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NO.917            Ryo Onishi              12/8/2013

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雑貨屋のひとり言

もう随分前から駅やショッピングモール、街じゅうのゴミ箱の数が減っていますが、みなさんは不便を感じていませんか?表向きは不審物を入れられないようにしているようですが、ゴミ回収の人手を減らしているだけじゃないのかと思います。ファーストフードの包み紙や飲み物の容器がそのへんに捨てられているのを見かけることがあります。ゴミ箱がなくてゴミが捨てにくくなっているのに、お店はゴミになるものを大量に提供しています。ゴミは一体どこに捨てられているのかと思ってしまいます。みんながハッピーになる解決法はないものでしょうか?≪R.O≫

 

親切にするが、責任はとらない

年末助け合いの季節がやってきました。日系のコミュニティでも年末恒例の「歳末助け合い募金運動」を実施していますが、何も年末だけでなく一年を通じて助け合いの精神は生きているのが慈善と互助とボランティアの先進国であるここアメリカといえるでしょう。

ビジネスから退いて16年、私は妻と2人でロサンゼルス郊外にて引退生活をエンジョイしています。周辺には日本人が多く、日本語によるテレビやラジオ放送、日刊紙、情報誌も豊富です。日系のスーパー・マーケットもあり、またインターネットから日本語による情報を入手していれば、日本語だけで毎日の生活を過ごすことも不可能ではありません。

間もなく喜寿にも手の届く年齢に達しているのに加え、一昨年の消化器系がん手術や腎臓障害による4年にわたる透析治療のためか、最近の私は体力の減少が著しく、外見からも弱者に見られるようです。

私は週に一度、当地の会員制度マーケットへ妻のお供で買い物に出かけ、食料品などを調達していますが、同時に飲料水も購入しています。飲料水は2ガロン入りのプラスティック容器が二個入った重量約8kgの段ボールで、セルフサービスなので店内に積み上げてある商品をカートに積んだり、購入後駐車場で車に積み替えたりがひと苦労です。

店内で妻と二人でこの水容器の段ボールを持ち上げる様子が痛々しく見えるのか、店員だけでなく、時折、通りかかった買い物客までが“Can I help you ?”といって気さくに商品置き場から買い物カートへの積み込みの手助けをしてくれ、私たちもこの親切に感謝しながら、甘えています。

先日も買い物終了後、店の駐車場でカートから自分たちの車へ購入品の積み替えで難儀していたら通りがかりの親子とおぼしき買い物客の男性二人がヘルプしてくれました。こちらが礼を述べたら父親風の男性がニコニコしながら握手までしてくれました。

このようなチョットした他人への親切がわざとらしくなく、自然の行為として行われており、癒される思いです。私たち日本人は他人を思いやる気持ちは十分あっても「出しゃばりで余計なお世話」と思われないかと、積極的に手を出すことに躊躇することが多いような気がします。

一般にアメリカといえば 「個人主義」といった言葉がすぐ浮かび、この言葉からは他人に対する親切、思いやりという発想はでてきませんが、最近の私たち夫婦が受けている小さな親切からもわかるとおり、こちらが身障者、老齢など弱い立場にある場合、積極的にヘルプを申し出てくれ、それもわざとらしくなく自然体です。

弱者に対する博愛精神は子どもの頃から教会などで躾けられているのでしょうか。これら小さな親切は社会生活の潤滑油として大切にされ、私たち夫婦もこちらの人の「小さな親切」にあまえ、毎日を感謝しながら過ごしています。

ただ、皮肉な見方をすれば、これら親切心はこちらが弱い立場にある、という条件付であるようです。また、お互いの利害が絡まっている場合も話は別となり、自分にとって不利の場合は自分のために訴訟も辞さず、徹底的に争う態度を示すことがしばしばで、気をつけないといけないようです。

私たち夫婦は高年齢になってからアメリカに移住したため、しかも日本語で日常生活に特に支障がないロサンゼルスのようなところに住んでいるので、英語力特に“聞く力”が上達せず、特殊な専門分野に関する電話の受け答えでは難渋することがしばしばです。

例えば電話のみで扱う医療関係の予約、薬の手配などについてはいつも四苦八苦しています。やむを得ずドクター・オフィスへ相談に行くのですが、先ず通り一遍の説明しかしてくれず、あとは「それは私の仕事ではない」とばかりの態度をされます。余計な親切をして、あとで問題があった時のために責任を回避したいという態度が見え見えなのです。

そんな時にも親身になって面倒をみてくれる専門家ももちろんいますが、例外的といえそうです。先日、メールオーダーでしか取り扱いをしないという血糖値検査キッドが届かず、私の電話ではらちのあかなかったトラブルを行きつけの薬局が私に代わって交渉し、解決してもらいました。こんな「地獄に仏」のような対応に出会い感激することもありますが・・・。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


散会の後飲み直す反主流

二合までならばと医者も酒が好き

カルテには内緒の酒が旨すぎる

飲み過ぎに手にした杖も千鳥足

酒癖のDNAも子に継がれ


( ニュースやぶにらみ )


「TPP交渉」

通せんぼ ―かかし

「流行語大賞」

反日 ―中国、韓国

「和食が無形文化遺産に」

飲みねえ 食いねえ 寿司食いねえ ―森の石松


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(306)「寄せ墓・ハワイ日本人墓地」

今日(12月8日)は、今から72年前の1941年(昭和16年)12月8日未明(ハワイ時間12月7日)、日本海軍がハワイ・オアフ島の真珠湾(アメリカ海軍・太平洋艦隊基地)を攻撃した大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の日である(当時は“ハワイ海戦”と呼ばれた)。

この真珠湾攻撃でハワイの日本人(日系)社会は一変した。米軍は即日、ハワイ全土(島)に夜間外出禁止令を出し、日系各団体の責任者や日本語新聞関係者、教育者・僧侶など、いずれも日系社会の指導的立場にいた約2000人を逮捕拘束、そのうち約700人を米国本土の収容所に送った。そのほとんどは日本国籍しか持っていなかった移民1世だった。このような米国の強硬な日系人押さえ込み作戦にハワイ日系社会は恐怖のどん底に陥れられたものの、遠く日本を離れ、ハワイで生きて行くためには(心ならずも)米国への忠誠心を示さなければならない。そこで日本語新聞や教育者などは、俄かに親米的発言(論調)に変わって行く。しかし、ハワイの軍当局は日系社会への警戒心を緩めなかった。真珠湾攻撃当時、各島の沿岸警備に当たっていた数千人の日系兵士及び予備兵(いずれも2世)の反乱を怖れていたのだ。

翌年(1942年)、ハワイ日系2世の陸軍兵士1400人が、米国本土の中西部最北に位置するウイスコンシン州キャンプ・マッコイに送られ“第100歩兵大隊”という隊名の日系兵士だけの軍隊で厳しい軍事訓練を受けさせられた。日系人を敵視、警戒していながら米国の為に戦わせようとする矛盾の政策――それは、日系兵士を前線に立たせ、アメリカ兵士の“弾除け”にする魂胆であったとの噂も――その“第100歩兵大隊”は後にヨーロッパ戦線で(第442連隊に編入され)、ドイツ軍に包囲され身動き出来なくなっていた“テキサス大隊”を救出するなど各地で激戦を展開、延べ9500人の戦死者を出しながら多大なる戦果を挙げ、全米国民から激賛の拍手を浴びた。アメリカ戦史上、最多の勲章を受けた部隊としても知られる。彼ら“2世部隊”の活躍のお蔭でハワイは勿論のこと、米国全土で日系人への評価は高まり、戦後、各分野における日系人の台頭と日系社会の位置づけが確たるものに発展して行ったのである。なお、ハワイで翁が25年以上も親しくお付き合いをさせていただいているミツオ・ハマス氏(93歳)は、第100歩兵大隊(第442連隊戦闘団)で多くの戦功を挙げた“2世部隊の英雄”である。2010年10月、アメリカ合衆国で民間人に与えられる最高位の勲章『議会名誉黄金勲章』をオバマ大統領から授与された。翁にとって“第100歩兵大隊”や“第442連隊戦闘団”の話は、けっして遠い話ではない。

さて、翁は去る11月中旬から月末までの2週間、ハワイ・オアフ島へ旅した折、現地の友人から『寄せ墓・ハワイ日本人墓地』の話を聞き、案内してもらった。場所はホノルルのマキキという所(ハワイ大学の近く)で墓地の名前も“マキキ・セメタリー”。多くのお墓が立ち並ぶ中で、ひときわ大きな碑が4基目立つ。それは「明治元年渡航者之碑」「ハワイ日本人移民慰霊碑」「日本海軍軍人鎮魂碑」「三界萬霊碑」いずれもハワイ日本人移民の歴史や、ハワイにおける日本海軍史がそれぞれの碑の中に刻まれていると思うと、合掌しながら何故か熱いものを感じる。

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「明治元年渡航者之碑」は、まだ明治新政府が正式に“移民”として認めていなかったので“渡航者”と記されたのであろう。いわゆる“元年者”と言われる人たちである。一方「ハワイ日本人移民慰霊碑」は1881年(明治14年)に来日、明治天皇に拝謁した第7代ハワイ王・カラカウア王の尽力で1885年(明治18年)から始まった“官約移民”以後にハワイに渡った人たち。いずれもハワイ移住の先兵となり明治・大正・昭和にかけて亡くなった人たちの慰霊碑である。以前、ハワイの各所に300近い無縁仏が点在、次第に荒廃の一途を辿っていたが、ハワイ日本人連合協会やオアフ官約移民百年祭委員会などが中心となって無縁仏をこの地に集めたそうだ。故に現地では、この墓地を”IMIN YOSEBAKA”(移民寄せ墓)と呼んでいる。「日本海軍軍人鎮魂碑」について翁はまだ学習が進んでいないので想像に過ぎないが、1893年(明治26年)にリリウオカラニ女王(ハワイ王国最後の第8代ハワイ王、第7代カラカウア王の妹)の時、米国の不平等条約撤廃を主張した女王に対しアメリカ人農場主らが駐留米国海兵隊を巻き込んで軍事クーデターを起こした。明治政府は“邦人保護”を理由に東郷平八郎率いる“浪速”ほか2隻の軍艦をハワイに派遣、ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を鎮圧した。「日本海軍軍人鎮魂碑」はそのクーデター鎮圧戦の時に戦死した日本海軍軍人の慰霊碑なのだろうか?それはともかく、戦後、日本の海上自衛隊艦隊がホノルルに寄港した際は、必ずこの墓地を訪れ「日本海軍軍人鎮魂碑」に献花・参拝を行なっているそうだ。

以上は、翁を案内してくれた現地の友人の説明を頂戴したものであるが、実は翁、『ハワイ官約移住75年祭記念・ハワイ日本人移民史』と言う(分厚い)貴重な本を所有している。その中に「寄せ墓」に刻まれている日本人移民の歴史や(前述の)“第100歩兵大隊”、“第442連隊戦闘団”の記録が存分に記されている。以前に一度学習したことがあるが、今回の「寄せ墓・ハワイ日本人墓地」参拝を機に、もう一度、じっくり“ハワイ日本人移民史”を研究してみたい。今後のハワイ旅行で、ハワイ観や日系社会観に新鮮な発見が期待出来るかもしれないから・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

進化するコンビニストアー

家から歩いて30秒もしない所にコンビニストアーがある。夜遅い時でも早朝でもいつでも開いているから便利だ。日本ではこの当たり前のサービスが海外にいるととても新鮮に感じられる。急ぎで必要な食品を買いに行くのに便利に利用させてもらっているが最近このコンビニストアーのチラシを見て驚いたのは700円以上の注文があればそのチラシが投函されたお宅に配送サービスまで無料で届けてくれるのだそうだ。確かにこの近くは1人暮らしの高齢者の方も多く住んでおり重い野菜や飲み物や、かさば

