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NO.892             Ryo Onishi              6/16/2013  

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雑貨屋のひとり言

カラ梅雨、台風、猛暑日と今年の6月の天候は異例ずくめです。
週末ようやく梅雨らしく雨が降って、ホッとしたのは気象予報関係の人なのかもしれませんね。
今シーズンのプロ野球はボールがよく飛ぶなあと私も思っていました。何か違うのではないかと思うのは誰でも同じだと思います。NPBの加藤コミッショナーの「全く知りませんでした。なにも思いませんでした。」という発言は明らかにウソだと思います。もしウソでないとしたら野球関係者として失格です。フェアでなければならないスポーツ界でこんなウソを平然とつく人がトップにいるのですから、誰も信用できなくなります。気分が悪くなります。≪R.O≫

 

日本の人口減少と女性の出番

日本の総務省が先日の5月5日(こどもの日)に発表した日本の15歳未満の子供の推計人口が前年比15万人減の1,649万人となり、32年連続で減少して、1950年以降の統計で過去最少を更新したと伝えられました。少子化の進行に歯止めがかからない実態が浮き彫りになっています。労働厚生省のホームページによると、日本の総人口は2010年が1億2,800万人であったのが、2030年:1億1,662万人、2060年:8,674万人になるとの予測となっています。日本の少子化、人口減少が現実の問題になっています。

少子化は将来の国力を担う人口減ですから問題ではありますが、私は人口減少については日本にとってデメリットばかりではなく、考えようによっては“好ましいこと”ではないかと思っています。

日本は世界的にみて人口密度の高い国です。さらに国土の80%を山間地などで占め、人の生活できる地域が限定されています。戦争でもしないかぎり国土を大きく増やすことは望めず、侵略戦争を放棄した日本ではそれもありえません。

ですから日本は従来の考え方を転換し、限られた国土のもと、むしろ人口を絞って豊かな国造りを目指すことにしたら良いのではないでしょうか。ヨーロッパ諸国にはロシアを除けば日本よりも人口の多い国は存在しないはずです。地球上にはアメリカ、中国、ロシア、インドなど、国土の大きい大国は存在しますが、日本は別の意味の大国を目指せばよいでしょう。そう考えると日本の人口が2060年に8,600万人余りにまで減少するのは、次の豊かな国づくりへの好機といえなくもありません。

ただし現実の日本の人口減の場合、当面の問題は人口の年齢別構成がアンバランスであることでしょう。本来なら人口の構成グラフはピラミッド型で若年層が幅広く、高年齢になるにつれ狭くなるはずが、戦後のベビーブーマー(団塊の世代)の影響で「ピラミッド型」から「釣り鐘型」といわれる構成になり、さらには最近の少子化のため、釣り鐘の裾野が絞られ「つぼ型」にまでなっていることです。

老年層の比率が増加し、さらに次世代を担う若年層が減るということは、現役層への費用負担が増え、国家財政にも影響するおそれがあります。将来にわたる国民の費用負担について中・長期的に検討する必要があります。

日本の人口減少が避けられないという前提で、これから日本がより豊かな国つくりのためにすべきこととして、私は「さらなる男女共同参画」の必要性を感じます。これまでの日本(というよりほぼ世界共通するものといえるでしょうが)の文化では、「男性が生活費を稼ぎ、女性が家庭や子どもを守る」というのが主流です。そもそも社会のシステム自体が男性による、男性中心につくられてきたものなので、そこに女性が進出することは一部の例外を除いて無理があったといえるでしょう。

もちろん、昔から夫婦共稼ぎもあり、自営業のお店では妻(奥さん、お母さん)も夫と同等に働いていたし、最近の若い夫婦は共稼ぎが当然のように行われています。日本ではいわゆる「男女雇用機会均等法」もあり、形式的には性別による差別はないはずですが、現実は女性が男性と対等の扱いを受けているかというと、必ずしもそうでないのが現状でしょう。

