糖尿病からくる腎臓機能の低下と診断され、担当医から透析を受けるように指示されて、この12月19日で満4年が経過しました。おかげさまで今のところ、大きな副作用や感染症などもなく、続いています。
透析は患者によって異なりますが、私の場合、週3回(火、木、土)車で10分ほどの透析センターへ通い、1回の透析時間は原則3時間(随時実施される血液検査の結果によっては15分〜30分の延長あり)です。
毎回、左腕の決められた血管の位置に2本の針を刺し、一方から血液を抜き、器械を通して浄化してもうひとつの針を通して体内に戻すわけです。その間、左腕は固定され、右腕は血圧計で締め付けられた状態になるので、正直のところ決して楽ではありません。
水分摂取も制限され、水分をとりすぎると排出できない老廃物が増え、私の場合は肺臓にまで沁み込むらしく、夜間ベッドに横たわっても呼吸困難に陥ったりすることがあります。おかげで通院以外の外出はままならず、外の活動はすっかり減りました。日本行きも3年以上出来ずにいます。
私の通っている透析センターは、大部分の患者さんは、自分の足で通院されていますが、中には移動用ベッドで運ばれてくる人、歩行器を頼りに通う人などさまざまです。年齢的には高齢者が多いのですが、中には若年層の患者もみかけます。みなさん腎臓の機能を失ったために、人工透析導入を余儀なくされた人たちです。
この4年間、変わらず一緒に透析を受けてきた顔見知りの“仲間”も増えましたが、中には途中で来なくなったお年寄りが何人もいます。透析センターの看護師さんは何もいいませんし、こちらから敢えて聞くこともしませんが、昨日まで一緒だった人が突然来なくなるということがどういうことか想像され、心の中を冷たい風が吹き抜ける思いがします。
しかし、普段は透析センターの雰囲気は明るく、スタッフも患者の皆さんも明るく振舞って、拘束に耐えています。私も4年前のころは大きな抵抗を感じ、かなり落ち込んだ気分になったことは事実でした。ところが時が経過するにつれ、透析通いが日常生活の一部になってくるにつれ、これらの拘束時間が待ち遠しくさえ思うようになり、抵抗がほとんどなくなりました。
人工透析は治療ではなく、これによって病気が完治することは原則としてなく、あくまで維持治療です。透析から開放される手段は腎臓移植なのですが、これも年齢、病状、体力などの点から受けられるとは限りません。私の場合は当初、何とか移植条件をクリアしかかったのでしたが、精密検査の結果、消化器系(膨大部)に癌が見つかり、手術したため、移植のための手続きはストップした状況です。
私の通う透析センターには私より条件の深刻な人たちを多く見かけます。そういう人たちに比べ、私ははるかに幸せな状況です。下を見ればきりがないわけで、これからも精一杯明るく、前向きに過ごしたいと思っています。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |