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NO.902             Ryo Onishi              8/25/2013

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雑貨屋のひとり言

記録的な猛暑が続き日本中の人はもうバテバテではないでしょうか?ようやく雨が降ってひと息ついた格好になりました。ほんの少し涼しい風が吹いただけでホッとします。これだけでも幸せな気分になります。まだ残暑は続くでしょうけどあのような猛暑が戻ってこないことを祈ります。≪R.O≫

 

静かな八月に感謝

例年にも増して暑い夏だった八月も最後の日曜日となりました。私にとって今年も特に問題のない静かな八月になりそうで、今の私の体調からすれば「静かな八月」で終わりそうだということは、ありがたい感謝の気持ちでいっぱいです。

終戦記念日を月央にもつ八月は、私のような世代の日本人にとって特別であり、68年前の八月十五日前後はまさに激動の変換点でした。

その年(1945年、昭和20年)の3月9日夜、米軍B-29 編隊による東京大空襲は当時、東京下町を中心に空前の大被害を与え、(今のスカイツリー周辺に住んでいた)私たちの家も焼夷弾の直撃を受けました。兵役出征中の長兄、学童疎開中の兄を除いた私たち一家が被災しましたが、幸い家族全員無事でした。しかし、わが家、学校はもちろん、周辺地域は完全に焼失し、小学(当時は国民学校といいました)1年生だった級友の半数以上がこの時犠牲となり命を落としました。私たち家族も迫りくる炎から逃れ惑い、生死のふちに何度も遭遇しました。

私にとって、幼かったといえどもこの恐怖の体験は強烈で、その後の人生観に大きく影響していることは確かです。空襲の時に死んでいてもおかしくなかった身であれば、生き永らえたその後の人生は“もうけもの”とも思えています。

空襲ですべてを失い、まさに“着の身着のまま”状態の私たち一家は両親の故郷である滋賀県に一時身を寄せることとなり、四月から9ヶ月のあいだ疎開生活を余儀なくされました。ただ、私自身はまだ、小学(国民学校)2年生でしたので疎開先では戦時の厳しい経験はほとんどせず、むしろ空襲から逃れ、自然の山河の中で思う存分遊んだ記憶のほうが多かったですが・・・。

とはいうものの、戦時下であることには変わりなく、小学校は“国民学校”、2年生は“御盾(みたて)隊”、組の名前は担任の先生の名前から“中島小隊”と呼び、勤労奉仕と称してクラス全員で山に松脂(まつやに)採りに行きました。当時、松脂からガソリンが作れるといわれていました。

そして八月十五日を迎えました。国民学校(小学校)御盾隊(2年生)も夏休みの最中でした。朝から暑い日差しの一日だったことを覚えています。夏休みを満喫しながら日々を過ごしていた当時の私は、毎日のように友達と近くの川へ行き川遊びに興じていました。この日も川へ遊びに出かけようとしていたら母親から「今日はラジオで大切な放送があるそうだから、なるべく早く帰ってくるのですよ」といわれたのを覚えています。でも遊び盛りの子どもにとってそんな母親の言葉など眼中になく、夕方になって帰宅し、ひどく叱られたのが終戦の日の思い出です。

日本が負けて戦争が終わったことは母親や周囲の大人から聞かされたはずですが、記憶にありません。私の記憶に残っているのは数日後、夏休みの最中にもかかわらず生徒全員が登校を命じられ、クラスで担任の中島よね先生が「にっぽんは、いま続けている戦争をしばらくお休みすることになりました」という説明でした。私は“戦争にも夏休みがあるんだ”と思ったことを覚えています。

しかし、それから先がたいへんでした。休みが終わって学校が始まると教わることがこれまでと正反対になってしまうのです。習字の時間でもないのに墨をすらされ、先生の指示通り教科書を黒く塗りつぶし、中には教科書をそっくり取り上げられたりしました。流行だった軍歌を歌うことも禁じられ子供心にも、これほど惑ったことはありませんでした。

68年前の八月、日本は敗戦という歴史の大転換を経験し、私たちもその大きな波に飲み込まれました。あれから68年、私はわが家や学校や街を焼かれ、当時のクラスメイトはじめ多くの同胞を無差別に殺戮された相手国で恩讐を乗りこえて生活しています。

過去の歴史は直視し、事実は事実として後生に正しく伝えると同時に、未来をどのように切り開くかを歴史から学ぶ必要があると痛感します。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


あみだくじ女神は一つ先の角

無の境地一匹の蚊にからかわれ

生きている証拠 悟りに遠くいる

一病と平均寿命越えました

輪廻転生 来世はきっと超美人


( ニュースやぶにらみ )


「4000本安打達成」

神様、キリスト様、イチロー様 −日米球界

「柔道再建への決意」

決して投げたりはしない −宗岡新会長

「豪雨に少雨」

お天気までも −格差社会


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(293)「ハムフェア2013とJ-DINS」

8月24日・25日の2日間、東京・有明の東京ビッグサイトで『アマチュア無線フェスティバル(ハムフェア)2013』が開催された。毎年、この時期に行なわれる日本のアマチュア無線界最大のイベントである。翁が関係しているNPO法人日本災害情報サポートネットワーク(J−DINS)も毎年出展している。3.11東日本大震災以降、J−DINSコーナーへの見学者が増えている(写真左)。初日(24日)、ドイツから来日した世界的に有名なアマチュア無線家マスタファ氏(元ルフトハンザ航空パイロット)(写真右)がJ−DINSコーナーに立ち寄ってくれてスタッフを感激させた。(写真と情報はJ−DINSの鈴木源治理事より)

アマチュア無線については『龍翁余話』がスタートして間もない2007年の今頃、翁が4級ライセンスを取得した時に紹介した。その一部を抜粋すると【国や性別、年齢を超えて世界を電波で結ぶアマチュア無線は、電波という貴重な資源を利用するため国内的にも国際的にも法律でその使い方が決められている。しかも電波法では、仕事や金銭上の利益目的は禁止され、純粋な趣味の無線通信であることが明記されている。もちろん、国家資格を必要とする。ただし、アマチュア無線は単なる趣味(遊び道具)だけではない。1995年の阪神淡路大震災の時、あらゆるライフ・ラインが寸断され、ほとんどの通信網が途絶えた中、アマチュア無線家(ハム)たちの連絡網が情報伝達や人命救助に大きく貢献した。災害、非常時に携帯電話や有線通信が使用不能に陥った場合、アマチュア無線は有効な通信手段である、と近年新たに脚光を浴びるようになった。翁が理事を務めるNPO法人日本災害情報サポートネットワーク(J−DINS)も阪神淡路大震災、能登半島地震、新潟県中越沖地震の教訓から、地元FM局やアマチュア無線家とのネットワーク化を急いでいる】(註:J―DINS設立は2007年4月、翁も設立発起人の1人として理事を務めたが2009年に大病して理事を辞任、現在は1会員として同法人の活動を応援している。なお、ここで言う“アマチュア”とは“シロウト”ではなく“私的学究”を意味する。)

さて、NPO法人日本災害情報サポートネットワーク(J―DINS)の設立目的のその1は、【地震などの自然災害発生時に、全国に約50万局あるアマチュア無線家たちのネットワークを活用して被災現場情報を出来るだけ詳しく入手し、被災者が最も必要とする情報(今、自分たちは何をすべきかの動き方がわかる情報、多少なりとも被災者の緊張と動揺を和らげる情報)を正確に、キメ細かく整理し、地元メディア(コミュニティFM放送局やケーブルテレビ局)を通しての災害情報支援活動】まさに被災者のための災害情報支援活動である。あの3.11東日本大震災の時の、J−DINSとアマチュア無線家たちの連携プレーによる災害情報支援活動は、各方面からかなり高い評価を得た。現在、J−DINSに所属するアマチュア無線家(ハム)グループは『ハムクラブ関西(大阪)』、『ハムクラブ群馬(高崎)』、『ハムクラブ九州(北九州)』であるが、冒頭に述べた毎年の『ハムフェア』のたびにJ−DINSの趣旨に賛同する個人のアマチュア無線家の入会希望者が増えていることが嬉しい。

J−DINSもう1つの設立目的は【平常時における防災・減災に関する啓蒙活動】である。家庭(一戸建て家屋・中高層マンションなど)、教育施設(保育所・幼稚園・学校など)、職場(中高層オフィスビルなど)、医療機関(病院・養護施設など)、街の中(商店街・オフィス街・ショッピングセンターなど)、公共施設(劇場・ホールなど)、交通機関(地下鉄・バス・飛行機・船舶など)における(災害発生時の)避難行動マニュアル、その他、幼児・高齢者・障害者などの救出作戦に関する書籍の出版や講演会の開催及びコンサルティング。J−DINS理事長の渡辺 実氏はテレビ・ラジオ・新聞でおなじみの防災・減災のジャーナリスト。“災害場所に必ず渡辺在り”と言われるほどの行動派エキスパートである。

ところで、J−DINSは今年4月に赤十字飛行隊と“災害救護支援活動に関する協定”を締結した。赤十字飛行隊とは、日本赤十字社が飛行機を使用して行なう災害救護等、人道的な業務に無償で協力することを目的に1963年(昭和38年)に結成された日本赤十字社直轄の奉仕団。全国に35の支隊を配し、災害発生時はヘリコプターで迅速に現状調査を行ない、医薬品・衣料・食糧・医師・看護師などを被災地に送り被災者の救護活動にあたる。また、普段から各地で行なわれる防災訓練にも協力している。赤十字飛行隊はこれまでにも公共機関との協定はあったが、J−DINSとは災害時における直接的な被災者支援という点において目的が一致しているところから今回、飛行隊本体として初めてNPO法人と結ぶ協定となった。J−DINSにとっても大きな励みとなり更なる飛躍が期待されよう。

今秋11月10日(日)午後1時から東京都多摩地区で、J−DINS主催の(東京直下地震発生を想定した)“非常通信合同訓練”が行なわれる。この訓練には東京電機大学理工学部、田無タワー、むさしのFM、FBサウンド田無、スカイタワー西東京、スカイフレンド59、新座市、草加市などの各アマチュア無線クラブの参加が予定されているが、当然、赤十字飛行隊(群馬支隊)の協力も決定されている。翁も久しぶりに当日(翁のコールサインJF1KVZから)本部局のコールサイン(JQ1YRU/1 )へ“激励コール”を送ろうと、その日を楽しみにしている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

世界のスパイスと食材の香り

ここロスアンジェルスは特にいろんな国から来た人々が暮らしているので其々の国の食材や食品を売る店があってじっくり眺めてみると面白い。そして其々のマーケットに入ると独特な匂いがある。一番匂うのがインドのマーケット。やはりたくさんの香辛料を使うからだろうか…先日、あれこれ集めたスパイスを整理していたらマウス フレッシュと書いてあるスパイスが出てきた。時々インドのレストランに行くと食後に時々砂糖でコーティングされたフェンネルシードが出てくるのだが口臭を消すのと消化剤の役目があってそんなに美味しいものではないけれど、まあ食べられる。それと同じたぐいのものだろうと試しに買ってみた。ところがあまりにもその強烈な匂いと味に圧倒されてしまった。それからそのスパイスを棚の奥深くにしまいこんでいたものだった。久しぶりにそれを見て一体この中身には何が入っているのかちょっと怖いもの見たさにお皿に出して調べてみようと思った。すると、あのまた強烈な匂いにパンチをくらった。その匂いに耐えられなくなり鼻をつまんでラベルを見て写真をとった後に申し訳ないけれどすぐに処分してしまった。それで詳しくは調べられなかったけれど中身はフェンネルシード、コリアンダー、セサミシード、キューカンバ(キュウリ)の種、他に聞きなれないJequirity Leafと記載されているものもあった。他にも、なにやらいろいろ入っているようだったが一気にあの匂いでその興味は吹っ飛んでしまった。
 

 

初めて入ったベトナムマーケットで友人がドリアンのアイスクリームキャンディーを買った時も強烈だった。“ 私が出すから皆で試しに食べてみましょうよ ” と気前のいい彼女は他の友人6人ぶんのドリアンのアイスキャンディーを買った。食べた途端に皆、絶句した。味より匂いが強烈でその匂いで味がわからなくなるほどだった。どうしよう、まずいけれど捨てるわけにもいかないしと思った瞬間、買ってくれた彼女が “あら〜すごい匂いね、駄目だわ。これは食べられないわ。”と明るく笑ってゴミ箱にポイと捨てた。
それを見て皆ホットしたように彼女に続いて同じような行動をとった。その事を後からベトナム人の友人に言ったら “日本人は納豆と言う強烈な匂いのある糸を引く粘々した気持ちの悪いものを食べているじゃないか、ドリアンだって同じようなものだよ ”と。
匂いと言えば先日、農家の自家製切りぼし大根を山のように頂いてポットラックにでも使おうとしまっておいたら、今、同居しているアメリカ人の家族の人に “ 棚から何か腐っているような匂いが漂ってくるのだけれど何が匂うのかしら ” と言われた。やっぱり犯人は切り干し大根だったのだ。念の為に切り干し大根をサランラップで包みそれをジップロックの袋で2重にしても匂いは防げなかったのだ。昔のルームメイトの家族の人もそうだった事を思い出した。私が戻ってくると台所にいたJさんが “ ごめんなさいね。私は好きなんだけど旦那がこの匂いが耐えられないと言うので5重に袋詰めさせてもらったわ。” と。大根の煮ものの匂いや、おでんの匂いが嫌いというアメリカ人は案外多い。生でも煮ても焼いても駄目だそうでルームメイトだった彼女がおでんを食べたい時には旦那がいない時に彼女と彼女の娘と3人で食べた。
長年、幼少の頃から食べてその匂いに慣れ親しんだ人には何でもない匂いが他の国の人には耐えがたい匂いの場合もある。タクアンだって糠味噌だってラッキョウだってキムチだって強烈な個性だ。それと同じように世界には私がまだ出会っていない個性的な食材やスパイスがまだまだあるのだろうと思う。願わくは、いい意味でパンチを食らうくらい美味しくて香りのいい絶品の食材やスパイスに出会いたいと思う。
茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今日は二年前に紹介したことのある、イタリアのジャズピアニストStefano Bollaniのアルバムにしました。イタリアのジャズはピアノの音色が独特な感じがします。私は好きです。

"I'm In The Mood For Love"  Stefano Bollani Trio 

01-Makin' Whoopee
02-Cheek To Cheek
03-I'm In The Mood For Love
04-Puttin' On The Ritz
05-How Long Has This Been Going On_
06-Margie
07-Moonlight Serenade
08-It's Only A Paper Moon
09-A Kiss To Build A Dream On
10-Honeysuckle Rose
11-But Not For Me

Stefano Bollani (p)
Ares Tavolazzi (b)
Walter Paoli (ds)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

日本人は程度の差はありますが、前かがみ、前傾姿勢で歩いている人が多いようです。前かがみの姿勢には良いことがほとんどありません。腰やその周辺の筋肉に大きな負担をかけ腰を痛めます。前かがみになって膝を曲げた状態で歩くと楽ではありますが、お尻の筋肉を使わないため、たれ尻になってしまいます。そして何より前かがみの姿勢は見た目にも元気がない、疲れて見える、自信がなさそう、といったマイナスイメージを与えてしまいます。
ヨガは、股関節を柔らかくして股関節の歪を矯正し、背筋を伸ばして、立ち姿勢を意識するようになるので姿勢改善に有効です。下腹をへこませ肩甲骨を中央に寄せるように胸を張るとスッキリ立って歩けます。肩凝りも解消されますので一石二鳥です。


関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

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《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.902

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com