この際、女性の社会進出のための抜本的施策を講じ、女性にもっと社会進出してもらうことは、わが日本にとって人口減少対策への特効薬となるのではないでしょうか。「出産・育児」という重要な任務を担当する女性を尊重しつつ、男性中心だった社会のシステムに女性の視点も取り入れる必要があります。

女性の皆さんにもそれなりに覚悟をしていただかなければなりませんが、男性側も家庭内での役割(出産行為は無理ですが)を分担し引き受ける必要があるでしょう。もしかしたら女性の社会進出の可否は男性側の覚悟如何なのかもしれません。

安倍首相も先日、外国特派員協会でのスピーチで、「現在、最も活かしきれていない人材とは何か? それは女性です。女性の中に眠る高い能力をじゅうにぶんに開花させていただくことが閉塞感ただよう日本を再び成長軌道に乗せる原動力だと確信しています」と述べていました。

先日の当地の新聞記事によると、既にアメリカでは「お父さんが一家の大黒柱」というこれまで一般的だった概念が、大きく変わろうとしているようです。現在、アメリカの子供のいる世帯で、夫よりも収入が多かったり、シングルマザーなどで母親の収入が一家を支えている家庭は全体の40%を占めることが明らかになったそうです。これは、50年前に比べると4倍 近い上昇で、カナダの18%やヨーロッパの10%など他の先進諸国と比べても大幅に高い割合なのだそうです。

より豊かな生活のため、昼間は我が子を実家や保育所、ベビーシッターに預けて夫婦で共稼ぎをすることについて、問題点も多く、そういった意味でアメリカの家庭制度が理想的とはいえませんが、少子化、人口減に直面する日本の場合、“女性の出番”がいよいよ現実のものとなってきたのではないでしょうか。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


惚けてきたけれど足腰まだ丈夫

バタンキュー羊五匹でもう眠り

気のおけぬ貧乏神といて傘寿

要介護付かない長生きに感謝

お互いがつっかい棒でいて夫婦


( ニュースやぶにらみ )


「盛り上げ策」

TOGI総選挙としたら −AKB48

「統一球の怪」

反発係数が上がった −プロ野球選手

「DJポリス」

真似が出来なかった −トルコ首相


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(283)「世界の至宝・平泉を往く」(その1 中尊寺)

『平泉』を語るに、まずは“960年前の東北史”から書き始めなければならないのは、いささかシンドイが――実は翁、今回“みちのくの旅”に出るまで東北地方を舞台にした合戦『前九年の役(ぜんくねんのえき)』、『後三年の役(ごさんねんのえき)』のことは(そういう戦役があったことぐらいは知っていたが詳しい内容については)よく知らなかった。それが、たまたま『もりおか歴史文化館』を参観した折り、ボランティア・ガイドさんによって多少、学習することが出来た。付け焼刃の知識で要約すると――『前九年の役』は1051年〜1062(平安時代の後期)、当時の東北地方の2大豪族・安倍氏と清原氏の勢力争いで、足掛け12年かけた戦いは清原氏が勝利した。もともとは『奥州十二年合戦』と呼ばれていたそうだが、いつの間にか『前九年の役』と呼称が変わった。何の“前九年”なのか・・・それから20年後に『後三年の役』(1083〜1087)が起きるのだが、これも、何の“後三年”なのか諸説あるが、どれが正しいか、どなたかの教えを乞うことにして・・・

