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NO.923            Ryo Onishi              1/19/2014

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雑貨屋のひとり言

いつも気になっているのですが、信号機のない横断歩道を人が渡ろうとしているのに車は止まらず、通過していきます。あろうことか歩行者が渡ろうとするとクラクションを鳴らす車もいます。歩行者も自動車が止まってくれないのであきらめて車が通り過ぎるまで待っている有様です。停車しなかった自動車運転者は道路交通法 第三章、第六節の二、『横断歩行者等の保護のための通行方法』に違反しています。インターネットに掲載されていた調査結果によれば90%の車は横断歩道で歩行者が渡ろうとしていても停車しないようです。私の感覚でもそのくらいの高い率で停車してくれません。止まってくれるのはパトカーくらいです。横断歩道中の事故が多いにもかかわらず、警察は何の対策も打たず、怠慢だと思います。前回の運転免許証更新時の講習会で自転車の運転のマナーについて長々とやっていましたが、そんなことは別のところでやってもらって、横断歩道での歩行者をどう守るかを講習すべきだと思います。メディアもこの運転者の無知と警察の怠慢を取り上げてほしいと思います。≪R.O≫

 

バランス

だいぶ前に、この欄でアメリカ医療体制の専門別分業システムについて書きました。私は人間のからだも全体のバランスのもとで均衡が取れていると考えています。人体のある臓器が障害を生じたとき、一点集中でその臓器だけを治療しても、ほかの臓器とのバランスが崩れては全体として意味をなさず、生命を全うできません。

以前、歯科医の先生がいっていましたが、人が歳をとって歯が弱くなり、硬いものを噛み砕くことが出来なくなったからといって、歯だけを丈夫にしても意味がない。なぜなら年齢相応に顎が弱まり、関係する筋肉が弱くなり、さらにはその他すべてが弱くなるからなのだそうです。全体がバランスよく、その年齢にふさわしい状態に保つことこそ最善ということなのでしょう。

米国の医療の分業システムは、それぞれが専門分野について集中して責任を担ってくれ、これはこれでたいへん合理的だとは思うのですが、なんだか自分の身体をひとりの人間として扱うのではなく、細分化された部品の寄せ集めとして扱われているかの如く印象が否めません。

私のような日本人的メンタリティからいえば、まず一人の人間がいて、その人間の身体全体のバランスを重んじるやり方が欠けているように思います。

世の中は複雑であり、単純に割り切れるものではありません。デジタル時代の今、すべての現象を0(ゼロ)と1(イチ)に分割し、イエス/ノーで決めつける論理がもてはやされています。最近では日本人も、若い人はびっくりするほど単純明快に割り切る人もいますが、本来、日本的な発想とは、ものごとを明確に「分類・細分化」するのではなく、その逆で全体のバランスや相互関係、整合性を重んじるものであったはずです。

ものごとを徹底的に細分化し、分類し、体系化する欧米的発想のおかげで、近代の学問と科学が大きく進展し、人類文化の進歩に貢献したことは確かですが、その反面これは妥協を許さぬ対決型思考であるため、物・心のバランスに欠けるという弊害を生み出していないでしょうか。

全体としての調和と、そこに見える全体像の体系化により、人間が人間らしく生きる道と真理を求める――。そこでは、必ずしもイエス/ノーで全てを割り切るのではなく、人と人との関係をもっと重視した、相手を思いやる発想が必要になってくると思います。

物と心と自然のバランスを通して人間が人間らしく生き、人間関係においては相手にレッテルをはり、一方的に決め付けることではなく、互いの立場を尊重しあう心を持ち合ったうえで、自然と共生する心を育てたいものです。――――― 年の初めにこんなことを考えました。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


社を背負っている気先棒担がされ

プライドと意地とメンツに椅子一つ

敵よりも怖い味方の裏の顔

歯軋りの音が譲歩を迫られる

棒グラフ奴の修飾語に負ける


( ニュースやぶにらみ )


