龍翁余話(306)「寄せ墓・ハワイ日本人墓地」
今日(12月8日)は、今から72年前の1941年(昭和16年)12月8日未明(ハワイ時間12月7日)、日本海軍がハワイ・オアフ島の真珠湾(アメリカ海軍・太平洋艦隊基地)を攻撃した大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の日である(当時は“ハワイ海戦”と呼ばれた)。
この真珠湾攻撃でハワイの日本人(日系)社会は一変した。米軍は即日、ハワイ全土(島)に夜間外出禁止令を出し、日系各団体の責任者や日本語新聞関係者、教育者・僧侶など、いずれも日系社会の指導的立場にいた約2000人を逮捕拘束、そのうち約700人を米国本土の収容所に送った。そのほとんどは日本国籍しか持っていなかった移民1世だった。このような米国の強硬な日系人押さえ込み作戦にハワイ日系社会は恐怖のどん底に陥れられたものの、遠く日本を離れ、ハワイで生きて行くためには(心ならずも)米国への忠誠心を示さなければならない。そこで日本語新聞や教育者などは、俄かに親米的発言(論調)に変わって行く。しかし、ハワイの軍当局は日系社会への警戒心を緩めなかった。真珠湾攻撃当時、各島の沿岸警備に当たっていた数千人の日系兵士及び予備兵(いずれも2世)の反乱を怖れていたのだ。
翌年(1942年)、ハワイ日系2世の陸軍兵士1400人が、米国本土の中西部最北に位置するウイスコンシン州キャンプ・マッコイに送られ“第100歩兵大隊”という隊名の日系兵士だけの軍隊で厳しい軍事訓練を受けさせられた。日系人を敵視、警戒していながら米国の為に戦わせようとする矛盾の政策――それは、日系兵士を前線に立たせ、アメリカ兵士の“弾除け”にする魂胆であったとの噂も――その“第100歩兵大隊”は後にヨーロッパ戦線で(第442連隊に編入され)、ドイツ軍に包囲され身動き出来なくなっていた“テキサス大隊”を救出するなど各地で激戦を展開、延べ9500人の戦死者を出しながら多大なる戦果を挙げ、全米国民から激賛の拍手を浴びた。アメリカ戦史上、最多の勲章を受けた部隊としても知られる。彼ら“2世部隊”の活躍のお蔭でハワイは勿論のこと、米国全土で日系人への評価は高まり、戦後、各分野における日系人の台頭と日系社会の位置づけが確たるものに発展して行ったのである。なお、ハワイで翁が25年以上も親しくお付き合いをさせていただいているミツオ・ハマス氏(93歳)は、第100歩兵大隊(第442連隊戦闘団)で多くの戦功を挙げた“2世部隊の英雄”である。2010年10月、アメリカ合衆国で民間人に与えられる最高位の勲章『議会名誉黄金勲章』をオバマ大統領から授与された。翁にとって“第100歩兵大隊”や“第442連隊戦闘団”の話は、けっして遠い話ではない。
さて、翁は去る11月中旬から月末までの2週間、ハワイ・オアフ島へ旅した折、現地の友人から『寄せ墓・ハワイ日本人墓地』の話を聞き、案内してもらった。場所はホノルルのマキキという所(ハワイ大学の近く)で墓地の名前も“マキキ・セメタリー”。多くのお墓が立ち並ぶ中で、ひときわ大きな碑が4基目立つ。それは「明治元年渡航者之碑」「ハワイ日本人移民慰霊碑」「日本海軍軍人鎮魂碑」「三界萬霊碑」いずれもハワイ日本人移民の歴史や、ハワイにおける日本海軍史がそれぞれの碑の中に刻まれていると思うと、合掌しながら何故か熱いものを感じる。
「明治元年渡航者之碑」は、まだ明治新政府が正式に“移民”として認めていなかったので“渡航者”と記されたのであろう。いわゆる“元年者”と言われる人たちである。一方「ハワイ日本人移民慰霊碑」は1881年(明治14年)に来日、明治天皇に拝謁した第7代ハワイ王・カラカウア王の尽力で1885年(明治18年)から始まった“官約移民”以後にハワイに渡った人たち。いずれもハワイ移住の先兵となり明治・大正・昭和にかけて亡くなった人たちの慰霊碑である。以前、ハワイの各所に300近い無縁仏が点在、次第に荒廃の一途を辿っていたが、ハワイ日本人連合協会やオアフ官約移民百年祭委員会などが中心となって無縁仏をこの地に集めたそうだ。故に現地では、この墓地を”IMIN YOSEBAKA”(移民寄せ墓)と呼んでいる。「日本海軍軍人鎮魂碑」について翁はまだ学習が進んでいないので想像に過ぎないが、1893年(明治26年)にリリウオカラニ女王(ハワイ王国最後の第8代ハワイ王、第7代カラカウア王の妹)の時、米国の不平等条約撤廃を主張した女王に対しアメリカ人農場主らが駐留米国海兵隊を巻き込んで軍事クーデターを起こした。明治政府は“邦人保護”を理由に東郷平八郎率いる“浪速”ほか2隻の軍艦をハワイに派遣、ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を鎮圧した。「日本海軍軍人鎮魂碑」はそのクーデター鎮圧戦の時に戦死した日本海軍軍人の慰霊碑なのだろうか?それはともかく、戦後、日本の海上自衛隊艦隊がホノルルに寄港した際は、必ずこの墓地を訪れ「日本海軍軍人鎮魂碑」に献花・参拝を行なっているそうだ。
以上は、翁を案内してくれた現地の友人の説明を頂戴したものであるが、実は翁、『ハワイ官約移住75年祭記念・ハワイ日本人移民史』と言う(分厚い)貴重な本を所有している。その中に「寄せ墓」に刻まれている日本人移民の歴史や(前述の)“第100歩兵大隊”、“第442連隊戦闘団”の記録が存分に記されている。以前に一度学習したことがあるが、今回の「寄せ墓・ハワイ日本人墓地」参拝を機に、もう一度、じっくり“ハワイ日本人移民史”を研究してみたい。今後のハワイ旅行で、ハワイ観や日系社会観に新鮮な発見が期待出来るかもしれないから・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |