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NO.907            Ryo Onishi              9/29/2013

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雑貨屋のひとり言

秋晴れの天気が続いています。雲の位置が明らかに高くなり、空気がサラッとして気持ちがいいですね。街では長袖と半袖の服を着た人が混在しています。この時期は朝夕の温度差が大きいので体調を崩す人が増えているのではないでしようか。私も朝方は鼻をグズグズさせています。≪R.O≫

 

東京オリンピックの感動
     〜1964年オリンピックの頃と私(3)

1961年4月、私は実家の東京を単身離れて長野県・諏訪市の時計製造会社(諏訪精工舎)へ入社し、晴れて社会人としての第一歩を踏み出しました。当時の日本はまだ戦後復興期の最中であり、どこを見ても活力を感じる時代でした。

そのうえ入社早々、自分たちの会社が次のオリンピックの計測担当に指定され、世界初の水晶振動子による高精度クロノグラフ(計測装置)の開発に取り組むことになったことは、事務系の若造の私にとっても身の引き締まる思いで、日々緊張して走り回った記憶が鮮明によみがえります。

とはいいながら、当時の私はまだ20代の前半でまだまだ学生気分の抜けきらない若造でした。青春時代も充分謳歌したことも確かです。パソコンやITなどという便利なものもない時代でしたし、労働日も週6日制、夏休みも4日程度だったと記憶します。それでも夏の間、日曜日は必ずといっていいほど近くの八ヶ岳、北八ヶ岳、霧が峰その他のハイキングコースを仲間たちと巡っていました。

ある日曜日のこと、独身寮に残っていた私と同期の友人とで急に話がまとまり、蓼科山(たてしなやま、標高2,530メートル)登山を実行しました。この時は何の準備もする時間がなく、私の部屋にたまたま残っていた乾葡萄(レーズン)少々だけを持参しての登山でした。案の定、蓼科山頂までたどり着いたころ私たちの空腹は極限状態となりました。

私たちの状況がよほど惨めに見えたのでしょうか。山頂の岩で弁当を広げていた年配のご夫妻が“おにぎり”を私たちに差し出し「食べますか?」といってくれました。地獄に仏とはまさにこういうことをいうのでしょう。それまでに食したどんな“おにぎり”よりも美味しかったことはいうまでもなく、その後もあの時の味を忘れられません。

こんな極限の空腹も若さゆえの無鉄砲として今では懐かしい思い出として笑って話せます。パソコンもITも新幹線も高速道路もなく今から思えば不自由な時代を過ごしてきたことになりますが、それはそれで若さという武器を有効活用しました。愚痴をいえばいくらでもありますが、「わが青春に悔いなし」と結論付けることにしています。

1964年東京オリンピックに関連する思い出のひとつは、マラソンコースを実際に選手と一緒に走ったことです。当時、このオリンピックを記念して自分でも何か記憶に残ることをしたいと考えた私は、当時住んでいた諏訪(長野県)から東京の実家(東京・墨田区)まで自転車で走ることを考え付きました。

会社の先輩から無料同然で譲り受けた3段変速の自転車を毎日通勤に使用していたのですが、2ヶ月間ほど、会社終了後は近くの塩尻峠(標高1,012メートル)まで往復し、トレーニングをかさね東京行きを実行しました。1964年9月だったと思いますが、上司に事情を正直に説明し、土曜日の休暇を申請し、金曜日の終業時間とともに会社からスタートしました。

当時はまだまだ優雅な時代だったことがわかるのは、まずこんな馬鹿げた理由でも休暇をもらえたこと。さらに金曜日に会社から自転車でスタートする時、課長以下全員が会社の門の前まで出てきて手を振って送り出してくれたことです。私も課の皆さんの声援にこたえながら力強くペダルを踏み込んだのでした。私がマイ自転車に積み込んだのは雨合羽、前の晩に仕入れておいた寿司2人前、栄養剤(リポビタンD12本)それに東京までの道路地図ぐらいのものでした。

今では中央自動車道が完備され(尤も自転車の通行は不可でしょう)、その他の道路や環境整備も整っているでしょうが、1964年当時は国道20号線が主で、それも未舗装部分がかなりありました。街路灯さえないところも多く、夜を徹して走るには少々危険だったかもしれません。途中、山梨県に入ったところで道端に寝ていた犬の尾を踏み、犬に追われて必死で逃げたり散々の思いもしました。笹子トンネルでは換気が不充分だったようで息苦しさも体験しました。

当時のオリンピックでカヌー競技場として使用される相模湖にも立ち寄りました。そして国道20号(甲州街道)の大垂水峠をこえ東京に入り、マラソンと競歩(50キロ)のコースを実際に自転車で通過しました。これが君原健二(結果8位)、円谷幸吉(結果3位)らが走るマラソンコースなのだ、と思いながら通過したことを覚えています。(結果としてはエチオピアのアベベ選手が優勝)

