weekly

NO.944           Ryo Onishi              6/15/2014

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 
雑貨屋のひとり言

介護に関連したことで両親が住んでいる町の市役所へ何度か行きました。窓口は定型的なことはさっさとやってくれるのですが、こちらが困っていることを相談してもマニュアルに書かれてあるような説明に終始して適切な対応をしてもらえませんでした。何度か窮状を訴え続けているうち、ようやく私の意図を理解してくれて解決策を提案してくれた担当者が現れ、問題を解決することができました。役所は困っている市民を支援してあげるところだと思うのですが、まだ物足りたいところがあります。一昔前に比べれば役所もちょっとマシになっているようですが、もっと市民満足度を向上させてもらいたいものです。≪R.O≫

 

男 の 驕(おご)り

 日本にいる知人の K氏は、折に触れ、世の中の機微と本音の言葉を「一口コメント」風にまとめ、E-Mailで送ってくれます。これらの“言葉”は必ずしもご本人の創作ではないようで、どこかに「種ね本」があるらしいのですが、思い当たること、考えさせられること、時には全く賛成しかねることなど色々で、いつも読むのを楽しみにしています。

 先日、こんなのがありました。
**********************
★「 悲劇の法則 」: 悲劇の美女は運命を恨むが、悲劇のブスは両親を恨む。
★「 ナンパの法則 」: ブスが人の足を引っ張る。
**********************
 
自称フェミニストの私は、この「法則」には、俄然反発し、即、次のような反論をK氏へ送信しました。

「“美女”と“ブス”の定義と区別(差別)は我々男性が勝手に決めているもので、 “男の奢り”以外のなにものでもないと思います。私は世の中に“ブス”など一人もいないと思っています。」

 これまた、愛妻家で、フェミニストの K氏から早速次のようなコメントが届きました。

「実はこの辺は書き写すのは止めようかなと思ったのですが、マッ、良いか(イイッカ)という投げやりな気持ちと、皆がどう思っているのか返事も聞きたいなという気分で送りました。私も貴兄と同意見で“ブス”などいないと思っています。人は、(男も女も皆)何かを持って生まれてきていて、皆それぞれ魅力があります。その魅力をどう出していったら良いのでしょうか?」

またある時、こんな「法則」を受信したことがありました。
***********************
★「 恋愛と友情の法則 」:一度でも恋愛感情を抱いた人とは、決していい友人になれない。また恋人でい続けることも出来ない。肉親になるか、赤の他人になるかの道しかない。(それしかないとは男女の中は寂しいもんだ!! ― K氏コメント)
***********************

私はこの「法則」にも反発し、この時も次のような反論をK氏へ送信しました。
「本当に心から愛した人(恋愛感情を抱いた人)なのに、一緒になれなかった相手に対しては、生涯秘めた思いを持ち続け、肉親でも赤の他人でもない感情のもと、せめていつまでもいい友人であり続けたいと願う気持ちもあるのではないでしょうか。“肉親になるか、赤の他人になるかの道しかない”という発想は余りにも即物的、ネガティブな発想であり、精神的な側面をもっと尊重したいものです。いかがでしょうか。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

今日からは自適名刺の髭を剃る

職退いてから肩書きの数が増え

父さんのペンダコ我が家遺産です

父の日に派手目のシャツを贈られる

父の日に先ずは丈夫という宝


( ニュースやぶにらみ )

「絶滅危惧種に」

復活を期そうな ニホンウナギくん ー野田ドジョウ

「混合医療」

仁術と算術ですか −患者

「ハンマー投げで20連覇」

投げないで精進した −室伏選手


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(85)
*宮本百合子ー千駄木、動坂
千駄木林町(現五丁目〉で生まれてすぐに、父(精一郎・建築家)の仕事の都合で札幌にに行きますが、三歳の時に戻り、ここで少女時代を過ごします。
田端へ電車を見に行ったり、当句会場の駒込学園裏一帯にあった、牧田牧場の牛を見に行ったりなど、百合子の少女時代の一端です。
宮本百合子『道灌山』より、「おさない二人の男の子と、それよりもすこし大きい女の子(注・百合子姉弟のこと)とが、ぴったりはりついて目の下にひろがる田端駅の構内をあきず眺めている柵のところは、草のしげったほそい道になっていた。(略)汽車が見たい時代に、私たち子供にとってもう一つ実に素晴らしい見ものがあった。それは牧田の牛だった。(略) 母方の祖父のお墓が養源寺という寺にある。(略)牧田の牛は、この(寺の)地蔵たちの前を通りぬけ、井戸からすこし先の竹垣のこわれから、よくみることが出来るのだった。今思えばいかにも市中の牧場らしく、ただ平地に柵をめぐらされているだけのその牧場だったが」。 ちなみに母方の祖父は明治初期の思想家の西村茂樹で、その墓は都の史跡に指定されています。
当時牧田牧場は近くの子どもたちの絶好の遊び場でしたが、百合子は田端へ汽車を見に行くのも、牧場へ牛を見に行くのも女中さん付きでした。そんなお嬢さん育ちの百合子が、後にプロレタリア運動にのめりこんでいきます。
女子大一年の時に父方の郷里の郡山の農村を舞台にした小説『貧しき人々の群れ」を書いて天才少女と言われ、その後アメリカにわたり、そこで1919年結婚しますが、進取的な百合子と保守的な夫との違和と葛藤に苦しみ、4年後に離婚。
宮本百合子『年譜』1920年より。「この年から足かけ四年ばかりは泥沼時代だった。小市民的な排他的な両親の家庭から脱出したつもりで四辺を見まわしたら、自分と相手とのおちこんでいるのは、やっぱりケチな、狭い、人間的燃焼の不足な家庭の中だった。」
1930年西欧、ソビエトに旅行。帰国後、日本プロレタリア作家同盟に加入。翌年日本共産党に入党。その翌年に、宮本顕治(1958〜1997共産党書記長、議長)と再婚して動坂に住みますが、言論弾圧の下、敗戦まで一緒に暮した期間はわずかでした 。
再び『年譜』1932年より。「二月。宮本顕治と結婚。本郷動坂に家をもった。四月七日。文化団体に対する弾圧。私は駒込署に検挙され(八十日間)、宮本顕治は非合法生活に入った。九月。日本プロレタリア文化連盟婦人協議会会議中、全員検挙、一ヵ月検束された」 
『伸子』『播州平野』『道標』等を残し1951年千駄木の家にて急逝。51歳でした。

[蛇足]
百合子の自伝的長編三部作『伸子』『二つの庭』『道標』のうちの『二つに庭』で、こんな一文を見つけました。「〈おとよさん、おとよさん〉 庭に面した座敷へいった素子が呼んだ。〈きのう貰った五家宝切っておいで、お茶も願いますよ〉 やっと我が家でくつろげるという風に、伸子は子供らしい顔つきになって好物の五家宝をたべた。」
文中の伸子(宮本百合子)と素子(ロシア文学者湯浅芳子)は昭和初めの一時期、共同生活をしていました。
私の父は滋賀県から上京して、菓子問屋に勤め、大正9年に製菓業(五家宝の製造)を始めていますので、百合子の食べた五家宝は私の父が作った五家宝?(だといいな)。

龍翁余話

龍翁余話(332)「愛しの古女房」

翁には15年も連れ添っている“愛しの古女房”がいる。その名を(トヨタ)“クラウン・ロイヤル・サルーン”と言う。車の15年は、人間の歳月に例えるなら50年にはなるだろう。その間、翁の足となってくれた(時には翁の命を守ってくれた)“古女房”が愛おしくってたまらない。ちょっと東京を留守にして帰宅した時など、(マンション1Fの駐車場で)主人(翁)の帰りを待ってくれている“古女房”に真っ先に近寄り、軽くボディタッチして「帰ったぞ」と挨拶をしてからエレベーターに乗る。それほどに愛おしいのだ。

車のメカに弱い翁でも、長年一緒に居ると、エンジンを掛けただけで(エンジン音を聞いただけで)“古女房”のご機嫌具合が分かる。と言うか、幸いなことに15年もの間“古女房”は1度も機嫌を損ねたことは無い。翁のマンションの前の道路(中原街道)の真向こうにニッサンの(工場を兼ねた)営業所がある。翁の車はトヨタだが、以前から翁の車の車検や6か月点検を頼んでいる。課長のS君が(翁の我が儘をよく聴き入れ)なかなか良心的に対応してくれている。そのS君いわく「本当はニッサン車に乗り替えていただきたいのですが、この車(クラウン)だと、正直、まだまだ乗れます。私がしっかり点検しますから大丈夫です」と“営業”抜きで付き合ってくれている。旧友たちも「やはり、龍翁さんにはクラウンが似合います」とお世辞を言ってくれる。それほどに翁とクラウンの付き合いは長い。翁のマイカー歴はマツダ(ルーチェ)、ニッサン(ローレル、スカイライン、セドリック)を経てトヨタ(クラウン)に乗るようになってもう40年を数える。