『後三年の役』で、今度は(平泉地方を支配していた)奥州藤原清衡(きよひら)が『前九年の役』で東北の覇者となっていた清原氏を滅ぼした。この時、陸奥国守(現在の青森・岩手・宮城・福島・秋田を統括する長官)だった源義家(八幡太郎義家=鎌倉幕府を開いた源頼朝の4代前の先祖)の助力を得ての勝利だった。清衡は、敵味方の区別なく戦乱で亡くなった人々や鳥獣など“生きとし生けるもの”全ての霊を慰めようと、浄土思想(清浄で平和な世界)に根ざした現世浄土を創り上げることを誓い、比類なき“仏都”建設に乗り出した。いうなれば平泉の栄耀の背景には鎮魂の歴史がある。それに(因果応報と言うべきか)清衡の母は『前九年の役』で清原氏に滅ぼされた安倍頼時の娘、従って清衡は20年後に祖父(頼時)の仇を討ったことになる。余談だが、安倍晋三首相の父君(故)晋太郎氏(元外務大臣)は生前「我が安倍家は奥州安倍一族の子孫である」と言っていたとか。ならば安倍晋三家は奥州藤原一族の末裔ということになるのだが・・・

清衡が着手した“仏都”はやがて“黄金都市”として栄える。その経済基盤となったのは、奥州で豊富に産出された砂金をもとに北宋(今の中国北部)や沿海州(今の極東ロシア)との交易によるものだ。マルコポーロ(1254年〜1324年、ヴェネチア共和国の商人・冒険家)の『東方見聞録』に“黄金の国ジパング”と紹介されていることは有名。その“平泉黄金文化”と清衡の平和理念による“仏都”は2代基衡(もとひら)〜3代秀衡(ひでひら)と受け継がれる。秀衡は、源義経を少年時代と(兄頼朝に追われ)都落ちの際の2度に亘り保護、鎌倉(頼朝)の反感を買ったが頑として義経を守り抜いた。しかし、秀衡没後、4代泰衡(やすひら)は鎌倉の圧力に屈し、義経を自害に追い込む。それでも(奥州制覇を目論む)頼朝は執拗に泰衡を攻め、遂に(102年続いた)“黄金の都”を滅ぼす(1189年)。これも因縁と言おうか『後三年の役』の時、源義家の助力で勝利した平泉藤原氏は、義家から4代子孫の頼朝によって滅ぼされたことになる。しかし、藤原氏は滅びたが、後世にしっかりと“浄土思想の結晶“を遺した。822年後の2011年6月、“仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群”として世界文化遺産に登録されたことはご承知の通り。前講釈が長くなった。早速『世界の至宝・平泉』(中尊寺)へ。

東北新幹線・一関駅から観光バスに乗る。中尊寺バス停の目の前の、中尊寺本堂や金色堂に向かう表参道(月見坂)を歩く。伊達藩が植樹したとされる樹齢約400年の老杉並木が歴史を感じさせる。途中の『弁慶堂』に参拝。堂の中に甲冑姿の義経と薙刀を持って仁王立ちしている弁慶像が安置されている。翁、2004年12月に東京・国立劇場で観た9代目松本幸四郎(弁慶)と7代目市川染五郎(富樫)の親子競演による歌舞伎十八番『勧進帳』を思い出す。兄源頼朝に追われる身となった義経が、武蔵坊弁慶ら少数の家来と共に山伏に変装して京都から平泉の藤原氏のもとへ逃れる途中、安宅の関所(石川県)の役人・富樫左衛門とのやりとりを描いた芝居。弁慶が空(から)の勧進帳(寺院に寄付を募る請願書の巻物)を読み上げる場面や、弁慶が涙しながら主人義経を杖で叩くシーンは(どの役者が演じても)圧巻である。 

『弁慶堂』から10分ほどで『中尊寺本坊』に着く。中尊寺のお山には、本坊のほか17の子院がある。この全部は、とても数時間では回りきれない。マップを片手にバス時間を気にしながら(翁が好きな所だけを)駆け足で回る。『中尊寺(天台宗)本坊』の山号は関山、本尊は今まで阿弥陀如来(西方極楽浄土から生き物を見守り、全ての生き物を極楽浄土に導く仏)だったが今年の3月に釈迦如来(いわゆるお釈迦様=釈尊)が新本尊となった。寺伝によると開山は850年、円仁(第3代天台座主=慈覚大師)とされているが、実質的な開基は初代藤原清衡(1105年、清衡50歳の頃)と記されている。

国宝や重要文化財など3000点以上の文化財を保存・展示してあるのが『讃衡蔵(さんこうぞう)』だが、とにかくどこもかしこも撮影禁止ばかり。翁、いささか興を削がれ、駆け足が更に早まったので(各館内を)詳しく説明出来るほどの参観記にはならず、行く先々で集めた説明文を参考に、ほんの概要だけの紹介にしかならないことをお許し願って・・・

中尊寺 経蔵

『金色堂』(写真左)は1124年に初代清衡が晩年に建立した阿弥陀堂。(同じく世界遺産の)京都・平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり当代の技術を結集したものとして国宝に指定されている。『金色堂』の傍に『芭蕉翁句碑』がある(写真中)【五月雨の降り残してや光堂】(梅雨の鬱陶しい雨も、この平泉の光堂だけは降り残したのだろう、今も昔の輝きや華やかさを見せている。)中尊寺の至宝を収蔵しているのが国の重要文化財『経蔵(きょうぞう)』(写真右)。この建物は平安時代の古材を使い、鎌倉時代に再建された、とある。ここに収蔵されていた中尊寺経の正式名称は“紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)”と言うそうだが、紺色に染めた紙に経文が1行ごとに金字と銀字で交互に書写されているとのこと、また、この経文が最初に納められたお寺が中尊寺だったので、一般にこれを”中尊寺経“と呼んでいるそうだ。今は『讃衡蔵』に保存されている。急ぎ足の翁、残念ながら観ることが出来なかった。

翁が少し足を止めたのが中尊寺(寺領)の一番奥にある白山神社の『能舞台』(写真左)。1853年に伊達藩によって建てられた東日本最古の能舞台(日本最古は『余話(275)』で紹介した京都西本願寺の北能舞台)で、今でも藤原祭りや中尊寺薪能(たきぎのう)で使われているとのこと。毎夏、九段の靖国神社で催される薪能を翁は何回も観たが、夕闇の樹木林の中、古格の能舞台で展開される能・狂言は正に幽玄の世界。8月14日の中尊寺薪能もいつかは観たい、そんな興味をそそられながら急ぎ足の“中尊寺巡り”を終え、バス停近くの『弁慶の墓』(写真右)に合掌。鎌倉(頼朝)にひれ伏した4代藤原泰衡は父(秀衡)の遺志に反して義経一行を攻撃、無数の矢を身に受けながら最後まで主人義経を守り、仁王立ちのまま息絶えたと伝えられる“弁慶の立往生”の場所(衣川館)が、この近くだったそうだ。『世界の至宝・平泉』(中尊寺巡り)は消化不良のまま、次なる『浄土庭園・毛越寺巡り』のバスに乗り込む・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話。

 

