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NO.895             Ryo Onishi              7/7/2013

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雑貨屋のひとり言

夕方で人の流れが激しくなってきていたJR天王寺駅でのことです。小さな子供を抱え、ベビーカーを持った女性がエスカレーターに乗ろうとしていました。その女性はベビーカーを持っているため遠慮して、エスカレーターに乗るタイミングを計っているようでした。しかし人は増える一方で なかなか乗れない様子でした。たまたまそこに差し掛かった私たちは、すぐにその女性をエスカレーターに乗れるように協力しました。私たちは当たり前のことをしただけですが、あんなにたくさんの人がいたのにもかかわらず誰も彼女に対して協力してあげなかったのは驚きでした。気の毒だと思っても見て見ぬ振りをする日本人が多いのは残念です。≪R.O≫

 

リハビリテーション・エクササイズ

私が4月に病院で意識を失い、2日間の検査入院と心臓部のステント(太腿の付け根の血管からチューブを挿入し、心臓の該当部の血管を広げる)措置を受けたことは以前この欄で書きましたが、心臓担当医の推薦もあり手術にあたった病院の心臓専門リハビリ部門でプログラムに沿った訓練を受けることにしました。

事前に訓練センターへ説明を受けに行き、6月19日(水)からリハビリ・スタートということになりました。訓練センターは最近新築されたばかりのTorrance Memorial Specialty Center ビルの3階部分を使用した、明るく清潔な感じのフロアーです。大きなガラス窓からはロミタ大通りやエアポート、さらにはパロスベルデスの丘陵地帯が見渡せます。

ここは心臓疾患患者専用のリハビリ・センターであり、フロアーにはトレッドミル(ルームランナー)など、フィットネス・クラブにあるような器具類が十種類以上設置され、症状に適したものを使えるようになっています。看護師の資格を持つ女性4〜5名が常駐し、私たちのケアをしてくれます。利用時間は平日1:45pm、3:15pm、4:30pm、5:30pmで、私の選んだ時間は火、木、土曜日の週3回で3:15pmからのものでした。

私の選んだこの時間帯の利用者は少ないとのことで、現に実際に行ってみると、利用者は10名ほどで、私のような新参者には看護師(婦)さんが特にこまかく面倒をみてくれ助かります。病院の付属関連施設としては最高の環境といえましょう。

看護師(婦)さんの監視下にあるのでサボるわけにゆかず、つい無理をして必要以上に張り切ってしまうので、たった1時間ほどの訓練ですが終了後は足腰が少々ふらつくほどになります。それでもすべてが終了し、帰り際に看護師(婦)さんが“ミスター・カワイ、一段とストロングになったね!”なんて声をかけてくれます。1時間や2時間のトレーニングで、そんなに変わるはずないのですが、本人(私)は“サンキュウ、サンキュウ”といいながら、まんざらでもない幸福感を感じています。

また、これらの施設の料金については、心臓専門医の推薦と証明があればメディケア保険で80%が負担してくれ、私の場合サプリメント保険(個人で加入している保険)で残りが負担されますので、この訓練のための費用の負担はなく、ありがたいかぎりです。ただし、利用期間は3ヶ月ということになっています。

ひとつ残念なことは、私のように妻の運転で出かける利用者の場合、付添い者である妻にも器具の利用を認めてもらいたいのですが、医療機関であるため、健常者の利用は認められないことです。付き添い人も無料で訓練させよとはいいませんが、せめて器具に空きがあれば一緒に訓練をさせてもらえたらと希望したのですが、事後のレクチャーへの参加はO.K.でしたが実際の訓練への参加は断られました。結局、妻は私の訓練の間は控え室で待機していますが、控え室も環境がよく、妻は満足しているようです。

訓練はまず、トレーニング用のシャツ、トレパン、スニーカーを着用し、受付で自分の名札と携帯心電図計を受け取り、自分で装着します。トレーニング場へ入り体重計にのり、トレーニング場内の受付へ行き名前、心電図計番号、体重を申告します。さらにそこで血圧検査を受けます。私のような糖尿病患者の場合はその上、血糖値の検査も受けなければなりません。血圧、血糖値に特別異常がないことが確認され、ようやく器械・器具の使用が認められます。

今のところまだ初心者である私はどの器械も最低の段階に調整されたものから始めさせられます。それでも脚の筋力、歩行力、腕の筋力、胸の筋力など多岐にわたる訓練を受けられます。全部で1時間程度の内容ですが、今のところもの珍しさも手伝い興味津々です。それでも慣れない内容ですので少々疲れを感じます。

実訓練が終了すると、全員がミーティング・ルームに集められ、担当看護師さんのレクチャーが10分程度あり、心臓病に対する注意事項などについての説明があり終了となります。

このリハビリ・センターのあるビルの1階にはコーヒー・ショップがありますが、私は毎回、妻に氷と麦茶を入れた携帯用のジャーを用意してもらい、帰りの車の中でこれを飲むことにしています。ひと運動した後の“冷たい一杯”はなにものにも変えがたい至福のひと時です。
河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


ひび割れた器に夢のてんこ盛り

不器用に生きたと自分史の苦笑

デジタルに俺の演歌が乗りきれず

五コマ目が欲しいもうひと花の夢

平成の世にも木馬のマイペース


( ニュースやぶにらみ )


「参議院選挙」

後悔しない一票を −混乱のエジプト

「局地情報」

大砂嵐に注意 −名古屋気象台

「私」

ニンシンではありません −シンシン


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(286)「高幡のお不動さん」

今年になって、4月に京都・大原、5月に盛岡・平泉など歴史の深い仏縁の古跡を旅した。
そして今号もまた『高幡不動尊金剛寺』(東京・日野市)参詣記。高幡不動尊の歴史も古く寺伝によると奈良時代(710年〜784年)に行基(ぎょうき=668年〜749年)が開基した、
とされている。行基とは、聖武天皇(第45代天皇)の発願で着工された奈良の大仏(東大寺大仏殿)建立当初の実質的な責任者で、日本で最初に大僧正の称号が与えられた高僧。一方、別の資料では、平安時代の初期、第56代・清和天皇の勅願寺(ちょくがんじ=時の天皇の発願により国家鎮護・皇室繁栄を祈願する寺)として、慈覚大師円仁(じかくだいし えんじん=第3世天台座主)が、多摩丘陵(現在の東京都八王子市・日野市・多摩市・稲城市・町田市と神奈川県川崎市・横浜市の一部)の山中(日野市)に不動堂を建立し、不動明王を安置したのが始まり、とも伝えられている。

実は、今回の『高幡の不動さん』行きのきっかけは、翁のゴルフ仲間・M君のお薦めがあったからだ。先日、M君夫妻が高幡不動尊を参詣した帰路、わざわざ(同寺の)リーフレット(案内書)を届けてくれた。「本堂(大日堂)の“鳴り龍”に感動したから龍翁さんにも是非」と言うことだったが、本当は“『余話』のネタ提供”だったのだろう。M君の友情に感謝しての“思い立ち”だった。

ところで、また慈覚大師円仁が登場した(上記)。読者各位はご記憶だろうか?先々週号の『余話』(284)「世界の至宝・平泉」(その2 毛越寺)の中の1部を抜粋しよう。【・・・今から1160年ほど前、慈覚大師円仁がこの地にさしかかると、一面、霧に覆われ1歩も進めなくなった。ところが、ふと足元を見ると地面に白い毛が点々と落ちているので、大師がそれを辿って行くと、前方に白鹿がうずくまっていた。大師が近づくと白鹿の姿は霧の中に消え、代わって1人の白髪の老人が現われ「この地は聖地なり。堂宇(寺院)を建立せよ」と告げた。時は嘉祥3年、故に慈覚大師は、この場所に堂宇を開き『嘉祥寺』と名付けた・・・その後、藤原2代基衡は、父清衡の浄土思想を正しく継承して『毛越寺』を造営した。『毛越寺』は当初(慈覚大師が白鹿の毛を踏み越えて聖地に辿り着き嘉祥寺を開山したことから)“けごしでら”と呼ばれていたそうだ・・・】(追加説明:『越』は慣用音で“オツ”と読むところから、その後は“モウオツジ”と呼ばれ、更にそれが変化して、いつ頃からか“モウツウジ”になったそうだ)――

さて、京王線新宿駅から高幡不動駅へ(急行で40分)、同駅南口を出ると駅前ターミナルの右手に高幡不動尊の参道。店々に新撰組隊士の名が踊っている。そうか、近藤勇や土方歳三は、この(多摩)地方の出身だったのだ。約100mの参道を歩き川崎街道を渡ると、そこはもう高幡山の境内。まずは重要文化財の『仁王門』(写真中)に立つ。

 

門の左右には、室町時代の作と言われる寄木造りの仁王尊(金剛力士=仏教の守護神)の一対が安置されている。口を開けている方(写真左)が阿形像(あぎょうぞう)、口を閉じている方(写真右)が吽形像(うんぎょうぞう)。仏教では阿形は物事の始まりを意味し、吽形は物事の終りを表す。金網の隙間からカメラを向けてシャッターを切ったが、失礼ながらあまり長く見ていたくないお顔だ、と思ったら、フト“俺も無意識に仁王顔になる時があるのでは?”と、ちょっぴり反省させられた。

仁王門をくぐって左側の手水舎(てみずや・ちょうずや)で手を洗い『不動堂』(写真左)でご本尊の『丈六不動三尊』(重要文化財)(写真右)を参拝しようと思っていたら、現在はここではなく、もう一つ奥の『奥殿』(写真中)に安置されているとのこと。『丈六不動三尊』(じょうろくふどうさんそん)とは1丈6尺(約4.85m)の不動明王(総重量1100kg)と左右の(全身が黒い)2童子像のこと。『奥殿』は『丈六不動山尊』のほか沢山の文化財を収蔵・展示するための御堂である。(拝観料300円)

高幡山の総本堂(大日堂)への山門(写真左)をくぐり、いよいよ『大日堂』へ(写真中)。
拝観料200円を払って平安時代の大日如来(万物の慈母)像及び諸佛を安置する御堂に入る。『鳴り龍』の部屋(写真右)、光沢のある床に上がり、神聖な雰囲気の中で正面の大日如来像に、丁寧にお辞儀をして軽く手を叩くと「ビュ〜ン」という音が(手を叩いた人だけに)聞こえる。その音が“龍の鳴き声”だそうだ。M君、この場所で“龍翁”を思い出してくれたのだろう。正面の大日如来像に向かって(気持ちはM君に対して)もう一度、感謝の一礼を。なお『鳴き龍』の部屋の裏側には弘法大師坐像や釈迦像が安置されている。

『大日堂』を出て(東京新名所100選に選ばれている)『五重塔』(写真中)へ向かう。その途中に紫陽花に囲まれた、何とも優しいお顔の観音様に出会う(写真左)。高さ21尺(約7m)高貴なお姿だ。しばし見とれた後、『五重塔』の地下の無料休憩所へ。“休憩所”とされているが、ここには『釋迦三尊像』(写真右=中央が釈迦如来、左は普賢菩薩、右は文殊菩薩)のほか、背後に金色の千体仏が(ここを訪れる善男善女の)参拝客を見守ってくれる聖域だ。5分も休憩していたらスーッと汗が引いた。

さあ(翁にとって最大のクライマックスは)『山内(さんだい)八十八ケ所』の巡拝である。
これは、お遍路さんで知られる四国八十八ケ所を模したもので『五重塔』の裏山(紫陽花の丘)に巡拝入り口があり、6月から7月初旬にかけては紫陽花を楽しみながら巡拝出来る。
総距離は調べ損なったが、第1番札所(徳島・鳴門『竺和山霊山寺=じくわさんりょうせんじ』)のお地蔵さん(写真左)から高知、愛媛の各札所を回って第88札所(香川・さぬき『医王山大窪寺=いおうざんおおくぼじ』)のお地蔵さん(写真中)までの約1時間(かなりアップダウンはあったが)普段、ゴルフで鍛えた(?)足腰、さほどの疲れもなく巡拝を終えることが出来た。本場四国お遍路巡礼を経験した人からは「何を甘っちょろい」と怒られそうだが、それなりの達成感を味わうことが出来、大満足。なお、各札所のお地蔵さんは全て弘法大師(空海=平安時代初期の高僧、真言宗の開祖)であり、いずれも異なる88体の表情に“仏の88の諭(さとし)”があるように思えた。結願の第88番札所は『大師堂』(写真右)の前にある。翁、無事に巡拝を終えられたことに対して弘法大師へお礼の黙祷を捧げながら“88の諭(教え)とは何ぞや”を問うてみた。が、勿論、即答は無い。今後(生ある限り)己れ自身で答えを探さなければならない。また1つ大きな課題を背負うことになった。“まだまだ生きなければ”――