私はこの時、合計約250キロメートルを17時間あまりかけて走破し、東京の実家へたどり着きました。走破とは名ばかりで、途中から上り坂のほとんどは自転車を降りて引きずったといったほうが正しかったかもしれません。

東京から諏訪への帰りは時間的にも体力的にも限界で、自転車はチッキ(鉄道手荷物扱い)として送り返し、私も鉄道で戻りました。帰りの列車の車窓から前日走った道路が見え、この時ぐらい列車のスピードが速いと感じたことはありませんでした。上諏訪駅にたどり着き下り線到着ホームから改札口へ移るための袴線橋を渡ろうにも足腰の筋肉痛と股ずれ痛で動けず苦労したのも今となっては懐かしい思い出です。 
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


頂いた臓器駆けたよ転べたよ

健康が取り柄 大根足無邪気

偏差値の外で我が家の金太郎

姓は王 名はイチローのでかい夢

汗の味知って少年A脱皮


( ニュースやぶにらみ )


「稀勢里負け、遠藤休場」

打っ棄られた −相撲フアン

「楽天優勝」

じぇじぇじぇ −あまちゃん

「道内移動」

自動車で −JR北海道社長


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(298)「天高く・・・神無月」

秋の彼岸も過ぎて、いよいよ五穀豊穣の季節到来。「爽秋」「清秋」「秋涼」「錦秋」などの時候の挨拶が飛び交う。10月は、日本中の八百万の神々(やおよろずのかみがみ)が出雲の国(島根県出雲市)・出雲大社(祭神・大国主命)に集まるので各地では神様が不在となる。そこで10月を別名『神無月』と呼ぶ。一方、出雲の国では神様が集まるので“神在月(かみありづき)”と言うそうだ。では、この時期に何のために日本中の神々が出雲大社に集まるのか、いきなり“神話伝説“で恐縮だが、翁が好きな分野なので少しばかり『古事記』に触れさせていただこう。

天照大神が大国主命に命令を下した「あなたは私の皇孫(天照大神の子孫)だから、私の命に従って葦原中国(あしはらのなかつくに=地上)に降りて人の為に豊かで平和な国造りをしなさい」そこで大国主命が降り立ったのが山陰地方。出雲へ行く途中、因幡国(いなばのくに=鳥取県岩美郡)の海岸を通る時、ワニザメに皮を剥がれて苦しんでいた白兎を助けたという神話がある。翁も若い頃、鳥取地方を取材した時、国道9号線(山陰道)を走って白兎海岸で車を止め、裏山の白兎神社に参詣したことがある。境内へ続く道沿いに“皮を剥がれた血だらけの白兎”が、大国主命のアドバイスで霊山の真水で傷口を洗い治療したと伝えられる“御身洗池(みたらしいけ)”(不減不増の池)が記憶に残る――

大国主命は(因幡の白兎の神話から)“薬事の神”とも言われるが、有名なのは“縁結びの神”。いつの頃からか男女の縁結びが主流になっているが、元々は人と人、人と神、神と神を結ぶ神、そして大国主命は“国造りの根本は人類の健康体の保全にある、と考え、そのためには農業振興による食糧の確保(五穀豊穣)、医療発展、そして円滑な人間関係の醸成と心の教育(信仰の大切さ)が必要であるとして全国の神々を集め研修会を行なうことを慣例とした、と、これはあくまでも翁の独断的解釈。では、何故10月に?――天照大神が理想とする”豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに=神の力で農作物が豊かに実り、栄える国)“が具現出来るのが10月、ということでこの月に“国造り”の神様・大国主命がおわす出雲神社に全国の神々が集合して豊穣を祝い、この国の更なる発展のために力を合わせようと話し合いをする――と(『古事記』には、そんな記述はない)これも翁の勝手な解釈であるが、その解釈の背景には、今の政治家たちよ、海外研修(視察)旅行などという訳のわからぬ税金の無駄遣いを止めて、たまには出雲大社に詣でて大国主命に“国造りの根本”の教えを乞いなさい、と言いたい思いがあるからだ。

さて、神話から現世の話に戻そう――以前にも『余話』に書いたが、翁、花の知識に疎いくせに、柄にもなく近年、草花を愛でるようになった。時々、近所の花屋から季節の花を買って来て飾り棚の故人の遺影に供え、楽しむ。翁が殆ど毎週(土曜日に)プレーする千葉・成田のゴルフ場の随所に季節ごとの草花が植えられており、少々スコアが悪くても、それらの草花を眺めると、何故か気分が落ち着く。今の時期、5番ホールのティ・グランド一帯に漂う金木犀の芳香が最高の“爽秋”を感じさせてくれる。金木犀の花言葉は“謙虚”“真実”“初恋”“気高さ”だそうだが、翁にはどれも当てはまらない。“気高さ”を“気位(きぐらい)”に置き換えるとピッタリなのだが・・・10月を中心に秋の草花は120種を超えるらしいが、やはり菊がクイーンだろう。何しろ「桜と並んで日本を代表する花」だから。10月から11月にかけては全国各地で“菊人形展(祭)が開催される。福井県越前市(武生)、大阪府枚方市、福島県二本松市、山形県南陽市の菊人形祭りが有名だが、翁は二本松(城址)の菊人形しか知らない。

9月19日の“十五夜“の満月に感動して間もなく、(10月17日に)”十三夜“を迎える。
“十五夜”を「仲秋の名月(芋名月)」と呼ぶのに対して“十三夜”は「後の月(のちのつき=豆名月、栗名月)」と言われる。一般に、“十五夜”に月見をしたら、必ず同じ場所で
“十三夜”の月見をしなければ「片見月(かたみづき)」または「片月見(かたつきみ)と
言って縁起が悪いとされて来た。理由は定かではないが(これもまた翁の独断)“十五夜”は中国から伝わったもの、“十三夜”は日本で生まれた風習、だから「日本固有の風習(文化)である“十三夜”を大切に考えなさい」――本当は、秋の収穫祭の1つだろう。

10月の第2月曜日(今年は14日)は『体育の日』。最初は、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開会式が行なわれた日(10月10日)を記念して国民の祝日『体育の日』としたのだが、2000年(平成12年)から、土曜日を含めた3連休をということで10月の第2月曜日になった。2020年の東京オリンピックの開会式は7月24日の夜(閉会式は8月9日の夜)、その開会式を記念して、また3連休が増えるかも。

『天高く馬肥ゆる秋』――翁、この諺、すっかり誤解していた。つまり、夏草をしっかり食べた馬が、秋には肥えて元気になる、だから我々人間も大いに食べ(食欲の秋)、夏バテを回復して頑張ろう・・・と思っていた。ところが(調べてみたら)は国土防衛の意味であった。唐時代の詩人・杜甫(712年〜770年)の祖父・杜審言の詩に【雲清くして妖星(不吉な星)は落ち、秋高くして塞馬(北辺の馬)肥ゆ】というのがある。“天高く爽涼の季節、夏草を沢山食べて肥った馬に乗って北方の騎馬民族(北賊)が我が国土の食糧を略奪しにやって来る(北賊に備えよ)」という意味だそうだ。何となく翁の思いは尖閣に飛ぶ。“天高く、妖艦(賊艦=中国艦船)出没、東シナ海の波高し、備えるべし”。一方、翁の個人的悩みは肥り過ぎ。春肥り、夏肥りのあと“スポーツ(ゴルフ)の秋”、“食欲の秋”到来で、ますます『龍肥ゆる秋』になりそう。翁の最大の敵は“妖艦”ならぬ“妖食(いやし食い)”ああ、八百万の神々よ、“妖艦”に荒らされる東シナ海の波と(畏れながら)翁のメタボを早期に鎮め給え・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

ベジタブルデイ

日本に帰る数日前、突然、台湾人の友人からファーマーズマーケットに行こうと早朝、電話が入った。もう今からお野菜を買っても食べる時間も調理する時間も無いな〜と思いつファーマーズマーケットのあの朝の憤囲気に触れたくて出かける事にした。久しぶりにサウスベイのファーマーズマーケットに来てみると以前より出店ブースの数が多くなっていて早い時間から人が出ていて活気があった。あちらこちらからは新鮮なお野菜の香りや甘いフルーツの匂いが漂ってくる。畑や木から摘みとられたばかりの元気なお野菜を見ているだけで何だか元気になる。

見るだけでなく其々のお店に並べられているサンプルのフルーツやお野菜も試食する事が出来る。ここで一通りサンプルを頂くとリッチな朝食が出来てお腹が一杯になる。今朝はコーヒーだけで済ませてきて良かった、、、と思った。それにしても同じお野菜やフルーツでも店によって全く味が違うのが面白い。土や肥料や場所や育て方によってこんなにも違うのだな〜と感心しながらパクパク食べていると台湾人の友人が “ トマトはあそこ、ベリー類はそこの店が美味しいの ” 毎週来ている彼女はすっかり

サウスベイのファーマーズマーケットを把握していた。私がサンプルを食べている間に彼女は急ぎ足であっちこっちの店からあっという間に数種類のお野菜を購入して戻ってきた。“ 今日はこれからランチを連れていく事になっている友人がいるの。貴方も来てね。今日は私のおごりだから ” と今日の予定をさっさと決めていった。一旦彼女の家に戻り買ってきたお野菜をドロップしてそのまま今度は彼女の友人の家に向かった。道中、彼女の友人の旦那様が3か月前に突然病気を発症して今食事療法をしているという事を告げられた。台湾人の彼女の友人の家に到着すると彼女が出てきた。

そしてその彼女のお勧めベジタリアンレストランに3人で出かけた。そこのレストランは一見するとハンバーグに見える料理も全て大豆や野菜で作られている。私たちは其々に別々のものをオーダーして分け合って食べてみることにした。どれもそれなりに美味しかった。特にフライドスウィートポテトの外はカリっと中はクリーミーでほんのり甘い味は日本のサツマイモとはまた一味ちがう味で美味しかった。それから私たちはそのレストランの近くにあるホールフーズマーケットに出かけた。台湾人の友人はそのホールフーズのお店に毎週一回お野菜を買いに来るのだそうだ。病気の旦那様の食事療法としてオーガニックの生ジュースを大量に飲ませなくてならないらしい。彼女は大きなショッピングカートの上に持参してきたショッピングバックを10枚ぐらい置いた。まずは葉っぱが付いた人参のセクションに行くとわし掴みにその人参の束をバサバサとそのショッピングバックに入れ始めた。“ どのくらいこの人参の束を買うの?” と彼女に尋ねると “ 人参は24束、それとあのローマニアンレタスを12個、

 それとそっちのお野菜を15個ね。 ” たちまちそのお野菜のセクションは空っぽになる。びっくり仰天した。慌てて野菜の担当者にもっと在庫を持ってきてもらうように頼む。水も半端じゃない数をケースで買う。これは重いので店の男の人に頼んで運んでもらった。たちまち車の中は食料品で一杯に溢れた。それから3人でその食材を彼女の家に運んで一息入れた。少し前までA社でITの仕事を任されて忙しく働いていた彼女の御主人だったのだが今はひたすら体を治すための治療に専念している。
医者の治療法に疑問を持った彼は自分であらゆる情報を調べ今はこの野菜ジュース療法に集中しているそうだ。家の中にディスプレイされている自転車はアウトドアが好きな2人の自転車が飾ってあった。奥さんはベジタリアンで彼の今までの食生活も悪かったとは思えない。彼が自分の病気の原因をいろいろ分析してどんな治療の方法があるかをいくつか私に話してくれた。彼はかなりの本も読んでいたし情報もたくさん持っていた。もちろん彼の仕事のストレスもあったのだろうと思うけれど原因を特定する事は難しい。かんがえられるあらゆるマイナス要因を一つ一つ潰していくのだそうだ。近いうちに水と空気の綺麗な山の方に引っ越して静かな生活を始めたいと言っていた。今は家を探している最中なのだそうだ。彼にとっては今の環境も変えてしまう必要があるらしい。なかなか誰でもが出来るような事ではないけれど何でも徹底してやる意思の強さを彼から感じた。
それにしても世の中に氾濫しているあらゆる情報の中から自分がこれと思った治療法を信じて選ぶ事も、それは彼の運命なのだろうと思う。彼が自分に合った正しい治療方法に巡り合いそれが彼の健康を取り戻すようになればと祈りつつ、、、、彼らの家を後にした。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

私のiPhone5には最近仕入れた50枚のアルバムが入っています。16GBのうちの2.5GBを使っています。今週はこのコーナーでよく登場するEddie Higginsのアルバムを選びました。Eddie Higginsと言えばピアノですがこのアルバムはScott HamiltonのサックスとKen Peplowskiのクラリネットが前面に出ます。Scott HamiltonのサックスとKen Peplowskiのクラリネットのソフトで心地よい響きとEddie Higginsの軽快なピアノが素晴らしいアルバムです。夜のバックグラウンドミュージックに最適だと思います。
"A Handful Of Stars"
Eddie Higgins Quintet Feat. Scott Hamilton & Ken Peplowski

01-In Love In Vain
02-You Leave Me Breathless
03-A Handful Of Stars
04-Come Rain Or Come Shine
05-April In Torino
06-Night Has A Thousand Eyes
07-Flamingo
08-Breezin' Along With The Breeze
09-A Portrait Of Jenny
10-Softly As In A Morning Sunrise
11-All Too Soon

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

孫の体重が産まれた時の倍の重さになりました。赤ちゃんは成長がとても早いですね。表情も豊かになりずっと一緒にいても飽きません。季節の変わり目で鼻をグズグズさせているので気になります。

iPhone5のOSをiOS7.02にアップデートしました。アイコンのデザインがアップルらしくなくなりつまらなくなりましたが、いろいろ機能がアップしたようです。


関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

雑貨屋ニュースウィークリーの配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.906

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com