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NO.969         Ryo Onishi              12/7/2014

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雑貨屋のひとり言

12月3日、はやぶさ2号の打ち上げの中継をテレビで観ました。うまく打ちあがってくれよとワクワクしながら観ていました。種子島でロケット発射を観た人は全身で感動したと思います。打ち上げが成功してホント良かったです。4年後に目的の小惑星で土を採取した後、2020年に帰還する予定だそうですから、東京オリンピックとともに盛り上がるのでしょうね。はやぶさ2の無事帰還と新しい発見を祈っています。≪R.O≫

 

“ことば”を楽しむ(その5)

 今回の「“ことば”を楽しむ」シリーズを書くにあたって、引用、参照させてもらったり、ヒントを頂戴した作家の井上ひさし氏は「日本国語大辞典」という辞典を困った時の相談相手として重宝し、日に10回はこの辞典を引いていたそうです。彼のような言葉(日本語)のプロがなぜそんなに国語辞典のお世話になるのだろう。漢字の読み方、書き方、言葉の意味など、私達一般人に比べ、何十倍もくわしいはずなのに。―― 普通ならそう思うところです。

 私は以前聞いた井上氏の講演を思い出しました。その時、井上氏は講演の中で彼の辞典の使い方について述べていました。井上氏にとって、辞典とは「この字はどう書くのか、どういう意味か」というより、「自分が今書いている小説なり脚本の中に、この“言葉”を使って良いかどうか」を判断してくれる先生なのだそうです。

 「日本国語大辞典」のような特定の国語辞典にはそれぞれの言葉について、一番古く使われた例が載っています。そんな辞典を彼は愛用しているのです。

 例えば時代小説で、元禄時代の物語である忠臣蔵にまつわる小説か脚本を書いているとします。一日も早い仇討ちを主張する江戸急進派の堀部安兵衛に対し、リーダーである大石蔵之助の堀部安兵衛に対するセリフとして「あの男は“一本気”なやつで、本当に困ったものだ」と言わせたいとします。そのためには、大石蔵之助のいた元禄時代に既に“一本気”という言葉が存在していたことを確認する必要がでてきます。そういう時に彼はその愛用の辞典を引くのだそうです。

 この場合、“一本気”を辞典で引いてみると、この言葉の最も古い出典は、十返舎十九の「東海道中膝栗毛」であることを辞典は教えてくれます。そしてこの“東海道中膝栗毛”がいつ書かれたかを調べると1802年に最初の第1冊目が世の中に出ていることが判ります。

 そうすると、忠臣蔵で吉良邸への討ち入りが元禄15年(1702年)であることを考えると、そこに100年の差があり、どうも“一本気”という言葉は大石蔵之助の時代に存在していそうもないと判断されます。従って、「あの男は“一本気”なやつで、本当に困ったものだ」というセリフは大石蔵之助の時代にはまだ存在した可能性は薄く、この言葉は使わないほうが良さそうだ、ということになるのです。
 
 私達は別に言葉を職業にしている訳でも、また言葉のプロでもないので、井上ひさし氏の真似をする必要は勿論ありませんが、少なくとも日本人として日本語にもっと愛着と誇りを持ち、日本語を大切にする心は持ちたいものです。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


あすなろの汗学歴の壁を越え

無駄骨を積み上げ今日の棒グラフ

トレードに出したあいつのお立ち台

運ですと苦節の汗が言っている

不器用に生きたね膝が笑ってる


( ニュースやぶにらみ )


「今年の10大ニュース」

さてなにが入るか −選挙結果

「はやぶさ2」

絶対戻ってこような −前議員

「1億円カレンダー」

それでも1年は365日さ −庶民


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(352)「73年目の真珠湾」(拡大版)

翁が毎年ハワイ・オアフ島を訪れるようになって30数年、その間、パールハーバー(真珠湾)に足を運んだのは7回を数える。何故、たびたびの真珠湾か?(当然)真珠湾に対する翁なりの思いがあるのだが、それは後に述べることにして、今年もまた行って来た。「73年目の真珠湾」へ、8回目の訪問である。

