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NO.905            Ryo Onishi              9/15/2013

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雑貨屋のひとり言

先週は2020年東京オリンピック、パラリンピック開催招致成功の話題で持ちきりでした。どの国に決まってもおかしくない接戦で勝ち抜いたのですからチーム日本はあっぱれだと思います。一つの目標に向けて英知を集めて努力すれば達成することができるということをチーム日本が証明してくれました。日本自身もこの国をもっと生きがいのある国にするという目標を掲げて取り組めばきっと実現できると思います。≪R.O≫

 

東京オリンピックの感動
     〜1964年オリンピックの頃と私(1)

2020年夏季オリンピック、パラリンピックの東京での開催が決まりました。今から49年前の1964年、アジア地域で初めてのオリンピックが東京で開催され、当時20代の若さで目の当たりにした私にとってあの時の感動は忘れられぬものであり、私のその後の人生にも大きく影響をおよぼしました。7年後に再びあの感動を実感できることになり、感慨ひとしおです。あの時私が体験した感動をぜひ今の若い人たちに分かちたい思いです。

1964年オリンピックの東京開催は、戦後の復興を遂げた日本にとって、再び国際社会の仲間入りする重要な意義あることでした。

また、私自身にとっても自分の就職先の時計会社(セイコー)がはじめて公式計時を担当することとなり、全社を挙げて電子計時装置を開発、同時に開発したプリンターとともにオリンピック史上初めてクオーツ式の卓上型電子時計で計測に成功。計測精度の飛躍的向上とトラブル・ゼロを実現し、世界的な信頼を勝ち取ることに成功したことで、人生の大きな礎を築くことが出来ました。

この1964年オリンピックの東京開催は、その5年前の1959年にミュンヘン(西ドイツ)にて開催されたIOC総会で決まったのでした。そしてその後、計時担当としてセイコーの採用が決まりました。私がセイコー(長野県・諏訪精工舎)へ入社した年、ローマで開催されたオリンピックの閉会式で東京が正式に次回開催地として紹介され、五輪旗が東京都の東(あずま)知事に引き継がれる様子に、自分たちも計時装置の一端を担う立場の者として、心引き締まるおもいでした。(もっとも、当時、私はテレビなど持っていなかったのでこのシーンは映画館で観た記録映画だったと思います)

当時の新聞のコラムに「セイコーの採用を祝し、オリンピックでのセイコーの成功を祈る」という記事を読んだのを昨日のように鮮明に記憶しています。私のような入社早々の事務方の若造でたいした役には立たないのでしたが、それでも自分たちの仕事が東京オリンピック成否の鍵を握っているとの認識で一杯でした。

それまでの時計、計時は伝統的な歯車、ぜんまい、ばね式のものであり、オリンピックの計測も主としてスイスの時計会社製品が採用されていました。クオーツ(水晶発振)式の電子時計に置き換えれば精度は格段に向上するのですが、当時はまだクオーツ式は大きな装置が必要で、放送局が時報に採用しているくらいでした。それを持ち運び可能な卓上サイズにまで小型化することなど世界で誰も成し遂げた会社も人もいませんでした。われわれセイコーはこれに挑戦することになったのです。

オリンピックは待ってくれません。失敗どころか、一日の遅延も許されないのです。当時は全社を挙げて燃え、まさに開発者たちは寝る間も惜しんだと聞いています。私たち事務方若造だって、いま思い返してみると、あの寒さ厳しい長野県・諏訪の冬でさえポケットに手を入れて社内を歩いていたような従業員は一人も見かけませんでした。全従業員が走っていました。皆燃えに燃えていたのです。

そして結果としてついに卓上式のクロノグラフ(計測装置)の開発に成功し、1964年東京オリンピックで実用化されたのでした。この計測装置を使えば計測精度は10倍から100倍高まります。そうなると従来のストップウオッチのように時計の針を読んでも見分けがつきません。そこでセイコーは同時にプリンターを開発し、計時装置で測った数値をプリンターに印刷できるようにしたのです。後にセイコーはこのクロノグラフから世界初の水晶腕時計(1969年)を生み出し、プリンターを発展させた製品からパソコン用をはじめとするエプソン・プリンターを世にだし大きなビジネスにつなげました。

現在、私はアメリカ(カリフォルニア州)に滞在していますが、もとはといえばエプソン・アメリカ社への駐在がそのスタートです。エプソンは前述のとおり、1964年の東京オリンピックのため、開発されたプリンターをもとに立ち上げた会社でしたので、東京へのオリンピック誘致が失敗していたら、エプソンもなかったかもしれません。エプソンがなかったら私のアメリカ駐在もなかっただろうし、そういう意味で今、私がアメリカに滞在しているのも東京オリンピックのおかげということになります。   
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


まだ未熟ですと勲章辞退する

歴史書の裏に名もなき勇士たち

揚羽蝶 毛虫の過去を消したがり

笑えない喜劇と知らずトカゲの尾

盛者必衰菊人形の将も枯れ


( ニュースやぶにらみ )


