龍翁余話(361)「盛り上げよう“北方領土返還要求運動”」
翁が40数年前、総理府(現・内閣府)の提供番組で、北海道根室近海で操業中にソ連(現ロシア)の艦船に拿捕され、サハリン(旧・樺太)の拘置所に拘留される多くの漁民たちとその家族の苦しみと悲しみを取材して以来“我が国固有の領土”である『北方領土問題』は、翁の生涯のキャンペーン・テーマ(の1つ)になっている。当然、この『余話』にも何回か取り上げた。
北方領土とは、択捉(えとろふ)、国後(くなしり)、色丹(しこたん)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)の4島を言う。“我が国固有の領土”、その根拠は――2011年2月に配信した『龍翁余話』(166)にそのことを詳しく記してあるので、1部(概要)を抜粋しよう。
,【1644年(寛永20年)に江戸幕府が作成した『正保御国絵図』には、松前藩が支配している蝦夷地として北海道本島、樺太、千島列島が記されている。国後島・択捉島・色丹島・歯舞群島も記載されている。1855年(安政2年)2月7日、日本はロシア(当時は帝政ロシア)と“日露和親条約”を結び、以後、北方領土は、国際法上も“日本の領土”であることが(国際的にも)認知されてきた。いや、それ以前(1780年代=安永年間)、探検家の最上徳内(もがみ とくない=出羽国出身)が松前藩の普請奉行(建築・道路・河川などの土木工事の監督)として数回にわたって国後島・択捉島その他の島を探検、先住民(アイヌ人)に農業・林業・漁業などの技術を指導、道路、港湾、村づくりを指導した。その頃、ロシアの千島列島を狙う動きを察知した幕府は、国防上の必要から千島・樺太を含む蝦夷地を幕府直轄地として統治することとし、1798年(寛政10年)、180余名の大規模調査隊を蝦夷地に派遣した。この時、最上徳内は(7回目の蝦夷地上陸経験者として)案内役を務め、彼ら一行は択捉島に“日本領土”を宣言する『大日本恵登呂府(エトロフ)』の標柱を建てた。それにしても現代のような情報・通信網が発達していなかった江戸時代、ロシアの南下気配を察知した幕府が、即、対応策を講じたことは驚きであり特筆に価する。思えば、ロシアの“泥棒猫根性”は、この時代から始まっていたのだ】
大東亜戦争(太平洋戦争)末期、当時まだ有効だった“日ソ中立条約”を(ソ連は)一方的に破棄し(1945年8月9日)対日参戦、日本が(8月14日に)ポツダム宣言を受託、翌15日に詔勅(玉音放送)をもって世界に“終戦”を宣言したにもかかわらず武力攻撃を続け北方4島を強奪、不法に占拠した。それ故に翁は(40年も前から)ソ連(ロシア)を“ロスケの泥棒猫”と蔑称し、忌み嫌っている。その“泥棒猫”に実効支配されるようになってから早や70年。これまで両国の政権が変わるたびに『北方領土返還問題』(これまでに2島返還論、3島返還論、共同統治論、面積2等分論、そして4島返還論(日本政府の基本)が議論されてきたが、日本政府(自民党政権)は、ソ連(ロシア)の巧みな“引き延ばし(なし崩し)戦法”に振り回され、いまだ具体的な解決策は見つかっていない。ロシア政府は口を開けば「北方4島について日本国民はすでに関心を無くしているのではないか」と日本政府を牽制している“日本国民が北方領土に無関心?”確かにそう見られても仕方がないほど近年、『北方領土返還要求運動』は全国的な盛り上がりに欠けている。一時期、右翼団体の街宣車が“北方領土返還要求”の幟をなびかせ、スピーカーの音量を最高にして「北方領土を返せ」と、がなりながら街中を走り回っていたが、いつのまにか静かになった。街頭(ビルの屋上など)にも『北方領土返還要求』のポジション広告があちこちに見られたが、それもいつのまにか消えた。政府広報(パンフレット類)は時々見かけるのだが、テレビCMなどは2月7日の『北方領土の日』に合わせて短期間放映、その内容も(ロシアを気遣ってか)パンチの効かない“ぬるま湯表現”で、一向にキャンペーン的でない。
政府機構の中で北方領土問題に関わる役所は外務省と内閣府だが、外務省は(欧州局日露経済室が担当)ロシアと厳しく対峙することを避け、むしろ、極めて友好的(温情的)で「政治・経済・安全保障・文化・人道支援など幅広い分野での関係進展に努めつつ、北方領土問題の解決に向けて取り組む」としている。そのような紳士的外交コンセプトだから翁に言わせれば、外務省は(北方領土返還に関しては)全く頼りにならない。それは『北朝鮮による拉致問題』も同じだ。但し、これらの外交問題は、ひとり外務省の力量を云々するより、時の政権の政治力が問われて然るべきだろう。一方、内閣府には特別機関として『北方対策本部』が置かれている。北方領土返還を実現するため中央省庁や地方公共団体との調整や連携を図るのだが、直接的なキャンペーン活動は行なわず、所管する独立法人『北方領土問題対策協議会』(通称:北対協)や都道府県単位で設置されている『北方領土返還要求運動都道府県民会議』(通称:全国会議=各地の青年・婦人・労働者・経済団体・行政機関で構成)の支援活動を行なう部署である。
我が国固有の領土『北方4島』に住みついたロシア人は(この70年の間に)すでに3世代になっており“故郷化”した。内閣府の資料によると択捉島に約9,000人、国後島に約6,000人、色丹島に約3,000人、合計約18,000人(軍人を含まない)が居住しており、主に水産業・水産加工業に従事している(歯舞群島には「国境警備隊員」以外に民間人は定住していない)。日本政府は「3島居住者の人権、利益及び希望を十分に尊重していく」としており、これはまさに日本のお家芸“人道主義”、これは翁も賛成だが、人権と生活権を保障
するというだけで果たしてロシア政府がどう動くか、見通しはけっして甘くない。
北方領土も竹島も尖閣諸島もそうだが“領土“は1ミリ四方でも守らなければならない。2月7日は『北方領土の日』、この際、ロシア政府に「日本国民は北方領土に無関心」などと呆言を吐かせないよう”北方領土返還国民運動“の機運を高めようではないか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |