもうすぐ千回だ、もうあと何週でと考えていたのです。
同じことを毎週のように続けているのですが、継続ということは凄い力だと思います。
それをただの継続ではなく先週よりもっと素晴らしいものを皆に届けようとする努力です。
1人だけではここまで来るのに大変でしょうが、テームプレイでお互いに協力しあってここまで来たことは本当に大西さんの素晴らしい人格を物語っていると思います。
昔、インターネットのことを少しでも一緒に勉強しましょうと言って開いてくれたクラスなど遠い昔のことを思い出します。
継続といえば私もやっていることがあります。つい先週、脳のトレーニングのコンピューターゲームの更新の請求がありました。1年のプログラムを買って、それが終わる頃2年のプログラムを購入しましたので、これで3年続けたことになります。ほとんど毎日脳トレを3年間してきたことになります。もしこれをしていなかったらと思うと恐ろしいです。
脳トレのほかには朝の水泳です。朝は4時半に起きてすぐ近くのジムへ行き25メートルのプールを16往復することです。これももう随分長く続けています。会社では午前中の休憩時には会社の周りを歩き、午後の休憩時も又歩きます。ランチタイムは会社のジムへ行き15分間の腹筋のクラスが月、水、金とあります。これも必ずというほど続けています。仕事が終わると会社のジムで月曜日は45分のヨガのクラス、水曜日は1時間のズンバのクラスをやっています。
この他に土曜日は朝早くからロングビーチへ行ってドラゴンボートのチームに入っているので練習です。このグループは乳がんのサバイバーのグループでLA Pink Dragon と言う名前です。会社のドラゴンボートのチームメンバーにも入っているのでLA Pink Dragonの練習が終わると同時に同じビーチで今度はKaizen ドラゴンの練習が始まります。

今こうして色々なことを継続できることへの喜びを深く感じています。
1000回記念に雑貨屋の継続にお力添えをいただいた関係者の方々に深くお礼を申し上げます。

喜子

「何事も千回続けることは言葉に表すことが出来ないくらい大変なことで誰でもがやれることではありません。
知恵を出しその努力を続けてこられた編集者の大西さんをはじめ雑貨屋ウィークリーに投稿されてきました
周りのサポート隊の皆さんに心からの敬服と尊敬の念をもって「1000回おめでとう」と申し上げます。
  
雑貨屋ウィクリーのバックナンバーを拝読させていただきますと日本のニュースを我々日本にいる者とほとんど同じタイミングでご存知であることに少し驚いていますが、これもインターネットのことを考えますと当然のことと思います。
これからも引き続いて回をどんどん重ねられアメリカから見た日本の現状へのお考えなど掲載され楽しい読み物となることを遠く(?)日本から期待しております。どうぞお身体を大切にされますように」
               河合さんの友達 平井孝也

〜 継続と言う名の美学 〜

「雑貨屋」の店長さん、従業員の方々、スパイス研究家として食の楽しみを画像と共に提供してくれる茶子さん、そして毎回の投稿にかかわる全ての皆さん、ここで「雑貨屋」が創刊号から1000号に至ったことを心よりお祝い申し上げます。1996年から大よそ20年に渡って1000回も続けられたことは胸を張って誇れる歴史的快挙ではないでしょうか。 安打製造機と言われるイチローとて1992年のプロデビューから日米MLB通算2000本安打を達成したのは2009年で17年もかかっている訳ですから。

「雑貨屋」は出来るだけ見るように心がけてはいるのですが、正直、仕事が忙しい時には見逃すことも多々あり、そんな時はBack Numberを紐解いて拝読させて頂いてます。

世間では、「継続は力なり」と申します。これは、大学を出て最初に勤めた会社の海外部を辞職するに当たり部長の口から私に発せられた大変頭の痛い〜〜言葉でありました。結局は、幸か不幸か、部長の説得工作にそぐわない人生を歩むことになりました。 

