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NO.914            Ryo Onishi              11/17/2013

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雑貨屋のひとり言

超低気圧と強風、津波のような破壊力でフィリピンを襲った台風30号は想像を超える甚大な被害をもたらしました。今年、日本にたくさんの台風が来ましたが、これほどの大きな台風が都市を直撃したら一体どうなっていたでしょうか?世界中でこれまであまり経験したことがないようなことがしょっちゅう起こっています。地球温暖化の影響で海水の温度の上昇により発生するようですが、日本にもこのような超大型台風が来る可能性がありますので人ごとではないと思います。≪R.O≫

 

人生いろいろ

 日本からのニュースによると、歌手の島倉千代子さんが肝臓がんのため亡くなったとのことです。島倉さんといえば「泣き節」と呼ばれた独特の歌唱法を駆使して、私たちの世代を魅了した叙情演歌の第一人者でした。彼女は1938年(昭和13年)生まれ(75歳)であり、私とほぼ同じ時代を生き抜いた人でした。美空ひばりさんと並び称される昭和を代表する女性歌手といえるでしょう。

 美空ひばりさんは私と同じ1937年(昭和12年)生まれでした。ただ、彼女は1989年(平成元年)に52歳という若さでこの世を去っているので、私自身にはあまり実感はありませんでしたが、今回の島倉千代子さんの訃報には私もそこに自分の年齢に重ねあわせ、少々感傷的になり、変化を感じています。

 もう半世紀以上も前になりますが、島倉千代子という歌手の歌がラジオで流れ、私もその哀愁を帯びた可憐な歌声に心を奪われたひとりでした。デビュー曲「この世の花」は当時としては驚異的な売り上げである200万枚達成、映画化もされました。

   ☆この世の花(詞:西条八十、曲:万城目正)
   1、あかく咲く花 青い花
     この世に咲く花 数々あれど
     涙にぬれて 蕾のままに
     散るは乙女の 初恋の花

   2、想うひとには 嫁がれず
     想わぬひとの 言うまま気まま
     悲しさこらえ 笑顔を見せて
     散るもいじらし 初恋の花

   3、君のみ胸に 黒髪を
     うずめたたのしい 想い出月夜
     よろこび去りて 涙はのこる
     夢は返らぬ 初恋の花

青春期真っ盛りの同世代の若者には女神の響きに聞こえたのでした。その後、彼女は「りんどう峠」、「東京だョおっ母さん」、「逢いたいなァあの人に」、「からたち日記」など、次々とヒット曲を世に出し続けました。

私が東京オリンピック(1969年)を契機にテレビ(白黒)を購入し、自分の部屋で画像を見られるようになったあるとき、はじめて実際に歌う彼女(島倉さん)の動画を目の当たりにし、その魅力にひきつけられ、ショック状態になったことをその時の画面とともに今でも鮮明に思い出します。

私はどこから入手したのか忘れましたが、芸能雑誌を飾る彼女の写真を切り抜き、額縁にいれて本棚に飾りました。もっとも、外部からは見えないように額の表面には弥勒菩薩(奈良、広隆寺)を入れ、弥勒菩薩の後ろにそっと見えないように入れていました。

あれから半世紀以上が経過し、私もいろいろ経験をしましたが、「この世の花」で初恋を歌った島倉さんは一般人には到底想像もつかないほどの人生経験をしたそうです。離婚・負債・乳がん・・・山あり谷ありの人生だったようです。まさに彼女の最後のヒット曲といわれる「人生いろいろ」の歌詞そのものだったようです。

    ☆人生いろいろ(詞:中山大三郎、曲:浜口庫之助)
死んでしまおうなんて
悩んだりしたわ
バラもコスモスたちも
枯れておしまいと
髪をみじかくしたり
つよく小指をかんだり
自分ばかりをせめて
泣いてすごしたわ
ねぇおかしいでしょ若いころ
ねぇ滑稽でしょ若いころ
笑いばなしに涙がいっぱい
涙の中に若さがいっぱい

※人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの※
(以下略)

 昭和という時代が一つひとつ消え去ってゆく寂しさを感じざるをえません。このようにして時は流れ、時代が過ぎてゆくのでしょうか。 
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


パソコンがドット一つで臍を曲げ

別腹もいっぱいにするバイキング

血圧にもう一杯を叱られる

指輪の値 見栄が足してるゼロ一つ

一票を手にして夫婦揉めている


( ニュースやぶにらみ )


「定数削減の約束」

国会だって偽装をしていた −ホテル、レストラン

「改築して再出発」

挙式は幸福駅でします −バツイチ同士

「亭主達者で留守がいい」

あの頃はよかったな −後期高齢亭主


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(78)
*児玉希望(1898−1971)
 大正-昭和時代の日本画家。大正7年川合玉堂の門にはいり,10年帝展に初入選,昭和3年特選。25年伊東深水らと日月社を結成。28年「室内」で芸術院賞。上野不忍池 弁天堂の天井画「金龍」はよく知られています。
 児玉希望邸は千駄木駅を降りて須藤公園の裏の高台へ抜けたところにありました。 
 『谷根千』10号より 「まず須藤公園上の山脇邸前に立ち寄る。ここ林町(注:現千駄木3丁目)は、ご用聞きや引き売りが頼りの邸町でした。(略)旧児玉希望画伯邸前に出る。この辺は名士が多くて引き売りしても楽しい所でした。宝井馬琴さんは男らしい豪放な方で、健康のためだからとよく自転車に乗っていた。児玉先生の奥さまは気さくな方で、我々といつも世間話を(略)数寄屋造りの立派な塀で、よく月光仮面の撮影をしていました。 宮本百合子の実家である中条家名残りのあずき色の門柱を抜けると〜」 『谷根千』5号より「画伯の仕事部屋に案内してもらった。すごい! 三十畳近くある広々とした和室もさることながら、部屋を囲む濡れ縁、母屋とを繋ぐ渡 り廊下、下に広がる池には鯉や亀が悠々と泳ぐ。この池と廊下は、京都の桂離宮を真似て造られている〜」 
 希望の死後、日展がその一部を譲り受けて3階建ての事所にしていましたが、その後上野に移転しました。旧宅の庭は分譲開発されてしまったのが残念です。
 現在、児玉邸跡には屋久杉の一枚板を割った、左右対称の門が移築されて残っています。

龍翁余話

龍翁余話(305)「秋を探しに・・・」

1か月前に30度を超える夏日があったのに、わずか1か月後にはもう冬日。「お〜い、秋はどこへ行ったのだ?」と言いたい気候の急変に、翁の体調はバランスを欠いてゴルフが極不調、と言いながら、毎週“芝刈り”に出かけているのだから、年齢のわりには(まあまあ)健康であることに感謝しなければなるまい。それにしても日本人はリズミカルな四季の変化に順応して、リズミカルな体調管理と暮らし方を体得している民族なのに、こうも不規則(と言うより急激)な気象変化は、翁のような高齢者は、心と体が(ジワジワと)疲弊し、思考力も行動力も(ジワジワと)減退して行く(但し、ゴルフだけは暑さ寒さも関係なく、だから、矛盾も甚だしいが)・・・ともあれ、すっきりしない日々を過ごしている時、山形県米沢市在住の親友で、趣味で“季節の移ろい“を撮り続けているY・Y.さんから、それは実に見事な1枚の写真を送っていただいた(上の写真)。タイトルは”東北の濃紅葉(こもみじ)“と名付けられている。そこで翁”東北の濃紅葉“に触発されて先日、“東京の濃紅葉”を探しに近場散策に出かけた。行った先は(インターネットで見つけた)都内大田区の『田園調布せせらぎ公園』である。

池上線「戸越銀座」から2つ目の「旗の台」で大井町線に乗り換え、そこから2つ目の「大岡山」で(今度は)目黒線に乗り換え、3つ目の「多摩川」で下車。我が家を11時半に出てから「多摩川」駅到着は12時、何とわずか30分、『田園調布せせらぎ公園』は「多摩川」駅を降りて直ぐの左側に森を成している。西五反田に住みついてからもう40年も経つのにこんな近場にこんな公園があったとは・・・知らなかったはずだ、今からわずか5年前の平成20年4月に公式にオープンしたばかり。しかし、横浜市港北区日吉に生まれ育った翁と同年配の親友・H君の話によると、この公園の歴史は古く、大正14年に多摩川園遊園地として開園、昭和30年代にはこの地域の貴重なレクレーション施設だった。H君が学生の頃までは、ここにメリーゴーランド、ミニコースター、ビックリハウス、お化け屋敷、それに“サル山”もあり、家族連れの恰好のリクレーション施設だった。H君もよく遊びに来たそうだ。駅前の商店街も活気に満ちて飲食店が軒を並べていたとのこと。その後はだんだんとさびれて、昭和54年に閉園、跡地に東急が経営する“ラケットクラブ”と言う高級テニスクラブが誕生した。これもバブルの崩壊で行き詰まり平成12年に解散する。

資料によると、平成15年度から大田区が管理者となって“都市計画公園“として整備を開始、前述の平成20年4月に正式に公園としてスタートした。「湧水と緑あふれる自然豊かな公園、湧水池や滝があり、秋には水面に映える美しい紅葉が楽しめます。各種イベントや会議に使える大小の部屋(数室)、多目的広場、ウオーキング、ピクニックも出来ます」というのが、この公園のキャッチフレーズだ。昼食をとってから園内を散策しようと駅周辺で食堂を探したが、軒先に薄汚れた赤提灯がぶら下がっている(戸が閉まったままの)飲み屋が2、3軒あるだけで、飯屋も蕎麦屋も見当たらない。ならば喫茶店でも、と思って駅の近くにある(たった1軒の)コーヒー店に入ったのだが、昼時の満席で、おまけに、もうもうと立ち込めるタバコの煙が鼻をついたので急いで飛び出した。仕方なく、駅構内に設けられているコンビニで弁当とお茶を買い、それをショルダーバッグに仕舞って目の前の公園の(表門から)中に入った。ちなみに入園料は無料。

園内は木々が鬱蒼と茂り、都会の喧騒とは程遠い静寂な自然の佇まいが翁の心身を癒してくれる。案内板に従って湧水池の方に歩くと(アジア系と思える)子どもたち数人と1人の若者が池の畔で遊んでいた。若者と子どもたちの会話がタガログ語(英語と共にフィリピンの公用語)のようだったので、英語で尋ねると、その若者はやはりフィリピン人で、在日フィリピン人家庭の子弟をあずかる施設の先生だった。翁は、去る8日に発生した猛台風30号によるレイテ島等の甚大な被害に対してお見舞いの言葉を述べたら、かの青年、翁に丁重に頭を下げ、きちんとした日本語で「アリガトウゴザイマス」と返礼してくれた。子どもたちも笑顔で口々に、翁に「コンニチハ」と挨拶をしてくれた。束の間の(小さな)“日比交流”の1シーンであった。
   
公園の中央部崖線下を南北に、アップダウンの多い散策路(小路)が東側台地へと連なっている。随所に長方形の輪郭を持った広場があるが、これはテニスクラブ時代の名残、テニスコート跡なのだろう。それぞれの広場の片隅に四阿(しあ、あずまや=東屋)が建てられ、緑深い景観にマッチしていて、なかなかの風情だ。陽当たりのいい四阿で弁当を広げる。ウイークデーとあって来園者は少ない。時折、多摩川側の出入り口から入って、せかせかと通り抜ける近くの住人らしき姿を見かける。この公園は地域に根差した大田区民のための憩いの場であることを実感する。どこからか聞こえるキーキーという百舌鳥(モズ)の鳴き声、サトウハチローの♪モズが枯れ木で鳴いている・・・を思い出す。

約2時間半の散策で、やっと探し当てた“紅葉”が上記の写真。米沢の親友Y・Y さんの“東北の濃紅葉”には及ばないが“東京の浅紅葉(あさもみじ)”に満足しての『田園調布せせらぎ公園』の“秋”であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

ナツメ違い

先週出かけた健康セミナーに参加した時に頂いたナツメとショウガ入りのお茶が、ほんのり甘く美味しかったので早速自分でも作ってみようと自宅に帰ってナツメを探してみた。ナツメの実はアメリカではデーツと呼ぶ。その実を食べると甘くて干し柿みたいな味がする。中近東系のマーケットに行くと大抵は量り売りのドライフルーツのセクションに置いてある。最近は日本のお好み焼きソースの会社でデーツのお酢というのがあるのを知ってオンラインで注文したところ、とても気に入ってしまった。なんでも数量に限りがあるそうなのでマーケットでは市販されていない。とてもマイルドでコクのある味わいは高級なバルサミコビネガーにも負けないくらい美味だ。
フルーツやアイスクリームにかけても食べられるほどフルーティーな味のする黒蜜のようなお酢なのだ。それに和洋中華どんなジャンルの料理にも合うので使える用途が広い。その上、美容と健康にもいいらしく鉄分、カルシウム、カリウム、マグネシウムなどのミネラル類はプルーンよりも勝っていて食物繊維はごぼうよりもありバランス良くビタミン剤が含まれているそうなのだ。
そのデーツのお酢を注文した時に確かナツメ(デーツ)の実がサービスに送られてきたのを記憶していたので早速家に帰るとそのナツメと生姜でお茶を作ってみたくなった。ナツメと書かれた袋が出てきたので袋からそのナツメを取出し生姜を用意してティーカップに注いで見ていたらハタと気が付いた。ナツメと言ってもセミナーで飲んだお茶は確か漢方で使うナツメであってこのナツメとは違うのではないかと…調べてみると形は似たような形だけれど明らかにそれは違うものだった。漢方に使われる方のナツメは大棗ともいい英語ではJujubeジュジュベ。同じ果実ではあるけれどクロウメモドキ科という植物に属する。デーツの方のナツメは、ヤシ科のナツメヤシ属で常緑高木だったのだ。漢方で良く使われるナツメは中国から伝わってきたこともあってチャイニーズデーツとも呼ばれているので、なおさら紛らわしい。大棗の方のナツメの皮は色がくすんだ赤みを帯びていて硬く中はフカフカしている。もう一方のデーツのナツメは皮も柔らかく茶色の色をしていている。両方とも中身は大きな種が入っている。そして両方とも体にいい効能がたくさんある。いくら待っても色も香りも出ないナツメ(デーツ)と生姜を見ながら、あ〜ナツメ違いだったと知った。生姜もおそらく漢方薬局で売られている乾燥したお茶用の生姜と生の生姜では薬効も違うのだろう。調べているうちにやっぱり漢方のナツメが欲しくなって近くの漢方薬局に行って尋ねてみるとナツメは刻んだものしか置いていなく丸ごとは特別注文になり500グラムからの注文なのだそうだ。日本ではナツメ(大棗)もデーツの方のナツメも特別な店に行かないと売られていない事がわかった。ナツメ違いのお茶だったけれど調べてみると大棗の方のナツメの効能もなかなか良さそうだ。最近、日本の漢方の会社がオックス大学と共同開発をするとニュースを聞いた。体のどこに漢方薬がどのように効くのか科学的にデーターを研究するのだそうだ。そういう研究が進めばもっと漢方薬も医療保険が使えるようになるのかもしれない。そんな事を考えながら今度は家庭で使える薬用植物の本と漢方辞典を借りてきてしまった。何だか今度は漢方にもはまりそうな予感を感じながら、、、、

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

これまでとはちょっと違うアルバムをご紹介します。エキゾチックな雰囲気の漂うケニーGとインドのサントゥール奏者ラフール・シャルマのコラボ・アルバムです。アルバム名になっているNAMASTE(ナマステ)はサンスクリット語で、インドやネパールで交わされる挨拶の言葉です。ヨガクラスでこういう感じの歌が流れNamasteという言葉をよく耳にします。

"Namaste" Kenny G and Rahul Sharma
01 NAMASTE
02 BRHAMA - VISHNU - SHIVA
03 DANCE OF THE ELEPHANT GOD
04 LOTUS LOVERS
05 TRANSCENDENTAL CONSCIOUSNESS
06 VALLEY OF FLOWERS
07 SILSILA
08 OM SHANTI

ケニー・G(SAX) ラフール・シャルマ(SANTOOR,VO) 他

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

電車の中やエレベーターの中のような限られた空間では匂いが気になります。どこからともなく豚まんのにおいがしてくると”蓬莱”の紙袋を持った人がいます。最近は女性だけでなく男性でも香水をつけている人が増えました。香水はさりげなく香っているのが良いと思うのですが、匂いがきついと気持ちが悪くなります。いろいろな匂いの中で私がもっとも嫌いなのはタバコのにおいです。タバコのヤニのにおいが染み付いた人が近くにいるだけでそこから離れたくなります。自分の匂いは自分自身でわかりにくいですが周りに気を配りたいですね。

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《R.O.》

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Zakkaya Weekly No.914

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com