龍翁余話(325)「韓国客船沈没事故に思う」
痛ましい事故発生から10日が過ぎた。4月16日午前8時46分、韓国南西部・珍島(チンド)付近で起きた韓国旅客船の沈没事故。修学旅行中の高校2年生の生徒352人、引率教員14人、一般客108人、乗務員29人の計476人が乗船、うち救助された人(生存者)174人、死者187人、行方不明者115人(4月26日現在)、連日、懸命の捜索活動が続けられているものの、船内には浮遊物が散乱し、各扉は固く閉ざされ、早い潮流や悪天候の影響で捜索活動は今後、かなり難航することが予想されている。この惨事の原因は、これまでにいろいろと報道されているが、韓国海洋警察と検察の合同捜査本部は、無理な改造(客室増設)による船自体の構造変化(船が傾いた時に、元に戻そうとする“復元力”の低下など)、安全性を無視した荷物の過積載、未熟な操舵による過度な右への針路変更など、複合的な要因による事故であったとする見方を明らかにした。
すでに報じられているように沈没した船『セウォル号』は、1994年に日本で建造され、当初、鹿児島―沖縄航路『フェリーなみのうえ』(全長145m、幅22m、総重量6586t、旅客定員804人)として運航していたもの。2012年に韓国の船会社に売却、その後(当旅客船は)最上階後方に客室を増設(旅客定員960人)、車輌やコンテナの積載量を増やすため船首右舷側の貨物用ランプウエイ(貨物の出入り口施設)を取り外すなどの改造が施され、重心が(日本時代より)高くなり、航行の安全性が疑問視されていたという。“人命より営利優先主義のしっぺ返し”との非難が続出している。まさにこの事故は100%人災だ。『セウォル号』の船長が出航前に仁川港の運航管理室に提出した“出航前の点検報告書”に虚偽記載があったそうだ。事故後に発覚した記録によると(船長が提出した点検報告書より)貨物は500t、車輌は30台も多く積まれていたという。また、船首あたりに10個あまりのコンテナが積まれていたが、これは報告書には記載されていなかったそうだ。このような“ずさんな報告書”が毎回、罷り通っていたかと思うと、背筋が凍る思いだ。そして、絶対に許せないのが船長以下、乗務員らの、乗客を置き去りにして自分たちだけがいち早く脱出した船舶遭難史上最大の“恥さらし”行為である。「客室で待機せよ」との放送をまともに聴き入れた乗客の多くが船と共に海底に沈んだ。船長・航海士・機関士ら、いわゆる“船舶職”15人は全員救助された。この逃亡者15人には極刑が至当である。
そんな卑怯者の乗員の中で、船が沈没する寸前まで救命胴衣を高校生たちに配って犠牲になった食堂スタッフ(アルバイト)のパク・ジヨンさんと言う女子大生(20歳)がいた。生徒たちが「お姉さんは救命胴衣着けないの?」と訊いたら「私は大丈夫よ、あとであなたたちを追いかけるから」と言い、浸水が始まると「海に飛び込みなさい!」と生徒たちに向かって叫んだ。そのパクさんは沈没後、遺体で発見された。まさに、パクさんこそが船長格の勇者だ。“歴史認識・反日外交”を売り物にしている大統領のパクさんよ
“慰安婦像建造”などという(自らの品位を貶める)ヒステリックな行為は止めて、あの極限の中、若い命(高校生たち)を救わんとして自らの若い命を犠牲にしたパク・ジヨンさんの『勇敢なる韓国女性像』(顕彰碑)を建立してはいかがかな?
歴史認識外交一辺倒のパク大統領の片棒を担いで“日本叩き”を続けてきた韓国のマスコミも、ここに来てジャーナリズムの本道に目を向けるようになった。5年前(2009年11月)東京港発志布志(鹿児島)経由那覇行きのフェリー『ありあけ』が転覆事故を起こした際、乗員乗客全員が救助された事例を引き合いに「船の大きさや乗客数は異なるが共通点も多く“死者ゼロ”の日本の救難態勢、乗組員精神に学ぶもの」を論じた新聞、「救助活動における混乱、慌てぶり、遅れは、非先進国そのものだ」、「「韓国は国民の安全、人命の尊さ、諸外国への儀礼をわきまえない三流国家だ」「国民の不信を増幅した“じたばた政府”」などの見出しを掲げ、朴政権を批判する記事を掲載した新聞もあった。
日本政府からの支援の申し出を断った韓国政府の傲慢さに、翁は無性に腹がたった。いや翁だけでなく、その事実を後で知った韓国国民、特に犠牲者の遺族たちも怒った。韓国政府(韓国海洋警察)は、日本の海難救助技術の優秀さを当然知っているはず。「人命より、己れのメンツが大切か!」と国民や遺族たちは(韓国政府の料簡の狭さを)怒った。
船舶火災、海上での毒物・劇物の流出、転覆船舶などへの高度な救助技術を持つスペシャリスト集団・海上保安庁の『特殊救難隊』の海難救助技術は確かに世界最高レベルである。かつて翁が(大手広告代理店『電通』の依頼で)海上保安庁のPR映画シナリオを作成した時、東京国際空港内の羽田特殊救難基地を取材したことがある。『特殊救難隊』は、通称『特救隊(とっきゅうたい)』またはSRT
(Special Rescue
Team)と呼ばれ、海難救助の超プロフェッショナル集団。翁が(10年前に)取材した当時の数字は忘れたが、2012年現在では約12,500名いる海上保安官のうち、全国で150人しかいない潜水士から、更に選ばれたこの特殊救難隊員はわずか36人だそうだ。降下訓練や氷下潜水など厳しい訓練を重ねて鍛え抜いた強靭な肉体と精神力を持つ強者たち。1チーム6人編成(救急救命士が1人含まれる)で24時間体制。これまでに1人の犠牲者(殉職者)も出していないのが自慢だそうだ。日本政府が申し出たこの『特殊救難隊』の支援を、もし韓国政府が快く受け入れていたなら今回の『セウォル号』沈没事故の被災者救出劇は、もっと違った場面が展開されたかも知れないと(韓国政府の拒絶を)惜しむ声が多い。
人間は“災難の後始末の仕方”で評価(器の大きさ)が決まる。同時に“難儀を抱えた相手への思い方、接し方”もまた(その国、その人物の)評価が決まる。日本政府も日本国民も『セウォル号』沈没事故の犠牲者とご遺族へ心からの哀悼の意を捧げる“隣人愛”を忘れてはならない・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |