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NO.890             Ryo Onishi              6/2/2013  

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雑貨屋のひとり言

平年よりかなり早い梅雨入りとなり、そして6月になりました。梅雨入りした最初の雨の日、これまでの爽やかな空気から一変し、気持ちの悪い湿気を感じました。またベタベタする季節がやってくるのかと思うと嬉しくないのですが、あの寒い時期と比べどちらがいいかと考えるとまあいいかと思ってしまいます。≪R.O≫

 

六月です。首相官邸の幽霊のはなし

国会の会期中、国会議員は内閣に対し、国政に関することについて文書の形で質問することができることになっています。この質問書は「質問主意書」と呼ばれます。「質問主意書」はその国会議員が所属する議院の議長を通じて内閣に送られ、受け取った内閣は、原則として7日以内に文書で回答することになっています。回答は、閣議を通さなければならないことになっているそうです。

先月、民主党の参議院議員(加賀谷健氏)が奇妙な「質問主意書」を提出したと報道されました。質問内容は「安倍晋三氏が首相に就任してから、公邸に引っ越さないのは公邸に幽霊がでるためか?」というものであったというのです。

首相公邸に幽霊が出没するかどうかなど、“国政”とどのような関係があるのだろう。私ならずとも奇異に感じた人も多かったのではないでしょうか。私は確認のため参議院のホームページから加賀谷議員の「質問主意書」全文を読んでみました。

『総理大臣公邸に関する質問主意書』と題する文章で、内容は2ページにわたり、公邸の目的・意義・利用状況や、安倍現総理が居住しないことによる安全保障面の問題、さらに首都直下型地震など災害時に避難民の受け入れはどうするか、など8項目について、きわめて国政に関係する質問であることを理解しました。

ただ、その中に『旧総理大臣官邸である総理大臣公邸には、二・二六事件等の幽霊が出るとの噂があるが、それは事実か。安倍総理が公邸に引っ越さないのはそのためか』という一文があり、この部分がマスコミにセンセーショナルに取り上げられたようです。

ここで問題となった首相公邸(首相が生活するプライベートな建物)とは、2002年に現在の首相官邸(首相が仕事をする建物)が新しく出来るまでは首相官邸として使われていた建物でした。

もともと旧首相官邸(現首相公邸)は昔から幽霊出現の噂が多かったようです。ここは、かつてクーデター事件があった現場でもあり、5・15事件(1932年)で犬養毅首相が殺害され、2・26事件(1936年)では岡田啓介首相の義弟の松尾伝蔵秘書官が岡田首相と誤認され射殺されています。またこの場所は、もともと化け猫騒動で有名な佐賀鍋島藩の江戸屋敷があったところで、いわゆるいわくつきの土地であったともいわれています。このような過去の歴史に尾ひれがつき幽霊話が生まれたのではないでしょうか。

歴代の総理大臣の中にも幽霊を目撃したり、又はなんらかの怪奇現象に見舞われたと証言する人も多かったようで、何度もお祓いが行われた事実もあったそうです。中には“幽霊が怖くて”などという笑えぬ理由で、公邸に住まず私邸から通勤した首相もいたという話もあるようです。

一国の最高権力者である総理大臣が幽霊に怖気づいているとしたら、ブラック・ジョーク以外の何ものでもないように思えますが、彼らだって一人の人間であり、世界・国家のために貢献しようとすれば、反対派を力で押さえ込むことも必要になり、世間の一般人より多少は血なまぐさい世の中を生き抜いてきた後ろめたさから、霊の神秘を感ずることがあっても不思議でない気がします。

今回の「首相公邸の幽霊騒ぎ」に関連し、アメリカではどうなんだろうとネットで調べてみました。米大統領官邸・公邸であるホワイトハウスでも古くはリンカーンの幽霊に始まって多くの幽霊が出没しているようです。ヨーロッパ諸国でも似たような記事を見つけることが出来ます。このような“幽霊騒ぎ”は洋の東西を問わず人間のいるところには存在するようです。

新聞報道によれば、今回の加賀谷議員の「質問主意書」の幽霊に関する部分については、安倍内閣として、「そのような噂は承知していない」とする答弁書を閣議決定したということです。まさか天下の日本国を代表する内閣が「幽霊が出ます」、「首相は幽霊が怖いので公邸に住めません」などと回答できるはずがないでしょう。ただ、菅官房長官は記者会見で公邸に漂う「気配」について冗談めかしてですが言及したそうです。

6月に入り、夏の入りを思わせる清涼剤ぐらいになった話題でした。こんな話題が大きく報道されているかぎり、まだまだ日本は平和だということでしょか。(それとも平和ボケというべきなのでしょうか)

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


ハードルに笑われている皮下脂肪

追従の笑顔の腹が見えている

営業用笑顔 諭吉にキスをする

銀行が昨日の笑顔裏返す

恋をしているね鏡が笑ってる


( ニュースやぶにらみ )


「タワーからツリーへ」

昭和も遠くなりにけり −三丁目の夕日

「大阪市議会、問責決議案否決」

ホッ! −橋下市長、与党、野党

「高騰、急落」

アベノコースター −株価


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(281)「啄木・賢治、盛岡の青春」(その2=賢治編)

岩手県盛岡の市内を慌ただしく駆け回った。初めての翁にとって、どこもかしこも新鮮で魅力がいっぱい。歴史館や資料館、神社仏閣、公園などで出会う人たちは皆親切で、そんな街を愛し、青春を駆け抜けた石川啄木や宮沢賢治の気持ちが解るような気もした印象深い盛岡の旅だった。先週号の『啄木・賢治、盛岡の青春』(その1=啄木編)に続き、今号は(その2=賢治編)である。 

盛岡(材木町)

http://r03.isearch.c.yimg.jp/image?id=f254c44ffeab9d559f45f2826993fe7e C:\Users\nagao\Desktop\Pictures\盛岡3.jpg

翁が魅力を感じた街並みの1つに北上川沿いの材木町がある(写真左)。別名“イーハトーブアベニュー材木町”とも言う。“イーハトーブ”とは、宮沢賢治の造語“理想郷”のこと。その街に入ると直ぐに賢治に出会える。入り口付近の賢治の石座(写真中)のほか賢治の作品にちなんだ6つのモニュメントが歩道のあちこちに。中でも翁が驚いたのはチェロのオブジェだ(写真右)。宮沢賢治とは、詩人・童話作家・農芸化学者・農村指導者・宗教思想家としか知らなかったが、何と彼は作曲家(?)でもあったのだ。資料によると彼の作曲に『星めぐりの歌』、『種山ケ原』というのがあるそうだ。翁、まだ聴いたことはないが――

賢治は1896年(明治29年)岩手県稗貫郡里川口(現花巻市)に生まれ、地元の川口尋常高等小学校(花城尋常高等小学校と呼ぶ資料もある。いずれも現花巻小学校))を卒業すると盛岡中学(現盛岡一高)へ。啄木の10年後輩にあたる。2年生の頃から短歌づくりに目覚め、学業を等閑視して野山を跋渉(ばっしょう)、哲学書、宗教書を耽読するようになった、という。啄木が授業を抜け出して盛岡城址を散歩したり、草叢に寝転んで文学書や哲学書を読み耽った行状によく似ている。違うところは啄木が盛岡中学を中退して文芸の道に突っ走ったが賢治は1914年(大正3年)に卒業した。が、直ぐに岩手病院(現岩手医大=今回の盛岡の旅でいろいろとアドバイスをしてくれた親友の歯科医Y先生の母校=の付属病院)に入院した。病名は肥厚性鼻炎という慢性鼻炎。この病院で賢治は看護婦に恋をしたが、どうやら片想いだったようで、失恋に終わった。そこで心機一転、翌年(1915年)、盛岡高等農林学校(日本最初の高等農林学校=現岩手大学農学部)へ首席で入学。翁、この学生時代の賢治を知りたくて旧盛岡高等農林学校本館へタクシーを飛ばす。途中、ドライバーが翁に「賢治の小学校時代の通信簿が見つかったそうです。よかったらお持ち下さい」と岩手日報(5月17日号)を譲ってくれた。“成績は(3段階のうち最高の)オール甲”とある。更に記事には“花巻市立宮沢賢治記念館では、賢治没後80年にあたる今年8〜9月に一般公開“と書いてある。翁、8月に花巻市にも行きたいと思ったが、果たして・・・
親切なドライバーに感謝しながら岩手大農学部ゲートでタクシーを降りる。

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旧盛岡高等農林学校の正門は1902年(明治35年)の創立当時のままの姿をとどめている(写真左)。本館は国の重要文化財(写真中)。入り口の傍に賢治の像(写真右)。古めかしい木造の教育資料館の中は静まり返っている。男女の学芸員2人が事務室から出てきて「もう、入館時間は終わりました。3時までです」翁の腕時計は3時半を回っている。翁が残念がると「どちらから?」「東京から」を告げると上司らしき男性学芸員が「遠方からお出でになったのだから、30分くらいでよろしければ、どうぞ」「ありがとう!」ここにも親切があった。入館料140円を払って賢治関係の資料室へ、案内は女性学芸員。本来は撮影禁止だがその学芸員さんが黙認してくれた。この人にも感謝!

盛岡高等農林学校における賢治の研究は主に地質・鉱物(岩石)・土壌分析改良・肥料設計・冷害凶作対策など。展示室には、賢治が県内で採取し研究した数10個の岩石のほか地質・土壌調査、採石などに用いた道具類、レポートなどが多数展示されている。そして彼の卒業論文『腐植質中の無機成分の植物に対する価値』(写真左)が高く評価され、1918年(大正7年)に(入学時と同様)首席で卒業(写真中=最上段右端が賢治)。なお、賢治は卒業前年に4人の仲間と共に(写真右=上段右が賢治)同人誌『アザリア』を創刊、短編随筆や和歌の創作活動を行なったり、市内の古刹を巡っては仏教の信仰を深めたりした。
 

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資料館を出る時、学芸員さんが教えてくれた「この構内に、啄木の妻・節子さんの生家がありました」確かに植物温室棟裏に“節子の井戸”(写真左)が復元され“節子の生家跡”の看板も立っている。啄木と賢治は直接的接点はないが、偶然にも(旧姓)堀合節子が2人の天才の縁(えにし)をとりもったのでは?そんな気がしてならなかった。

さて、賢治は卒業後、稗貫郡農蚕講習所(のちの花巻農学校〜県立花巻農業学校)で教鞭をとったりしたが、1921年(大正10年)以降、農業指導のかたわら童話・詩・随筆などの文芸活動にも励み、『どんぐりと山猫』『小岩井農場』『氷河鼠(ひょうがねずみ)の毛皮』『(心象スケッチ)春と修羅』などを発表。なお、1922年(大正11年)に病弱だった妹のトシ(トシの母校・花巻高等女学校の教諭)の死に際し、賢治は押し入れに頭を突っ込んで声をあげて泣き続けたという。よほどの妹想いだったと想像する。――ここで話は再び冒頭の“イーハトーブアベニュー材木町”に戻る。

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材木町に入ると直ぐに『光源社』という民芸品店・コーヒー店がある。創業者は及川四郎、盛岡高等農林学校時代の賢治の1年後輩。ある日、及川は賢治から分厚い童話原稿を預かり出版を依頼された。2人で考えた本の題名は『注文の多い料理店』、1924年(大正13年)及川の支援による賢治の自費出版である。ちなみに『光源社』も賢治の命名だそうだ。中庭には小さな資料館があり『注文の多い料理店』の初版本、童話『風の又三郎』『銀河鉄道の夜』、詩『永訣の朝』の直筆原稿や(メモ)『雨ニモマケズ』などが展示されている。

1926年(大正15年)頃から農村青年や篤農家に稲作法や土壌改良、植物学などを教えたり肥料設計相談なども行なった。同時に農民たちに芸術の重要性を唱え、レコード鑑賞会やコンサート、子どもたちのための(自作の)童話会なども主催した。1928年(昭和3年)に急性肺炎で自宅療養、創作活動を一時中断するが1931年(昭和6年)頃病気回復、東北砕石工場の技師となって石灰の宣伝販売に県下を奔走する。その無理がたたってか、再び病状悪化、病床で童話の推敲(すいこう)、改稿、創作に没頭するも回復ならず、1933年(昭和8年)遂に独身のまま37年の生涯を閉じた。啄木といい賢治といい、あまりにも早過ぎる天才の死である。なお、没後1年で『宮沢賢治全集』が刊行され、実弟の清六、詩人の草野心平、高村光太郎らの尽力で賢治の人となり作品が世に知られることになる。

限られたスペースで多くを語ることは出来ないが、盛岡の旅で翁は、少年時代からの憧れであった啄木や賢治に少しばかり近づくことが出来たような気がする。彼らの青春は永久に色あせることはない。いつの時代でも若者たちに新鮮な息吹を与え続ける。賢治の論文『農民芸術概論』の中に「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という1節がある。何と、今なお、我々の心に(新鮮に)響く言葉ではないか。人間の生き方について常にグローバルに考えようとした賢治らしい世界観である。次号『(再び)啄木、渋民村の青春』にご期待を願って・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

早起きは三文の徳 @

先日、恵比寿に出かける用事があった。約束の時間がちょうど朝の通勤ラッシュにかかっていたので思いっきり早起きしてついでに近くを散策してみようと朝早い電車で出かけた。
駅を降りて少し歩いた所にレンガ作りの趣のある建物が見えた。その前の一角は素敵なガーデンになっていて手入れの行き届いたその庭には食べられるバジルやミントなど様々なハーブが植えられていた。まだ、あたりは静かで犬の散歩やジョギングをしている人がチラホラいるくらいでここが大都会とは思えないようなホットする空間だった。
 
恵比寿ガーデン 恵比寿ガーデン(ハーブ) 桜の木の下で

そのガーデンをゆっくり見ても約束の時間まで、まだ1時間半もあったので、どこかカフェでも開いていないか探してみたけれど見当たらなかったので、どんどん歩いているうちに住宅地の方に来てしまった。その時に偶然通りかかった大きな桜の木に目がとまった。のびのびと気持ち良さそうに伸びた桜の枝は庭一杯にパラソルのような感じで涼しげな影を作っていた。その桜の木の下でちょうど朝のお茶の支度をしている数人の姿が見えた。朝のひと時を自分の庭の木の下でお茶を飲むなんて素敵な時間を過ごしているな〜と…その様子を見ている私に気がついた1人の女性と目があった。その瞬間、彼女はにっこり私に笑いかけてくれた。まるで私の気持ちを読みとったように″良かったら、一緒にお茶でも飲んで行きませんか?″と見も知らずの通りすがりの私に声をかけてくれた。その瞬間、私も即答で″ありがとうございます。それでは遠慮なく ″と何のためらいもなく彼女たちのお茶の時間に参加させていただいた。聞くとその家のオーナーの女性は日本舞踊の先生であり奄美舞いの創始者でもあるそうで、奄美舞いとは天と地を、舞う人の心と体を通して一つにつないでいく踊りなのだそうで全国あちこちのパワースポットを巡って大地を癒しながら踊っているそうだ。その日は、ちょうどお弟子さんが地方から先生を訪ねて泊りに来ていた時だった。その先生の奄美舞いの写真を見せていただいたら、ふと天女の羽衣を思い出してしまった。先生もこの家の桜の木に呼ばれて、ここに住むようになったとそんな不思議な興味深い話を聞きながら、いつの間にか、その空間は世俗的な社会から離れた何だか異次元の遥か彼方の天空のお茶室で話しを聞いているような感じだった。
人の出会いは不思議なものだ。その日、その時間、そこへ行かなかったら出会えなかった人、また出会っても通り過ぎて行くだけの人もいる。突然の見知らぬ私を自分のプライベートの空間に誘ってくれた奄美舞いの先生は何だか初めて会ったような気がしなかった。
やっぱり早起きは三文の徳だな〜と。こんな風に素敵な出会いもあるのだな〜と…

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

ジャズの楽しみ方、音楽の楽しみ方は人によっていろいろあると思います。音楽は音を楽しむということですから、生活の中で音を楽しみリラックスできればそれでいいと思っています。私の場合はジャズが最も聴きやすくリラックスできるから聴いているだけです。音自体にこだわっているわけではないので高額のオーディオ機器は必要ありません。ネット通販で買ったケンウッドのCDプレーヤーと近くの電器量販店で掘り出し価格で売られていた展示品のスピーカーで十分楽しめています。ジャズは知らないことばかりなので、アーティストやアルバムについてちょっと調べてみると面白いことがわかるので、より楽しく聴くことができます。
今日ご紹介するアルバムはドイツのレーベルINFRAComでMatthias Vogt Trioの"Changing Colours"です。クラブジャズというジャンルのジャズです。クラブジャズはもともとは踊りのためのジャズだそうですが、普通のジャズとどう違うのか調べてみてもよくわかりません。
どのジャンルであれ私には心地よく聴こえるいいジャズです。

"Changing Colours"  Matthias Vogt

01-The Look Into Your Eyes
02-Circle of Friends
03-The Watermethod Man
04-Expecting Repercussions
05-Scarlett
06-Changing Colours
07-Down The Wind
08-Nr_ 12
09-With A Smile
10-Pilot

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

ピラティスのクラスで教えてもらった簡単なマッサージをご紹介します。
右手でチョキをつくり、それで左の鎖骨をはさみ、指の腹で外側へさすります。
人差し指の腹があたっている鎖骨の内側に痛みがあるとそれが老廃物です。
それをこすってリンパに流してやることで肩こりや目の疲れなどが和らぎます。
右の鎖骨のところも左手でチョキをつくって同様にやります。簡単ですから試してみてください。

関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

関西加洲会で雑貨屋のことを紹介しましたが、雑貨屋に皆様のアドレスを送って下されば、配信リストに乗せ、毎週配信させていただきますので、どうぞ送ってください。それ以外の目的で使用することはありませんのでご心配なく。関西加洲会の方に限らず、雑貨屋の読者で配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.890

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com