5月の“平泉の旅”に続いて7月も浄土(清浄な世界)の空気に触れることが出来た。今号(286)の執筆を終えるに当たり、今回の高幡山行きのきっかけを与えてくれた親友M君へ感謝再び・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

スパイスライフ イン ハンティングトンビーチ

日本からLAに戻ってきて一週間後にハンティングトンビーチ (サウスベイからですと南の方です。)に引っ越しました。その合間にどうしてもやれる人がいないからと頼まれて断り切れずに1回限り1泊泊りで糖尿病を患っていらっしゃる方のご夫婦の所にお手伝いに行きました。
減塩食や減糖のお食事作りは問題ないのですが今回は1日2回の体重測定1日3回の血圧測定、1日4回の血糖値の測定を記録し、もし血糖値の値が高ければインシュリンの注射を打つという何だか看護婦さんのような私にしては初めての経験をしてきました。インシュリンの注射は本人がなさるのですがちゃんとお薬が入っているか確かめて渡さなければなりません。その方は少し視力も弱ってきているのでお薬の管理も難しくなってきています。娘さんが一週間に一度ご両親をお医者様に連れていく為に遠方から来ているようです。通常は住み込みの人が1人いて週末は代わりの人がいて、その他にお掃除の人にも来てもらっているようです。事前に細かいインストラクションを頂いていたのと週末に来ていらっしゃる方から直接、説明を受けたお陰で何もトラブル無く終える事が出来ました。
それにしても、ご夫婦のうち、どちらかが元気で車を運転する事が出来ればいいのですがお2人揃って今はそれが難しくなっている現状を見てそろそろ次のステージを考えないとならないように思えました。
病気はいろんな因果関係がありますがいろんな要因の1つに食生活もがかなり大きな原因になっていると思います。いろんな家庭の冷蔵庫や棚を見る度に食べ物と体の関係もリンクしてきます。エージェントからは詳しい状況や様子を知りたいと言われていたので私なりに感じた事、思った事を詳しくリポートしておきました。
そんな中の引っ越しでしたので本当に慌ただしく忙しい毎日でした。今度、越してきた場所は以前働いていた会社も車のメインテナンスをお願いしているショップも近く何より嬉しいのは図書館にも近い事です。先日この図書館でプリントしたいものがあったのでメモリースティックを持って出かけてきましたが、かなり大きな図書館でした。建物の中と外側に噴水があるユニークな建築デザインで何だかホテルのようなゴージャスな感じでした。大きな窓から入る日差しも目の前の大きな公園の草木や花にも癒されるような感じです。ここの図書館で次回、秋に日本でやるスパイスセミナーの思索をしたり準備をしたりしようと思います。
まだ、この近くのファーマーズマーケットには行っていないのですがこちらに滞在中オレンジカウンティーのファーマーズマーケットにもあちこち行ってみようと思っています。
茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

アルバムを選ぶのに困ったら、紹介候補アルバムのリストから選ぶようにしています。今週はそのリストの中からBilly Childs Trioの"Bedtime Story"を選びました。
代表的なピアノジャズで聴きやすいジャズで私の好きなタイプの一つです。
BillyはHerbie Hancockを師と仰いでおり、アルバムの中にはHerbie Hancockの曲が6曲も含まれています。

"Bedtime Story"  Billy Childs Trio

01-Ain't No Sunshine
02-Speak Like A Child
03-Fragile
04-Toys
05-Tell Me A Bedtime Story
06-Jessica
07-Oriental Folk Song
08-Dolphin Dance
09-Sophiscated lady
10-Maiden Voyage

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

先週は高齢の父が入院し、あんなに元気だった母も疲れで転倒し緊急入院しました。こういうことがいずれ来るとは思っていましたが、ついにやってきました。毎日病院通いです。落ち着かない毎日を過ごしています。

関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

雑貨屋ニュースウィークリーの配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.895

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com