サンペドロナイトクルーズ
ここ数年サンペドロのハイキンググループで夏の恒例イベントになったナイトクルーズがある。ボートの持ち主は今年84歳を迎えたイタリア移民のLさん。自分の誕生日パーティーとして毎年ハイキンググループの人を全員招待してくれるようになったのだ。イタリア人気質そのもので楽しい事やお祭り事が大好きなのだ。ワインやチーズと一緒に今回も彼の自慢の手作りロッキーロードチョコレートが振る舞われた。昨年と同様にスタートはLさんの大好きなサルサ音楽で陽気に踊りながらボートを運転する。
今年は庭先に咲いていたバラの花と日本製のタオルをあげたら、とても喜んでくれていつか、貴方のお母さんが米国を訪れることがあったらお母さんの為に船を出してクルーズをしてあげると言ってくれた。これは本当だから約束するよ。と何度も言ってくれた。
Lさんのボートが置いてあるヨットハーバーまではハイキングの集合場所から歩いて45分それから船で湾を一回りするので帰りはいつもより少し遅くなる。それでナイトクルーズの日だけは、帰りは歩かな
くていいように事前に何台か車を先に港の近くの駐車場に停めて乗合で集合場所まで帰るのだ。皆、ワインが好きでも酔っぱらうほど飲む人は誰もいない。誰もが節度をわきまえているのがいい。ほんの少しだけ飲んだワインは船の上で夜風に吹かれているうちに跡形もなく蒸発していくような感じだった。
それにしても、Lさんにとっては、あっという間に時が流れたのだろうと思う。Lさんが移民としてイタリアから家族とこのサンペドロ地区に移り住んでからすでに78年の時が流れている。その間に日本と米国は戦争がありその後、戦争に敗れた日本は苦しみながら赤貧の中で立ち上がってきた。それとは相対的に米国は戦争の勝利に誰もかれもが浮かれさぞかし豊かな生活を享受出来たのだろう。1950年代、60年代のアメリカはそんな明るい楽しい時代だったのかもしれない。ナイトクルーズではその頃に流行ったポップス、日本でもブームになったフィフティーズの曲に変わっていた。その音楽に合わせて皆リズムをとったりダンスをしたり口ずさんだり楽しそうにはしゃいでいた。まさに彼らの青春時代に流行った曲なのだろう。誰もが若かった頃にタイムスリップしていたようだ。そんな様子を見ているうちに、いつの間にかその賑やかな音楽や人のざわめきが遠のいていった。米国の繁栄の下でひたすら働いてきた日本人の姿がふっと浮かんだりして昭和の時代を支えてきた人たちへの敬意の気持ちと不公平だな〜という気持ちが入り混じって何だか複雑な気持ちになってしまった。そして今後この
アメリカという国はどこに向かって航海していくのだろうか…そんな事をぼんやり考えながら船はサンペドロの港に着いた。そして月に見送られて私達も家路に急いだ。
茶子 スパイス研究家 |