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NO.889             Ryo Onishi              5/26/2013  

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雑貨屋のひとり言

オクラホマ州で発生したとてつもないスケールの竜巻が、平和に暮らしていた人たちを突然なんの予告もなく破壊してしまいました。本当に恐ろしいことです。
自然災害の前では人間は無力だと思います。全てを失った方がインタビューで「命が助かっただけでも幸いで、またやり直します。」という前向きな言葉が印象的です。自分ならそんなことが言えるだろうかと考えてしまいます。犠牲になられた皆さんのご冥福と、一日も早い復興をお祈りします。

三浦雄一郎さん(80歳)のエベレスト登頂はちょっと元気の無い日本の中高年の皆さんに夢と勇気を与えてくれたと思います。やりたいことがあること、そしてそれにチャレンジしようとする姿勢は見習いたいものです。≪R.O≫

 

「奇跡の学校」と有元史郎

私学の創設者として福沢諭吉(慶応義塾大学)、大隈重信(早稲田大学)、新島襄(同志社大学)、津田梅子(津田塾大学)などなど、すぐ思い浮かべる有名人は多くいますが、技術分野で多数の有為な逸材を輩出してきた芝浦工業大学の創設者である有元史郎については、一般にはあまり知られていません。

昨年(2012年)11月にこの有元史郎の生涯を記した本(「奇跡の学校、有元史郎と四人の技術者たち」(愛育社刊)がノンフィクション作家の大倉直氏の執筆により出版されました。

実は、この本の中にも出てきますが、有元史郎の娘さんである美佐子Hensonさんは現在、当地ロサンゼルス郊外のレドンド・ビーチ市に住まわれ、日米文化交流に幅広く尽力されています。以前、新聞でこの美佐子Hensonさんが芝浦工大創立80周年を記念し、寄付によって併設校を対象とした有元史郎奨学金が創設された記事を読みました。「父母に倣って私の持てるもの全部を捧げて」とのことで、感動しました。今回、彼女から「父に関するこんな本が刊行されました」と贈っていただき、読ませてもらったわけです。

有元史郎は恵まれぬ家庭の事情から筆舌に尽くしがたい苦労をしながらも勉学意識だけは保持し続け、通常の学生にくらべれば、6年間も遠回りをして東京帝国大学に入学したのでしたが、1927年(昭和2年)、弱冠30歳、しかも自身がまだ大学生の身分であったときに東京高等工商学校(のちの芝浦工業大学)を開校させたのです。

史郎が学校をつくった当時の日本は、若者たちにとって、国のために役立ちたいという気持ちはごく自然なことであったようです。史郎が学校を開いたのも、ひとつの目標を立てたら、それに向かって突進する、彼の性分のなせる業であったのでしょう。

史郎は、国土も狭く、資源もない日本が欧米と肩を並べるためには、工業立国を目指すしかないと確信し、それまでの徒弟制度にかわる教育機関をつくろうとしたのでしょう。そしてその技術者たちによって工業立国の基礎をつくり、日本の国力をさらに高めようとしたのです。

もちろんこのような遠大な計画は史郎ひとりの力では達成不可能であり、彼はあらゆるコネクションを駆使して協力者をひきつけます。今回の本ではサブタイトルでもある「四人の技術者たち」として、名井九介(土木)、宮本武之輔(土木)、長野悌介(冷凍工学)、松縄信太(度量衡の統一)についてもその業績が紹介されています。

五つの学士号を持ち、幅広い知識と信念の人であった史郎でしたが、東京高等工商学校を開校させてから11年後、残念ながら道半ば、41歳の若さで不遇のうちに世を去ることになります。

史郎は開校当初から講義録の編集、出版を実践し、学びたくとも学校へ通えない若者が独学できる教材を提供し、自分の学校というより、日本という社会全体の発展をめざしたり、全学科に「倫理学」の講座を設け、人材の育成につとめるなど、他に類をみない画期的なシステムも取り入れていたようです。

最近、デフレ低迷を続けてきた日本の国力に対し、アベノミクス「三本の矢」が話題になっています。一本目と二本目の「大胆な金融緩和」、「機動的な財政出動」は現時点ではうまく機能しているようですが、三本目の「民間投資を喚起する成長戦略」はこれからどのように進めるか正念場です。この成長戦略により、持続的な日本の経済成長につなげるためには、産業の新陳代謝の円滑化をはからねばなりません。肝心の企業再生、競争力復元につなげなくては意味がないからです。

日本の問題点は競争力が相対的に低下していることではないでしょうか。造船、鉄鋼、電機、工作機械など多くの製造業は、いまや競争力に欠ける弱い設備を抱えている状態です。強力な新興国の台頭を座視できません。

このようなときこそ有元史郎のような国家レベルに立った発想力、実行力、統率力が求められます。今回の「奇跡の学校、有元史郎と四人の技術者たち」は現在に相通ずる問題点を提起している点で時宜を得た読み物であると思い、私は感動のうちに一気に読みました。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


方円の器で雑魚の処世術

枠組みの中で持論が吠えている

逸る気に負けるが勝ちを言い聞かす

本音吐き出して虚しい喉仏

正義派の波紋万波に飲み込まれ


( ニュースやぶにらみ )


「神罰発言」

安らかに眠れません ―原爆碑

「受信障害多発」

電波塔だったんだっけ −スカイツリー

「阪神、2安打で5点」

アベノミクスみたいだな ―日本経済


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(280)「啄木・賢治、盛岡の青春」(その1=啄木編)

2004年に靖国神社第9代宮司に就任された南部利昭氏(南部家第45代当主=2009年1月7日、昭和天皇20回目の命日祭を終えた後、神社の執務室にて急逝、享年75)から「盛岡には平安時代からの深い歴史あり、政治・学術・教育・芸術・文化に生きた先人も多く、石川啄木や宮沢賢治が愛した街です。是非、いらっしゃい」とのお誘いをいただいていた。
岩手県の中央部、古くは不来方(こずかた)と呼ばれた盛岡及び隣接地には、確かに興味深い歴史が詰まっている。平安時代の初期、桓武天皇の下命で征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷(えみし、えぞ=大和朝廷時代、今の東北地方や北海道地方に住む人々を異族視した呼称)の首長アテルイを滅ぼした話、安倍氏・清原氏の戦い(前九年の役)、清原氏の内紛で奥州藤原氏が台頭(後三年の役)、時代は下って安土桃山時代(織田信長〜豊臣秀吉の時代)に南部氏が盛岡城を築いて江戸末期まで南部藩として栄えた話など、歴史好きの翁にとっては垂涎の地である。近代において翁が知っている盛岡の先人と言えば、政治家では原敬(第19代首相)、米内光政(第37代首相)、鈴木善幸(第70代首相)、学術・教育では新渡戸稲造(農学者・教育者・哲学者・東京女子大学初代学長、英語版『武士道』の著者)、金田一京助(言語学者・民俗学者=アイヌ語研究者)、芸術では深沢紅子(日本女流画家の草分け)、そして何と言っても翁が中学生の頃から憧れていた石川啄木や宮沢賢治に近づきたい衝動にかられることしばしば。いつかは南部利昭氏のお誘いに応じたいものとその機会を窺っていたのだが、たまたま今『啄木祭』(6月9日まで)が行なわれていることと、今年は宮沢賢治没後80年という節目の年にかこつけて(遅ればせながら)やっと“盛岡の旅”を実現させた次第である。
“初めての盛岡行き”を心配してくれた(盛岡市を熟知している)親友の歯科医・Y先生(岩手医大卒業)から懇切丁寧なアドバイスを受けての旅だった。盛岡駅を降りると、早速、駅前広場の啄木の歌碑が出迎えてくれる(写真左)。≪ふるさとの山に向ひて 言ふことなし 
ふるさとの山はありがたきかな≫。ふるさとの山、とは岩手山のことだろうか?駅から10分ほど歩いて北上川に架かる開運橋から見る残雪の岩手山が実に美しい(写真右)。

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Y先生から教えて貰った見どころ、例えば国の天然記念物『石割桜』、『報恩寺』(五百羅漢)、国の重要文化財『岩手銀行旧本店』や『旧九十銀行本館』、鬼の手形伝説『三ツ石神社』、『原敬生家』、『紺屋町番屋』、『旧岩手医学専門学校』(現岩手医科大学=Y先生の母校)など、ほとんど観て回りそれぞれに感銘を受けたが『余話』では、敢えて啄木と賢治に絞り、盛岡における2人の“ほとばしる青春“をクローズアップしたい。盛岡は、望郷の天才詩人・啄木と、“イーハトーブ”(宮沢賢治の造語で理想郷の意)を夢見た賢治の、2人の青春を育んだ街。と言っても、賢治は啄木より10歳も年下だから2人が同時期にこの街で過ごした形跡はない。ただ、賢治は盛岡高等農林学校時代、学友たちに「我が郷土に天才詩人あり、誇りなり」と啄木を自慢し、敬愛していたそうだ。

そこで今号は『啄木・賢治、盛岡の青春』(その1=啄木編)をお届けする。石川啄木(本名は一:はじめ)は1886年(明治19年)に岩手郡日戸村(現盛岡市玉山区日戸)の(父親が住職をしていた)常光寺で生まれ、翌年、父親が(隣村の)渋民村・宝徳寺の住職となったのを機に、一家で渋民村(現盛岡市玉山区渋民)へ転住。啄木にとってこの渋民村こそが“ふるさと”なのである。明治24年に渋民尋常小学校へ。明治28年に盛岡高等小学校(現下橋中学校)へ、そして明治31年に盛岡中学校(現盛岡一高)へと進み、のちの言語学者・金田一京助との親交によって急速に文学への関心を高めるようになった。市内のあちこちに啄木の歌碑が建てられているが、啄木が授業を抜け出して散歩したり、草叢に寝転んで文学書や哲学書を読み耽ったと伝えられる盛岡城跡公園(不来方城址)(写真上左)に建つ歌碑≪不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心≫(写真上右)は、金田一京助の揮毫によるものだそうだ。なお“十五の心”とは、啄木の文芸への燃える心か、それとも、共に13歳の時に出会い、互いに恋仲になっていた(のちに啄木の妻となる)堀合節子を想って15歳の啄木少年は心を疼かせたのか、翁は(勝手に)後者を選択したい。

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C:\Users\nagao\Documents\盛岡57.JPG ☆Now&Here☆日本ぐるりん旅日記 C:\Users\nagao\Documents\盛岡59.JPG

市内の中心部に(茅葺の)『啄木新婚の家』が保存されている(写真下)。入り口の案内板によると(概要)啄木は明治35年に文学で立身することを決意し盛岡中学を中退して上京、与謝野鉄幹・晶子夫妻の知遇を得て創作活動に没頭する。明治38年5月、東京で処女詩集『あこがれ』を出版、それを土産に帰郷の途についたが、金策の必要から仙台で下車して友人の土井晩翠(詩人)を訪ね借金、その金で遊び回って10日間も仙台に滞在。その間、啄木家では月末に結婚式を挙げるべく、婚約者の堀合節子は勿論のこと、両方の家族や友人たちが啄木の帰りを待ちわびていた。しかし啄木は(結婚式当日)遂に姿を見せなかった。友人たちが節子の心情を気遣って慰めの言葉をかけたが、節子は「大丈夫です。彼(啄木)は必ず私のもとへ戻ってきます」と豪気に言い放ったという。当日は、仕方なく友人たちの音頭取りで“花婿のいない珍妙な結婚式”が行なわれた。もともと啄木との結婚に猛反対だった節子の父親・堀合忠操(士族で官吏)は、啄木のこの身勝手な振る舞いに対していかほどに激怒したものか想像するに難は無いのだが、よくも“花婿のいない珍妙な結婚式”を許したものだ。啄木がようやくこの家に顔を見せたのは、それから6日後のことだった。ここで初めて新婚の夫婦と両親、妹光子の5人が揃っての家庭生活が始まる。時に啄木20歳。この家で起稿した随筆『閑天地』の中の『我が4畳半』に啄木が節子と初めて暮らした様子が詳しく描かれ、岩手日報に21回連載され“石川啄木”の名が次第に高まりを見せるようになる。

ここで読者各位にお断り――タイトル『啄木編』としながら本号ではやっと“望郷の天才詩人・啄木”の入り口に立ったばかり。そこで、啄木と妻節子、妹光子に関しては2週後の『余話』で改めて語らせていただくことにして、次号の『盛岡の青春』(その2=賢治編)にご期待を乞いたい。宮沢賢治もまた、翁の青春時代に“雨ニモ負ケズ”で影響を与えてくれた詩人・童話作家であったのだから・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

木材まつり2013

今年の木材まつりのテーマは ″飛躍 ″爽やかなブルーのシャツに白い文字で力強く書かれた文字が印象的だ。毎年、社長が決めるこの言葉には、その年その年に込められた願いと思いが込められている。そのこだわりの2文字から社長のパッションがひしひしと伝わってくるようだ。
昨年の木材祭りは300人ぶんのカレースープ作りにスタッフの人を巻き込んでお祭り本番前にすでに大騒ぎだった。
今年はちょっと志向を変えてチョコレートブースを作って頂く事にした。チョコレートの原料になるカカオはカテゴリーとして実はスパイスにも入る。昔はこのチョコレートは飲み物として先住アメリカ民族(アステカ)の人に飲まれていたようで神様への捧げものとしても貴重な飲み物だったらしい。昔は薬としても飲まれていたようで最近でもチョコレートの中の成分ポリフェノールや鉄分が体や心にもいいと注目されている。
今回は米国から購入してきたチョコレートファウンテンの機械を持参した。溶かしたチョコレートをそこ

