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NO.929            Ryo Onishi              3/2/2014

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雑貨屋のひとり言

3月に入り気分だけはもう春が来た感じです。先週は暖かい日が続き、少し身体が楽でした。でも鼻がムズムズしてきました。気温の変化でくしゃみが出たりするので厄介です。来週はまた気温が下がるそうですから、まだしばらく冬の寒さとのお付き合いになりそうですね。≪R.O≫

 

日本語と否定形(3)

言葉と文化は表裏一体であるといわれます。日本語に否定形又は消極的表現が 比較的多く用いられるということは、即ち日本の文化、日本的発想が 「断定・二者択一型」でなく、「人と人との関係・調和を重んじ、論理的対決を好まないコンセンサス型」 であることと、無関係ではありえないことでしょう。

いつの日か将来、(又は現在もう始まっているのかも)日本と日本人がいわゆる日本的発想を捨て、例えばアメリカナイズしてしまったとしたら、日本語は現在の形ではもはや生き続けられなくなるのではないでしょうか。

日本もこれから国際社会の中で諸外国と共存し、相互信頼関係を維持するためには、これも一面ではやむをえないことでしょうが、しかし他面、この日本的発想こそが、「財・物」に比重を懸けすぎた過去から 「物」・「心」のバランスのとれた未来への一つの切り札になる筈なのだから、これはきちんと残さなければならないと 私は信じています。この観点からすれば、言葉としての日本語もあまり変わって欲しくないというのが私の本音です。

日本語からは外れますが、仏教の経典に「般若心経」(正式には「摩訶般若波羅蜜多心経」)という 「お経」 があります。ご存知の通りこの経典は、三蔵法師がインドから中国へ持ち帰り、漢語に翻訳したと伝えられるもので、世に数ある経典の中で 最も短い「お経」といわれ、 全文でわずか262文字しかありません。私はこの262文字の中に「否定」を意味する文字である 「不」 と 「無」 が いくつあるか 数えてみました。

結果は 「不=9」、「無=21」 で合計30文字、何と262文字のうち、11%強は否定を表現する文字でした。要するに 「般若心経」とは 「アレデハナイ」、 「コレデモナイ」 の連続といってもよい「お経」 のようです。(これは けっして経典をけなしているのではなく、その逆でそこに仏教とインド哲学の奥の深さを感じます)

私は仏教をはじめ、宗教については殆ど無知ですが、「般若心経」の解説書によると、これは「経典」というよりは宇宙の根本原理について説いた「哲学」なのだそうで、 森羅万象の根本原理を「無我」と「無常」に求め、そしてこの宇宙の存在原理を最終的に「空」として捉えていく――こう書いている私自身、本当のところ、何のことやら サッパリ判っていませんが、でもつかみどころのないこれら表現に、何故か知らない共感を覚えます。

この世のすべては移ろうもので常ならず(無常)、お互い関係しあって存在する(無我)、そしてそこに我々は 「物」とか「心」とかを超越した何かの存在を感じとる――こんなところが「何故か知らない共感」 に相当するのではないでしょうか。

また、日本の古典から藤原定家撰と伝えられ、日本人に良く知られている「小倉百人一首」について、否定表現を調べてみました。全百首のうち否定表現が一ヶ所でもあるものを拾い出してみたら(私もヒマだね)なんと百首中、46首(46%)もありました。(例えば;「まだふみもみず」「こころもしらず」・・・)

中には「わが袖は潮干にみえぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなし(二條院讃岐)」のように、一首の中に否定が3ヶ所あるのもあり、日本人の否定形好きは長い歴史があるようです。

話を現代の日本語へ戻します。日本人は一般に他人にものを頼む時、謝礼の話はしないことが多いようです。(ビジネス又はビジネスライクの場合を除く) 頼む方も、頼まれる方も 「悪いようにはしないから」、「悪いようにはしないだろう」という暗黙の相互了解が存在するからです。でも考えてみるにこの「悪いようにしない」という発想自体、こんな曖昧なものはありません。でも日本人同志なら普通これで通用するのです。これが通用しなくなった時、日本と日本人が変わる時であり、もしかしたらその時は既に始まっているのかもしれません。

「不言実行」という言葉は日本語として普通に使われますが、英語ではこれに相当する慣用句はないようです。英語の文化圏では「有言実行」 というコンセプトの方が強いから「不言実行」という発想自体がでてこなかったのではないでしょうか。