「オリンピック」

開催することに意義がある −ゼネコン

「経済指標軒並み上向く」

祝、五輪東京招致決定 −8%消費税

「出番待ち」

7年後?いえ7ヶ月後 −1円玉


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(296)「戦没画学生“祈りの絵展”」

大東亜戦争の後半(1943年=昭和18年以降)、政府は兵力不足を補うため“学徒出陣”と言う名の20歳以上の大学生・専門学校生らを徴兵し出征させた。全国で学徒兵として出征した対象者の総数は約13万人と言われるが、日本政府による公式の数字は発表されておらず、大学や専門学校の資料も戦災や戦後の学制改革によって失われたため、いまだに不明な点が多く、死者数に関しては概数すら示すことが出来ないままでいるのだが、推測するに戦没学徒の数は10万人を下るまい。

出征学徒の中に美術学校(現在の東京芸大、武蔵野美大、多摩美大など)の学生や独学画学生もいた。彼らの多くは画家への志半ばで戦場に散った、たった1枚の絵を残して・・・【明日も平和であるために あなたに見てほしい絵が ここにある】――『戦没画学生・祈りの絵展』が千葉県流山市生涯学習センターで開かれた(8月31日〜9月16日)。長野県上田市にある『無言館』(戦没画学生の遺作・遺品を集めた美術館)の協力で、同館所蔵作品のうち72点を展示したものである。

この展示会の実行委員長・上谷章夫氏、副委員長・宮内徹也氏にお会いした。「無言館の展示作品には、文字通り(画学生たちの)“もの言わぬ平和へのメッセージ”が込められている。戦後68年、私たちは今もこれからも“戦争の悲劇、人命の尊さ、平和のありがたさ”を後世に伝える責任がある。その理念に共鳴してくれた『無言館』館長の窪島誠一郎氏のご協力で“流山無言館展”が実現した」開催趣旨を語るお2人の弁は若者のように熱い。

『無言館』館長の窪島誠一郎氏(作家)は1941年東京生まれ、文豪・水上勉の子息。1978年上田市に夭折画家デッサンを展示する『信濃デッサン館』を、また1997年(隣接地に)戦没画学生慰霊美術館『無言館』を開設した。窪島氏の詩に【乾かぬ絵具】という戦没画学生遺作讃歌がある(作曲:十河陽一)。
♪(抜粋)〜ちっとも乾いていない あなたの絵具は あなたが今も
 そこに生きていることを 私たちに教えてくれる
 鮮やかな生命(いのち)の色だ
 乾かぬ絵具よ 今も 少しも色あせぬ あなたの一滴の生命(いのち)よ
  
この歌を、8月31日(土)『祈りの絵展』オープニングセレモニーで(実行委員のお1人)流山市在住のオペラ歌手・熊坂牧子さんが歌った。会場(流山市生涯学習センター・ロビー)を埋め尽くした観客の多くが牧子さんの情感溢れるソプラノに胸を詰まらせたそうだ。
更に牧子さんは、窪島氏のもう1つの詩【無言館の明日】を9月8日(日)“平和を願う朗読と音楽の集い”(同センター多目的ホール)で歌った。この歌は、今回の『祈りの絵展』の趣旨をそのまま物語る詩である(作曲:十河陽一)。
    ♪(抜粋)無言館の絵の前で 涙をながしてはいけません
      彼らの絵は 哀しみを描いた絵ではなく
      人を愛する歓びを描いた絵なのですから
展示されている72点の絵には、街の風景、花、山などもあるが、翁が足を止め、じっと見入った(魅入った)絵は“愛する母・妻・恋人”の女性像だった。彼らがこの絵を描く時は、(詩の通り)“人を愛する歓び”をかみしめながら描いた至福の時であったに違いない。だが、その後、間もなく彼らは“愛する人”と永久(とわ)の別れを余儀なくされる無情の運命(さだめ)を迎えることになる。 

mugonkan 無言館展5 無言館展4

“無言館の絵の前で涙を流してはいけません 彼らの絵は 哀しみを描いた絵ではない”と(【無言館の明日】の詩は)言うけれど、この絵の作者(戦没画学生)たちの無情の運命を思う時、涙なくして鑑賞することはとうてい出来ない。込み上げるものをじっとこらえながら、ただ黙って絵画に見入る年配者たち、婦人たち、そして若者たち・・・翁も心の中で合掌しながら(上記3点を)カメラに収めた(勿論、許可を得て)。

「平和都市宣言の街・流山市で“明日も平和であるための祈りの絵展”が開催されたことは有意義なことです。私も実行委員の1人として喜びを感じています」とは、オペラ歌手・熊坂牧子さんが翁に語ってくれた感想。多くの市民(参観者)も同じ思いだろう。

窪島誠一郎氏の詩をもう1つ紹介しよう(【あなたを知らない】より抜粋)。
    遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ 私はあなたを知らない
    知っているのは あなたが残した たった1枚の絵だ
    その絵に刻まれた かけがえのないあなたの 生命(いのち)の時間だけだ
翁がこのたびの『祈りの絵展』参観で思ったこと――それは、先の大戦で散華した将兵・軍属・学徒、一般市民、そして、未だ母国に戻れないご遺骨すべての御霊(みたま)に、改めて慰霊と感謝の真(まこと)を捧げたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

ナイトクルーズ

今年は涼しい夏だったと思ったら、いきなり9月に入ってから気温が上がりロスにしては珍しく湿気も高くなってベタついた陽気になった。それでも夕方頃には窓を開けると涼しい風が吹いてきて寝る頃はクーラーなど要らない。そう言えば、このところずっとサウスベイのハイキングもご無沙汰しているな〜と思っていたらハイキンググループの1人からメールが入った。今年83歳になるお誕生日をサンペドロの港に置いてある自分の船の上でやりたいので定例ハイキングの日に来ないかというメールだった。
イブニングハイク イブニングクルーズ Libby

集合場所はいつもハイキングがスタートするサンペドロの山手の方。そこからいつものように歩いて下の港まで降りて行きそこから彼の船で湾をグルリと一回りするのだそうだ。最近は暑い日が続いていたので海の風に吹かれて涼むのもいいな〜と久しぶりに定例ハイクに行ってみる事にした。そのイタリアのお爺ちゃんの船は今度で3回目、その船で以前友人とカタリナアイランドにも連れて行ってもらった事がある。とにかくイタリアン人気質そのもので陽気で明るいお爺ちゃんだ。でも、お爺ちゃんと言ってもそのへんのお爺ちゃんとは違う。今でも朝2時半に起きて最低2時間の散歩はかかさないらしい。それから自分のオフィスに行って仕事をするというのだ。夜は日が暮れたら寝るという生活で遅い日でも9時には寝てしまうそうだ。20歳からスタイルも全く変わっていないらしくGパンのサイズも同じだそうだ。10人兄弟のうち半分は亡くなって残っている兄弟もあっちが痛い、こっちが痛いと皆、病気持ちだそうで、こうやって毎日ハイキングをしているのは自分ぐらいでそれが健康維持に繋がっていると話し

 
ナイトクルーズ  

ていた。昔はツイストダンスコンテストで優勝した事もあるそうでサルサダンスも大好きで船を運転しながら音楽に合わせて楽しそうに体を動かしていた。彼の家族は昔イタリアからきた移民だそうでサンペドロで漁業を営んでいたそうだ。第2次大戦前はサンペドロにあるターミナルアイランドには3000人もの日本人が住んでいて漁業を中心に缶詰工場や貝ボタンを加工する工場や商店や神社、温泉のあるホテルまであったそうだ。夕方からは日本人の男たちが地引き網を引きながら唄を歌っていたそうで今でもそれを覚えていると訳のわからない日本語をコミカルに模倣してジェスチャーを交えて歌ってくれた。
そんな時代もあったのだな〜とその時代に思いをはせながら今は亡きターミナルアイランドを見つめてボ〜と灌漑に耽っているうちに1時間半のクルーズは終わった。ここロスアンジェルスは日系人の歴史が沢山ある所だが、あまり日本に住む人には知られていないかもしれない。歴史を紐解くとたくさんの発見と感動がある。歴史は戦争に勝った者によって都合のいいように作り変えられ都合の悪い事は蓋をされてしまう事が多い。このターミナルアイランドの事も実際ここで生まれ育った日系人のお爺ちゃん、お婆ちゃん達[生き証人]から直接聞いて益々興味を持った。
河合さんのコラムにもターミナルアイランドを紹介した記事があるがいつか機会があれば、日本人の人には是非ここにも訪れて欲しい場所だ。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今週はちょっと珍しいドイツのトランペッターTill Bronnerのアルバム"Love"をご紹介します。4曲目のBrazilと6曲目のWe Fly Around The Worldはミュートトランペットのハスキーな音がちょっと不思議な感じがしますが、この音も心地良く聴けます。
アルバム全体としては耳に優しいジャズで夜静かに聴くのが良いと思います。

"Love" Till Bronner

01.Where Do You Start(06:43)
02.What Stays(05:33)
03.Our Game (06:42)
04.Brazil (09:23)
05.Ich Hab' Noch Einen Koffer In Berlin (03:31)
06.We Fly Around The World (05:45)
07.I Fall In Love Too Easily (05:17)
08.Here's That Rainy Day (05:59)
09.Time Will Tell (03:20)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

駅のホーム、電車の中は右を見ても左を見てもスマホを持っている人でいっぱいです。みんなそのスマホの画面を見ながらせわしく指を動かしています。便利で楽しい道具を誰もが簡単に手に入れることができるようになりました。無料でよくできたアプリがたくさんあるのでうまく活用すれば生活やビジネスに大変役に立ちます。しかしスマホに振り回されないようにしたいものです。PCに匹敵するスマホを四六時中持ち歩いて画面を見ているのですから目の疲れや首肩が凝る人が増えるのではないかと思います。

関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

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《R.O.》

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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.905

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com