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NO.946           Ryo Onishi              6/29/2014

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雑貨屋のひとり言

東京都議会で女性蔑視のヤジを飛ばした議員が一人だけ現れました。ぶら下がりインタビューでは自分ではないと嘘をつき、そんな議員は辞職に値するとも言っておきながら、大変な騒ぎになり、ようやく名乗り出てきたというところですね。おそらくいつものようにやっていることだからまさかこんな問題になると思わなかったのだと思います。しかし今は発言や行動があっという間に世界中に知れ渡る時代なので、軽率な発言は慎むべきです。でも本性は変わらないので、口先だけのしかも全く中身のない謝罪だけで議員辞職せずに、離党して生き残ろうとする浅ましい姿をさらしています。今回の件で明らかになった都議会議員の給与は他の県に比べても、ずば抜けて高額で、そんな人に都民の税金で賄わなければならないなんて割り切れませんね。他にも何人かいたことは明白なのに、たった一人だけで幕引きをしようとする自民党や都議会の古い体質はこれからも改善されそうもありません。他の都道府県の議会もそうですがもっと透明性を高めなければ、これからも多くの無駄がでてくることに気が付かないことになります。≪R.O≫

 

白内障手術体験記

 歳を重ねるにしたがい、身体の各部位の機能が低下し、支障が出てくるものですが、私の場合、今度は“眼”に症状があらわれました。ここ1年ほどで左眼について視力が急速に低下し、その上、視界が薄い膜で覆われたか、霧に包まれたようにボンヤリしはじめたのです。

 これまでも眼科医から「白内障の症状が出始めています」との診断を受けていたので、5月下旬の眼科定期健診時にドクターに改めて相談したところ、ドクターの見立ては「白内障」が進行中であるとのことでしたので、左眼の手術を受けることにしました。私の身体にまたひとつ手術体験が加わることになったわけです。

白内障とは、眼のレンズの役割を果たしている水晶体が白く濁ってしまい、ものがぼやけたり、かすんで見えたりするような症状のことをいうのだそうです。

白内障は個人差により進行速度が異なるようですが、60歳代で70%、80歳以上になるとほぼ100%近い人に症状がみられるものだそうで、老化が主な原因といわれます。老化以外にも糖尿病性、アトピー性、若年性などの種類もあり、私の場合は老化プラス糖尿病性が重なったのかもしれません。

5月下旬に手術が決まってから眼科医から受け取った各種説明資料や注意書きにしたがい、手術前から、目にいるバイ菌の量を少しでも減らすために、抗生物質や抗炎症剤の点眼をし、また、アスピリンなどの常用薬の一時服用中止、ホームドクターの治療実績、心電図の提出など準備をおこない、6月16日に手術日を迎えました。手術は一般的な単焦点眼内レンズ(遠近を両立させることのできないレンズ)を入れてもらうことにしました。

当日は朝7時、ロサンゼルス・ダウンタウンのSurgery Center へ出向きました。一般的なペーパー・ワークの後、手術用衣類に着替え、ベッド上に横になり、心電図の記録、血圧計と酸素吸入器の装着、点滴用カテーテルを手の甲の血管への挿入など、準備作業が熟練した看護師により手際よく進められました。

これまで各種手術を体験した私でしたが、本音ベースでいえば、眼球にメスを入れられることへの不安は皆無といえば嘘になり、少々不安でした。でもそんな時、ドクターが事前に来てくれ、「これから始めますが、30分ほどで済みますから、気楽にしていてください」と日本語で話しかけてくれ、俄然安心した気分になりました。執刀ドクターは日本人なので日本語が通じ、安心度が倍増しました。

間もなく、私のベッドは手術控え室から手術室へ移され、今度は女性の看護師さんが私のメイン担当のようで、これまた日本語で手術の注意事項などを説明してくれました。

テープで頭部をしっかり固定され、酸素のようなガスが鼻から入ってきたところまでは記憶にあるのですが、それから先は意識がなく30分以上眠っていたようです。

目が覚めたときはもうすべてが終わっており、ベッドも元の控え室に戻っており、私の左眼はカバーされた状態でした。看護師さんの事前説明では麻酔は比較的弱いもので手術中に麻酔からさめることもあると聞いていましたが、私の場合ドクターの手際が良かったためか、手術中、私はご機嫌よく眠っていただけでした。

手術後の痛みも感じることもなく、即、退院手続きが進み、待機してくれていた妻の運転で無事帰宅したのはまだ昼前でした。翌17日は朝から手術のフォローアップのため通院し、手術ヶ所のカバーがとれ、手術後の左眼で視界を確認できました。手術前にくらべ、クリアーになり、覆われていた霧が晴れた感じでした。視力も向上しているようでした。

さらに1週間後の25日に再びドクターによるフォローアップ検査があり、順調であることが確認されました。まだ少し傷跡が腫れているが問題ないとのことで、食事、運動、シャワーなど、日常生活に戻ってよい旨許可が出ました。ただ、運動は「ボクシング以外ならO.K.」とのこと(まさか私がボクシングをするわけないよネ)

とはいえ手術後、日にちがまだ浅く、いろいろな目薬を差しているので、完全な状態ではありませんが、手術前にくらべ、視界がクリアーになり、視力も向上していることは確かです。あとはこれにあわせて眼鏡のレンズを新しくすれば良いようです。

再び、新しい光を取り戻すことができ、近代医学の進歩と手術を担当してくださったドクターほか関係者の皆さんに感謝しているところです。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

一本気香車の馬鹿に甘んじる

加害者が開き直った三分の理

深読みの裏にそおっと歩を一つ

妥協案などと勝者の奢るペン

原発の話口下手熱を帯び


( ニュースやぶにらみ )

一本気香車の馬鹿に甘んじる

加害者が開き直った三分の理

深読みの裏にそおっと歩を一つ

妥協案などと勝者の奢るペン

原発の話口下手熱を帯び


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(333)「黒田官兵衛と中津城」

翁は、毎週日曜日夜のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』を楽しみに視ている。主演の岡田准一については、2012年の秋に観た映画『天地明察』(江戸時代前期の囲碁棋士で天文暦学者の渋川春海の生涯を描いた映画)で初めて知った。小柄だが、しっかりした演技力のある俳優だと思っていた。その彼が黒田官兵衛役。初めは(翁が描いていた官兵衛像とは)ちょっとイメージが違う、またまた若い視聴者に媚びるキャスティングかな?と危惧していたが、6カ月も経つと“岡田官兵衛”もすっかり板に付いて来た。

とは言うものの、視聴率は(これまでのところ)低迷が続いているとか。その理由は、いろいろあろうが、翁の周辺で耳リサーチしたところでは@主役(岡田准一)の雰囲気が爽やかであるが故に戦国時代の軍師としての資質と貫録が感じられないA戦国時代に興味がないB黒田官兵衛そのものに馴染がないC(2012年の『平清盛』同様)登場人物がやたら多過ぎて話が散漫になり、疲れるD女優・藤村志保の“おどろおどろしい”ナレーションが気持ち悪い――余談だが『平清盛』については『余話』で「画面が暗く、汚く、登場人物が多種多様で筋道が難解、大河ドラマ史上最悪(愚作)」とこき下ろした。案の定、視聴率も最低を記録した。また、“おどろおどろしいナレーション”と言えば、今、放映している朝ドラ『花子とアン』の美輪明宏のナレーションも気持ち悪い。NHKのドラマ制作者たちは、ドラマの構成(シナリオ)、キャスティング(配役選び)、演出(演技指導・撮影・録音・編集・音楽効果)などの作業環境の中で自己満足に陥り、視聴者心理(映像心理)の配慮を怠ってしまいがち。それは、押しつけがましいNHKの“上から目線”的体質の表れであると、翁は以前から批判しているのだが・・・

『軍師官兵衛』が“視聴率低迷“と書いたが、25回(6月22日)までの平均視聴率を調べてみたら15.7%、これは一昨年の『平清盛』の12.0%、昨年の『八重の桜』の14.6%(いずれも平均視聴率)よりはましだ。しかも(地上波の通常の放送時間帯は20時からだが)翁のようにBSプレミアムで18時から視る人も結構多い(5%前後)。それを加味すると必ずしも”低迷“とは言えないのでは?だが、翁にとって視聴率はどうでもいい、翁が何故に『官兵衛』を熱心に視ているかと言えば、いずれ『官兵衛』は翁の故郷・大分県と深い関わりを持つようになるからである。従来、NHKの大河ドラマや朝ドラは、舞台となる地域の“町興し”に利用されるケースが多い。それはそれで結構なことだ。慶應義塾大学の創設者・福沢諭吉を輩出した大分県中津市では軍師官兵衛推進協議会を結成、キャラクター“くろかんくん”まで作って“官兵衛ブーム”興しに奮闘している。