因みに今、私の手許にある漢字辞典(角川新字源;親字数 1万字、熟語数6万余)で 「不」、「無」 で始まる熟語の数をかぞえてみたら、「不=102熟語」、「無=118熟語」 も有りました。(不可思議 ・不肖 ・ 不遜 ・無頓着 ・ 無駄 ・ 無茶など・・・)

これら熟語は、それぞれを英訳した時、英語では否定表現でないのが普通なのが圧倒的に多いのではないでしょうか。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


自分史の余白に小さなジャンプ台

鋳型からはみ出している明日の夢

夢風船肺活量は老いてない

ライフワーク写楽の謎を追い続け

ホールインワンへまさかの弧を描き


( ニュースやぶにらみ )


「日本の首相」

一年交代じゃなかったの? −お雛様

「ビットコイン」

危ない危ない −オレオレ

「悲しい」

×月×日、今日も破られた −アンネの日記


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(318)「“武器輸出三原則の見直し論”に疑問あり」

翁は、安倍内閣の基本政策は概ね評価している。基本政策の項目を列記すると(1)<経済の再生>強い日本の構築は強い経済が源泉である。内閣に経済再生の司令塔(日本経済再生本部)を置き、大胆な金融政策、機動的財政政策、民間投資を喚起する成長戦略(いわゆる“アベノミクス”)3本の矢で、長引くデフレ・円高からの脱出、雇用や所得の拡大を図る。(2)<外交・安全保障の再生>日米関係の信頼を取り戻し“国益を守る、主張する外交”を展開する。また、国民の生命・財産・領土・領海・領空を断固として守るため国家安全保障会議を設置し、国境・離島の適切な振興、管理、警備の強化を図る。(3)<教育の再生>“人づくりは国づくり”、日本の将来を担う子どもたちは国の宝。命を大切に考え、家族・地域社会・国家を愛する道徳教育の徹底を図る。(4)<暮らしの再生>誰もが安心できる持続可能な社会保障制度の確立を目指すとともに、女性が活躍し子供を産み育てやすい国づくりを進める。また、難病や障害など社会的に弱い立場にある人たちが社会で活躍できる環境を整備する――いずれもが“日本再生”の重要施策である。

更に翁は、安倍晋三の“強いリーダー像”にも期待している。安倍は言う「首相として国家国民のために成さねばならぬことは躊躇なく貫くとする私の政治信条を“右傾”と呼ぶなら、私は甘んじてその評を受けよう」。これは国内の左系評論家やマスコミに対してだけでなく海外の“反日発言”に向けてのコメントであり、久しぶりに迫力のある宰相の出現、と(翁は個人的に)好ましく思っているのだが、実は最近「少しばかり調子に乗り過ぎて強引過ぎはしないか?」という批判が出てきた。例えば、2月の衆院予算委員会で憲法解釈を巡って「政府答弁には私が責任を持つ。その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは政府の最高責任者である私だ」と述べた発言が波紋を呼んだ。朝日新聞や東京新聞は「首相は立憲主義や法の支配を否定している」と批判した。もともと、この両新聞は安倍(自民党)嫌いの左傾メディアだから言わせておけば(書かせておけば)いいのだが、いったい、首相発言のどこに問題があるのか、凡人の翁にはさっぱり理解出来ない。言葉面(ことばづら)だけ見れば、ごく当たり前のことを言っているようだが・・・そんなことより、翁が“(安倍は)少し調子に乗り過ぎて強引過ぎるのではないか”と疑問に思う案件が2つある。1つは『消費税10%案』、もう1つは『武器輸出三原則の見直し論』である。『消費税10%案』については、いずれかの機会に吼えるとして、今号では『武器輸出三原則の見直し論』について物申したい。

『武器輸出三原則』は1967年、佐藤内閣が(1)共産圏(2)国連安保理決議により武器輸出が禁止されている国(3)国際紛争の当事国またはそのおそれのある国――これらの国へは武器輸出を禁止。更に1976年、三木内閣の時、上記三原則以外の国にも原則、輸出禁止を決めた。つまり日本政府は、これまでに武器そのものは勿論のこと武器製造技術供与(米国との技術協力は“例外的に”行なわれて来た)、武器への転用可能な物品の輸出は禁止して来た。武器を輸出しないことにより紛争を助長しないという趣旨は適正であった。『武器輸出三原則』は戦後日本における平和主義の大きな遺産であり“世界に誇る平和大国日本”“平和を訴える唯一の有資格国・日本”にふさわしい“慎み”であったはずなのに安倍政権は、いったい、この何を(どこを)見直そうとしているのか?

安倍政権が示した原案では「我が国の安全保障に資する場合は輸出できる」など、幅広く解釈できる文言を新しく設ける、としている。輸出の審査・管理基準は決めるそうだが、武器輸出の品目や地域が大幅に広がる危険性がある。拡大解釈が際限なく“拡大”されて、日本がいつの間にか“死の商人”になりはしないか、翁はそのことを危惧しているのである。既に政府は米国をはじめ英・豪・仏・印とは武器製造の技術協力、共同開発への取り組みを進めているが(1)共産圏(2)国連安保理により武器輸出が禁止されている国、の2項目は守るとのことだから“武器輸出大国”になる心配はなさそうだが・・・

軍事用の航空機・艦船・車両・火器・電子機器など日本の武器製造技術は世界のトップレベルだそうだ。故に世界各国に自社製品を売り込みたいとする日本企業は多い(具体的な企業名は省略)。そこで政府は“三原則”の解釈を拡大して武器製品やサービスを輸出することで国内の雇用を生み出したいという目論みがあることは確かだ。この考えは理屈では分かるし国内的には軍需産業が景気呼び込みの起爆剤になり得ることは容易に想像できるが、国際的評価はどう変わるだろうか?『武器輸出三原則の見直し論』は、拙速に(強引に)議論を進めるべき問題ではなく(憲法問題同様)国民的議論を必要とする”大事“であることを安倍政権は真摯に熟慮すべきである。とは言え、世界的トップレベル(と言われる)日本の兵器製造技術を眠らせることはない。“二国間ビジネス”ではなく、あくまでも“国連の要請を受けて”の輸出であれば、国際社会の平和と安定に貢献しようとする我が国の積極的平和主義の理念に適う、とも考えられる。

翁は思う――“武器輸出”の前に、安倍内閣の基本政策(2)<安全保障=防衛問題>国民の生命・財産・領土・領海・領空を断固として守るため、国境・離島の適切な管理、警備の強化を図る、のであれば、まずは自立的な防衛体制の構築を急がなければならない。具体的には自衛隊員、海上保安官などの増員、そして世界最高水準を誇る武器製造技術をもって艦船・航空機類ほか兵器の生産・増備を図り、それらの適切・合理的運用を可能とする法整備を行ない、自力で尖閣諸島を守る強力な防衛力を備えなければならない。それもこれも“強い経済力”があってのこと。なるべくなら“兵器ビジネス”でない、国内的<経済再生>で“強い日本”を実現させてもらいたい。3月は弥生(ますます生い茂る月)、“日本再生”の出発月にさせようではないか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

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昨年、日本に帰国した時に弟から本を渡された。良かったら是非読んで欲しいと渡されたのが“永遠の0”だった。映画化もされて話題になっているらしく私の周りでも何人もその本はすでに読まれていた。今年大学受験を迎えた弟の息子は受験した大学全て合格したようで、その後に永遠の0の映画を見て感動して最後は泣きそうになったらしい。
これから彼の心に焼きついた映画が今後どんな風に彼の人生に影響を与えていくのだろう。
この数年ご近所で親しくさせていただいているTさんもその映画を息子さんの薦めで見てきたというメールが届いた。Tさんのプログを読ませていただいて私もこの映画をとても見たくなった。今回はそのTさんのプログをTさんの了解を頂いてご紹介させていただこうと思う。私は先週の土曜日、ウェストウッドにある映画館で“風立ちぬ”の映画を見てきた。その事は次回に、、、、
 

初めての体験

1週間ほど前のこと。次男がNHKの大河ドラマの主人公の岡田准一さんは現在、上映中の映画にも出演し、話題作だと言う。
ある特攻隊員の飛行技術を讃え、その最期のようすを公表したアメリカの文書から始まる百田尚樹さんの原作を、次男は繰り返し読んだそうで、映画にも関心を持っていたらしい。題名は”永遠の0”

急に私もその映画を観たくなり、インターネットで上映館や上映時間を調べ、指定席を確保した。
TOHOシネマズ渋谷、18時50分の最終上映の空席のうち、比較的前の1つだけポツンと空いている席を選ぶ。すぐにメールで整理番号が知らされた。それをメモして自宅から5〜6分離れたバス停より渋谷へ向かった。

映画館ではすでに<満席>と表示されていた。上映会場は2階だが、1階にある自動発券機で整理番号を打つと、指定席のチケットが出てきた。シルバー料金の1000円はカード払いの手続きをしてあるので現金は不要。

久しぶりの映画館。一人で、しかも夜の映画館は初めて。大部分が若い人たち、ポップコーンの入った大きなカップと飲み物を手に手に入場している。両隣は共にカップルで、あたりを見渡してみても私のような老婆の姿は見当たらない。老人1人が目に入ったくらいだ。年寄りは昼間の時間を利用するのだろう。

何の予備知識もなかったが、題名から戦争映画を想像し、少し重い気分で腰を降ろした。
あの暗い時代の、暗い戦争の画面が始まると思っていたら、現代のお葬式の場面で、愛妻との別れに嘆き悲しむ老人の姿から始まり、それからはドラマチックなミステリーなストーリーで、戦争を舞台に人間性を追求する切ない映画だった。

国のために命を捧げるのを当然とし、美徳とされていた時代の大きなうねりの中で、鮮烈な生き方、いや死に方をした岡田准一演じる宮部久蔵。彼の意図は最後の場面で解き明かされた。家族への愛、男同士の信頼が描かれ、上映中、何度も涙を拭いた。隣席の若い男性にもその気配を感じた。

見終わって、戦争に関わった私の身近な人たちへの思いが溢れてきた。実父の末弟が学生で戦地に赴く壮行会の夜のようす。親戚一同で飲み歌い、踊りの輪の先頭で踊り狂っていた光景をはっきり覚えている。あの若い叔父は最期の別れと、知っていたのだろうか。

戦後の荒廃した時代に、戦友の家族を守ることに必死だった叔父の気持ち。自分の命は亡くなっても家族の無事を祈り、託す情景も私の心に大きく響いた。

主人の父が初孫に会いに徳島から初めて上京し、20年も前に戦地で亡くなった義父の弟の魂に会いたいと靖国神社に参拝して、胸のつかえを晴らしたかのような義父の嬉しそうな顔も目に浮かんできた。

この映画を観ることにより、私の身内の生命を全うできなかった霊よ、安らかにと祈る気持ちが湧いてきた。
この映画を観る多くの人達にも多くの霊を祈ってほしいと思った。

寒い冬の夜、突き動かされるようにこの映画を観に行ったのは、きっと私に忘れないでと訴えたかった仏様の思いかも知れない。
私の余命もそんな長くないが、あの戦争で落とした命をいただいて生きていることを胸に、大切に生きなければと思った。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

JAZZが流れているレストランやお店が多くなってきています。私が通うスポーツジムの更衣室でもジャズが流れています。ジャズはオシャレなイメージがあるからでしょうか?流れてくるジャズは聴き心地のいいピアノジャズが多いようです。ピアノジャズが聴きたくなりました。静かに聴けるアルバムがいいと思いました。すぐに思い浮かんだのがオスカーピーターソンのピアノでした。
今日ご紹介するのは、My Fair Lady & The Music From Fiorello !です。包み込まれるやさしいピアノで穏やかな気持ちになれます。

"My Fair Lady & The Music From Fiorello!"  Oscar Peterson

01 I've Grown Accustomed To Her Face
02 Get Me To The Church On Time
03 Show Me
04 I Could Have Danced All Night
05 On The Street Where You Live
06 Wouldn't It Be Loverly_
07 The Rain In Spain
08 When Did I Fall In Love_
09 Little Tin Box
10 Home Again
11 Till Tomorrow
12 Politics And Poker
13 Gentleman Jimmy
14 Unfair
15 On The Side Of The Angels
16 Where Do I Go From Here_

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

今年は2014年です。恥ずかしながら、Zakkaya Weeklyの日付が2013年のままになっていることに今頃気づきました。今年に入ってから(921号から)ずっとです。大変失礼しました。
毎週月日を変えていたのに気がつかないなんて情けなくなります。《R.O.》


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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.929

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com