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NO.939           Ryo Onishi              5/11/2014

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雑貨屋のひとり言

数年ぶりに阪神甲子園球場に阪神巨人戦を観戦しに行きました。誘ってくれた長男と二人で行きました。残念ながら阪神タイガースは逆転負けを喫しましたが、超満員のスタジアムはいつものように甲子園らしい応援が繰り広げられ、それを観ているだけでも楽しめました。5月中旬だというのに 肌寒くビールの売れ行きはもう一つだったようです。
甲子園に行く前に、大阪に行きヨドバシカメラに寄りました。WiFiオーディオシステムで音楽を楽しめるAirプレイのオーディオ機器をチェックしました。私たちは二人とも新しい物好きなので会話が弾みます。 楽しいひと時を過ごせました。≪R.O≫

 

癌手術後3年経ちました

私の日課となっている各種ドクター検診通いの一つにキャンサー・ドクター(癌検診医)のオフィスがあります。3年前の4月、私が十二指腸周辺の膨大部癌の切除手術を受けてから術後の経過をもっぱら担当してもらっています。

数日前、その前週に行った検査結果を聞きにドクターのオフィスへ行きました。ドクターからは癌に関しては術後なんの問題もおきていないとのコメントがあり、ホッとしているところです。

キャンサー・ドクターとは手術執刀ドクターとは別で、手術後の経過、再発、転移などをチェックしてくれる専門ドクターのことです。血液検査、CTスキャン検査(レントゲンによる体内横断撮影)などでチェックしてくれます。

私の場合、三年前に癌が見つかり、手術では胃の大部分、十二指腸、小腸の一部までを切除し、さらに十二指腸につながっている膵臓ほかの臓器をつなぎ合わせたのだそうで、執刀医のドクターによると、私の腹の中で5箇所の臓器をつなぎ合わせたので、長時間にわたる大手術だったようです。

この種の癌摘出手術の場合、癌の再発・転移の可能性があり、術後3ヶ月、6ヶ月、1年、3年、それに5年が節目の時だといわれます。私の場合、3ヶ月、6ヶ月、1年、3年が過ぎたことになります。いまのところ経過が順調であるということはありがたいことです。

とはいえ、術後はやはり体力の衰えはいかんともし難く、体重も30Kg近く減りました。また、これは手術が理由ではなく、透析による血圧の不安定、血糖値管理(インシュリン注射)その他の原因によると思われますが、しばしば突然のめまいにおそわれるため、相変わらず車の運転は遠近にかかわらず妻に頼っているのが現状です。

 手術前、私がまだ“元気印”だったころは暇さえあれば外出ばかりしていました。当地周辺の観光スポットも2百ヶ所以上も取材してまわりました。一日平均100マイル(160キロメートル)近くだったこともあるドライブも最近はめっきり減り、オイル交換やチェックに利用している、なじみの車両点検所の主人に「この車、最近はマイレージがのびませんね」といわれています。

 いわれてみれば、このところ外出は市内の透析センター、リハビリセンター、ドクター診療所などなので、ドライブの距離はのびる筈がありません。

外出と食事制限の中で体力が減退したいま、気分的にも消極的になりがちですが、ここでキャンサー・ドクターから癌手術から3年を無事乗り越えたとの吉報をもらい、精神的に希望がわいてきました。さらにリハビリ訓練に励み、体力、気力の向上に努めたいと思っています。

いつの日か、またあちらこちら自由に旅行が出来るようにし、車両点検にいって「最近はマイレージがのびましたね」といわれるようにしたく思っています。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

母の日にスマホで花束の添付

妻の絵も愛嬌 居間に飾られる

白飯とお新香 妻も餓え世代

主婦業もときにカボチャの馬車の夢

夫婦杉 年輪哀も喜も刻み


( ニュースやぶにらみ )

「交代なし記録の500日」

よく……やった? もった? ―安倍内閣閣僚

「好きな言葉」

それでも地球は回ってる −小保方晴子

「営業利益1兆円越す」

(⌒〜⌒)ニンマリ −ソフトバンク


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(327)「母の日」

今日(5月11日)は『母の日』。言うまでもなく、お母さんの苦労、お母さんの愛に感謝する日、そして(翁の場合は)亡き母を偲ぶ日でもある。

♪母こそは命の泉 いとし子を胸にいだきて微笑めり 若やかに麗しきかな 母の姿〜〜
年配の人の多くは、この歌を知っているだろう。1943年(昭和18年)に制定された文部省唱歌、野上弥生子作詞、下総皖一作曲『母の歌』である。翁、小学校で習ったのか、兄姉が歌っていたのを聞き覚えたのか定かではないが、いつの間にか3番まで歌えるようになっていた。しかし、この歌詞の意味の深さを理解するようになったのは(15歳で親元を離れ、単身、神戸に遊学して)中学3年生か高校1年生になった頃ではなかったかと記憶する。子どもの頃、腕白坊主のガキ大将だった翁だったが、神戸での独り暮らしが始まった当初(下宿先が叔父の家だったとはいえ)、そこは15歳の少年、(今で言う)ホームシックにかかったこともしばしば。そんな時“母の微笑み”を想い浮かべ、この歌を口ずさみながら胸をつまらせたり、その母の期待に応えなければ、と気持ちを奮い立たせたりしたものだ。時は流れて――14年前に母が逝って以降は、毎年『母の日』には母の遺影に線香、お茶、果物、そして数本の白のカーネーションを手向け、在りし日の“母の姿”を偲ぶことを恒例としている。

さて、『母の日』の始まりについては以前に『余話』に書いたことがあるが、今から100年前の1914年(大正3年=日本では宝塚少女歌劇が初公演、ヨーロッパでは第1次世界大戦勃発の年)、アメリカのある女性が、亡くなった母親を追悼してカーネーションを贈る運動を始めたことを、当時のウエストヴァージニア州知事が知り、感動して「5月第2日曜日を“マザース・デー”にする」と宣言して『母の日』が制定された、と伝えられている。日本では1931年(昭和6年)に香淳(こうじゅん)皇后(昭和天皇の皇后=良子(ながこ)様)のお誕生日(地久節)を『母の日』としたが、戦後の1949年(昭和24年)頃、アメリカに倣って5月第2日曜日に行なうようになった、というのが定説である。

ご存知、「孝行の したい時分に 親はなし」という(江戸時代に作られた)川柳がある。
“子を持って知る 親の恩”――子を持って親の有難さを知り、孝行をしようと思う時には、親はもういないことが多い。だから、親が生きているうちに、しっかり孝行をしなさい、という江戸時代からの教訓だ。翁は次男で(神戸遊学の後は、ずっと)東京住まいだったので、ろくに親孝行は出来なかったが、幸いに官吏だった(生真面目な)兄が母の傍におり、長姉も母の近所に住んでいたので兄姉ともに孝養を尽くしてくれた。お蔭で翁は年に1,2度故郷(大分県)へ帰省した際、親孝行の真似事をする程度だったが、それでも母は大喜びだった。時折、兄は母の前で(冗談に)「東京の人(弟の翁のこと)はいいなあ、年に数日だけ親孝行して母に褒められ、365日親孝行をしている長男は1度も褒められたことがない」と愚痴ると、母は笑って「口には出さねど心の中で感謝しているよ」・・・その兄も、母の死の2年後に他界した。兄の“親孝行“ぶりは今でも友人知人の語り草になっている。翁が東京で(安心して)自由奔放に生きてこられたのも、親孝行の兄と長姉、そして叔母(母の妹)や兄嫁がいてくれたからこそ、である。

『龍翁余話』を毎号掲載してくれている『雑貨屋ウイークリー』(主宰:大西良衛氏=大阪)の執筆グループの先輩に、河合成近さんという川柳・風刺作家がおられる。翁は毎号、氏の川柳や風刺を楽しみに拝読しているが、時には笑い、時には瞠目し、時には胸を熱くすることもある。昨年の『母の日』(5月12日)発行の『雑貨屋ウイークリー』(887号)に掲載された河合さんの川柳【叱ってる 母さんの目も 泣いていた】も胸を熱くした忘れがたい1句だ。この句は、翁が(腕白盛りの)子どもの頃の“母子ドラマ”を5・7・5で見事に再現してくれている傑作。翁、今年はこの句を短冊に書して『母の日』の1週間前から、母の遺影の脇に飾っている。

ところで「孝行の したい時分に 親はなし」に、いささか異論がある――勿論、親が生きているうちに孝行をするにこしたことはない。それも、単にお金や物をプレゼントするというだけでなく、話し相手になったり、散歩のお供をしたり、病院に連れて行ったり(遠くに離れていれば)定期的に電話したり、手紙やEメールを送ったり・・・親とは精神的疎遠にならないことが大切であることは言うまでもない。ならば、親が亡くなってしまえば親孝行は終わるのか、と言えば、翁はそうは思わない。自己満足とは思うが、祥月命日は勿論のこと、月命日、春秋の彼岸などに亡き人の冥福を祈ることもある種“孝行の形”であろう。そして、最も重要な孝行は、亡き人の分まで(親からいただいた己れの命を大切に)健康で長生きし、世の為、人の為に尽くそうと努力することだと思っている。余談だが、独り暮らしの翁は、母(や兄)の遺影に向かって、出かける時は「行ってくるよ」帰宅した時は「帰ったよ」、数日、家を空ける時は「留守を頼むよ」そして「俺の無事を祈ってくれよ」・・・こうなると、孝行ではなく、自分の為の“仏頼み”なのだが、そうやって遺影と会話するのも“翁流孝行”と勝手に思い込んでいる。