「細川氏に1億円問題」

俺より大物だ −猪瀬前都知事

「当面の課題」

脱オヤジ −石原伸晃、小泉進次郎

「ウマ年」

あれっ日馬がいない −初場所


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(80)
*池波正太郎ー団子坂の道場
池波正太郎著『狐雨』(剣客商売?八)の中で、秋山親子と同じ無外流の杉本又太郎の道場ががある場所として千駄木の団子坂が登場します。以後、杉本道場と併せてシリーズの中に度々でてきます。「杉本道場は団子坂の中程の北側にある。板倉摂津守の下屋敷の横道を入った左側に、道場の門があり、その正面に茅ぶき屋根の小さな母屋。母屋の右手に板屋根の大きな道場があるのだ」
二代目当主の杉本又太郎は父又左衛門と違って、剣の力量は道場主になるほどではく、旗本の松本修理之助に仕えます。ところがその松本家の養女小枝とわりない仲となり、団子坂の道場へ戻ってきてしまいます。又太郎が松本家の刺客に狙われたとき、昔小枝に助けられた白狐が現れて又太郎に乗り移り、又太郎は危難を逃れます。
「このたび、小枝さまとあなたさまが苦しめられていると聞きおよび(略)私がアノ、あなたさまの体内へ乗り移ればあなたさまは天下に敵うものなき剣の達人になられまする」(略)「アノ私が、あなた様のお体に乗り移っていられるのは、足かけ三年の間でござります(略)それまでに、アノ、あなた様は真に強い剣士にならねばなりませぬ。」 「しっかりと御修行なさりませ。あなた様が御修行の折には、体内より抜け出しまする。あなた様が刺客と闘ったり、門人達に稽古をつけるときは、体内に戻りまする」
以後又太郎は人が変わったように剣の修行に励みます。

龍翁余話

龍翁余話(312)「寒稽古の思い出」

1月20日から大寒に入る。この時期になると少年時代の(柔道の)“寒稽古”を思い出す。翁が柔道を始めたのは小学校5年生の時だった。そのきっかけは『姿三四郎』という映画(柔道作家・富田常雄の同名小説の映画化)を観てのことだった。監督は黒沢明、主演は姿三四郎役に藤田進、三四郎の師匠・修道館柔道の矢野正五郎役に大河内傳次郎。後に知ったことだが、姿三四郎は会津出身の西郷四郎(1866年〜1922年)がモデルである。四郎は会津藩士・志田貞二郎の3男、16歳の時(昨年の大河ドラマ『八重の桜』で西田敏行が演じた)会津藩家老・西郷頼母(1830年〜1903年)の養子となり(西郷四郎と改名)、戊辰戦争(会津戦争)の後、福島県伊達郡の霊山神社の宮司になった頼母から柔術の手ほどきを受け、間もなく上京して天神真楊流・井上敬太郎道場に学ぶが、講道館柔道の嘉納治五郎に見出され、講道館へ移籍して、のちに“講道館の四天王”の1人と称される達人となる。小説(映画)の修道館・矢野正五郎は、講道館柔道の創設者で“柔道の父”嘉納治五郎(1860年〜1938年)がモデルである。

小学校5年生の龍少年は(映画の)姿三四郎に憧れて、何としても柔道を習いたいと母にせがんだ。幸いなことに母の従兄が(少年が通う)小学校の校長だったので(母が)相談したところ「それなら警察の道場がいいだろう」ということで、署長に掛け合ってもらい、
授業のない土曜日の午後と日曜日の週2回、警察の道場に通うことを許された。1回の練習時間は90分であった。何故90分だったか、ついぞ聞き洩らしたが、今頃になって想像するに、翁がまだ子どもの体躯だったので長時間の練習は危険である、と判断されたこと、また警察官1人当たりの勤務の時間配分(調整)の都合からだったのではないだろうか?
それはともかく、夏休みから少年の“道場通い”が始まった。熱心に練習に励む少年は、たちまち(12人の)柔道警官たちから「坊主、坊主」と可愛がられるようになった。Kさんという色の浅黒い強面(こわおもて)の黒帯警官(3段)が少年の指導に当たってくれた。顔に似合わず、優しい師匠だった。