秀吉の九州平定で大きな功績を挙げた黒田官兵衛は、秀吉から豊前国(ぶぜんのくに=現在の福岡県東部と大分県北部の旧国名)の8郡のうち6郡を与えられ、中心部(現中津市)に『中津城』を築く(初代城主)。たまたま大分に帰省していた翁、何十年ぶりかで『中津城』を訪れた。幸いにも(松本さんという)ボランティアのガイドさんが翁の為に案内を申し出てくれた。以下、松本さんの説明を参考に――

『中津城』は、中津川(山国川の支流)加工の地に築城された“梯郭式”の平城である。
“梯郭式”(ていかくしき)とは本丸を中心に段下がりに二の丸、三の丸を張り出して設計する方式のことで、本丸の背後が自然の防衛線になるような城に多く見られる形式。『中津城』は中津川が自然の防衛線となっている。『中津城』の裏側には今もなお官兵衛の石垣が残っている。右写真の右側半分の石垣(石の色がやや白い部分)が官兵衛苦心の石垣で近世城郭としては九州最古のものだそうだ。左半分は細川氏が改修工事を行なった際の石垣。この城は初代黒田氏(1588年)以後、細川氏(1603年〜)、小笠原氏(1632年〜)、奥平氏(1717年〜明治4年)と受け継がれた。城内の展示物は(154年続いた)奥平氏のものばかりで、官兵衛に関する展示物は見当たらない。(城の入り口付近の『官兵衛資料館』も活字資料がほとんどだ。)

官兵衛は生涯50数度の合戦で負けを知らず、秀吉に「自分の次の天下人」と怖れられた。官兵衛は、秀吉に警戒されていることを知り、44歳の若さで家督を息子の長政(福岡藩初代藩主)に譲り、自らは”如水(じょすい)”と名乗って隠居する。しかし秀吉への忠勤は従来通り。徳川の代になると息子・長政ともども家康に仕え、長政は関ヶ原の戦い(1600年10月21日)で武功を挙げ、筑紫国(つくしのくに=博多)を与えられる。これを機に如水は中央政治から完全に身を引き、京都伏見藩邸にて隠居生活。1604年(慶長9年)3月2日に波乱の生涯を終える(享年59)。

“如水”の号の意味が気になって官兵衛の遺訓を探したら、あった!沢山ある中で翁が特筆したい言葉を拾うと「自ら活動して他を動かすは水なり」「障害に遭ひて激し、その勢力を百倍にするは水なり」「己れの進路を求めてやまざるは水なり」「水は器の形に応じるものなり」・・・さあ、ドラマの後半、“九州平定”と『中津城』、そして“如水”の晩年がどのように描かれるか、大いに楽しみである・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

尾瀬のハイキング

 

“夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬 遠い空 霧の中に浮かびくる やさしい影 野の小道
水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている水のほとり しゃくなげ色にたそがれる
遥かな尾瀬 遠い空 “ 

断片的に思い出すこの懐かしい童謡。そうだ今頃がちょうど水芭蕉のシーズンなのだな〜と友人と尾瀬の話をしていたらお互いに1度も尾瀬に言った事が無いのがわかった。調べてみると新宿から朝初で尾瀬の日帰りバスがあるという。6月の中旬は雨季のシーズン真っ盛り。雨の尾瀬も風情があっていいかも…雨に降られても構わないから行こうと出発3日前にバスの予約を入れて尾瀬に出かけることにした。写真やTVで見た尾瀬は広々とした湿原地帯の中にどこまでも続く平たんな木道の道があり誰でも簡単にハイキングが出来そうなイメージがあった。トレイルによっては車椅子ごと入れる広い木
尾瀬国立公園 鳩待峠入口 尾瀬

道もあると聞いていたので、とりあえず私たちは何も考えず鳩山峠から歩くコースのバスに乗り込んだ。初心者でも大丈夫とパンフレットに書いてあったので私は、お散歩用の底がツルツルの白いウオキングシューズで出かけた。ジャケットやズボンは山用でも登山靴はLAに置きっぱなしで持ってきていなかった。山の経験があまり無い友人は初めて登山靴が履けると喜んでいた。見ると本格的なハイカットの防水加工がしてある立派な登山用の靴だ。ところが方手にはおしゃれな黒のハンドバック、片手には重い厚手棉のパーカーを携えていた。周りを見るとポールを持っている人が目立つ。バックパック
尾瀬 水芭蕉 水芭蕉の花

も大きく本格的な登山スタイルの人が多い。何だか友人も私も、ちぐはぐな服装だった。鳩山峠の出発地点から山の鼻、山小屋に至る木道は標高が1,591メートル。だらだら長い下り坂が3,3km 約60分その道は続く。下り坂の両脇は緑に囲われて木陰になっていて涼しくて気持ちがいい。途中、川のせせらぎに交じってカッコーとウグイスの鳴き声が交互に聞こえリラックスモードになる。下り坂が終り平坦な道になるとその先に休憩所と山小屋が見えてきた。そしてその向こうに山々が連なってやっと広々とした尾瀬の湿原地帯が現れた。ここが最初の休憩地点、そこで私たちはランチをとってゆっくり

湿原地帯の花を観賞する事にした。白い水芭蕉も印象的だけれど様々な色の可憐な花が咲いてそれらを見て歩くのも楽しい。ランチをとっているとビールケースや食料が入ったケースを身の丈ほどにしょって山小屋へ向かう若者が目の前を通り過ぎて行った。その中の一人と話してみたらアフリカやキューバーを旅して帰ってきたばかりだそうだ。楽しかったけれどお金が無くなったからまたこうしてお金を稼いで溜まったらまた外国の山歩きに出かけるのだと嬉しそうに話していた。
学校を卒業してすぐに社会人として会社人生を過ごすのも一つの人生だけれど自分の満足する生き
  山小屋への道 食糧運び

方を誰からも干渉されること無く人の目を気にしないでやってしまう行動力もいいなと思う。1度、会社の組織の中に入ってしまうとなかなか自由きままな旅は出来ない。今出来る環境にいるのなら今のうちにたくさんの経験を積んでおく事もいいのだろうと思う。寄り道はただの寄り道でなくいろんな発見や宝物を拾えるチャンスもある。少し前に今の若者は内向きで外に出たがらないという話を聞いたことがあるけれど、そうでもないように思える。以前ほど米国に行きたいと思う若者は多くなくなったかもしれないけれど米国以外の海外に出ていく若者は案外多いような気がする。
帰りと同じ坂道を登っていると後ろで誰かが”初心者向きと書いてあったけれど、何だか騙された〜”とぼやいていた。確かに登りは日頃運動不足の人にはきついかもしれない。
翌々日、筋肉痛になったと友人からメールが入った。運動不足の割には全く筋肉痛が無かった私は少しだけ私の方が友人よりも若いかも、などと一人、にんまりしてしまった。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズが大好き−今週のお奨 めアルバム

Qのつくアーティストは少ないです。私のデータベースには4つしかありません。
それでもQuincy Jonesを2回も紹介しています。今回ご紹介するのはQuinn Johnson の"Quinn Johnson Trio"です。アップテンポで歯切れのいいピアノが好きです。最近は外に出るときウォークマンで聴いているアルバムです。聴けば聴くほどレベルの高いピアノジャズだと思います。何度聴いても飽きが来ないですね。

"Quinn Johnson Trio" Quinn Johnson

01-What Is This Thing Called Love_
02-Transition
03-Tin Tin Deo
04-Bolivia
05-Chelsea Bridge
06-Funkallero
07-Prelude To A Kiss
08-Speak Low
09-Brigas Nunca Mais
10-Straaight No Chaser
11-A Child's Gift
ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

我が家のベランダから六甲山(私のところから見えるのは西宮市、宝塚市)を見ると住宅地がずいぶん上の方まで来ています。過疎化が進んでいるところもたくさんあるというのに住宅はどんどん造られています。その分、緑が削られたのでそこに住んでいた動物もどこかに追いやられたと思います。山には食べ物が少ないので、住宅地のごみ置き場まで来ると食べ残しにありつけます。おまけに餌をくれる人もいるので彼らにとっては天国です。でもたまに驚いて人を攻撃するので大騒ぎになります。山を切り開いて住宅地を造ったのですからこんなことが起こるのは容易に想像できます。動物が人に危害を加えるとたいていの場合、動物が犠牲になります。自然保護、自然と共生しようと思うなら、そこに住む人間も自然環境を守る生活をしないと自分たちに跳ね返ってくるのは当たり前ですね。
《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.946

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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