カーネーションの花言葉は「母の愛」「女性の愛」「清らかな愛」。赤い花は「健在する母の愛」、白い花は「亡き母の愛」だそうだが、子から母へ贈るカーネーションは、いずれもが
「母への感謝の花」であり、感謝してもしきれないのが高山深海の如き“母の愛”なのだ。
♪母こそは 千年(ちとせ)の光 人の世の あらん限り 地に映ゆる天つ日(あまつひ)なり 大いなるかな母の姿(『母の歌』3番)まさに、母とは“天つ日=天地を照らす太陽)の存在なり”。『母の日』に際し、改めて偉大なる母の愛に感謝の真(まこと)を捧げようではないか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究



昨年の春に食べた筍の天ぷらがあまりにも美味しくて今年もこの春の恵みの筍を食べたいと思っていた。先週、たまたま武蔵野の面影が今も残る芦花公園に出かけた時にタケノコ堀をしていた人に出会った。それも住宅地の一角に竹藪を残してある家の敷地の中での事だ。地表から少しだけ出ている筍を丁寧に周りからスコップを入れて掘っているのを見て“ 大変そうですね “ と声をかけた。すると” 最近の若いもんは、こんな筍堀は誰もやりたくないから私が毎年、この家に手伝いに来ているんだよ ”と笑って言った。特に、この時期は油断するとあっという間に筍が成長してしまうらしい。雨後の竹の子とは良くいったもので雨が降った後は特に筍の成長が著しいそうだ。何だか珍しくてその筍が掘り出されるまでじっとその様子を見ていた。筍は掘る時間帯があって日の当たらない早朝のうちに掘るのがいいそうだ。そして採れた筍はその日のうちに料理して食べるのが一番美味しいのだそうだ。ふと見

るとその大きな敷地の庭先では採れたてのお野菜が売られていた。今まで掘りたての筍などは食べた記憶が無かったので今年は、その堀たての竹の子を食べてみることにした。他にも菜の花や他のお野菜があったらしいが、すでに完売だった。とりあえずどんなものか筍を2本だけ購入してみた。その日のうちに食べなくてはと早速家に戻ってから下ごしらえだけでもと思い調理にとりかかった。たった2本の筍なのに皮を剥いだらたちまち袋一杯に筍の皮がとれた。 知人の子供が初めて筍を見た時 “ これ狸の皮?” と聞いたらしいが外側は毛羽立っていて丈夫そうだ。何だかその皮を捨ててしまうのはもったいないし何か利用価値が無いのだろうかと調べてみたら昔は筍の皮を利用してタケノコ草履を作ったりしたそうだ。また防腐効果の高い筍の皮でおにぎりを包んだりして利用されていたそうだ。なるほどと感心しながら次回チャレンジしてみようと思った。
さて、この旬の筍の薬効を調べてみるとカリウム、物繊維、チロシン ビタミンB2 カルシウムがあって体にも良さそうだ。チロシンという物質は神経の伝達に関わる物質を作ったり代謝をコントロールする甲状腺ホルモンの原料にもなるそうだ。旬のものは冬に溜まった毒を取るとも言われている。食べ物はやっぱり薬なのだな〜と改めて思う。
そういえば筍について調べていたら筍医者という言葉を見つけた。
「藪医者」(やぶいしゃ)というのは診断や治療の能力が劣った医者の事をいい「筍医者」(たけのこいしゃ)というのは、これからヤブになっていく医者だそうで思わず笑ってしまった。
何でもこの言葉は古典落語の桂枝雀師匠の「夏の医者」で出てくるらしい。
茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

ここのところピアノ以外のジャズの紹介が続いていましたので今週はピアノジャズを選びました。前から紹介しようと思っていたアーティストCedar Walton Trioのアルバム"Midnight Waltz"です。1934年生まれのジャズピアニストCedar Waltonのアルバムです。"Midnight Waltz"は2005年に録音されているのでCedar Waltonが71歳の時のアルバムです。ちなみにドラムのJimmy Cobbは1929年生まれです。いつまでも素晴らしいジャズを聴かせてもらいたいと思います。"Midnight Waltz"は聴けば聴くほど好きになるアルバムです。

"Midnight Waltz" Cedar Walton Trio 

01. Bremond's Blues
02. Turquoise
03. Cedar's Blues
04. Midnight Waltz
05. Holy Land
06. Theme for Jobim
07. Dear Ruth
08. The Vision
09. Bolivia
10. Ugetsu
Cedar WaltonN(p), David Williams(b), Jimmy Cobb(ds)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

河合さんの前向きな生き方は見習いたいと思います。はやく旅行ができるようになるといいですね。

錦織圭選手がスペインのマドリッドで開催されているムトゥア・マドリッド・オープンで決勝まで勝ち進みました。この時点で世界ランク9位になりました。どんどん実力が上がっているようです。頼もしいですね。つまらないニュースが多い中で、スカッとするニュースで、とてもうれしくな りました。《R.O.》


雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.939

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com