まずは、柔道の基本から仕込まれた。礼(立礼、坐礼)の仕方、立ち方、歩き方、足捌き、攻撃・防御の態勢(形)、受け身など。子どもは龍少年が1人だけだったし、まだ体躯が成長途上期だったせいか(とは言え、この少年は他の子どもより背が高く、小学3年生の8月までは戦時下で毎朝、授業開始前の1時間、校庭で軍事訓練の真似事、戦後は野球や“腕白相撲”で鍛えていたので比較的いい体格をしていたのだが)、初めの3カ月間は(腰を落として道場の端っこを跳び回る)兎跳び(これは、かなりきつい)と(上記の)基本練習(1人練習)だけ。最初の頃は、受け身(後受け身、左右の横受け身、前回転受け身)が上手く出来なくて、首の筋や手首を痛めたり脳震盪を起こしたりしたものだ。3カ月を過ぎて、ある程度、受け身が出来るようになった頃から乱取(対人練習)に入る。乱取とは、相手と組み合って自由に練習をすることだが、組み方、技の掛け方、相手が仕掛ける技のかわし方など形(型=かた)を覚える。武術は形が大切――柔道に限らず形稽古は武術の普遍的な稽古方法であるが、特に柔道は、技を掛ける『取り』と技を受ける『受け』に分かれ、(決められた手順で)技を掛け、受け止め、反撃し、それを反復することで技と呼吸合わせを習得する。このあたりから柔道が面白くなってくる。

翌年の新年・鏡開きの時、師匠に「お山(神社)での寒稽古」を誘われた。たしか1月20日からの15日間(大寒の期間)だったと記憶する。寒稽古は早朝6時に始まる(寒稽古時間は1時間)、少年は家の者に5時半に起こしてもらい、熱いお茶を飲んで家から柔道着のまま裸足で神社まで走る。その神社は、少年の家から歩いて10分ほど、走れば5分くらい。その神社は少年の小さい頃からの遊び場だったので、まだ夜が明けぬ暗闇の中でも勝手知ったる何とやら。鳥居をくぐって石段を駈け上ると拝殿の前にはもう柔道着姿の師匠が参拝を済ませ、少年を待ってくれている。少年は息を整えながら師匠に挨拶をして、まずは手水舎で手を洗い、口を濯いで拝殿の前で2礼2拍1礼の参拝を済ませ、師匠に従って社殿の裏山に歩を進める。大寒を超える冷気(霊気)が境内を覆う。思わずブルっと来る。
裏山から稽古の気合い(声)が聞こえる。4人の柔道着姿がもう稽古を始めている(勤務の都合で4人ずつ交代、師匠も1日おきの参加)。自転車のチューブを樹木の幹に巻きつけて、そのチューブで左右の背負い投げ練習をしている。少年は元気よくみんなに挨拶をする。
みんなも(練習の手を休めず)挨拶を返してくれる。端っこの樹木の幹に1本のチューブが掛けられている。少年のために準備してくれたものだ。「ありがとうございます」少年は準備運動をしてから、早速、チューブを担ぐ。たしか“チューブ・トレーニング”と呼んでいたように記憶するが、右肩担ぎ50回、左肩担ぎ50回はかなりきつい。その他のメニューもこなして約1時間の寒稽古を終える頃、東の空がようやく白くなってくる。「坊主、家に帰ったら熱い蒸しタオルで体を拭けよ」風邪を引かないように、との師匠の優しい助言である。寒稽古は(予定通り)15日間続けられた。あっという間の15日間だった。この寒稽古で、少年と柔道警官たちとの絆は更に深まったように思えた。しかし、その寒稽古は2回(2年)で終わりとなる。少年が中学に進学する春、12人の“柔道警官”たちの半分が人事異動で他署へ転勤することになった。師匠のKさんも遠くの署へ。

