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NO.893             Ryo Onishi              6/23/2013  

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雑貨屋のひとり言

カラ梅雨が一転して大雨となり日本各地を襲いました。心配されていた水不足から今度は水害に変わってしまいました。被害に遭われた方にはお見舞いを申し上げます。適度な量の雨によってバランスがとれていたのにいつからかこのバランスが狂ってきているようです。6月の不安定な天候はまだ続くのでしょうか?
うまい儲け話には必ず裏があります。「絶対儲かりますから」と言われ、乗せられてしまう人がいます。絶対に儲かるなら人に言うわけがありません。簡単に儲かる話は裏を返せばリスクが高く危険ということなのに、乗せられて大切なお金をつぎ込み、失くしてしまう人が後を絶ちません。人間の欲につけ込んだうまい儲け話にははじめから疑ってかかったほうがいいと思います。≪R.O≫

 

長所(利点)と短所(欠点)

経営の神様といわれた松下幸之助翁の言葉に「長所は短所、短所は長所」という名言があります。そして翁ご本人は次のように語っているのだそうで、よく引用されるので、ご存知の方も多いと思います。
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長所や短所というものは絶対的なものではない。――― 学問がある、また身体も頑健である、これは常識的に考えれば長所と考えられる。しかし、それを過信して失敗すれば、結果として短所となってしまう。
学問がない、体が弱い、これも常識的には短所と考えられている。けれども、私の場合にはそのことが幸いして、成功できた。とすれば、それはむしろ長所であったと言えなくもない。悩みに負けてしまわず、自分なりの新しい見方、解釈を見出して、その悩みを乗り越えていくことが大切である。
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松下翁は生まれつき病弱であったため、組織をさまざまな部門に分け(事業部制を採用し)他人に任せ「人を活かす」経営をしました。「自分が病弱だったから、経営をしてこれたのだ」とまで言い切っています。そして学歴がなかったこと、体が弱かったこと、貧乏であったこと、の三つの条件が松下幸之助の成功の理由であると、ご自身が話しているそうです。学歴がないから人の話を良く聞き、体が病弱だったから健康な人に仕事を任せ、貧乏に育ったから感謝の気持ちが生まれたというわけです。

数多い松下幸之助翁の名言には「好景気よし、不景気尚よし」というのもあります。景気が良いときは新しいアイディアが出づらいが、不景気になると思い切って新しいことを考え実行できるからでしょう。この考え方もマイナス思考をプラス思考に変える言葉です。

経営の神様ともなると、私たちがマイナス(短所、欠点)とみなすところをプラス(長所、利点)に180度転換する考え方をもっているのです。経営者が業績の悪さを景気のせいにしてはいけないのです。

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アメリカの発明王、トーマス・エジソンの研究家である弁護士のヘンリー・幸田さんの講演を聞いたことがあります。幸田さんによると、エジソンは小学校を3ヶ月で落ちこぼれ、それ以降は正規の学校教育は受けていないのだそうです。 ひとから「あなたは一体どうして、発明王になれたのですか?」と質問されたエジソンはこう答えたそうです。「それは私が学校に行かなかったからです」と。学校教育を受けていないのはマイナスのイメージのはずです。ところがエジソンの理屈は、「自分は正規の教育は受けていないから、むつかしい理論は苦手である。そこで理屈抜きに実験が出来た。たとえば電球の発明にあたって、フィラメントの材料は一万回を超える実験の繰り返しののち、ようやく京都の竹にたどりつくことが出来たのだが、もし自分に教育があったら、試す前に理論で否定的な結論を下してしまっただろう」ということで、正規の教育を受けなかったのが成功の一因と言っているのです。

エジソンはまた、子どものころ事故で難聴になっています。音がほとんど聞えないエジソンだからこそ、ピアノの音から「音は振動だ」と気がつき、蓄音機の発明につなげました。彼も世間で言うハンディキャップを見事にポジティブ思考につなげています。

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「人間の長所は欠点があるということだ」(バルタザール・グラシアン、17世紀スペインの作家・神学者)という言葉が残っています。また、「欠点は常に裏から見た長所である」(中谷彰宏)ともいわれます。欠点(短所)と仲良く付き合い、これをプラスの特徴とするのは、やさしいことではありませんが、挑戦する価値のあることではないでしょうか。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


