私たちの詩吟の会は年2回、春季と秋季の吟詠大会を開催しています。会場はロサンゼルスの隣、ロングビーチ市のハーバー日系人会館です。今年の秋季大会は9月29日(日)正午から盛大に賑やかにおこなわれました。
私たちの流派である国峯流、尚道会は北加(北カリフォルニア)と南加(南カリフォルニア)の2地区に大別され、私たちの属する南加地区はさらに7つの支部に別れています。普段はそれぞれが別々に担当師範のもとで週一回クラスがあり、詩吟の研鑽に励んでいますが、南加地区は春と秋の年2回、上記の合同吟詠大会を開催しています。このとき北加地区メンバーからも希望者をゲストとして受け入れています。大会当日は地元の日系新聞「羅府新報」からも記者が取材に訪れ、新聞でも大きく記事として取り上げてもらっています。今回も取材記者が来て写真をと撮ったり会員へのインタービューをしてくれていました。
この大会では南加地区メンバー(及び北加からのゲスト)全員がそれまでの成果を全員の前で発表するわけです。今回の秋季大会では私は『伊藤博文作の述懐』を吟じました。
☆述懐 伊藤博文作
活識(かつしき)独り応(まさ)に、変遷を知るべし。
平凡、何(なん)ぞ、虚玄(きょげん)を語るに足らん。
名を万世(ばんせい)に沽(う)るは、吾が志に非(あら)ず。
眼(まなこ)を千秋(せんしゅう)に注いで、宜しく先(せん)を察すべし。
夷険(いけん)を往来して、坦道(たんどう)を知る。
死生に抛着(ほうちゃく)して、皇天(こうてん)に任す。
我が徒(と)須(すべか)らく盡(つく)すべし、勤王(きんのう)の事。
一身の為に、瓦全(がぜん)を図る勿(なか)れ。
【大意】
一国を治めるものは、物事の真理を究め、100年後の見通しをつけるくらいの見識を持たなければならない。
平凡な常識しか持たない者は、所詮大事を語り合えるような資格はない。
みだりに売名行為をして、後世に名前を残すことは私の志ではない。
常時自分の眼を1000年先の隅々にまで注いで、国家の大計を樹立しなければなら
ない。
平地や険路、その両方を辿ってみて、初めて平坦な道のありがたさがわかるように、死か生か、重大なときに出くわしてこそ、始めてこの身を天に任せることができるのだ。
我々が尽くそうと考えるのは、ただただ勤王の事あるのみだ。
諸君! 我が身を可愛がるあまり、つまらぬものとなりはて命を永らえるより、大義の為に自分の命を投げ出す覚悟が必要である。 |
明治の立役者であり、元勲のひとりである伊藤博文公は女ぐせの悪さなど、毀誉褒貶の激しい政治家ですが、日本の立憲体制の生みの親であり、大日本帝国憲法(明治憲法)の起草の中心者といわれています。また、初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任しています。
明治維新にあたって、当時の元勲には伊藤博文公だけでなく、若いうちから天下国家について意見を持ち、また実行した偉人が多くみられます。これら偉人が詠んだ漢詩が多く残っています。尊王思想、攘夷思想ほか方法論は違っていても国の将来を憂い、身を挺して天下国家のために尽くす心構えが伝わってきます。私はこれらの漢詩を現代への警告・教訓として改めて見直すべきではないかと痛感しています。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |