weekly

NO.919            Ryo Onishi              12/22/2013

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 
雑貨屋のひとり言

ヨガには面白い呼び名のポーズがあります。ポーズをしながらそのポーズの効用を講師が説明してくれるのでいつも楽しく聞いています。ヨガクラスでよくおこなうポーズの中に"戦士のポーズ"があります。ポーズ名の通り、力強さや勇気、前向きな気持ちになれるポーズです。
足の背面の筋肉やアキレス腱を強くストレッチし、同時に股関節の前後の動きを柔軟にします。さらに背筋や腹筋を鍛えることも出来ます。とても良いポーズだと思いませんか?名前ほどとんでもないポーズではありませんので、試してみてはどうでしょう?やり方を説明するのはやっかいなので、興味のある方はネットで調べてやってみてください。≪R.O≫

 

透析満4年

糖尿病からくる腎臓機能の低下と診断され、担当医から透析を受けるように指示されて、この12月19日で満4年が経過しました。おかげさまで今のところ、大きな副作用や感染症などもなく、続いています。

透析は患者によって異なりますが、私の場合、週3回(火、木、土)車で10分ほどの透析センターへ通い、1回の透析時間は原則3時間(随時実施される血液検査の結果によっては15分〜30分の延長あり)です。

毎回、左腕の決められた血管の位置に2本の針を刺し、一方から血液を抜き、器械を通して浄化してもうひとつの針を通して体内に戻すわけです。その間、左腕は固定され、右腕は血圧計で締め付けられた状態になるので、正直のところ決して楽ではありません。

水分摂取も制限され、水分をとりすぎると排出できない老廃物が増え、私の場合は肺臓にまで沁み込むらしく、夜間ベッドに横たわっても呼吸困難に陥ったりすることがあります。おかげで通院以外の外出はままならず、外の活動はすっかり減りました。日本行きも3年以上出来ずにいます。

私の通っている透析センターは、大部分の患者さんは、自分の足で通院されていますが、中には移動用ベッドで運ばれてくる人、歩行器を頼りに通う人などさまざまです。年齢的には高齢者が多いのですが、中には若年層の患者もみかけます。みなさん腎臓の機能を失ったために、人工透析導入を余儀なくされた人たちです。

この4年間、変わらず一緒に透析を受けてきた顔見知りの“仲間”も増えましたが、中には途中で来なくなったお年寄りが何人もいます。透析センターの看護師さんは何もいいませんし、こちらから敢えて聞くこともしませんが、昨日まで一緒だった人が突然来なくなるということがどういうことか想像され、心の中を冷たい風が吹き抜ける思いがします。

しかし、普段は透析センターの雰囲気は明るく、スタッフも患者の皆さんも明るく振舞って、拘束に耐えています。私も4年前のころは大きな抵抗を感じ、かなり落ち込んだ気分になったことは事実でした。ところが時が経過するにつれ、透析通いが日常生活の一部になってくるにつれ、これらの拘束時間が待ち遠しくさえ思うようになり、抵抗がほとんどなくなりました。

人工透析は治療ではなく、これによって病気が完治することは原則としてなく、あくまで維持治療です。透析から開放される手段は腎臓移植なのですが、これも年齢、病状、体力などの点から受けられるとは限りません。私の場合は当初、何とか移植条件をクリアしかかったのでしたが、精密検査の結果、消化器系(膨大部)に癌が見つかり、手術したため、移植のための手続きはストップした状況です。

私の通う透析センターには私より条件の深刻な人たちを多く見かけます。そういう人たちに比べ、私ははるかに幸せな状況です。下を見ればきりがないわけで、これからも精一杯明るく、前向きに過ごしたいと思っています。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


ネジ弛め日々好日の老い二人

ゼンマイを巻けば俺でもまだ動く

ネジ一つ足りないロボットの喜劇

ロボットの手足が揃う社の景気

安全神話から落ちていたネジ一つ


( ニュースやぶにらみ )


