Zakkaya Weekly No.93

No.92 Ryo Onishi 2/22/98 バックナンバー  Homepage

みなさんの回りには、前に話したことをよく覚えていて、「あれはその後どうなりましたか?とかうまくいってますか?」と聞いてくれる人がいるでしょう。ほんのちょっとしたことなんですが、覚えてくれていたんだなあと思うだけで、なんだか嬉しくなりますね。私もできるだけそのようにしたいと思います。 (R.O)

平和の祭典、長野(2)

前号の私の原稿(42.平和の祭典、長野)の中でご紹介した 長野県諏訪市の女性から 再びE-Mailを受信しましたので ご本人の了解を得て以下ご披露します。同時にこのメセージに対する私の返事も掲載しますので、読者の皆さんからのご意見をいただけたら幸いです。又、彼女のメッセージの最後にある質問にどなたか答えをお寄せいただけないでしょうか。因みに彼女は私の出身会社の従業員であり、アメリカに勉強に来た経験もある 前向き・積極的な人で、お互い良く知っている間柄の人です。

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(受信E-Mail)

こんにちは。早速、開会式の感想をありがとうございました。

実は、わたしも河合さんにこの感想をお伺いしようかと思っていました。(海外から見てどうだったかとメデイアの反応等を) わたしも今回の開会式は、わたしの旦那さんとスキーに行く約束もすっぽかし、テレビに釘付けでした。彼曰く、後でビデオで見ればいいよ・・・。(なんて愛国心のない!!)と言う言葉を背にやっぱり、生で見てよかった!!と思いました。

わたしたち、長野県人にさえ、今回の内容は知らされてなく、本番前のリハーサルが映った映像で、御柱が出るのを知ったくらいです。今年は御柱祭りなので、よりよいアピールになった感じです。お相撲力士が出てきた事、しかも曙が土俵入りをした場面は、本当は貴の花がする予定だったのですが、前場所休場したため、急遽ハワイ出身の曙に役が回ってきたことは、相撲界の厳しさと外国人をこんな見せ場にもってきたことで(聖火もそうですが)日本も少しは国際的になったかなあと感じました。

その後の子供たちの愛らしい笑顔は対照的でしたね。日本人のわたしでさえ、ほろりっとしてしまいまた。子供たちのあの無邪気な笑顔は一番の平和を表現していると思いました。あの子供たちの中に全盲の子が一人いましたが、アメリカでは報道されたでしょうか?

わたしの母や、とある新聞は、世界的オリンピックの開会式にしては地味でよくなかった!と言っていましたが、長野県って従来地味な県だし、日本らしさは充分それだけでもでてるんではないかなあとわたしは思いました。たしかにアトランタのような華々しさはないですよね〜。 ただ、ハイテクな技術を見せつけた歓喜の歌でより一層世界は一つを締めくくったように思えました。ちなみに小沢せいじさんはオリンピック参加を今まで興味がないと拒み続けていたそうです。

日本にいる日本人より海外に住んでいる日本人の方が、日本の物事に敏感で (住んでいるわたしちより、より情報を入手する意欲がある) わたしは時々恥ずかしくなってしまう事があります。 ちなみにわたしの旦那さんは大阪人のため、「信濃の国」 はなんの歌かわからなかったそうです。

(質問1.)アメリカに住んでいると、アメリカ人選手と日本人選手どちらを応援するのでしょうか?

(質問2.) 例えば、ご夫婦でアメリカ人・日本人の場合、子供がハーフの場合はどうでしょうか?

今日は、これから英語の授業なので、英語の先生にも(アイルランド人)聞いてみようかと思ってます。

今日は男子スケート500の2戦めがあるので、清水がメダルをとれるか楽しみです。 それではまた。

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(私の返事:発信E-Mail)

貴E−Mail受信しました。有り難うございました。さすが国際感覚を身につけた貴女だけあり、そのご意見に私も意を強くしました。

今回の長野オリンピック開会式の内容と演出について、賛否両論がある事は良く理解出来ます。こういう問題は各人の主観の問題でどちらが良い、悪いというべきではないと思います。ただ、私の主観から敢えて私見を言わせてもらえば、前回も申し上げた通り、長野(長野市でなく、もっと広い“長野”という意味で)でのオリンピックの開会式としては最高に良かったと思っています。日本のマスコミの一部も、「インパクトがなく印象が薄い。驚くことが何も無く、リレハンメルの方が3倍もよかった」等のコメントもあったそうで、それはそれで理解出来ますが、何も外国や外国の都市の真似をする必要はなく、日本の長野が主催するオリンピックなのだから 長野らしい開会式であるべきです。必要以上に背伸びする必要もありません。“長野らしさ” が出るかどうかが問題なのです。

海外から日本を見ていて 気になるのは どうも多くの日本人が「国際化」とは外国(特に先進諸国)に近づく事、又は外国風にする事と勘違いをしているのではないかという事です。私が思うに、「国際化」 とは 国際社会を知ることにより「自分を知る事」であり、そして「それを相手に知らせる」ことにより「相互理解を図る事」ではないかと思っています。敢えて暴論を吐けば「自己主張こそ国際化の第一歩」と言えるのではないかと思っています。(但し、相手の立場も考えず自分勝手な事を言うのは「自己主張」とは言わず、単なる「わがまま」といいます。)日本が、又 長野が 地味なら地味で結構、アイマイでも結構、問題は「地味でアイマイ」であるという事を「地味でアイマイ」にしておかず、 明確に「自己主張」する事が重要なのではないのでしょうか。

ご質問については、当地の人たちにも意見を求め、改めて別途ご回答いたします。

河合将介 skawai@wakao.com

健康の方程式 「健康になるために潜在意識にも働きかけよう」西尾誠一郎

題名にひかれてナポレオン・ヒルの「自己実現」(騎虎書房)を今日の午前中に読みました。ヒルは心構えこそ自分でコントロールできる唯一のものといい、心は創造主の贈り物のうちでももっとも大切なもので人間は心という手段によって、この世の自分の運命の大部分を支配できる説いています。そして人間は潜在意識を完全にコントロールすることはできないが、希望や計画や目標を具体的な指示の形にして毎日言えば、ある程度コントロールできるといっています。ということはこれといった計画も目的も持たず、後ろ向きな考えで心が占拠されていると、潜在意識もそのように働くのです。

貧困、失敗、病気、不幸、恐怖、疑念など、望ましくない状況について意識が思い悩むままにしておくと、実際そうなってしまうというのです。

アンドリュー。カーネギーの要請で万人が活用できる成功の秘訣の体系化したヒルは自分が何を望んでいるかをはっきりと潜在意識に命令するために、次の3つの事を厳密になって守ってほしいといいます。

「(1)潜在意識にどんな願いをかなえてもらいたいか、はっきりと具体的に紙に書くこと。いつまでにかなえてもらいたいか期限も決める。これを暗記し、声に出して自分自身に言い聞かせる。毎日、何百回も繰り返すこと。寝る直前が説くに効果的である。

(2)この願いを繰り返すときは、潜在意識が必ずかなえてくれると深く信じることである。そして、今声を出しているとおりのことがかなえられた自分の姿をはっきり思い描く。願いの最後は願いをかなえてくれたことに対する感謝の言葉で締めくくる。

(3)願いを繰り返す前に、願いはきっとかなえられるという気持ちになって、強烈な興奮と歓喜で気分をできるだけ高ぶらせるように努める。潜在意識は前向き、後ろ向きいずれの考えでもとにかく熱意ある命令に対してはたちどころに反応する。これはとりわけ重要なことだ。ぜひ読み返してよく考えていただきたい。」(自己実現の222ページより)