に注ぐと泉のようにチョコレートが流れ出てくる仕掛けだ。そこに竹串で刺したマシュマロやバナナをチョコレートに付けて食べてもらうのだ。今回は当日の早朝にブースのセッティングをすればいいだけなのでぶっつけ本番でチョコレートファウンテンを使用する事にした。
友人のYさんにそのチョコレートブースの話をすると、早速チョコレートをイメージしたエプロンを作ってくれた。″エプロンのポケットは取り外しが出来て鍋つかみにも使えるようなものがいいな〜。ポケットはカップケーキのイメージで ″と勝手な事をリクエストした。日数もあまり無い上に忙しい中、彼女は何とエプロンに合わせた帽子まで作ってくれていた。おまけに服に合わせて表と裏も利用出来るようにとリバーシブルのエプロンが出来上がった。流石Yさん、長年、洋服の業界に携わってきただけに私のイメージ通り以上のものを作ってくれた。彼女は洋服のリフォームから編み物、小物作りから料理までと何でも器用にこなす。+そのセンスには脱帽する。
木材祭りの本番当日、食事前に早くもチョコレートファウンテンの機械に興味を持った子供たちが数人
 

集まってきた。チョコレートファウンテン用に使うチョコレートを鍋にあけて湯銭をかけて柔らかくした後にチョコレートファウンテン用の機械に注いだ。これで泉のようにトロトロとチョコレートが流れて、、、、というはずだったのに、何とスイッチを入れても、なかなか機械が温まらずチョコレートがうまく流れてこない。機械に張り付いたまま動かないチョコレートはまるで泥で汚れた機械のようで、ちっとも美しくない。このままの状態ではチョコレートをディップすることも出来ないので焦ってしまった。かくなる上は色気の無い大鍋から溶かしたチョコレートをつけてもらうしかないかなと考えていたらようやく30分後にトロトロとチョコレートが流れはじめたのでホットした。
今年は準備不足でチョコレートセミナーの用意までは出来なかったけれどスパイスを使った足浴と手浴後のマッサージサービスをブースの脇で試させていただいた。子供たちにはチョコレート、大人たちにはマッサージが喜ばれた。
木材祭りに参加させていただいて今年で3回目。毎年この時期が楽しみになった。
さて、来年はどんなブースにしようか今からあれこれ考えてワクワクしている。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

一週間があっという間に過ぎ週末はいつものようにアルバム選びです。気がついたら350回以上のアルバムを紹介していました。このコーナーがなかったらこれほど幅広いジャズアルバムを聴くことはなかったと思います。これからも素晴らしいジャズに出会えることを楽しみにしています。今日、ご紹介するアルバムは"西山瞳トリオ"の"Music On You"です。
ジャズですがクラシックのピアノを聴いている感覚もあります。このアルバムは美しくさわやかなピアノの音色で心が落ち着きます。
西山瞳は1979年11月17日生まれで大阪府在住。

"music in you"  西山瞳トリオ
01-Standing There
02-Kinora
03-Pictures
04-Unfolding Universe
05-Just By Thinking Of You
06-Slovak Young Men's Dance
07-T_C_T_ 〜Twelve Chord Tune〜
08-Pathos
09-Syneya
10-Exhibiting the _NOW_
11-Music In You
12-Pictures

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

4月からスポーツジムで始まった土曜日のピラティスクラスに毎週通っています。
ピラティスのクラスは50分間ですが内容は大変濃いと思います。ピラティスはインナーマッスルをゆるやかに鍛えます。私の目指す歩行時の姿勢を良くすることができます。

ピラティスはドイツ人のジョセフ・ヒューバタス・ピラティス(1880-1967)が第一次世界大戦中に強制収容所で傷ついた兵士たちのリハビリを手伝っていた時に生まれたエクササイズです。戦争後、ピラティス氏はアメリカに渡りニューヨークでピラティスを広めるためにスタジオを開いたのが始まりです。

関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

関西加洲会で雑貨屋のことを紹介しましたが、雑貨屋に皆様のアドレスを送って下されば、配信リストに乗せ、毎週配信させていただきますので、どうぞ送ってください。それ以外の目的で使用することはありませんのでご心配なく。関西加洲会の方に限らず、雑貨屋の読者で配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.889

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com