今更、ハワイの紹介をするまでもないが、ハワイ諸島はハワイ島・マウイ島・オアフ島・カウアイ島・モロカイ島・ラナイ島・ニイハウ島(1863年代、カメハメハ5世から譲り受けたと言われるスコットランド人ロビンソン一家の所有地)・カホオラウエ島(かつての米軍演習地、多数の不発弾が残っているため現在は無人島だとか)の8つの島と100以上の小島からなる。州都ホノルル市があるオアフ島は太平洋の中心に位置し、島の各所の港は優れた天然の要塞であるところから、米国は1898年にハワイ(共和国)を併合、米自治領ハワイ準州とし、翌1899年にパールハーバーに海軍基地を置いて太平洋防衛の主要軍港とした。この年以降に米国はオアフ島をはじめ諸島に陸軍・海軍の重要基地を置き、飛行場、砲台などを設置し完璧な防備態勢を敷いた(米国がハワイを第50番目の州としたのは1959年)。

さて、1941年(昭和16年)12月7日(日曜日)の朝7時50分(ハワイ時間)、突如、日の丸機がパールハーバーをはじめオアフ島全島に襲いかかった。太平洋戦争(大東亜戦争)の開幕である。何故、日本が米英を相手に戦争に踏み切ったか、その理由については多くの戦史学者による(異なる)太平洋戦争(大東亜戦争)観に委ねることにして、翁は改めて『真珠湾攻撃の概要』をおさらいしてみることにする。

南雲忠一中将(司令長官)率いる艦隊(350機を搭載した航空母艦6、戦艦2、重巡洋艦2、軽巡洋艦1、駆逐艦9、特殊潜航艇5、潜水艦3、油槽船7)は、1941年11月26日(日本の北方領土)エトロフ島の単冠湾を出航、しかし、その時はまだ政府は“ハワイ攻撃”を決定していなかった。12月1日の御前会議で正式に“ハワイ攻撃命令”が下る。あの有名な暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」(日本時間12月8日攻撃を開始せよ)である。ニイタカヤマ(新高山)とは当時、日本領土であった台湾の中央部に位置する現在の玉山(3,952m)のこと。(戦争回避で攻撃中止の場合の電文も用意されていたそうだ。)日付変更線を越えて、4000マイル(約6,440km)を探知されずに航海した日本海軍は約12日間かけてオアフ島の北230マイル(約370km)の地点に到着、第1波攻撃は空母から183機が飛び立ち午前7:50にオアフ島攻撃を開始した。

日本戦闘機“零銭”(航空博物館)  第1波オアフ島攻撃と炎上する“アリゾナ号”(真珠湾博物館)

真珠湾博物館が発行している『オアフ島戦記』によると、日本軍のオアフ島攻撃は、まずは米軍飛行基地攻撃から始まる。オアフ島内陸部のウイーラー飛行場(53機破壊)、西南のエヴァ飛行場(33機破壊)、東側のベローズ飛行場(数機破壊)、カネオヘ海軍飛行場(33機破壊)、そして真珠湾に浮かぶアリゾナ、オクラホマ、ユタなどへの戦艦攻撃と同時に湾の右側にあるヒッカム飛行場(18機破壊)、これらの航空基地攻撃によって日本機への迎撃を完全に不能にしたのだ。攻撃を受けた各飛行場での死者は、当時のオアフ島における陸軍航空隊(パイロット)の75%に当たる182人と記録されている。以上が『オアフ島戦記』の概要である。そう、『真珠湾攻撃』は、実はオアフ島全島に点在する米軍航空基地攻撃も主要戦略だったのである。

終戦調印式を行なった戦艦ミズーリ号(左)と真珠湾攻撃で撃沈されたアリゾナ号(記念館)(右)