茶子のスパイス研究

早起きは三文の徳 A

通りすがりの私にコーヒーのお誘いをしてくださったアマミ舞創始者のT先生にお礼のお手紙を出した。今度は私のお気に入りのコーヒーを持参してT先生に飲んでいただきたかったからだ。そして、もう一度あの桜の木の下でT先生のお話をじっくり聞いてみたかったのだ。お忙しい先生なのに早速、丁寧なお返事を頂いた。 ″また朝の時間に桜の木の下でお茶をしましょう、もしその日が雨だったら家の中でお茶をしましょうと″と。
昨日の早朝、そぼ降る雨の中、朝7時にT先生の家にお伺いした。その日は母の病院の検診が9時から入っていたので8時にはお暇しなくてはならなかったのだが、どうしてもその日を逃したくなかったので早朝にお邪魔する事にした。
途中あの恵比寿ガーデンの前を通りながら庭を眺めると紫陽花の色は益々鮮やかに、また前回と違う花や植物が緑の中にポツリポツリ咲いていた。確かこのあたりだったかなと住宅地に入ってあたりを見回すと大きな桜の木が道をアーチのように覆っているのがすぐ目についた。番地や表札がなくともその桜の木が立派な目印になっている。
周りは普通の鉄筋コンクリートで出来た住居やビルが立ち並ぶ中で桜の木の下にある木造の家は異彩を放っていて明らかにそこの空間は別次元だった。
朝も早くから申し訳ないなと恐縮していたら家の前の門が少し開いていた。すでにT先生は私が来る少し前に門を開けておいてくれたのだ。
ドアベルを鳴らすと爽やかな笑顔でT先生は私を迎えてくれた。嬉しい事にT先生も朝の時間が好きでその時間を大切にされている人なので早朝から押しかける私を快く迎えてくださった。
玄関で靴を脱ぎ、ダイニングテーブルのある部屋に向かう途中、左手にT先生のお稽古場が見えた。お香の煙が立ち込めていてその空間はまさに神聖なパワースポットだった。 
″少々具合が悪い時でも、この家に帰ってくると元気になるのよ ″そうT先生がおっしゃった。私の家をリフォームしてくださった建築会社の人も″木は呼吸しています。生きているんですよ ″と言った言葉が浮かんだ。
そんな癒しの空間の中で朝食をした。今回は米国から持参したバニラフレーバーのコーヒー豆とアプリコットのドライフルーツ、ピーカンナッツ、クルミにチーズ、それにオリーブオイルに私の好きなミックススパイスを挽いてそこにフランスパンをつけて食べていただいた。何も手を加えない芸のない朝の簡単朝食なのにT先生は美味しいと喜んで食べてくださった。

楽しい時間はあっという間に過ぎて後ろ髪を引かれる思いでT先生の家を後に駅に向かう途中、すでに次回の朝食メニューも頭に浮かんでいた。前回も書いたが本当にあの日、あの時、あの道を歩いていなければ出会わなかった人や出来事を考えると、とても不思議な気持ちになってくる。そういうミラクルは早朝に多く出くわすのかもしれない。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今週は、最近仕入れて、何度も聴いたManhattan Jazz QuintetにするかHerbie Hancockにしようかと思案しましたが、別の週に紹介することにします。全く違うDave Brubeckのアルバムにしました。Juneのつくタイトルの曲がないか検索したらヒットしたからです。ノリがよく、爽やかな気分にさせてくれたのでこのアルバムにしようと思いました。Bossa Nova U.S.A.です。
Dave Brubeckの軽快で力強いピアノは魅力的です。そしてPaul Desmondの柔らかい響きのSaxがとても素敵で、曲によってはPaul Desmondがメインのアルバムなのかと思うくらいです。Saxが目立ちすぎているような気がしないでもありません。

"Bossa Nova U.S.A." Dave Brubeck Quartet

01-Bossa Nova U.S.A.
02-Vento Fresco (Cool Wind)
03-Trolley Song
04-Theme For June
05-Coracao Sensival (Tender Heart)
06-Irmao Amigo (Brother Friend)
07-There'll Be No Tomorrow
08-Cantiga Nova Swing
09-Lamento
10-This Can't Be Love

Dave Brubeck (Piano)
Paul Desmond (AltoSax)
Eugene Wright (Bass)
Joe Morello (Drums)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

スポーツジムは中高年の方で賑わっています。圧倒的に女性が多いです。ヨガクラスに参加しているから余計そう思うのでしょう。中には朝から夕方まで弁当持参で来ている人もいるようです。とにかくみなさん元気で楽しそうです。夏は家にいても暑いだけですからスポーツジムで過ごす方がはるかに快適かもしれません。私もパソコンを持って行こうかなんて考えています。

関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

関西加洲会で雑貨屋のことを紹介しましたが、雑貨屋に皆様のアドレスを送って下されば、配信リストに乗せ、毎週配信させていただきますので、どうぞ送ってください。それ以外の目的で使用することはありませんのでご心配なく。関西加洲会の方に限らず、雑貨屋の読者で配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.892

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com