「継続」を三省堂広辞林で引くと、@ 前の状態が途切れずに続くこと、また、続けること。(例)として、「観察を続ける」、とあります。従って、継続は目的ではなく、今もある事柄が続いている、或は、過去に続けられたと言う結果重視の行為と言うことになりましょう。「雑貨屋」さんの場合は文法に例えると、過去完了進行形(続いていたことがある)ではなくて、今も脈々と続けておられるという現在完了進行形なのですから、恐れ入ります。継続にはコツコツという擬態語が似合いますよね。私は、どちらかというと努力はしない方ではないのですが、継続から時として脱落してしまうことが多々あります。継続の反義語は中断、或いは断続ですが、それ等がダラダラと私の何かの継続中に割り込みをかけることが多いのです。詩人に相田みつをさんって方がいらっしゃって、私の気持ちを代弁してくれるかのような一節があります。「毎日少しずつ、それがなかなか出来ないんだよな〜」って。

イチローの名言集に「準備、努力、継続」というのがあります。「雑貨屋」さんの店長に通じるものがあるのではないでしょうか。 最初に何か原型としての思いがあって、信念があって、それを守りたい、だから続けられる。継続の方程式ですね。 敬服です!

継続で思い出したのですが、通常中世以前は哲学書はラテン語なのですが、そんな中、始めてフランス語で書かれたデカルトの「方法序説」(Discours de la method)を日本語で読んだことがあります。 間違いがなければ、その中に都市計画みたいなものは一人の者が立案し継続して行った方が良いという箇所があったように思います。何人もが寄ってたかってやるとパッチワーク(継ぎ接ぎ)だらけになり、最初に描いた立案に齟齬をきたし、結果として最上のものが達成できないのだと。確かに一理はあるののですが、一人の人が何百年も生きられるわけはないので、継続に次を見越した伝達という技が問われることになるのではないかと愚考するものです。

長い間、私の父は弁護士でした。30代の前半の資格取得から45年以上も継続して法廷弁護士として活躍しました。生前紫綬褒章を頂けると言う嬉しい話があったのに、受賞を断ったというエピソードがあります。言ってみれば変わり種だったのかもしれません。死後に再び頂けるチャンスの打診があった時には、残った母と私を含めた5人兄弟が家族会議を開いたことがありました。いわば To receive or not to receive, that is the question…..だったのです。私は褒章は父の努力ばかりではなく、そばで支えた母の一部でもあると唱え、頂くことに賛成を投じたのですが、兄は父の生前の心中を忖度した方がよかろうと言う事で、ほぼ兄の独断で私の意見は退かれました。喉から手が出るほど欲しい人達がたくさんいる中で、変人と言われても仕方のない父。これも人生、あれも人生。島倉千代子、人生色々なのですよ。

結論を申しますと、今回の1000回記念に当たり、私に出来ないことが出来ている「雑貨屋」さんに少しの嫉妬を抱いてると言うことでございます。先ほどの擬態語ではありませんが、コツコツ(継続)に代表される雑貨屋さん。かたや、ダラダラ(中断、断絶)になりがちな私の性格。三つ子の魂百まで。性格は簡単には変えられませんし、今更変えるつもりもありません。どうも私は休むのが殊の外好きなのかもしれません。今ふと思ったのですが、「雑貨屋」さん、コツコツやって偶にはダラダラ休む、「コツダラ」なんてのはどうでしょうか? Congratulations !
          宇山和夫

編集後記

毎週ウィークリーを発行していると、そのうち1000号に到達するのだろうなと思っていましたが、現実にその日がやって来るとやはり感慨深いものがあります。
今週は特別な雑貨屋ウィークリーなので執筆者のみなさまと、いっしょに準備をしました。私の編集を考慮して早めに原稿を書いて送ってくださいました。今回は久しぶりのさくらさんの寄稿もあり、うれしい限りです。すばらしいチームワークでここまで来られたと感謝しています。
私は雑貨屋ウィークリーの変遷を作成するためにバックナンバーを読みました。バックナンバーは19年間の歴史が詰まった日記のようなものです。たのしい記事がいっぱいの宝石箱です。大切にしたいと思います。

雑貨屋ホームページを少し見やすくしました。スマホでも見やすくなったと思います。読者の方で必要な方はスマホのアドレスを連絡してくだされば配信します。もちろんPCのアドレスにも。

そして今日は、孫の2歳の誕生日でもあり、二重の記念日になりました。孫が雑貨屋のことを理解できる歳になったら教えてあげたいと思います。

金曜日、セミが一斉に泣き出しました。泣き出すまでだれもセミの存在なんて考えなかったのににぎやかなセミの声を聞くと誰もが本格的な夏が来たと感じます。すごい存在感ですね。《R.O.》


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Zakkaya Weekly No.1000

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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