世の中がバブル景気に浮かれていた時代、(多くの経営者がそうであったように)翁も人並みに3年毎に新車に買い替えていた。しかし、バブル崩壊後は、そんな贅沢なことは出来なくなった。バブル崩壊は、データ的には1990年の暮れ頃から始まったと言われるが、深刻な社会問題として“崩壊”を実感するようになったのは、もう少しあと。全国的に地価下落、求人倍率低下、企業の業績悪化による学生の内定取り消しなど“就職氷河期”に入ったのは1996年頃からだったか。そして不良債権問題や株価低迷によって金融機関が次々と破綻に追い込まれるようになったのは1997年から1998年にかけてだった。それでも多くの人は“バブル崩壊”を甘く見て「そのうち持ち直すさ」と楽観視、それが祟って日本経済は真っ暗なトンネルの中に引き込まれ、出口を探し出すことが出来ず多くの企業が倒産の憂き目を見た。翁の同業(映像プロダクション)他社も次から次へと消えて行った。翁の会社が何とか生き延びたのは、当時の財務担当役員(現・社長)K君の緻密な財務計画、健全な経営計画、(社長ほか役員給与の大幅カット、接待費の大幅削減などの)再建計画、そして社員たちの節減節約協力のお蔭である。“生き残った”とは言え、今までのような贅沢はもう許されない。公私ともにかなり厳しい節約を余儀なくされた。それでも(今の)クラウンを1999年に購入した時は「4,5年も待てば、また買い替えが出来るかな」と甘っちょろい期待感があった。そして5年が過ぎ、10年が過ぎ、15年経った・・・

買い替えが出来なくなった主な原因は経済問題だが、年数を重ねるうちにマイカーが翁の体の1部のようになり、歳月の流れと共に“愛おしさ”が増して来たことも(手放せなくなった)要因の1つ。車を愛する人には、その実感は容易に理解して貰えるだろう。10年経った頃「このクラウンの生命力(性能)と翁の年齢を考えて、もしかしたら余生を共に過ごすことになるのでは?」ヤセ我慢ではなく、お互いを知り尽くした長年の相棒同士だ「お互いに老いて見栄えは悪くなったが、元気でさえいたら、それでいいではないか」という気持ちが強くなって来た。

クラウンは、乗用車の中では大型の部類だから車検料や税金(自動車税・自動車重量税)なども高い。しかも翁の“古女房”は燃費(1リットル当たりの走行距離、もしくは一定の距離をどれだけのガソリンで走れるかを示す指標)が悪くガソリン代も高くつく。「エコカー時代だし、龍翁さんも中型で燃費のいい車に買い替えたら?」と親切に助言してくれる友人もいる。そんな時、一瞬、気持ちが動き、車のテレビCMが気になることもある。だがしかし、翁の思いの行き着く先は「古女房への愛情・信頼・安心」――この気持ちは、他の車やお金には代えられない。

つい最近、(前出の)ニッサンのS君から「龍翁さんのお車の走行距離は10万キロを超えていますから(実際は12万キロ)、そろそろタイミングベルトを交換した方が安全です」とのアドバイスを受けた。タイミングベルトとは、人間の体に例えるなら、血液の通り道である血管と血液を循環させる役割を果たす心臓などの(心肺能力を有する)循環系に該当するそうだ。つまり、このベルトが切れるとエンジン(心臓)が止まってしまう。エンジンが止まれば当然、車が動かなくなる。高速道路で急にエンジンが止まったら、後方車輌からの追突事故に見舞われる危険性もある。しかも、このベルトはエンジンルームを覗いても見えないから普段のチェックは出来ない。そこでメーカーは、交換時期を一応、走行距離10万キロ、と設定している。

タイミングベルトが切れるとエンジンは壊れる(心肺停止)。そうなると“愛しの古女房”と余生を共に過ごせなくなる。それは悲しい、それは困る。そこで早速(昨日)タイミングベルト交換と6か月点検でニッサンのS君にクラウンを預けた。たまたま、翁、所用で10日間、九州へ出かける。S君が言った「完璧に仕上げてから龍翁さんの駐車場へお届けしておきます」。翁「よろしく頼む」――営業所を出る時、“愛しの古女房”に目で合図を送った。「行ってくるよ、10日後に会おうぜ」。営業所の蛍光灯に薄く浮かび上がっている白色のボディが、何となく寂しげだった、そう思いたいほど、翁自身が別れ難かった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

医は仁術(特別展)

東京は博物館の数がとても多い。その中で3月15日から6月15日の間、国立科学物館で開催されている “ 医は仁術 江戸の医から未来を眺める ”と言う特別展があったので行ってみた。 ゆっくり
案内 救民妙薬

見たかったので開場してすぐに入場したのに週末に行ったのが間違いで、平日に行けば良かったと後悔するくらいたくさんの人で混雑していた。子供から大人そして今回は医療関係に携わる人も来ていたようだ。特に杉田玄白の解体新書は彼の直筆の漢詩、日本最古の解剖原図が世界初公開という事もあってそのブースの前は人だかりで良く見えなかった。花岡青洲の手術器具や模型の前もたくさんの人で溢れていた。フラッシュ撮影しなければ写真撮影は許可されていたのでブースの前でじっくり写真を撮っている人も多かった。そんなわけで、まずは、見られるところから先に見て気になったブースや見られなかったブースは出口付近まで行ったらUターンして再度、逆から見ていくことにした。会場は5つのテーマに分かれていて第1章は医療がまだ確立していなかった頃の日本で人々にとって病というものが、どのように捉えられ、どのように対処されてきたのか、第2章は東から西から伝来した医術が
飲食養生鑑1

江戸時代どのように発展していったのか、第3章は東西の医術を和の精神で融合させ日本独自の医の精神 ” 仁 ” (他を想う心)という理念が育まれていった背景、第4章は明治時代の近代医学について、そして第5章の現代医学は内視鏡やMRI,CTなどの新しい医療機器に加えて今話題になっている3Dプリンターによる臓器モデルの展示やプロジェクションマッピングで体の仕組みがわかるように展示されている人体、最先端医学としてのIPS細胞の実物(固定標本)の展示があった。
どのブースも其々興味深いものがあったが江戸時代に杉田玄白が作った養生7不可の教えが今の私たちのライフスタイルにも当てはまるようで印象に残った。
一 昨日の非は恨悔すべからず(過ぎたことをくよくよしない)
二 明日の是は慮念すべからず(先のことを思い煩わない)
三 飲と食とは度を過すべからず(過飲・過食を慎む)
四 正物に非ざれば苟も食すべからず(出所の分かった新鮮な食べ物以外は食べない)
五 事なき時は薬を服すべからず(やたらに薬を飲まない)
六 壮実を頼んで房を過すべからず(己の快楽に溺れない)
七 動作を勤めて安を好むべからず(体を動かして安逸に流れない)
読んでいて思わず、なるほどな〜と今更ながらうなずいてしまった。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズが大好き−今週のお奨 めアルバム

今週はちょっと珍しい名前の女性アルトサックスプレーヤー「纐纈歩美」をご紹介します。"こうけつあゆみ"と読みます。漢字をみれば何とか読めそうですが、書けと言われると難しいですね。2010年の7月にデビューしたばかりで、今回ご紹介するアルバム"Daydream"は2枚目です。Embarcaderoは聴いたことがあると思ったらPaul DesmondのアルバムTake Tenにありました。マイルドな響きのこの曲は気分がよくなります。一青窈が唄っているハナミズキもあります。全体に聴きやすくよくできたアルバムだと思います。アルバムの彼女のさわやかな笑顔が素晴らしいですね。これからの活躍が大いに期待できるアーティストだと思います。こんな美人を街で見かけたらきっと振り返ると思います。

"Daybreak" 纐纈歩美(Kouketsu Ayumi)

01.Daybreak (Ayumi Koketsu)
02.Sub-Conscious-Lee (Lee Konitz)
03.Embarcadero (Paul Desmond)
04.How Deep Is The Ocean (Irving Berlin)
05.ハナミズキ (一青 窈, マシコ タツロウ)
06.Evidence (Thelonious Monk)
07.After Dark (Yoshihiko Naya)
08.I Can't Get Started (Vernon Duke, Ira Gershwin)
09.Out Of Nowhere (John Green, Edward Heyman)
10.Ezz-Thetic (George Russell)
11.Oleo (Sonny Rollins)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

 梅雨に入り、大雨が降ったりして大きな被害が出ているところがあるようですが、私たちの住んでいる大阪近辺は雨が降りそうで降らない日が結構あります。今年の梅雨は地域によって大きなばらつきというか違いがあるようですね。《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.944

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com