るものを買った場合、商店街までの往復の道のりを歩くのは大変だと思う。大きなショッピングカートを引っ張って買いものに行く人、ショッピングカートを体の支えにして前に押しながら買い物に行く人、大きなリュックを背中に背負い杖をつきながら歩いて買い物に行く人などなど以前はあまり気がつかなかったのだが食材や食事の宅配サービス業者の軽トラックも目につくようになってきた。私でさえショッピングカートを引いて両肩にショッピングバックを担いでも、まだ足りなくて一度家に戻ってまた買いものに出直す事も度々だ。特に車での移動が日常生活だった場合、東京で車のない生活になると不便だな〜と感じてしまう。コンビニストアーと言ってもこのコンビニで売られているお野菜やフルーツは毎日地方から届く新鮮なものが多いのだ。時々八百屋さんより安くいいものが地方から入荷してくる。この近くに住む人だろうか、サンダル履きでエプロンをしたまま店に入ってきて大きなキャベツや大根を丸ごと買っていく人もいる。独身用にカットした野菜やお惣菜パックも売られていて若者にも御年輩の人にも便利な食品や食材がたくさんある。久しぶりに日本に戻ってきた時は納豆に入れる長ネギが小さなパックで売られているのを見て感心した。あったら便利だなと思うものがたくさんあった。そして毎回新しい商品が開発され店頭に並べられている。
そろそろ、お正月のおせち料理のチラシも入るようになってきたがコンビニでおせち料理まで注文を受け配達している事も知らなかった。1人暮らしの人に便利な出来たてのお昼や夕食のお届けサービスもあるというのを知った。前日に注文すれば一食からでもお届け可能だそうで配達か取りに行くかどちらかを選べるようになっているようだ。ネットからお弁当のメニューも確認出来る。内容もバランスがとれた保存料や着色材を使っていないお弁当だそうだ。こんなサービスは日本だから出来るのだろうが銀行や郵便局のような役目まで果たしているコンビニは、どこまで進化し続けるのだろうか、、、


茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今週は何を紹介しようかと考えていたら、あっと言う間に一週間が経ちました。
イチョウの葉っぱが地面に落ちて黄色い絨毯のようになっているところがありました。12月が落ち葉の季節だったのかなあと思ったりもしますが、季節感がありとても良いですね。でも掃除するのが大変だと思います。
今週はこの"枯葉"のアルバムを選びました。Great Jazz TrioのAutumn Leavesです。

"Autumn Leaves" The Great Jazz Trio
01-Autumn Leaves
02-Yesterdays
03-Rhythm-A-Ning
04-Blue Bossa
05-Take The _A_ Train
06-Summertime
07-Caravan
08-Six and Four
09-My Funny Valentine
10-Bye Bye Blackbird

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

もう長いこと回転寿司のお店に行っていませんが、どんどん進化しているようです。
回転寿司は安い、早い、うまいで人気を博しています。作る側も食べる方も、これほど効率的なシステムはありません。しかしコンベアに乗せられてから一定時間が経過した寿司が大量に廃棄されています。せっかく低コストでお客にお寿司が提供できても、見えないところで無駄なコストとゴミが発生していたのですから残念なことです。ところが日本のすごさはこういう問題を技術で解決してしまうことでしょうね。寿司をベルトコンベアーで流しっぱなしするのではなく、注文したらその人の前までお寿司をコンベアで瞬時に運ぶという画期的なものです。そのうちこの進化した回転寿司に行きたいなあと思います。
数枚消えていた、Y駅のホームのベンチにかけてあった毛糸のカバーがまた元に戻っていてホッとしました。修理をしていたのかもしれませんね。
《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.917

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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