少年は、師匠や他の柔道警官との別れが淋しかった。悲しかった。最後の稽古日、少年は柔道警官たち12人全員と乱取をさせて貰った。寒稽古のチューブ・トレーニングで鍛えた少年の背負い投げで、全員が投げられてくれた。少年は目に涙を浮かべながら歯を食いしばって投げた。最後の1人、師匠も目を潤ませながら「坊主の背負い投げ、忘れないぞ」と言って転んでくれた。少年の“道場通い”はその後も続くのだが、師匠の最後の熱い声、みんなの顔・顔・顔が今でも懐かしく思い出される大寒の入りである・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

お豆腐さんから世界へ

数年前、祖母が亡くなってから台所をかたづけていると奥から笊豆腐を入れる竹で出来た笊が、たくさん出てきた。祖母が好きで50年以上通ったお豆腐さんの笊だった。昔祖母がそこのお豆腐さんで買ったガンモが特に美味しくて甘辛に煮て食べると、もうそれだけで満足で、おかずがいらないくらいだと言っていたのを思い出した。

母にその場所を聞いて日本に帰る度にそのお豆腐さんにガンモを買いに行くのが楽しみの一つになった。大きくて具たくさん詰まったガンモは一人で一枚食べたら後はご飯も何も入らないくらい食べでのあるボリュームだ。表面をカリカリに焼いてショウガと刻んだネギとおかかとお醤油をかけてシンプルに食べるのもいいし、甘辛煮でも美味しい。どこの店だか忘れてしまったけれど、がんもが入ったベジバーガーを食べた事があったがタレや他の具材を工夫すれば、ガンモだって立派なハンバーガーになるのだな〜と感心した。

前々回に日本に帰った頃だったろうか…このお豆腐さんに、ガンモを買いに行って、おつりを受け取った時に触れた彼女の手の冷たさにびっくりした。 私たちは美味しいお豆腐を食べているだけだけれど早朝から寒い思いをして努力して作ってくれているのだな〜と。そういうお豆腐屋さんがなければ、この美味しいお豆腐が食べられないし、有難い事だと改めて思ってしまった。
その頃から何となくこのお豆腐さんのオーナーの奥様とも会話を交わすようになって向こうも私がロスから帰ってお豆腐を買いに行くと覚えていてくれるようになった。先代の社長から引き継いで今は2代目がこのお豆腐屋さんの仕事を守っている。地域の人にも愛されているお豆腐さんだ。こういうお豆腐さんは、ずっと続いてほしいものだ。

この地元で生まれ育ちこの町の事は何でも知っているTさんもこのお豆腐さんの先代社長の事は良く知っていた。町の人に人気のあったこのお豆腐さんの存続を心配していたのだそうだが次の息子さんが立派にお豆腐さんを継がれたのをとても喜んでいた。

昨年の年末頃に、このお豆腐さんにガンモを買いに行ったら ′あ〜今帰っていらしたんですね。今、うちの娘もモザンピークから一時帰国しているんですよ。毎日、何だか忙しくて大使館に行ったり友人に会うとかでなかなか家にいないんですよ ′と。私も昔は、たまに日本に帰ると、なかなか会えない友人と会う事の方が忙しくて祖母と母とゆっくり食事もしないで毎日飛び歩いていた事を思い出した。バタバタと帰ってきて風のように去って行った。あの頃の母や祖母の気持ちを考えると申し訳なかったな〜と今頃になって思う。

それにしてもモザンビークで何をしているのだろうと思っていたらつかさず彼女が話してくれた。´初めは私も娘が何をしているのか、ちっともわからなかったんですが先日、I氏の番組でも取り上げられていてアフリカの資源を地元の人たちと一緒に開発しているみたいなんです。アフリカの何とかという毒の実のある利用価値の無さそうな木を買い取ってあげてそれをエネルギーに変える研究開発をしているようなんです。その買い上げたお金は地元の子供たちの学校の資金に行くようになっていて未来の子供ためにもなっているらしいんです。それに労働力として地元の人の雇用促進にも?がっているので喜ばれているらしいんです。それに比べるとC国は何万人のC国の働き人を連れてきてモザンビークの自然を食い荒らし全部自国の利益だけの為にどんどん資源を持ち去って行っているようで地元の人は皆C国の人にいい感情を持ってはいないらしようなんです。’ と一気に説明してくれた。

いろいろ調べているとこのC国の礼儀無さは世界的にも有名なようで土足でずかずか入ってきて自国の言葉だけを仲間だけでしゃべり地元の人とは交わろうともせず、それどころか地元住民を見下げるような横柄な態度なのだそうだ。彼らは何を勘違いしているのだろうと思う。やはり世界から見てスタンダードなしつけや教育がいかに必要なのか良くわかる。今年になって安部総理がアフリカに外交に出かけた記事を見て本当に嬉しく思った。今まで理不尽な条約も涙を呑んで受けざるを得なかったところ日本がアフリカで事業を展開する事になればアフリカにとっても選択の幅が出来て少しでもアフリカにとって有利なビジネスの商談が出来るようになっていく事はいい事だと思う。まさかお豆腐屋さんでこんな素晴らしい話が聞けるとは思っていなかった。とても感動したので早速母に話した。年末の最後の日にもう一度ガンモを買いに来ますとお豆腐屋さんに約束したのに年末になって大風邪をひいてしまって買いに行けなくなってしまったので母に頼んでガンモを買いに行ってもらった。帰ってくるなり母がニコニコしてこう言った。 ‘ 娘が風邪をひいてしまったので今日は娘の代わりに頼まれてガンモを買いに来たんですよ ’と告げるともう、そのお豆腐屋さんの奥さんは満面の笑みを浮かべて対応してくれたのだそうだ。お互いに海外に住む娘を持った共通の母の気持ちが通じたのだろう。

それにしても海外で活躍している日本人はたくさんいるのに、あまり知られていない。そういう明るい希望の持てる話はあまり日本のメディアではとりあげられていないように思う。いろいろ起きてくる出来事や事件の報道の仕方が日本と海外はずいぶん違う。そもそも戦後日本で作られたTVや新聞などのメディアの成り立ち、資金を見ていくとそれは仕方がないのかも知れない。いろんな思惑があって事実が見えにくくなっているけれど今はインターネットというツールが誕生したおかげで洪水のような情報の中から自分の勘と信じられるものを取捨選択出来る幅が広がった。昔、パームスプリングに住むあるジャーナリストが ´沈む朝日´という本を書いた。´ 僕はね、日本の新聞や週刊誌など読まないよ。あれはゴミだからあんなもの読んだら頭にゴミが入る ′ 強烈な個性を持った人だった。だから日本にもいれなかったのだろう。今は少しずつ、そういう人たちに賛同する若い人たちも増えているようだ。自分の頭でしっかり考え情報を捜し未来の日本の為にどんどん外に出て外からも中からも日本を変えていってほしいと思う。そしていろいろな呪縛から日本を解放する事の出来るリーダーが続々育っていって欲しいと思う。

お豆腐屋さんから世界が見え何だかとても明るい気持ちになった。
茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

アルファベットでIのつくアーティストはとても少なく、しかもほとんどが日本人です。
市原ひかりはその中でも女性のトランペット奏者という珍しい存在です。
2006年6月にニューヨークで録音された彼女の2枚目のアルバムです。
彼女のトランペットは優しく、やわらかいので、耳に馴染みます。

"Sara Smile" 市原ひかり
01-Cleopatra's Dream
02-Fragile
03-Blue Prelude
04-It Could Happen To You
05-I've Got It
06-Sara Smile
07-Golden Earrings
08-Intro
09-Close to You

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

先週は我が家のバス、トイレ、キッチンの水回り、タタミなどのリフォームをしました。工事中は不便なことが多かったですが、終わってすっきりしました。また新しい気持ちで暮らせます。
《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.923

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com