Zakkaya Weekly No.92

No.91 Ryo Onishi 2/15/98 バックナンバー  Homepage

三連休が始まったというのに、土曜日は一日中すごい雨と風でしたね。一日中雨というのは気が滅入りますね。そんな日に出張で東のほうからロスに来ていた人たちがいまして、いっしょにゴルフをして過ごすことになっていたのですが、雨でキャンセル。時間をどうつぶすかということでいろいろ考えました。雨でもドライビングレンジで練習はできるのでこれで1時間、今、流行っている映画“タイタニック”は3時間以上、日本食を売っているマーケット巡り、あとは適当にショッピングですごしていただくということになりました。

今日(日曜日)は一転して素晴らしい天気で、雪山は見えるし、太平洋に浮かぶカタリナ島もめずらしくきれいに見えていました。いつもこんなよい天気に恵まれているサウスベイに住む私たちは、当り前のように思っているのですが、昨日のような嵐があると今日のこのすばらしい天気がほんとうに嬉しいですね。 (R.O)

平和の祭典、長野

第18回冬季オリンピック長野大会が開幕しました。冬季大会としては 今世紀最後であり、これまでのどの大会よりも多い72カ国・地域からの選手を含め、世界中から関係者が集まっています。長野は“NAGANO”となり、いっきに国際社会へデビューした感がします。私のような熟年組にとっては 夏の“TOKYO”(64年)、冬の“SAPPORO”(72年)の感動がよみがえってきますが、“SAPPORO”大会 からでも既に26年の歳月が過ぎており、20歳前半までの人々にとっては、初めての日本開催オリンピックとなる訳です。

数日前、私の出身会社(長野県諏訪市)の若い女性からこんなE-Mailを受け取りました。

こんにちは。 2月2日、午後会社の前(ルート20)を聖火が通りました。わたしにとっては、日本で開催される初めてのオリンピックです。16日から会社をお休みして、通訳ボランテイアに出かけます。果たしてどうなることやら・・・。と思いながらも、なんとかがんばってきます。アメリカのテレビ局は、善光寺の横に大きなアナウンス塔を建てて、善光寺をバックにオリンピック放送をするとのこと、さすがなかなか粋なことをしますね。あれだけの良い場所を確保するなんて、さすがアメリカだと思いました。

善光寺はどこもかしこも、報道の方たちでいっぱい!とTVでは言っています。(―略)

志賀高原のお猿さんが温泉に浸かっている映像なんてなんて愛らしいんでしょう! これで長野のイメージが上がればいいなあと思ってます。どこの国へ旅行に行っても海外の方は 東京と横浜と京都・大阪くらいしか知りませんものね。それだけ、東京の学生が多く海外へ押し寄せるから仕方ないかもしれないけど今度、アメリカへ行くときには、長野から来たって言ったら、OH!!オリンピックエリア!と言ってもらえる事を楽しみにしています。 (―略―)

オリンピックニュースは、 またお知らせします。 それではまた。

そう言えば「日本では なぜ10月10日が“体育の日”なの?」と聞いても、答えられない人が多くなりました。(東京オリンピック大会開会の日に因み、昭和41年制定)

今回の長野での開会式は当地アメリカでもCBS−TVで中継されたので、“NAGANO”という聞き慣れない日本の山岳都市からの映像に釘付けになった家庭も多かったと思います。 シドニー、ニューヨーク、ベルリン、北京などからの参加も得た式典の内容は世界を結ぶネットワーク時代にふさわしいものと言えるでしょう。

でもやはり日本人、特に我が家のような長野県出身者にとっては地元の伝統・文化を織り込んだ演出には感慨ひとしおでした。善光寺の鐘の音を合図に始まった開会式、御柱祭り、山国の雪ん子達など信州長野をとてもよくアピールした楽しく明るいものに仕上がっており、まさに“A Spectacular Opening Ceremony”というにふさわしい内容だったと思います。更に、信州(長野)人にとっての圧巻は 何といっても日本選手団の入場行進時です。この時使われた行進曲が 何と長野県歌 「信濃の国」 だったのにはびっくりすると同時に、「あゝ、長野なんだ!」 との感動に胸を突き上げられ、私の妻などは、思わず声を詰まらせ、涙ぐむ有り様でした。こんな所にいても、(というより「こんな所に居るからこそ」) 我々もやはり信州人なんだナーと思い知らされたひとときでした。 オリンピックの開催主体は国家ではなく都市・地域であり、そこに世界各国の代表が集い、技と記録を競いながら友情を深めあうのが目的ですから、この開会式はその線に沿ったもので成功だったと私は思っています。一地方都市が平和の祭典で世界に舞台を提供し、そこで繰り広げられるドラマに世界中の人々が酔い、そして終了後は記録と思い出と友情が永久にに残されるなんて なんと素晴らしい事でしょう。普段は国際人を自称し、出身地などまるで気にしていない私も不思議なもので、心のどこかではやはり祖国愛、郷土愛とその誇りを心の拠り所にしている事を知らされた思いでした。

アメリカでもテレビ、新聞その他多くのマスコミ報道が長野オリンピックを取材すると同時に 日本と長野についてのレポートを送ってきており、CBS−TVだけでも大変な量の長野情報です。もしこれと同じだけの情報をコマーシャル・ベースでテレビに流してもらうとしたら、その費用はいくらになるか見当もつかないほどでしょう。志賀高原 地獄谷のニホン猿など のんびり温泉に浸かっていればタダで世界中に紹介してもらえるのだから 羨ましい限りです。(でも彼らにしてみれば、のんびりどころか大迷惑カナ?)

尤もその陰には大会運営役員、ボランティア(私の多くの友人を含め)、その他関係者の献身的な活躍があることを忘れてはならないと思います。

これから15日間、冬季オリンピック大会史上最も南(緯度はラスベガスとぼヾ同じ)の開催地長野が寒さの中で熱く燃え、平和と友情の祭典を立派に成し遂げるよう、その成功を心から祈っています。

河合将介 skawai@wakao.com

健康の方程式

塩谷先生の正心調息法以外の健康法 西尾誠一郎

若い頃、「病気の百貨店」とからかわれるほど病弱だった塩谷先生は、95歳の現在「死ぬまで元気だ」と悠々とゴルフを楽しみ、健康法についての講演や執筆活動に忙しい毎日です。95歳の現在もはっきりした使命を持ち、充実した日々をすごされているとはなんともうらやましい限りです。でもこれを読んでいる皆さん誰でも正心調息法を実行すれば塩谷先生のようになれるのです。とはいえ先生がこの呼吸法以外にどんな健康法を実行されてきたかも気になるところです。

今回はそれを紹介しましょう。

生きている玄米が主食

先生は東大医学部を卒業し、渋谷に内科医院を昭和6年に開業されました。その時から66年、玄米と野菜中心の食事をしています。玄米には体に必要な多くの栄養が含まれていて、科学的に証明されています。しかしもっと大切なことは玄米には生命があるということを知って大切にすることです。

白米には生命はありません。ですから「米」に「白」と書いて「粕(カス)」というのです。これに対して「玄」という字には黒や赤黒い状態を指す意味のほかに「奥深い道理」という意味があります。

先生は生きている玄米もまた、人間と同じで宇宙のミニチュアと考えています。宇宙や人間に、そして人生に一切の無駄がないように、玄米にもまた無駄がないのです。科学が証明する成分以上の奥深い道理が玄米にはあると先生は信じています。

生の玄米を粉にして食べる人もいます。しかし、先生は生の玄米を食べているわけではありません先生はふっくら炊いた玄米は、ねばりもあってかめばかむほど甘みが出ておいしいといいますが、私も全く同感です。

歯を丈夫にする

先生は95歳の現在、30本の歯が残っています。62歳で20本、80歳で5本が平均だそうですから、95歳で30本とはすばらしいことです。

先生は乳歯が人よりも早く抜けたことから考えても歯だけが生まれつき丈夫な素質を授かって生まれたわけではないだろうと考えています。その上、先生は甘いものが大好きです。歯について特別なことは何もしてこなかったのですが、一つだけ戦後から毎食後松の葉をかむ習慣があるそうです。でも歯が丈夫な大きな原因は正心調息法にあると先生は考えています。つまり、入れ歯も含めて歯のかみ合わせが悪くなると、頭の重みで頭蓋骨や背骨が歪みます。その結果さまざまな病気を引き起こします。またかみ合わせが悪いと、かむ力が弱まり、消化吸収が悪くなり、脳に十分な栄養がいかなくなります。血液の循環も悪くなり、脳細胞の活動も鈍るわけです。ですから、逆にこの呼吸法が、かみ合わせの問題を含めて、根本的な歯の健康に大きく影響したであろうと先生は考えています。

水浴びの効果

先生はここ数十年「水浴び」をしています。どんなに冬の寒い日でも、2〜3分、頭から冷水のシャワーをかぶります。ゴルフ場には水風呂があるので、プレー後、頭から湯船に潜ります。

冷水によって血管をいったん縮ませ、その後開いていくと、決行が良くなります。体がぽかぽかと熱くなって、全身に血液が行き渡り、十分な酸素と栄養を運んでくれていると実感できるそうです。そして水浴びは精神的な鍛練にもなります。いくら元気な先生でも辛い日もあります。しかし、その気持ちをエイヤッと振り切って、水浴びをすると「今日もがんばるぞ」という気持ちになるそうです。その時、先生の脳細胞からはβ−エンドルフィンをはじめ山のように内分泌物が出て、気持ちがよくなるそうです。

いくら健康にいいといっても、水浴びをいきなりやるのは大変危険です。みなさんはどんな健康法を行っていますか。(310)543-2724 FAX370-1294(夜8時〜10時の間)までご連絡いただければ嬉しく思います。

雑貨屋に連絡いただければ、転送いたしますよ。

ボケの話その1 諸橋義弘

最近雑貨屋を読ませていただいていますが、皆様の博学ぶりと、表現力の豊かさにはいつも敬服しております。

小生の場合ボケ予防にたてば良いなと思い、恐る恐るこの文章を書き始めましたが、これが恥の書き始めになるのかも知れません。

ボケと言えば、どのようにボケはやってくるものなのでしょうね。酒の酔い方にも段々目が据わってくるタイプもいれば、おとなしく飲んでいた奴が「オイ!やらせろ!」なんて急に破廉恥になったりするように、ボケの来方にもいろんなタイプがあるのでしょうか。 そう言えば酔っぱらいとボケの共通項に、周りに迷惑をかけているのに自分は全然自覚がないことなどがありますね。

ボケと同様に老人が注意しなければならないことに骨折が挙げられます。一寸した弾みにポキッと来るわけですが、もしかしたらボケも「ボケッ!」と来るのかも。

河合先輩は齢60歳を重ねられましたが、今も前進思考でその辺の若者も及ばないバイタリティーで、人生に歌にチャレンジしておられます。人生50年なんて言うのはウン百年前の平均年齢がせいぜい40歳頃の話ですから、現在の平均余命74,5歳の時代はその7掛けで見るのが正しいそうですね。そうすると河合先輩も42歳の働き盛り。小生にいたってはこの間53歳になりましたばかりですから、せいぜい37歳の洟垂れ小僧と言うことになります。

先日中條さんのオフィスで老人医療の話をしていたとき、2010年には、日本では人口の1/3以上が65歳以上で占められると言う説明がありましたが、その時出席者の一人が「そんな年寄り中心の時代になっても65歳を老人と呼ぶのだろうか」と言っていましたが、将にその通り。先程の基準で行くと93歳が65歳に相当することになるわけですから、その頃には93歳以上を老人と呼ぶようになるかも知れませんね。しかしこのロジックで行くと、小生が65歳に達したとき(丁度2010年)、「君はまだ45歳相当だから老齢年金の支払いは出来ません」などと言われることになりかねませんね。

しかし寿命は延びても社会がそれを認めて、米国ほど極端でないにしても、例えば定年や公的年金制度などの考え方を早急に改めないと、それこそ「45歳相当のボケ老人」が巷に溢れてからでは遅すぎると憂えるのは小生一人でしょうか。

日本の誇る(終身雇用制度)が崩れた今、小生も身近な問題として、心から安心してボケられる社会委の実現を目指して、当分の間気を確かに持って頑張るつもりです。

編集後記

諸橋さんからも投稿していただき、雑貨屋がにぎやかになりました。諸橋さんありがとうございます。読者のみなさんもこの雑貨屋を利用してなにかいてみませんか?

私はもうすっかり雑貨屋の編集が習慣になっていまして、日曜日はこれを終えないと落ち着きません。

先週から訳があってまた一人暮らしになり、しばらくは「今日は何を食べようか、何を作ろうか?」と考える日々が続きます。

Zakkaya Weekly No.92

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net