「都知事候補」

お呼びがかかるかなあ −タレン党

「前途多難」

結党はしたけれど −結いの党

「党歌」

♪結んで開いて 手を打って結んで −結いの党


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(79)
*栄松院のスダジイ 
 句会場を出て右折、すぐ右側に光源寺、その隣りが清林寺でその先が栄松院です。太宰治が死んだ後、妻の津島美知子一家が住んだ家の路地の入り口にある、中華そば屋はこのお寺の真ん前です。初代松本幸四郎の墓があり、隣に江戸の浄瑠璃太夫の薩摩浄雲の墓もあります。
その墓地の奥右隅に大きなスダジイ木があり、この木は環境庁が平成12年実施した第6回自然環境保全基礎調査、巨樹・巨木林調査≠ナ東京23区内では3位の巨木に認定されています(椎の木では1位)。幹周9.15m,樹高11m。樹齢は不明となっていますが、この地の大田家が大正の末に作った庭が、昔のままに残されている千駄木ふれあいの杜には、樹齢500年以上の椎の木が幾本もある(太田松子さん談)と言われていますので、もっと古いかと思われます。
この椎には戦時中に焼夷弾が直撃したそうで、近づいて見ると大きな空洞と焼け焦げが残り、幹の半分以上は枯れています。それがかえって迫力となって目に迫り、何百年もの千駄木の歴史を見てきた樹であることを実感させられます。
本堂とは反対側の小学校側の幹が健在で、遠目からでは特に違和感がないほど樹勢は回復し、枝葉をいっぱいに広げており、よく生きのびたとものと、その生命力に感嘆します。白山駅、本駒込駅から句会に来られる方は、帰りにでも一度見てください。
ちなみに上記調査での1位は港区善福寺の逆さイチョウ。2位は本郷1丁目、楠亭のクスノキだそうです。

龍翁余話

龍翁余話(308)「時と人を大切に」

年齢を重ねるごとに“時の流れ”の速さが身に沁みる。あっという間に月日が過ぎて行く様(さま)を詠んだ古諺(こげん)は多い。『光陰矢の如し』とか『歳月人を待たず』は、一般的によく知られているが(『ことわざ辞典』で調べてみたら)類義語はたくさんある。『露往霜来』(ろおうそうらい=露の季節が過ぎ去って気が付くと早や霜の季節)、『烏飛兎走』(うひとそう=太陽に金烏が住み、月に兎が住んでおり、あっという間に金烏が飛び、兎が走る)、同じ言い方に『烏兎怱々』(うとそうそう)というのもある。ほかにも『今日の後に今日なし』、『白駒の隙(はっくのげき)を過ぐるが如し』(人の一生は白馬=駿馬=が通り過ぎるのを壁の狭い隙間から一瞬見るようなもの)、『一寸の光陰軽んずべからず』・・・これらは言うまでもなく“(再び返らぬ)時を大切にせよ”という戒めの諺であるが、中でも翁は、人生の哀感が漂う『歳月人を待たず』が好きだ。

『歳月人を待たず』の意味合いに“歳月人との別れ”が含まれているような物哀しさを感じる。中国・唐の時代(初期)の詩人・劉延芝(りゅうていし)の作に『年年歳歳花相似(年年歳歳花あい似たり)歳歳年年人不同(歳歳年年人同じからず)』という漢詩がある。毎年、美しい花は同じように咲くが、この花を見る人は、毎年変わって行く。この『歳歳年年人同じからず』は、去った人、亡くなった人を偲ぶ、何ともうら寂しい様(さま)を詠んだ詩であるから、翁には『歳月人を待たず』と「歳歳年年人不同」が妙に重なる。

毎年11月、12月に“喪中につき”のお報せが相次ぐ。今年もまた、幾人かの友人・知人が逝った。翁より年上もいれば年下もいる。もう彼らと共に花を見ることも食を共にすることも語り合うことも出来ない。寂しい限りだ。“ああ無情、歳月人を待たず、人の別れを止めもせず“・・・だから、と言うわけでもないのだが、すでに老域の真っただ中に居る翁、(これまで)生かされて来たことへの感謝、生きてきた証の刻み、そして更なる余生の意義を深めるため(歳歳年年)“時と人を大切に”という思いを強く持つようになった。

“人”とは、他の人は勿論のこと、己れ自身をも含む。翁、己れを大切にしていることは言うまでもないが、果たして本当に“他の人を大切に”しているかどうか?自分ではそのつもりでいても人の受け止め方は様々、測り知ることは出来ないが、1つ気をつけていることは、“親切の押し売り”である。相手の立場や現在心情をよく理解して接するようにしているものの、それとて、つい“小さな親切、大きなお世話”になってしまうこともあるのではないだろうか?“人を大切に”思うことは簡単だが、行なうことは難しい。これまでにも“親切が仇(あだ)”になって(不本意ながら)人を傷つけたこともあったのではあるまいか。もう1つ、翁の人生の残り時間を考えて“時を大切に”も心掛けている。しかし現役時代のようにスケジュール・ノートを真っ黒にして、急(せ)き立てられる生活は、もう御免だ。今は、ゆったりと季節の移ろいに情感を養い、趣味を楽しみ、人的交流を深める日々こそ“我が最良の時間の使い方”であると思い、可能な限りそうしている。

師走の某日、10数人の友人たちによる毎年恒例の忘年会的昼食会が催された。その席で、翁が前述のような話をしたら、後輩(60歳代)の1人が言った「龍翁さんは悠々自適ですね、いいですね、そんな老後は理想的ですね」。彼は翁の“時と人を大切に”を率直に評価して言ってくれたのだろうが、翁は“悠々自適”にいささか抵抗感を抱いた。“悠々自適”とは、心静かに思うままに日々を楽しんで過ごすことの意味だが、翁の現実はどうだろうか?翁は果たしてそんな生活を望んでいるのだろうか?否、である。(前述のように)確かに、普段は(出来るだけ)時間を思い通りに使い、自然美や趣味を楽しみ、友人との親交を深めてはいるが、けっして(日々)心穏やかに安楽に暮らしている訳ではない。それは、望んでみても、煩悩の固まりで、しかも憂国の士を気取っている翁は“日々是安穏“とはいかない。そこで翁は(後輩に)反論した「悠々自適ではなく“憂嘆自業苦”(ゆうたんじごく=翁の造語=国を憂い、世の不条理を嘆き、勝手に怒り勝手に自分を苦しめている)の繰り返しだよ」別の友人が言った「だから龍翁さんは“憂嘆自業苦”によって『余話』を書くエネルギーを生んでいるんですね。老年、いまだ壮なりですね」(友人の)その言葉を翁は素直に喜んだ。歳はとっても気持ちは若く、ますます意気盛んでありたいと願っている翁だから・・・

繰り返して言う――年齢を重ねるごとに“時の流れ”の速さが身に沁みる。歳月は人を待ってはくれないし、人との別れを止めてもくれない。しかし、翁は(高齢になった今でも)幸いに元気に生かされている。もしかしたら、すでに逝ってしまった翁の身内・友人・知人が(その人たちの分まで)翁に“生”を与えてくれているのかもしれない。きっと、そうに違いない。『歳月人を待たず』、『歳歳年年人同じからず』、『歳月人の別れを止めず』、故に“時と人を大切に”の思いをいっそう強くする昨今である・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

今週はお休みです。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

あっという間にクリスマスが近づいてきました。今週もたくさんあるクリスマスソングのアルバムからFourplayのSnowboundを選びました。Fourplayのアルバムは爽やかでとても聴きやすいスームースジャズです。クリスマスシーズンにゆったりとした気分で聴くのにいいアルバムだと思います。どうぞ楽しいクリスマスシーズンをお過ごし下さい。
"Snowbound"  Fourplay

01-Angels We Have Heard On High
02-Hark! The Herald Angels Sing
03-Snowbound
04-The Christmas Song
05-The Ivy Variations
06-River
07-Amazing Grace
08-Christmas Time Is Here
09-Santa Claus Is Coming To Town
10-Away In A Manger
11-Merry Little Stroll
12-Auld Lang Syne

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

先日、大和路線のY駅のホームで見かけた光景です。もうドアが閉まって電車が出発しかけているところへ、その電車に乗りそびれたおっちゃんが車掌に何やら叫んでドアを開けてもらっている光景を 見かけました。そのおっちゃんが車掌に何を言ったのか聞こえなかったのがちょっと残念です。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.919

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com