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NO.935           Ryo Onishi              4/13/2014

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雑貨屋のひとり言

朝夕はちょっと肌寒いです。厚着をして出かけると昼間は汗をかくのでちょっと面倒くさいのですが、気持ちのいい季節になりました。しばらくこのいい季節を楽しませてもらいたいですね。
雑貨屋のホームページを立ち上げたのはWindows95が出現してからでした。PCには夢があり、何でもできるのではないかと多くの人がそう思いPCを買ったと思います。いろんなアプリをインストールして試すたびにPCのファイルはぐじゃぐじゃになり再インストールを繰り返したのではないでしょうか。その間PCはCPUが進化しメモリも巨大化し処理スピードが大幅に向上しました。あの頃PCを始めた人は今頃どうしているのだろうと思います。OSがWindows7になった今、私が使っているのはメール、音楽データ管理(Xアプリ)、雑貨屋の編集(Officeアプリ)、株式トレードくらいです。あとはほとんどスマホやタブレットでできてしまいます。大きな図体(タワータイプ)のPCがあります。そろそろ用済みかなと考えています。≪R.O≫

 

Made in Occupied Japan(1)

日本が戦争に敗れ、焦土から再生を期してから60年近く、その間 国民の総力を挙げた必死の努力の甲斐あって日本は今や世界に冠たる技術・貿易大国にまで成長しました。その技術・貿易大国日本も近年は新興国の追い上げにあい地位が若干危うくなってはいますが、とはいえ、戦中及び荒廃した戦後を生き延びてきた私にとって、現在の日本の発展した姿はまさに夢を見ている思いです。

その反面、物質文明のみが成長し、心の豊かさや感性といったものが置き去りにされてしまっている現状は決して褒められたものではありませんが、私たち日本と日本人がこの期間に成し遂げた成果は成果として世界の歴史に残る誇るべき偉業であるといっても過言ではないと思います。

かつて「舶来品」 という呼び方がありました。「舶来品」 とは主として欧米から輸入した品物をいい、優秀品の代名詞であり、その逆が「国産品」 でこれは「安かろう悪かろう」 の代名詞でした。“Made in Japan”が粗悪品の代名詞だなんて今の人々には理解出来ないことでしょう。日本の輸出品だってはじめから優秀だった訳ではなかったのです。

日本は明治の開国以来、海外との貿易を積極的に行いましたが、でも1945年8月のポツダム宣言の受諾(無条件降伏)で一旦はすべてゼロ同様になってしまいました。だから私は現在の通商・貿易立国日本の出発点は この敗戦時だと思っています。そこで私は戦後の日本の輸出の原点について興味を持ち、少し調べてみたくなりました。

そして調べてゆくうちに今の日本を作り上げた貿易(特に輸出)の原点としてたどり着いたのが“Made in Occupied Japan”という文言で、以降これについて説明します。

第二次大戦終結直後の日本は荒廃と混乱のため、すぐに貿易が再開された訳ではありません。第一、日本国民がろくに食べるものもなく外貨もない状態であり、その上、日本はアメリカ始め連合軍に占領されている国だったのです。どうやって貿易など出来得ましょうか。

私事になりますが、私は当時東京の下町に住んでいましたが、食べるものがなく、お米のご飯どころか麦飯さえ我が家にはありませんでした。親が何処かで工面してきた「どんぐりや、乾燥した笹の葉を挽いた粉」で“すいとん”を作ってもらい食べた記憶さえあります。

この頃の関連資料を調べたら次のことがわかりました。
* ********************

☆ 1945年8月:日本、ポツダム宣言受諾(無条件降伏)
☆ 1947年 :GHQ(連合軍総司令部)、民間貿易一部再開許可
☆1949年4月:GHQ、単一為替レート(1ドル=360円)を設定
☆1950年6月:朝鮮動乱(南北朝鮮戦争)勃発
☆1951年9月:サンフランシスコ講和条約(日本の主権回復)
********************

上記の表から、日本が敗戦後の混乱を多少なりとも脱してある程度本格的に貿易を再開出来たのは 1949年4月に 1ドル=360円という単一為替レートを決めてもらった頃ではなかったか推察出来ます。1949年4月以前の日本は殆ど貿易どころではなく、従って円・ドルの換算レートすら決められていなかったのでしょう。―――以下続く ――
 

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


血糖に持たされている万歩計

満開もよし葉桜もよし万歩計

五千歩の疲れをポチに笑われる

老老介護今年も桜咲いて散り

来年もまた会おうねと花筏


( ニュースやぶにらみ )


「靴を投げられる」

匙でなくてよかった −ヒラリー・クリントン

「晴れぬ疑い」

名前が泣いている −小保方晴子

「出発の合図」

じぇじぇー −開通の三陸鉄道


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(323)「不明機発見!緊急発進せよ!」

翁が(ほとんど)毎週土曜日にプレーしているゴルフ場は成田国際空港に近い場所だから、プレー中、何回も着陸態勢に入った旅客機が低空飛行(高度約800m)でコース上を横切る。
30年前、翁がこのゴルフ場のメンバーになった頃は、耳をつんざくようなエンジン音がプレーの邪魔になっていたが、数年も経てば、その音は、コース周辺の樹木の中から聞こえる小鳥の囀りと同じように気にならなくなる。ところが、昨日(土曜日)、プレー中に翁がボールを打つ方向に現れた(着陸態勢の)旅客機を見て、突然、あらぬ妄想が脳裡をよぎった。“もし、これが敵機だったら、のほほんとゴルフにうつつを抜かしている場合ではあるまい”。翁の頭のどこかに、近年、中国機やロシア機の日本領空侵犯が多くなっていることが気になっていたのだろう。日本の領空防衛の任務を負う航空自衛隊機のスクランブル(緊急発進)回数も当然、増えている。365日・昼夜を問わず、日本の空を守る航空自衛隊、そして(尖閣諸島一円など)日本の海を守る海上保安官・海上自衛隊員諸君のご苦労に思いを馳せた途端、スコアはガタガタになったが・・・

防衛省統合幕僚監部資料(平成24年度版)でスクランブル回数を調べてみた。何と、他国戦闘機来襲による緊急発進だけでも年間567回、偵察機などへの緊急発進を合わせると800回を超える。毎日2回以上(敵機の日本領空侵犯を阻止するための)緊急発進を行なっていることになる。国別に見ると、最多はやはり中国だ。中国機に対するスクランブル回数は306回、次いでロシア機に対するスクランブルは248回、あとの13回は韓国機や北朝鮮機、その他(戦闘機でない)偵察機などへの緊急発進も230回以上ある。

スクランブルに飛び立つ航空自衛隊の戦闘機は当然、武器を搭載している。長射程から先制攻撃をかける必要はない(法律で禁じられている)のでレーダー誘導の長射程ミサイルは搭載していないが、赤外線誘導の短射程ミサイル数発と機関砲を搭載している。スクランブル発進する戦闘機は、基本的には不明機(敵機)に接近し、自機の姿を相手に見せ、無線で呼びかけ、退去を命じる。地上から呼びかける場合もある。更に主翼を左右に振る。それらの警告に応じない場合は機関砲で警告射撃を行ない、近くの空港に強制着陸させるか、最悪の場合は撃墜もあり得る。これらは全て国際法で認められているのだが、今の自衛隊法では「正当防衛または緊急避難の要件に該当する場合にのみ武器使用が認められる」となっており、その解釈は実に曖昧で、とにかく先に撃つことは禁じられている。撃たれてから撃ち返す?果たして撃ち返せるか?そんな法律下で自衛隊員たちや海上保安官たちは命を賭けているのだ。このままでいいのだろうか?

日本の空を守る航空自衛隊航空団は第1航空団(静岡・浜松基地)、第2航空団(北海道・千歳基地)、第3航空団(青森・三沢基地)、第4航空団(宮城・松島基地)、第5航空団(宮崎・新田原基地)、第6航空団(石川・小松基地)、第7航空団(茨城・百里基地)、第8航空団(福岡・築城基地)、それに南西航空混成団(沖縄・那覇基地)の9つの地域に置かれ、それぞれの航空団周辺に傘下基地が配備されている。日本の領空に侵入しようとする不埒な不明機(敵機)を排除するための航空自衛隊の戦闘機は、スクランブル命令が発せられてから5分以内に飛び立つため(交代制の)24時間態勢だ。北方の領空を守る(ロシア機の侵犯を防ぐ)第2、第3航空団、日本海側の領空を守る(ロシア機・中国機・韓国機・北朝鮮機の侵犯を防ぐ)第6航空団、南西・東シナ海の領空を守る(中国機の侵犯を防ぐ)第8航空団及び南西航空混成団の隊員・パイロットたちの日夜の緊張はいかばかりか――翁たちが安楽にゴルフを楽しめているのは、日夜、日本の領土・領海・領空を死守してくれる陸・海・空自衛隊員、それに海上保安官たちのお蔭、改めて頭が下がる。

各国の戦闘用航空機の保有機数を調べてみた。イギリスの“国際戦略研究所”が発表した『ミリタリー・バランス2012』によると、爆撃機・戦闘機・攻撃機・その他の戦闘用航空機の合計は、第1位ロシア(1,793)、第2位中国(1,693、しかし、実数はロシアを超えているかもしれない、という注釈が付いている)、第3位アメリカ(1,435)、以下インド(798)、北朝鮮(603)、エジプト(598)、台湾(477)、韓国(462)、更にパキスタン、イスラエルと続き、日本(371)は11番目。ご覧のように日本の戦闘用航空機保有は中国やロシアの約5分の1、北朝鮮、台湾、韓国よりもかなり少ない。「数の問題ではなく、日本の軍用機の性能・パイロットの技術力は世界的に1級だ」と言う専門家もいるが、それでも心配だ。
(蛇足だが)『爆撃機』は大量の爆弾を積んで長距離を飛行し、遠くにある目標物を攻撃する軍用機(戦時中、日本国土が攻撃された、あの憎たらしいB29が思い出される)。我が国は“専守防衛”を国是としているから『爆撃機』は保有していない。『攻撃機』は(爆撃機よりも)比較的近距離の目標物をピンポイントで破壊することを目的とした軍用機である(航空自衛隊が保有するF−2が該当)。『戦闘機』は航空機同士、空中戦を主な目的とする軍用機である(航空自衛隊が保有するF−15が該当)。

こんなことを書いていると「龍翁は軍国主義者か」と誤解されそうだが、翁は、けっしてそうではなく、また、中国のような覇権主義を国是とする軍事大国化を望むものではない。しかし、降りかかる火の粉は、我が手で振り払わなければならない。日本国および日本国民を守るための自衛力を強化して、中国、ロシア、北朝鮮、韓国に侮られない“強い日本”にならなければならない、と願うのである。日本の安全保障を、いつまでも同盟国アメリカだけに頼ってばかりはいられない。早期に経済を復興させ(適当の)軍事力強化で周辺諸国との“ミリタリー・バランス”を保つことが(適当の)“外交バランス”に繋がる、と翁は考える。ともあれ、日夜、日本の領土・領海・領空を(軍事と自然災害から)守ってくれている自衛隊員たち、海上保安官たちの苦労に深い敬意と感謝の気持ちを・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

朝の散策

先週の木曜日にLAから日本に戻ってきた。戻ってくると、いろいろ溜まっている家の用事で忙しい。ようやく一段落着いたところで散歩がてら、いつも歩く道と違う道を歩いてみたくなった。近所に美味しいパン屋さんでもないかと検索してみたら、ここから歩いて十数分の所に数年前にオープンしたパン屋さんがあるらしい。早速朝の散歩がてら行ってみることにした。近くの大通りを横切って小さな路地を少し入ると住宅地の中にお風呂屋さんがあった。地元の人でなければ、通り過ぎてしまうくらい目立たないお風呂屋さんだ。富士山と‘ゆ“という文字だけのシンプルな看板があるだけだ。ふと上を見ると年月

が経った古びた飲料水の看板があった。昔はあちこちにお風呂屋さんがあったらしいがこの周辺ではそこぐらいしか今は残っていないようだ。その先を歩いていくと右手に小さい神社があって、そのあたりから急に空気が変わった。周りを見回すと竹や幹の太い大きな木々に囲まれたユニークな家や建物が見えた。そして、そのパン屋さんはまだ昔の森の面影が残る静かな場所にひっそりとあった。そこの

空間が森の中のパン屋さんという感じで気にいってしまった。そこでメープルシロップを練りこんだ丸い筒型の食パンを購入した。野沢菜が入っているお焼きとピーチのデニッシュは、そこのテラスで食べる事にした。そのパン屋さんで購入したパンをその場で食べたい人にはセルフサービスのコーヒーが付くというのも嬉しい。パン屋さんの売店側とパン工房の間にあるテラスは、4つほど丸テーブルがあり椅子には其々暖かそうなひざ掛けまで置いてある。そこにお客様に対する気配りと思いやりが感じられて、またまた嬉しくなった。
テラスの近くの高い木の上からは伸び伸びと気持ちよさそうな鳥のさえずりが聞こえ久しぶりに、ゆったりとした気分でコーヒーを飲みながら焼き立ての美味しいパンを食べた。サクサクしたピーチのデニッシュもメープルパンもお焼きも全て美味しかった。今度はお昼近くに焼きあがるフランスパンをめが

けて来てみよう…そう思いながら店を後にして次は地元のマーケットに向かった。途中、住宅地の一角に畑があった。その畑の手前には一見、日本の古い町並みのような新しい家が立ち並んでいた。まだ中庭の庭園工事が終わってないようで忙しそうに造園業の人が働いていていた。なんでも星野リゾートを手掛けた建築家の人が設計した建物なのだそうだ。近所にこんな空間がある事は全く知らなかった。 途中、道端で見かけた柴犬をカメラに収め金魚鉢の金魚や花や昔からあるお店などパチリパチリと撮りながら日本らしい町並みを楽しんで歩いた。普段見慣れている人たちには何でもないものが私には新鮮に見える。地元のマーケットでは店長さんお薦めのお魚を購入し今度は商店街に向かった。八百屋さんの店先にはたくさんの春のお野菜が色とりどりに並べられていて見ているだけでも楽しい。

街も季節の花が咲きだしてカラフルになったせいか人々の表情も和らいできたような気がする。帰る途中、祖母が通っていたお豆腐屋さんで大きなガンモを購入して自宅に戻った。いつも行く駅前のマーケットに行けば全部そこで買い物は揃うけれど、それではつまらない。 たまにこんな風に全く違う道をそれも表通りだけではなく路地や裏通りを歩いてみると意外に面白い場所や店を発見出来るのだな〜と。日本の迷路のような道はわかりにくくて苦手だったけれど、時間がある時は、もっと裏通りの道も歩いてみるものだと思った。東京を車で走る気は無いけれど東京の路地裏通りを歩くというのも楽しいそうだ。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今週ご紹介するのはドミニカ共和国出身のジャズピアニスト、Michel Camiloとスペイン生まれのフラメンコギタリストTomatitoが共作、共演しているラテンジャズのアルバム"Spain"です。SpainはChick Coreaのオリジナルでそのカバーです。それぞれ全く違う曲に聴こえます。だれもが知っているラテンのスタンダード"Besame Mucho"もあります。フラメンコギターがラテンらしさを感じさせます。ラテンジャズもいいなあと思いながら聴いています。とてもよくできた素晴らしいアルバムです。
Tomatitoは小さなトマトの意味ですが、これは芸名で本名はJose Fernandez Torresです。

"Spain" Michel Camilo & Tomatito 

01 Spain Intro
02 Spain
03 Besame Mucho
04 A Mi Nino Jose
05 Two Much_Love Theme
06 Para Troilo Y Salgan
07 La Vacilona
08 Aire De Tango

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

田渕さんから第16回関西加州会の参加者リストが届きました。あれからもう一年経ったのですね。みなさんにお会いするのを楽しみにしています。

土曜日、ヨガとピラティスのクラスに続けて参加しました。ピラティスは久しぶりだったのでちょっと疲れました。骨盤を矯正するポーズをたくさんやったのでお尻の筋肉が痛くなっています。《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.935

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com