あの日から神を信じた巡り合い

ガンが消えました神様仏様

おびんづる様ぐらいの神が丁度いい

色即是空伸び切った輪ゴムです

円空の鉈光背が渦となる


( ニュースやぶにらみ )


「アベノミクス」

サポートはいつまでですか −ウィンドウズXP

「元社長逮捕」

飼っていたのはサギ −安愚楽牧場

「大谷二刀流」

成功を祈る −景気回復と財政再建


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(284)「世界の至宝・平泉」(その2 毛越寺)

平成23年6月に平泉が世界文化遺産に登録された構成資産(要素)は中尊寺(ちゅうそんじ)・毛越寺(もうつうじ)・観自在王院跡(かんじざいおういんあと)・無量光院跡(むりょうこういんあと)・金鶏山(きんけいざん)(いずれも国の特別史跡)の5か所である。
そして“世界文化遺産・平泉”を形容するに「争いのない平和と極楽の浄土」「黄金文化・平安の優美の結晶」などがあるが、毛越寺に関して言えば「奥州藤原氏の栄枯盛衰の歴史を伝える東北屈指の名庭園」が(翁の印象では)ピッタリだ。

http://www.motsuji.or.jp/keidai/tatemono/images/tatemono03_02.jpg

寺伝(資料)によると、毛越寺は平泉の中心部に位置し、12世紀の中頃に藤原氏2代基衡(もとひら)が造営した寺院で当時は堂の建物が40、禅坊(僧の住居)が500もあったとのこと。山門(写真左)をくぐると真正面に威風堂々とした朱塗りの本堂(写真中)が参拝客を迎える。本尊は薬師如来(衆生の病苦を救う仏)(写真右)、脇侍は左に日光菩薩・右に月光菩薩。いずれも平安時代の作とされている。それでは時代を約9世紀さかのぼって、“奥州藤原氏の浄土庭園”を(急ぎ足で)散策することにしよう。

浄土庭園の入り口に『南大門跡』の碑がある。ここには偉容を誇る仁王像門が建っていたそうだ。傍に松尾芭蕉の歌碑がある(写真中)【夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡】“ここは、かつて義経主従や藤原一族が功名・栄華を夢見た所。夏草を眺めていると全てが一炊の夢と消えた哀れさが心に沁みる”それが(この地に立った)芭蕉の心情だったのではあるまいか。岩手(盛岡)出身の教育学者・哲学者で『武士道(Bushido)』(英文)の著者としても有名な新渡戸稲造(1862年〜1933年)が、この【夏草】を英訳して世界に紹介した、その英文句碑も建っている(写真右)。

“急ぎ足”とは言いながら『大泉が池』(下の写真)に立つと足が止まり息を呑む。あまりの神秘な光景に、いつしか“浄土”に誘い込まれる感じがして心の中で合掌。

C:\Users\nagao\Desktop\Pictures\平泉う.jpg

もう少し、この場所に佇んで(芭蕉を真似て)1句詠みたいと思ったが、バスの時間が気になり、再び急ぎ足で東西180m、南北90mの『大泉が池』を時計回りで1周する。

毛越寺・開山堂

この地に堂宇(寺院=嘉祥寺)を開いた第3代天台座主・慈覚大師円仁を祀る『開山堂』。(写真左)大師のほかに藤原3代(清衡・基衡・秀衡)の画像も安置されているとのこと。更に進むと『嘉祥寺跡』(写真中)や『金堂円隆寺跡』。今はただの広場で建物は何もない。『金堂円隆寺跡』の隣に『遣水(やりみず)』(写真右)がある。これは面白い。『大泉が池』に水を引き込むために造られたもので、曲がりくねった水路の途中に水切り、水越し、水分けなどの石組みが配置されている。全国的にも珍しい平安時代の唯一の遺構だそうだ。毎年、新緑の頃に『曲水(ごくすい)の宴』が催される。さぞや優雅な平安時代の情景が再現されることだろう。一度、観たいものだ。

『遣水』の隣の『常行堂(じょうぎょうどう)』(写真左)は12世紀の浄土思想に関係する宗教儀礼・民俗芸能が今もなお継承されている仏堂だ(国の重要文化財)。宝冠をいただき、黄金の仏座に鎮座する阿弥陀如来像は奥殿に安置されており、33年に1度のご開帳でしか見られない。次回は2033年だとか。パンフレットで写真を見たが、高貴な、いいお顔をしていらっしゃる。『常行堂』の前の池の畔に『鐘楼(鐘つき堂)跡』(写真中)と『地蔵菩薩像』(写真右)がある。地蔵菩薩は、常に我々の身近にいて人々の苦悩を救ってくれる慈悲深い“お地蔵様”。庶民的で親しみ易いお顔が気に入って1枚パチリ。
さて、冒頭で述べた通り「平泉・世界文化遺産」の要素は中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の5か所であるが、残念ながら今回の急ぎ旅では、中尊寺と毛越寺しか回れなかった。中尊寺から毛越寺へ向かうバスの中で、新米のガイドさんが資料を棒読みしながら(おまけにトチリながら)説明する。何回か吹き出しそうになるのをこらえて聴き入る。(それをまとめると)金鶏山は中尊寺と毛越寺の中間に位置する標高98mの信仰の山、名前は山頂に雌雄一対の金の鶏を埋めたことにちなんで付けられたとのこと。毛越寺近くの『無量光院(跡)』は、藤原3代秀衡(ひでひら)が京都の平等院を模した建立した(平等院を上回る規模の煌びやかな)寺院。また、その近くの『観自在王院(跡)』は藤原2代基衡(もとひら)の妻が建立したと伝えられている。観自在王院とは阿弥陀堂のことで仏壇は銀、高欄(欄干)は磨き金で作ったというから、いかにも女性の持仏堂らしい華麗な造りであったことが想像できるが、バスの車窓から見る限り、その面影は無い。

急ぎ足で『大泉が池』の周りを動き回っている途中、『嘉祥寺跡』の所で15人程度の団体の案内をしているベテラン女性ガイドさんの“説明”を盗み聞きした――今から1160年ほど前、慈覚大師円仁がこの地にさしかかると、一面、霧に覆われ1歩も進めなくなった。ところが、ふと足元を見ると地面に白い毛が点々と落ちているので、大師がそれを辿って行くと、前方に白鹿がうずくまっていた。大師が近づくと白鹿の姿は霧の中に消え、代わって1人の白髪の老人が現われ「この地は聖地なり。堂宇(寺院)を建立せよ」と告げた。時は嘉祥3年、故に慈覚大師は、この場所に堂宇を開き『嘉祥寺』と名付けた。古来、幾多の合戦が繰り広げられた奥州を仏教によって浄め、陸奥辺境の地を仏国土にするという藤原初代清衡の掲げた理想は『中尊寺』となり、2代基衡は父・清衡の思想を正しく継承して『毛越寺』を造営した。『毛越寺』は当初(慈覚大師が白鹿の毛を踏み越えて聖地に辿り着き嘉祥寺を開山したことから)“けごしでら”と呼ばれていたそうだ、とは(前出の)ベテランガイドさんの話――

中尊寺や毛越寺で、確かな文化遺産を観た。藤原3代の“浄土思想”は今も確かに息衝いている。時間があれば翁、もう少し奥州藤原氏の歴史と、この地で儚く散った若き英雄、義経・弁慶主従の最期を追いたかった。それはまた、いずれかの機会を楽しみに――それにしても『啄木、賢治 盛岡の青春』に始まった今回の“みちのく紀行”、5回目の今号が最終回となるのだが、各号、拡大版にもかかわらず、読者各位には辛抱強くお読みいただき、また、過分の賞賛をいただいたことに翁、深甚なる謝意を表したい。

【みちのくで 南無の心を修めたり おのが冥府に おそるもの無し】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

スパイス ライフ イン ジャパン (Spice Life in Japan)

慌ただしい今回の日本滞在中、ご近所のOOガスのショールームで2回スパイスセミナーをやらせていただく機会がありました。前回に続いて3回目と4回目のセミナーです。3回目は4月にミントを使ったリップクリーム作りとミント入りのチョコレートとミントティーを試飲しながら暮らしにミントをどのように使うか、またその効能に関するミニセミナーをやらせていただきました。4回目のスパイスセミナーは5月にバニラビーンズを選んでみました。スパイスクイーンとも呼ばれているバニラビーンズのお話とタピオカデザート作り、それにローズオイルを使った超簡単化粧水作りにチャレンジしてみました。
その他、ご近所で地域を支えるボランティア活動を長くやってこられたTさんの御紹介で定期的にお料理会をしているグループの方からお料理の講師として呼んでいただきました。今回のお料理教室は渋谷区が持っている大きな場所を予約していただき皆でワイワイお料理を作りお食事をしながら談話する楽しい時間でした。そのお料理会の打ち合わせが会の方の家であったのですが、これもまた食べながら飲みながらのスタッフの方々との楽しい会話にすっかり時間も忘れるほどでした。
そしてスパイスセミナーの合間にはタイミング良くヘルスエキスポのイベント案内が送られてきていたので急ぎ足でそのイベントに行ってきましたが体に良いと言われる面白いスパイスやハーブ食品がいくつか、ありました。
またN医療センターの掲示板で偶然目についたポスターに ″アロマオイルを使ったハンドマッサージのボランティア募集 ″というがあったので早速、これにも参加して外来の患者さんたちのハンドマッサージをやらせていただく機会を持てました。これもなかなか面白い経験でした。足の裏と同様に手のひらには体中のツボがあって今回入院中の母の足や手をマッサージしていて実感出来たものでした。
こちらもまた偶然、通りかかった公園で行われていたエコフェスティバルなのですが小規模ながらいろいろな取り組みやアイディアがあって感心する事がたくさんありました。そこで頂いたレモンバーベナの種を植えてみたら翌々日には元気よく芽が出てきました。あんな小さな一粒の種に命が宿っている事を感動しながら観察しました。
残念ながら、時間切れで、そのレモンバーベナのお茶を頂く事がないまま、今週はLAに戻ってきてしまいましたが今回の日本滞在は私にとって本当に意味のある充実した日本滞在になりました。一つ一つもっと詳しく書きたい事や伝えたい事が山のように、たくさんあるのですが、そのうち機会を見てゆっくり書いてみたいと思います。
さて、明日はスーパームーンです。
皆様はどこでこのお月さまをご覧になるのでしょうか…

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

PCで音楽を聴くとき、ディスプレイについている小さなスピーカーでは音が貧弱になるので、ヤマハのアンプ付きスピーカーをつないで聴いています。横8cm縦8cm高さ9cmの小さな形状ですが、結構いい音で聴けます。
先週ご紹介したDave BrubeckのアルバムでPaul Desmondのアルトサックスが気になったので、今週はPaul Desmondのアルバムを選びました。みなさんも一度は聴いたことのある"Take Ten"です。彼のやわらかく耳に馴染むアルトサックスがとても気に入っています。共演のJim Hallのエレキギターともピッタリあっています。雑貨屋ウィークリー865号で紹介したDave Brubeck QuartetのアルバムTime Outに有名なTake Fiveがありますが、これもPaul Desmondの作曲で、Take Fiveはその続編のようです。ちなみにこのTake Tenは太田和彦の日本百名居酒屋というテレビ番組で流れてくる曲です。Paul Desmondは1977年にわずか53歳でこの世を去っています。


"Take Ten" Paul Desmond

01 Take Ten
02 El Prince
03 Alone Together
04 Embarcadero
05 Theme from 'Black Orpheus'
06 Nancy (With the Laughing Face)
07 Samba de Orfeu
08 The One I Love (Belongs to Somebody Else)


ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

読者のみなさんはパソコンのOSは何を使われているのでしょうか?私の場合、ノートブックはMicrosoftのWindows7なのですが、他のPC2台はWindows XPです。困ったことにWindows XPは2014年4月にサポートを終了します。インターネットやメールだけしか使わないのならiPadやAndroidのスマホで十分なのですが、PCで雑貨屋の編集や株トレード、ジャズアルバム整理などいろんなことをしている私にとっては一大事です。OSがコロコロ変わり肥大していくソフトウェアを必要とするPCが売れなくなってきているのはわかるような気がします。さてまだ時間が少しありますので、どうするか考えたいと思います。

関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

関西加洲会で雑貨屋のことを紹介しましたが、雑貨屋に皆様のアドレスを送って下されば、配信リストに乗せ、毎週配信させていただきますので、どうぞ送ってください。それ以外の目的で使用することはありませんのでご心配なく。関西加洲会の方に限らず、雑貨屋の読者で配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.893

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com