パールハーバー・ビジターセンターで、真珠湾攻撃概要の映画『追悼・栄誉・理解』(日本を極端に敵視するようなナレーションは無いので、客観的に鑑賞出来る)を観てボートで『USSアリゾナ記念館』へ行く。この記念館は日本軍の攻撃で死亡した『戦艦アリゾナ号』の乗組員1177人を追悼するとともに真珠湾攻撃そのものを記憶する施設でもある。この施設は、沈没した『戦艦アリゾナ号』(全長185m、全幅32m、排水量36・5トン、砲台48門)の真上に建設されており、海底に沈むアリゾナ号の残骸や砲台を見ることが出来る。

45口径35・6cm砲?砲台の残骸と海底に沈む『戦艦アリゾナ号』の船体の1部

さて、冒頭で「何故、たびたびの真珠湾か?(当然)真珠湾に対する翁なりの思いがある」と述べた。これまでは確かに(戦没者への)慰霊・鎮魂の訪問ではあったが今年は何故か“真珠湾攻撃に対する昭和天皇“に触れたくなった。現地(真珠湾)で昭和天皇の御心を感じたかったのだ。今年の9月に宮内庁が発表した『昭和天皇実録』(時事通信の記事)によると、真珠湾攻撃前の御前会議で天皇は「アメリカとの戦争は無謀であり自滅的な戦争だ」と軍の開戦論に批判的な心情を抱かれていた、と言う。更に、昭和天皇は御前会議の席上で、平和を希求する明治天皇の御製<よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ>(四方の海にある国々は、みな兄弟姉妹と思う世に、なぜ波風を騒ぎ立てるのであろう)を詠み上げられたと言う。当時の政府(東条英機内閣)は、昭和天皇の“真珠湾攻撃反対、戦争回避の道を探れ”の大身心を知りながら、もはや、その時の日本の国情は“無謀承知の上、日本国と日本民族の生死を賭けた開戦への道”を選択しなければならない極限状態にあった、と考えるべきだろうか。

ここで翁は1冊の本を紹介したい。その本とは、1946年にGHQ(連合国最高司令官総司令部)の諮問機関“労働諮問委員会”のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった米国の東洋学研究者ヘレン・ミアーズ(1900年〜1989年)が著した『アメリカの鏡・日本』(2006年)である。ヘレンはこの本の中で「戦中の国際政治問題は“道義的かどうか”ではなく“合法的かどうか”が問題とされていた。戦後になって日本の韓国併合や満州事変も含め”道義的責任“を追及することは極めて偽善である」また「日本人は世界を征服する野望にとらわれていたのではなく、世界のどこの国にも征服されたくないという自尊・自立の精神に動かされたのだ」と述べていることに(翁は)ことのほか共感を覚える。とは言え、翁は大東亜戦争を無条件で肯定(正当視)しようとするのではない。戦争がいかに愚かで不毛であるかは論をまたない。『アリゾナ記念館』に刻まれている乗組員1177人の名簿の前で合掌し、基金箱に10ドル入れることくらいで73年前の贖罪になろうとは思わないが「73年目の真珠湾」で昭和天皇の大身心と日本の歩みを振り返り”平和“を祈ることは、それなりに意義があるのではないか、と思っての8回目の真珠湾訪問であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

赤い野菜

サウスベイにあるハイキンググループ主催の日帰りハイキングに参加した時の事だ。最初の休憩の時に食べるのは大抵、バナナやリンゴなど重いかさばるものから始まってスナックバーやナッツなどを食べる人が多い。その中でいきなりバックパックから真っ赤なピーマンを取り出してかぶりついている人がいて驚いた事がある。赤ピーマンと言っても日本の緑のピーマンと違ってその大きさは両手で持つくらいの大きなリンゴの大きさぐらいあったと思う。パリポリパリポリ軽快な音を立てながら食べているのを見て“生でも美味しいの?”と聞いたら“もちろん!食べてみなよ“と差し出されたて思わず後ずさりしてしまった。
最近は赤ピーマンもパプリカという名前で日本の八百屋に並ぶようになったが昔は殆ど見かけなかったと思う。米国ではレッドベルペパーと呼ぶのだがグリーンベルペパーが熟すと赤くなって甘さが増すのだそうだ。他にも黄色とオレンジ色があるのだが栄養価は赤が1番あってビタミンCは倍、ビタミンEは5倍、カロティンは何と30倍もあるらしい。
だからベルペパーのセールでも赤いベルペパーは他の色のものと比べると少しだけ高くなっている。最近は高脂血症や血圧、コレステロールにもいいと人気のある野菜だ。考えてみると日本では食べた事が無かった野菜の一つにこのレッドベルペパーも入ると思う。きっと最初に食べたのはサラダバーでスライスしてあるものを意識しないで食べていたのが最初だったと思う。次に意識して食べたのが友人の家で丸ごと焼いてくれたレッドベルぺパー。そんなに黒焦げにしていいの?というくらい表面の皮を焼くとレッドベルペパーの皮がスルスルむける。それをスライスしてバルサミックビネガーとオリーブオイルに漬けると一品料理になる。別名甘唐辛子とも命名されているとおり、そのフルーティーな甘さに感激したのを覚えている。そしてこのレッドベルペパーを加熱して乾燥させ粉末にしたのがパプリカのスパイスになる。よくパーティートレイの中に茹で卵料理が出てくるが黄身の部分に彩としてパプリカがふりかけてあるのを見かける。ホワイトシチューの上やマヨネースと一緒にあえて使ったりもされている。彩だけでなく栄養価値も高いこのパプリカ、まだ他のスパイスと比べたら知名度は低いかもしれないけれど、もっと頻繁に使ってもいいかもしれない。
この数日、日本も一段と寒くなってきた。何か活力のあるものを食べようと食材を買いに行ったらこの真っ赤なレッドベルペパーが目に付いた。赤は活力を生む色だ。今週は赤い野菜をたくさん買おうと真っ赤なトマトと赤い色の人参も買ってみた。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズライフ−今週のお奨 めアルバム

毎週、アルバム選びに悩みながらこのコーナーを続けてもう8年以上になりました。我ながら良く続いているなあと思います。ジャズアーティストやアルバムについて調べながら聴くとより楽しくジャズが聴けます。この楽しむ気持ちがある限りずっと続けて行けると思います。これまでに1200枚以上のジャズアルバムをTSUTAYAでレンタルして聴いたので、これから毎週1枚、年52枚ずつのアルバムを紹介しても、10年以上は大丈夫という計算になります。最近は毎月、大阪堂山店で5枚から10枚程度レンタルしていますから、これからもデータベースは拡大されていきます。
たくさんあるジャズアルバムの中でもヴォーカルのアルバムは他のものに比べると少ないですし、聴く頻度も低いように思います。まだまだ開拓の余地があるジャンルです。今週は女性ヴォーカルから選びました。1954年にリリースされた名盤アルバムSarah Vaughanの"Sarah Vaughan With Clifford Brown"です。Lullaby Of Birdlandはたくさんのアルバムに出てきます。Sarah Vaughanの歌声は少し低めですが聴きやすいです。バックのClifford Brownのトランペット、Jimmy Jonesのピアノ、Herbie Mannのフルートなどの豪華なメンバーの間奏が流れてとても素敵です。今から60年前、真空管式のラジオからSarah Vaughanの歌声がゆったりと流れていたんだろうなあと想像しながら聴いています。

"Sarah Vaughan With Clifford Brown" Sarah Vaughan

01-Lullaby Of Birdland
02-April In Paris
03-He's My Guy 
04-Jim
05-You're Not The Kind
06-Embraceable You
07-I'm Glad There Is You
08-September Song
09-It's Crazy
10-Lullaby Of Birdland [Alternate]

Arranged By – Ernie Wilkins
Bass – Joe Benjamin
Drums – Roy Haynes
Flute – Herbie Mann
Piano – Jimmy Jones (3)
Producer [Original] – Bob Shad
Saxophone – Paul Quinichette
Trumpet – Clifford Brown
Vocals – Sarah Vaughan

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

編集後記

円安が一気に加速して1ドル121円になりました。2ヶ月ちょっとで10%の円安ドル高は驚きです。この急激な円安で私たちの生活にも影響が出始めています。しかしこの流れはしばらく変わりそうにないようです。《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.969

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com