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NO.960           Ryo Onishi              10/5/2014

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雑貨屋のひとり言

御嶽山の噴火による犠牲者は日を追うごとに増え、大きな火山災害になりました。犠牲者の中には私が勤めていた会社の人が3人いることをニュースで知りました。そのうちの一人は私が知っている方だったので大変驚いています。身近で気軽に行ける山だけに災害に巻き込まれるとたくさんの犠牲者が出てしまいます。噴火の予知ができなかったことが残念でなりません。犠牲になられた方々のご冥福と行方不明の方々の一刻も早い発見を祈っています。≪R.O≫

 

複雑は単純に、単純は複雑に

 以下は大阪・船場出身の俳人、楠本憲吉氏の講演会のテープからの借用です。

詩人、島崎藤村と民族学者の柳田国男の二人は親友同志であり、ある時 二人が今でいう“ヒッチハイク”で 伊良湖岬(愛知県 渥美半島の先端)まで行ったそうです。

海を眺めながら語り合っていた二人の目の前の海岸に 「椰子(やし)の実」 が一つ流れ着いていました。ご承知のように 「椰子の実」 は 遥か南方の国々にしかないものなので、その椰子の実は 遠い南から流れ着いたことになります。

それを見た柳田国男は海上にもきっと南から日本へ向かう道があるに違いないと考え、それが彼の有名な 「日本民族、南方渡来説」 のもとになったのだそうです。

一方 島崎藤村はその椰子の実を題材にして“名も知らぬ遠き島より・・”という不朽の名詩 「椰子の実」 をつくりました。

私達がつい見落してしまうような、たかが 「椰子の実」 一つから偉大な学説や不朽の名詩を導き出すのですから 藤村、国男の二人はさすがです。

私達は何か複雑なことを考える時、いろいろ複雑に考えすぎて「ものの本質」をつかめず、焦点が定まらないで終わってしまうことがしばしばです。上記 柳田国男のように日本民族の発祥という複雑な問題を「流れ着いた椰子の実」という単純な事実に置き換え、偉大な学説にまで展開させるやり方は何か私達にも示唆するものがあると思います。

私など、ただでさえ単純な頭脳の構造なので複雑な世の中を複雑に考えたら、脳みそが壊れてしまいかねません。「複雑なことは出来るだけ単純なことから」考えるのは現代の複雑な時代をいかに生きるかという難問に対する一つの答えになるかもしれません。

また同時に前記のエピソードは 「単純な事柄は出来るだけ複雑に」 という先程とは反対の示唆も含んでいそうです。たかが一個の 「椰子の実」 という単純なものから 複雑な学説、名詩が生まれるのですから普段 単純・明快で疑問も何も感じない事象も安易に見逃さず追求して行けば意外と重大な発見・発明にたどり着くかも知れません。

「複雑な事は単純な事から考え」、「単純な事は複雑に考え」ること。これもストレスのない人生を有意義に送る一つのヒントになるでしょう。

ところで、もし私が 藤村、国男の二人と一緒に椰子の実を見つけたとしたら、早速、実を割って食べられるかどうかを調べ、だめなら実を蹴っ飛ばして終わり・・なんてところがオチでしょう。――― それじゃあ、ダメじゃん。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


黙々の汗が肥やしの棒グラフ

躓いて不惑の洒落がきつすぎる

五十肩あなたもですかシンデレラ

定年の尻をローンに叩かれる

生涯を走って凡人で終わる


( ニュースやぶにらみ )


「ノーベル平和賞候補に」

日本より外国で評価されている −憲法9条

「ソフトバンク優勝」

心おきなく消えます −ダイエー

「今年の咲き具合」

なでしこがいまいちだった −秋の七草


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(346)「“十三夜”雑想」

『十三夜』は、旧暦では9月13日、新暦では年によって10月の初旬であったり中旬であったり、下旬であったり、たまには11月にずれ込む年もある。今年の『十三夜』は10月6日。『十五夜』(仲秋の名月)だって年によってばらばら。今年の『十五夜』は9月8日であったが、その夜は(東京地方は)あいにくの雨模様で、翁は翌9日の夜、自宅のベランダで月見をした。古くは『十五夜』に月見をしたら、必ず同じ場所で『十三夜』の月見をしなければ“片見月”と言って縁起が悪い、とされていたが、この目まぐるしい現代社会においては、そんな迷信めいた謂れをまともに信じる人は少ないだろう。しかし、暇人で古風な翁は、なるべくなら古諺に従おうとカレンダーの10月6日に丸印を付けている。

翁が『十三夜』を(『余話』の)テーマに取り上げたのは、実は格別の思い出があるからだ。と言うのは、翁が小学校5年生の時、ギターで初めて弾けるようになった歌謡曲が『十三夜』。嬉しくて、嬉しくて、頼まれもしないのに我が家で時々、夕食後の“ギター独奏会”を開いた。家人は、最初は迷惑だっただろうが末っ子の翁が熱心にギターを練習する姿を見、その後、『影を慕いて』『酒は涙か溜息か』『リンゴの歌』『湯の町エレジー』『山小屋の灯』『懐かしのブルース』『青い山脈』『長崎の鐘』『赤い靴のタンゴ』『悲しき口笛』『さくら貝の歌』『水色のワルツ』など次々とレパートリーが増えると逆に家人から“独奏会”の催促の声がかかるようになる。時には近隣の人たちも聴きに来ることもあった。“独奏会”の始めと終わりには、必ず『十三夜』を弾く。つまり『十三夜』は“独奏会”のテーマ曲となっていたのだ。

ただひたすらメロディに魅せられて、『十三夜』の歌詞の意味も分からず、誰が歌ったのかも知らなかったのだが、後年になって、小笠原美都子(1920年〜)という歌手が1941年(昭和16年)にヒットさせたということを知った。小笠原美都子は、東海林太郎と一緒に『琵琶湖哀歌』を歌って大ヒットさせた当時のスター歌手。『琵琶湖哀歌』とは1941年(昭和16年)4月に琵琶湖で起きた第四高等学校(現金沢大学)ボート部員11人の悲惨な遭難事故を悼んで2か月後の6月に作られ発表された歌である。『十三夜』は同年10月にレコーディングされ、これも大ヒットした、と資料にある。

♪河岸(かし)の柳の行きずりに ふと見合わせる顔と顔 立ち止まり 懐かしいやら嬉しいやら 青い月夜の十三夜・・・あの鈴を鳴らすような美しい歌声の歌手は誰だろう?
翁が榎本美佐江(1924年〜1998年)を知ったのは、1965年(昭和40年)に彼女が初めて『十三夜』をレコーディングしてからのこと。翁は早速、レコード(ドーナツ盤)を購入した。B面は確か『お俊恋歌』だったと記憶する。それより前、榎本美佐江があの独特の歌唱法と天性の美貌が相俟って日本調歌手として人気を博するようになったのは1946年、榎本が市丸(1906年〜1997年、芸者歌手)の代役で(ステージで)歌ったのが大好評で、一躍、人気歌手になったそうだ。榎本はその後、プロ野球の金田正一投手と結婚、一時、歌謡界を引退したものの1963年に金田氏と離婚して歌謡界に復帰、その第1作が『十三夜』だった。余談だが今、翁の手元にあるギターの楽譜『昭和演歌150曲集』の中に、榎本美佐江の代表歌『十三夜』『お俊恋歌』『お別れさのさ』『後追い三味線』『京都の灯り』『沖縄そだち』などはどこにも見当たらない。榎本美佐江の名と歌は、もはや昭和演歌史の中から消えてしまったのだろうか、何とも寂しい限りである。つい先日、久しぶりにギターを引っ張り出して『十三夜』を弾いた。楽譜がないので弾けるかどうか不安だったが、前奏と間奏の部分を少し忘れていただけで、何とか“ギター独奏会”のあの頃を懐かしむことが出来た。なお、“ギター少年“は小学校6年生から”アコーデオン少年“に変身するが、その話は以前『余話』に書いたことがあるので、ここでは割愛する。

さて、暦の上の『十三夜』は、大豆や枝豆や栗を供える風習があることから(『十五夜』の“芋名月”に対して)“豆名月”とか“栗名月”とも呼ばれる。『十五夜』は中国から伝わったものだが『十三夜』は日本古来の風習で(時期的に)秋の収穫祭の1つと言われている。勿論、団子もお供え物には欠かせない。『十三夜』も(『十五夜』と同じように)子どもたちが団子や栗(最近ではお菓子)を貰い歩いてもよい、とする風習が残っている地方もあるそうだ。昔は他人様の畑から作物を盗んできても咎められなかったそうだが、いくら“祭り”とは言え、盗みはさせてはならぬ。

『十三夜』を控え昨日(4日)、近くの花屋で赤と白のコスモスを買った。花言葉は、赤は「愛情」「調和」、白は「優美」。「愛情」「調和」「優美」を並べると、コスモスはあたかも本日(10月5日)高円宮典子女王殿下と出雲大社の禰宜(ねぎ=神職の名称の1つ、もっぱら祭祀に従事する職種)の千家国麿(せんげくにまろ)さんのご結婚を祝う花に思える。式場の出雲大社には、(伝説によると)今月は全国から八百万(やおよろず)の神々が集まり、神議(かみはかり=農業の振興や男女の縁結びについての話し合い)を行なうとか。だから、10月は出雲を除く地方は“神無月(かんなづき)”、出雲だけは“神在月(かみありづき)”、つまり典子さまと国麿さんは、八百万の神々に(ご両家の)弥栄(いやさか)を約束されての挙式ということになる。誠に目出度きかな、である。なお、国麿さんの父君は出雲大社の第84代宮司・千家尊祐(せんげたかまさ)氏。

強い勢力を維持して北上している台風18号は、5日には西日本、6日には東日本に接近する見通し(5日気象庁発表)。そうなると6日の『十三夜』は月見どころではない、御嶽山が心配だ。既に児童を含む51人の死者を出した(5日現在)。何とも痛ましい!捜索はまだ続く。警察・消防・自衛隊の合同捜索隊には頭が下がる。【十三夜 月見る月は見えずとも 心の月に御霊(みたま)祈りて】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

紅葉ハイキング

久しぶりにEastern SierraにあるBishopで紅葉ハイキングを楽しんできた。私達が泊ったのはBishopの山の上9,290Footの高さにある静かなロッジ。このくらいの高地になると上がり坂を少し歩いただけでも息が切れるから空気が薄いのがわかる。
LAからは車でストレートに走って約5時間半、このHWY395沿いにあるBishop付近は隠れた温泉スポットやハイキングコースがたくさんあって知る人ぞ知る場所で賑やかなマンモスやヨセミテと違った楽しみ方が出来る。今回はLong Lake そしてBishop Passまでの往復11マイルのハイキングを予定してい
紅葉ハイキング(ビジターセンター) 紅葉ハイキング
鹿 おにぎり おにぎり

たが標高が高い上、天気が崩れるかもしれないとの事で当初の予定のコースを変更して地元の人のお勧めで湖がある4マイルコースのハイキングに出かけることになった。案の定、気温がぐんぐん下がり始め気が付くとチラホラ粉雪が舞い散る中でのハイキングになった。それでもアスペンの紅葉は素晴らしく時々日が射して風が吹くと木の葉が黄金色にキラキラ揺れてとても綺麗だった。山にかかる霧は晴れたり曇ったりその幻想的な姿を見せていた。ちょうどお昼頃に目的の湖に到着するとそこは誰もいなく私達だけの貸し切りランチスポットになっていた。湖に映る紅葉の木々を眺めながらおすそ分けに頂いた鮭のおにぎりは最高に美味しかった。その夜、ロッジで水炊きをしながら夜遅くまで皆楽しそうにおしゃべりをしていたが私は10時まで何とか持ちこたえたが眠気に耐えられなくて先に寝てしまった。翌朝、ドアを開けると深夜に降り始めた雪が積もって一面白銀の世界に変わっていた。まるで秋を飛び越えていきなり冬がやってきたようだった。一昨日の朝に見かけた鹿のファミリーがまた来るか
ロッジ 夜明け マンザナ収容所慰霊碑

もしれないと期待を寄せてあたりを散策したが残念ながら彼らの姿を見ることは出来なかった。ふとロッジの向かい側の山に視線を移すと滝が流れていて、そのすぐ脇に家があるのを見つけた。その家の話をロッジのオーナーにしてみると持ち主はサンディエゴに住んでいて春から秋の間、時々来ては泊っていくのだと言った。カリフォルニアで湖ごと家を持っている人の話を聞いた事があったが滝が流れている敷地に家があるというのもアメリカらしい。帰りは行にも立ち寄ったBishopでは有名なベーカリーストアーに寄って友人お勧めのハーフサイズのベジタブルサンドイッチを頼んでみた。アボガドやスモークチーズやアルファルファ等、具がぎっしり、ずっしり詰まっていて大口を開けないと食べられない大きさだ。日本人の女性ならハーフサイズで充分だ。それにピクルス(きゅうりの酢漬け)とチョコレートチッ
パン屋さん ベジサンド(ハーフサイズ) 雪の翌日

プの入ったクッキーがもれなく付いてくる。大抵のアメリカ人はこのサンドイッチをフルオーダーする。なるほど、横も縦も大きくなるわけだな〜と周りの大きなアメリカ人を見て改めて思ったりした。
帰りはHWY395沿いにある日系人収容所マンザナミュージアムに私の希望で立ち寄ってもらった。2004年このミュージアムがリモデルされて立派になった。その後偶然通りかかり立ち寄ってから今回で4回目の訪問になる。第2次大戦中米国に住む日本人が3年間、収容された場所だ。今米国で生きていらっしゃる殆どの日系2世の方々はこのマンザナ収容所も含めいくつかの収容所生活の経験者だ。そういう方々と接する機会や映画を見てこのマンザナミュージアムと慰霊碑に特別な思いを抱くようになった。マンモスやヨセミテを観光で訪れる日本人の数も多いと思うけれど、どれだけの人がここを訪れるだろう。ただ通り過ぎるだけの人も多いかもしれないけれど、ここを通りかかったら是非立ち寄ってもらいたい場所だ。今回は館内を見て、その後、地図を見ながらゆっり広い跡地を車で回った。最後に慰霊碑の前に到着する頃は太陽の日が山脈の影に隠れる頃で夕日が眩しかった。私達以外は誰もいなく神聖な空気の中で皆そっと手を合わせた。気持ちは皆同じ思いだったと思う。グループの中で一番若い男性が車の後方から新しいお酒を一升瓶抱えて左手には小型CDプレイヤーを持って出てきた。CDの音楽は彼がたまたま好きで聞いていた曲でこのマンザナ収容所にいたカメラマンToyoMiyatak氏のドキュメンタリーフィルムのバックに流れていた音楽だった。その音楽をかけながらお酒を慰霊碑と周りのお墓にも丁寧にかけて回ってくれた。
何だかその絶妙なタイミングと心使いがとても嬉しかった。今週末はもう日本。父と祖母の眠るお墓詣りも、そろそろ出かけるシーズンだ。日本の山も紅葉が始まっている頃だろうか…

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

静かで落ち着いたジャズを聴きたいと思い探していたら、Keith Jarrettのアルバム"The Melody at Night, with You"を見つけました。タイトルからも静かなアルバムを想像させられますが、とても美しいピアノソロのアルバムです。Keith Jarrettのアルバムはこれまでたくさん聴いていたのに、今回初めてこのコーナーでの紹介だということに気づきました。ちょっと驚きです。このアルバムは他のKeith Jarrettのものとは違う特別な感じを受けました。ラブソングを集めたこのアルバムは難病で闘病生活を続けていたときに支えてくれた妻のために捧げたものだそうです。愛がいっぱい詰まったアルバムだと思います。

"The Melody at Night, with You" Keith Jarrett 

01-I Loves You, Porgy
02-I Got It Bad And That Ain't Good
03-Don't Ever Leave Me
04-Someone To Watch Over Me
05-My Wild Irish Rose
06-Blame It On My Youth _ Meditation
07-Something To Remember You By
08-Be My Love
09-Shenandoah
10-I'm Through With Love

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

家のWiFiネットワークのルータはメインに使っているPCがある部屋に置いてあります。その部屋から離れた部屋では電波状況が悪く不便を感じていました。ごちゃごちゃしているモデム、ルータ類のコードを整理して場所を変えてみました。電波状況が驚くほど改善されました。ちょっとしたことでストレスが減りますね。《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.960

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com