私は1〜2年前、塩谷先生の「想念力の驚異」という本を友人から借りて読んだ時、正心調息法を知り、おもしろいなと思いましたが実行しませんでした。そのうち飯島先生の「ヨーガ革命」を読み、瓜生先生から正心調息法のやり方を教わり、その2つを混ぜ合わせた呼吸法を思い出した時だけやり始めました。そしてこの2月、3回にわたって塩谷先生の正心調息法をこの健康の方程式で紹介してから、朝15回、寝る前に10回、きちんと実行し始めました。呼吸法が大切だ、心の持ち方が大切だと思ってきた私が、そのことを書いてみるまではやはり実行できなかったのです。

でもヒルのこの3つの提案は今夜から実行してみるつもりです。これらの提案は塩谷先生の正心調息法と共通するところが多く、いやそればかりでなく私が今まで読んださまざまの健康法と共通しているところが多いのです。たとえば塩谷先生は80代の半ばから前立腺肥大症に悩まされます。前立腺が肥大して尿道を圧迫し、尿が出にくくなったり、残尿感が残り、現代医学では「手術以外治療する方法がない」といわれています。塩谷先生は86歳から正心調息法でこれを治そうとしたのですが、効果が上がらず、90歳にはとうとう尿が出なくなりそうなまで状態は悪化したのでした。先生はいろいろ原因を考えた末、想念の強さが足りなかったことに気づき、強い信念を持って「私の前立腺肥大症は治った」と念じ、尿がシューと勢いよく出る姿をイメージしました。その翌日から尿が出るようになり、たった一週間で余りですっかり治ってしまいました。みなさん自分の心を前向きにコントロールするため、ぜひ実行してみませんか。

ボケの話その2 諸橋義弘

閑話休題、ある時、理屈をこね回す弟子の問いに答えて、釈迦は「ある男が毒矢で射られたとき、周りがその矢を抜こうとしたがその男はその矢が何処から、誰が、何の目的で、どんな毒を塗った矢で射ったかそれを知るまでは抜かせなかった結果死んでしまった」という話を聞いたことがあります。この話の趣旨は、自分に煩悩の矢が刺さっているのにこれを抜くという根本問題を解決しないで、何でその先の問題を扱うことが出来ようかということを教えたものと言うことだそうです。

私が今この例を持ち出したのは意味が違いますが、得てして会社にはこのような一見した限りでは何事にもよく気の回る正論みたいなことを言うご仁が多いのではないかなと思ったからです。私もサラリーマンを37年やりましたが、結構この手の人が多く同感の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この手の人というのは、それこそ口を開けば俗に言う口から先に生まれたとでも言うのでしょうか、どんなことでもつっこみ、普通の人はそのような些細なことは大勢に影響ないからと許容範囲の中で処理しますが、それをあたかも重要なことを見落としている無能人間呼ばわりし、返す刀で、このように皆が気づかないことを自分は一瞬で見通せると言わんばかりです。またこういう人に限って良くもまあこれだけ人を罵倒する言葉が出てくるものと感心させられたことが何度有ったことでしょうか。

しかし、これも会社の下っ端なら良いのですが(尤も下の人間はこんなことを言っても誰も相手にしませんが)上の人間がこのような言動を取りますとその影響は計り知れないものがあります。私は既にその世界委から抜け、また幸か不幸か現役時代も大した出世もしなかったので、例え知らずに同じようなことをしていたとしても、その影響は多分最小限に済んだと思いますが、そのような上司の下になった人は人格を深く傷つけられても駆け込み寺はないので、自分でその傷を舐めるしか有りません。思えば、只同じ会社という電車に隣併せに乗ったという理由だけで何でそのような目に遭わなければ行けないのでしょうね。

私にはこれに対処する方法をアドバイスする知識は持ち合わせていませんが、出来ることはこれからもこのような言動を自分が取らないことで、億分の1でも住み良い環境が出来ればと思っています。

編集後記

93号もにぎやかで3ページです。

Zakkaya Weekly No.93

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net