龍翁余話(344)「葡萄と梨、芭蕉と祭りと彼岸花」
翁、今まで“葡萄狩り”だの“梨狩り”など一度もしたことがない。「ならば、バスツアーをご一緒しませんか」と誘ってくれたのが旧友のA・Mさん(元・某美術大学教授)。A・Mさんが主宰する『スケッチの会』の皆さんたちとの”親睦ツアー“は、今回が4度目である。顔ぶれはリーダーのA・MさんとアシスタントのKさん(A・Mさんの、かつての教え子で普段はアシスタントだが”親睦ツアー“の際は、いつも世話役をしてくれる)以下、毎回参加の2組のご夫婦と(翁を含め)1人組4人の計10人、すでに顔馴染の人たちばかりである。
出発前に、世話役のKさんから「栃木・太平山南山麓の葡萄は(山梨同様に)有名ですが、残念ながら今年は台風や豪雨にやられて味と形は例年よりかなり落ちるとのことです。梨は大丈夫です」との事前情報を得ていたので“葡萄狩り”は期待していなかったのだが、予想以上の“クズ葡萄“にバスツアー客の多くが落胆の溜息を漏らしていた。誰かが言った「私たちは、まるで廃物処理係みたいだ」。それは少し言い過ぎだろう。農家だって良質の葡萄を提供したいと思っているに違いない。毎年”葡萄狩り“を商売にしているのだから評判を落としたくはないはず。気象条件のいたずらで、こんな年もあるのだ。この大平町地域の60軒の葡萄農家は、ほとんどが風雨被害に遭ったそうだ。いつもは文句たらたらの翁にしては珍しく穏やかな気持ちで葡萄農家に同情した。と言うのも翁は“葡萄狩り・梨狩り”より『スケッチの会』の皆さんとのバス旅行を楽しんでいるのだ。40人のバスツアー客のうち『スケッチの会』10人は、後部座席(5席)を陣取った(指定されていた)。バス酔いを心配していた翁は『スケッチの会』メンバーの弾む会話に救われた。
栃木県の南西部に、桃、梨、リンゴ、柿、プラム、ラ・フフランス(西洋梨の一種)などを季節ごとに生産・直売している“佐野市フルーツライン”と呼ばれる果樹街道がある。一帯の果樹農園は14軒だとか。今は梨のシーズン。バスが着いたのは佐野市上羽田町の某梨園。先ほどの葡萄園と違って、ここでは姿形の立派な梨がツアー客を喜ばせた。種類は『豊水』、2片試食したが、なかなか美味。翁は太目の『豊水』を5個ちぎってビニール袋に入れた。(ちぎる、とは大分県など九州地方の方言で、もぐ、もぎとる、の意。)
ところで、葡萄狩りや梨狩りより翁を喜ばせたのは“奥の細道”の途上、鹿沼に宿泊した『芭蕉伝説』と『ぶっつけ秋祭りの彫刻屋台』(国の重要無形民俗文化財)であった。葡萄園、梨園に向かう途中で立ち寄った『まちの駅・新鹿沼宿』(写真左=HPより)の中央(角)に芭蕉・曾良主従の旅姿の全身彫刻(チェーンソー・アート)が展示されている(写真中)。芭蕉がここ鹿沼宿に泊まったのは、曾良日記によると「元禄2年(1689年)3月29日(旧暦)鹿沼ニ泊ル」とあり、宿泊先は曹洞禅寺・光太寺と伝えられている。芭蕉は出立の朝、笠を新調し、古い笠をこの寺に残した。寺の境内には、今も“芭蕉の笠塚”があるそうだ。【入逢(いりあひ)の鐘もきこえず春の暮】((鹿沼の里は)日暮れの鐘も聞こえず、ただひっそりとして春は寂しく暮れようとしている)の句が遺されている。
翁を喜ばせたもう1つは『ぶっつけ秋祭りの彫刻屋台』(写真右)。『屋台』とは山車の形の1つ。旧市街に27台あり、そのうちの3台が『まちの駅』の近くの『屋台展示館』に展示されている。見事だ!この彫刻(芸術)の作者“匠”に会いたい。時間が許せば、ゆっくり鑑賞したかった。『ぶっつけ秋祭り』と言うから屋台をぶっつけ合う“喧嘩祭り”と思ったら、そうではなく『屋台』同士の囃子の競演だそうだ(10月11日、12日に開催)。
実は、今回のバスツアーには、もう1つ、おまけがあった。帰路、立ち寄ったのが埼玉県幸手市の『権現堂堤・曼珠沙華祭り』。約100万本の曼珠沙華(群生地)は一見の価値がある。曼珠沙華(天上の花)は秋のお彼岸の時期に咲くので一般的には“彼岸花”で知られる。そのせいか、翁は秋の“法要花”というイメージが強い。花言葉に「独立・情熱・再会・悲しい思い出・想うはあなた独り」というのがあるが、翁は自己流に「(出来ることなら)あなたと再会し、楽しかった思い出を語り合いたい」と解釈して、その願いを彼岸花に託し、お彼岸の7日間、遺影の前の焼香を絶やすことなく故人を偲びたい。今回もまた『スケッチの会』の皆さんに感謝して・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |