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NO.884             Ryo Onishi              4/21/2013  

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雑貨屋のひとり言

4月19日、第15回関西加洲会に出席しました。昨年までお世話になった花菱の会場から変わり、今回は大阪肥後橋にある住友クラブで開催されました。久しぶりにお会いする方、初めてお会いする方(参加者:男性37名、女性9名)が集い大盛況でした。田渕さん、幹事ご苦労様でした。感謝です。若い方も増えてきたのでこれからの発展も期待できそうです。
私にとっての驚きは、この会場で高島さんと3年?ぶりに再会できたことです。関西加洲会で出会うなんて不思議な縁でつながっているんだなあと思いました。≪R.O≫

 

癌手術後二年経ちました

一昨年、私の十二指腸周辺の膨大部に癌がみつかり、入院切除してからこの4月18日で満二年が経過しました。この間、癌専門医による血液検査、CTスキャン検査(レントゲンによる体内横断撮影)などを定期的に受けてきましたが、幸いなことに、今のところ癌の再発、転移は見られないということで、経過は順調のようです。私の手術についてご心配いただき、励ましていただいた皆さまにご報告申し上げ、改めてお礼申し上げます。

二年前に癌が見つかるまで、私は癌の予兆などまったく感じていませんでした。なぜ癌が見つかったかというと、私がその半年前から腎臓障害で透析を受けており、腎臓移植を希望したことが始まりでした。

臓器移植を受けるためには当然、当該臓器以外が健康状態でなければなりません。そこで腎臓移植専門医の手配で精密検査を受けることになり、頭のてっぺんから足の先まで数日かけて綿密に調べられました。

その結果、超音波検査、MRI(磁気共鳴画像装置)、CTスキャン検査、内視鏡検査などによる集中検査がなされ、結果として十二指腸周辺に異常がみつかり、癌が確認されたのでした。非常にむつかしい部位で、発見が遅れたら生命にかかわるところでした。私にとって腎臓障害 → 透析という災難が臓器移植希望 → 癌の早期発見につながったわけで、このような状況下で早期発見にいたったのは、私にとってたいへんラッキーなことでした。

このため腎臓移植の申請は中断状況にあり、しばらくはこのまま透析を継続しなければなりませんが、癌の早期発見につながり、生命をさらに永らえることにつながったのですから、運命に感謝しています。

二年前にも書きましたが、手術は胃の大部分、十二指腸、小腸の一部までを切除し、さらに十二指腸につながっている膵臓ほかの臓器をつなぎ合わせたのだそうで、執刀医のドクターによると、私の腹の中で5箇所の臓器をつなぎ合わせ、5時間以上もかかる大手術だったそうです。

二年経過した今、やはり体力の衰えはいかんともし難く、体重も25Kg以上減りました。また、これは手術が理由ではなく、透析による血圧の不安定、血糖値管理(インシュリン注射)その他の原因によると思われますが、しばしば突然のめまいにおそわれるため、車の運転は遠近にかかわらず妻に頼っているのが現状です。

実は数週間前の3月中旬、私はちょっとした入院騒ぎを起こしてしまいました。3月19日、定例の癌専門医による手術後の経過観察のため、CTスキャンを受けに妻の運転で市立病院へ出かけたところ、病院の駐車場から病院内まで歩いて行く途中で突然体調がおかしくなり、院内のCTスキャン受付に辿りついたところで倒れてしまいました。

場所とタイミングが最高(?)というか、すぐ病院関係者が駆けつけてくれ、即座に車椅子で救急ユニットへ運ばれ、措置を施され難なきをえました。まさに不幸中の幸いでした。もっとも、私自身が意識がなくなり、覚えていないのは、ほんの1−2分程度で、救急ユニットに到着した時には意識はほぼ正常に近いところまで戻っていました。

ただ、結果として、これまでの私の病歴も関係してか、徹底的に検査にまわされました。当日は終日、病院で一泊して翌日も夕方まで各種検査がありました。

検査の結果、私の心臓機能に障害がみつかり、4月に入って再入院となりました。今回も同じ地元トーレンスの市立病院(Torrance Memorial Medical Center)でしたが、前回と異なり、Cardiology(心臓)病棟でした。

精密診断の結果、私の心臓周辺の血管に詰まりが生じ、それを広げるためのステント処置(太腿の付け根の血管からチューブを挿入し、心臓の該当部の血管を広げる)措置がなされることになりました。私自身は麻酔状態で意識はありませんでしたが、処置自体は1時間程度だったようで、無事終了しました。ただ、太腿の出血が完治するまで二泊の入院となりました。

これも先に偶然、病院で倒れ、救急ニットへ運ばれ検査を受けた結果判明したものであり、早期発見・早期治療に結びつき、私にとって結果としてラッキーだったといえます。

今回の入院、手術にあたってこの病院の心臓専門リハビリ部門から今後のリハビリについて詳細にわたる説明がありました。今後の体力強化のためにもこのようなプログラムをおおいに利用したいと考えています。前回の入院時のときも書きましたが、これだけの病院ともなると治療だけでなく、アフター・ケア、フォロー・アップの体制もしっかりしていると感心するばかりです。

リハビリを通して体力を改善し、またあちらこちら自由に旅行が出来るようにしたいと思っています。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


ケーキより団子 モナリザより女房

夫婦仲苦笑している古畳

妻に似てきた娘にも叱られる

奥さんに内緒と他愛ない話

白メシとお新香妻も飢え世代


( ニュースやぶにらみ )


「爆弾テロに連続地震」

不言実行とはすごい −北朝鮮

「衆議院選挙以降の離党議員4人目」

0増5減はなんとしても食い止めたい −民主党

「百円マック値上げ」

アベノミクス協賛 −マクドナルド


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(71)
*岡田銀行頭取邸
団子坂上交差点から坂を下る途中まで、左側に石垣が築かれています。そこが岡田邸のあった所です。明治期に盛んだった団子坂の菊人形の風俗画にも、既に岡本邸の石垣が描かれています。戦後宮城県宿舎萩風荘になり、現在は東洋大学の国際会館が建っています。
岡本銀行を興した善七は千葉県で生まれ、21歳の時に江戸橋の山崎屋新七という両替屋の丁稚に入ります。その時の同輩に安田善次郎(安田銀行の創立者)がいました。明治4年に山崎屋が閉店したのを機に、善七は日本橋で両替店を開き、明治23年、岡本銀行を創立し、一代で財をなした人です。
 以下は『谷根千8号』を参照しました。
 二代目の善次には前妻の子が5人、後妻の子が5人、銀行家として活躍するより、骨董品の収集などに一生を過ごしましたとは、孫の典子さんの話です。その典子さんの話の続きです。「大都映画の『紅とかげ』で近衛十四郎、水谷八重子などが撮影にみえて、うちが柳沢家の御殿という設定で巻物を奪うチャンバラのシーンを撮りました。映画女優さんが〈こんなお邸でお育ちになるお嬢様はお幸せね〉とおっしゃったけど、内情は複雑だったのですよ。(略)妹のお雛様は光雲さんに作って頂いた。額にダイヤをはめこんだりしたそれはすばらしいものでした」
大正5年時事新報社の『全国五十万円以上資産家』という資料(東京府594名の内千駄木在住者6名)の中に岡田善次の名があります。

龍翁余話

龍翁余話(275)「京都・古刹巡り」(その1)(拡大版)

かつて、TV番組取材で頻繁に海外に出かけていた頃、出会った外国人から『古都・京都』について質問されることが多かった。「8世紀の末から明治に至るまでの1000年以上もの長きに亘って天皇が住んでおられた日本の首都であった」という中学生程度の説明では答えにならない。何故なら、翁に質問してくる外国人は多少とも『古都・京都』についての知識を持っている人が多かったからだ。したがって翁も、もう少し具体的な説明が出来なければ日本人の恥じと思って“俄か学習”を始めた。特に1994年に『古都・京都』が世界遺産に登録されてからは上賀茂神社、下鴨神社、清水寺、苔寺、高山寺、仁和寺、金閣寺、銀閣寺、天龍寺、龍安寺、西本願寺、東寺、醍醐寺、二条城(以上は京都市内)、平等院、宇治上神社(以上は宇治市)、延暦寺(大津市)についての“目学問(資料読み)”や“耳学問(知識人の話を聴く)”に努めた。

しかし、いくら目学問・耳学問をしても“実観”に勝る知識はない。“百聞は一見にしかず”を“実感”したのが今回の『京都・古刹巡り』であった。そしてその機会を与えてくれたのは、何と(以前にも『余話』で紹介したことのある)ハワイ本願寺クアイア”(聖歌隊)のグループ。メンバー(約50人)全員がシニア世代で、元大学教授、高校教師、法律家、政治家、ジャーナリスト、音楽プロデューサー、ピアニスト、映画・舞台俳優、軍人など多士済々。今回来日の18人は、西本願寺で日本側の聖歌隊と合同の“御堂演奏会”出演と『京都・古刹巡り』が主たる目的で、翁はそのツアーに誘われ便乗させて貰った次第。

翁、中学後半から高校卒業までの足掛け4年も神戸で過ごしたのに、その間、京都に行ったのは五山送り火(大文字焼き)と京都大学見学の2回、それに数年前、親友と約3時間の“駆け足バスツアー”で銀閣寺と清水寺を回っただけ。故に、新幹線で京都駅に降りた時から、そこは“異国”の観であった。

西本願寺正門 御影堂前の大銀杏 御影堂前の広場

さて、本来のエッセイ構成であれば“西本願寺とは”から論じなければならないのだろうが“知らぬは翁ばかりなり”、それを無理して書こうとすれば所詮は資料頼りになってしまうので、今回は、翁がこの目で観た文化財の“実感”と既知識を中心に筆を進めることにする。まずは下京区堀川花屋町にある西本願寺正門をくぐった先の御影堂前の大銀杏(京都市天然記念物)に目が奪われる。同寺のHPによれば樹齢約400年、根っこを天に広げたような形から“逆さ銀杏”、あるいは昔、火災の際、この銀杏から水が噴き出して消火したという伝説から“水吹き銀杏”とも呼ばれているとか。御影堂(一般的には「みえいどう」、西本願寺では「ごえいどう」)とは、寺(宗)の開基(開祖)の御影を安置する堂(開山堂、祖師堂)のこと。幕末に京都市中を震え上がらせた武装集団・新撰組が(壬生郷・八木邸と前川邸のあと)第2の屯所としたのがここ西本願寺。御影堂前の広場で実弾射撃演習をしたからお寺としてはたまったものではない、新撰組を庇護していた京都守護職(会津藩)に申し出て屯所を他に移して貰った。その移転先が堀川道塩小路の“不動堂村”。偶然にも、このたび、ハワイ本願寺クアイアの人たちと翁が宿泊した京都駅近くの“リーガロイヤルホテル京都”が新撰組最後の屯所、同ホテル敷地内に“新撰組不動堂屯所跡”の石碑があり“誠”の文字と近藤勇の和歌が刻まれているとか(写真を撮りそこなった)。

西本願寺には、国宝としては白書院及び対面所、黒書院及び伝廊、北能舞台、飛雲閣、唐門、親鸞聖人像などの10点、重要文化財としては御影堂、阿弥陀堂(本堂)、南能舞台などの建造物のほか絵画、経本、詩歌など美術工芸品の25点。その他、名勝・史跡が多くある。撮影が許され、翁が特に印象的だった国宝の建造物をいくつか紹介しよう。

北能舞台 飛雲閣 唐門

白書院の南北にある能舞台のうち『北能舞台』は江戸時代初期に建造されたもので、現存する能舞台としては最古のものとされている。『飛雲閣』は金閣・銀閣とともに京都三大閣の1つ。豊臣秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい)の一部で3層からなる楼閣建築。1階は池から舟で直接入れる“入舟の間”と“茶室“、上段・上々段に“主賓の間、『飛雲閣』は原則非公開だが、外観だけは期日を限って公開される。寛ぎと遊興(親睦)を主眼とする数奇屋風の趣が感じられた。建築年は定かではない。もう1つの国宝――華麗なる桃山文化の粋を伝える『唐門』は、唐獅子と牡丹、麒麟と雲、虎と竹林、鳳凰、龍などの見事な彫刻がズラリ。1日中眺めていても飽きないことから”日暮れ門“の俗称もある。そう言えば、昨年秋に参詣した日光東照宮の陽明門も同じような彫刻が施され”日暮れの門“と呼ばれている。

西本願寺に参観したら、当然、東本願寺にも・・・これから先は単独行動だ。西本願寺前の堀川通りを横切って向かい側の門前町を歩いていたら、和風の街中(まちなか)に突然、 レトロな西洋風レンガ建て(写真左)が現れた。入口の説明版に「『本願寺伝道院』1912年(明治45年)伊東忠太の設計による」

と書かれている。伊藤忠太(1867年〜1954年)は明治から昭和にかけての建築家(東京帝大教授、工学博士)、翁と多少の縁がある山形県米沢市の出身、これまた翁と因縁の深い靖国神社の神門や遊就館(博物館)をはじめ、築地本願寺、明治神宮、上杉神社(米沢市)などを手がけた神社仏閣建築(設計)の大御所・伊東忠太の作品(建築物)に出会うとは、前記の翁たちのホテルが新撰組最後の屯所跡であったことといい、嬉しい偶然があるものだ。これも西本願寺参詣のご利益か・・下京区烏丸七条にある東本願寺は現在工事中で正門は閉じられたまま(写真中)。臨時門から入って御影堂で参拝。ここは、西本願寺の派手さはないが、これはこれで重厚な趣を感じる。西も東も本願寺の開祖は親鸞だから基本的には同じだが分離の歴史は複雑なので省略。即座に翁が言える違いは≪南無阿弥陀仏≫をお東は「なむあみだぶ」お西は「なもあみだぶ」と唱えることぐらいかな?

東寺北門の八重桜 国宝・御影堂 国宝・五重塔

南区九条町にある東寺(とうじ)も世界遺産の1つだ。八重桜が満開の北門から入る。比較的静かで落ち着いた雰囲気の境内だ。御影堂(弘法大師堂)と五重塔は国宝。五重塔の高さは54.8mで木造塔としては日本一だとか。かなり時間をかけて見学した。

地図を片手によく歩いた。“百聞は一見にしかず”――西本願寺も東本願寺も東寺も、翁の網膜(脳ライブラリー)へしっかりと収まった。今後、誰からか質問されても、この3箇所については“実感”として答えることが出来る。いや、『京都・古刹巡り』はまだ続く。次回は大原の古刹巡りだ。三千院や寂光院、宝泉院など、翁にとってはいずれも初めての“巡礼”である。ハワイ本願寺クアイアの面々との親睦がいっそう深まった。そればかりではない、行く先々の聖地で出会う人々(日本人、外国人)が皆“ともだち“に思える旅であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

雑貨屋の皆様、
2週間も原稿を書くのをお休みしてしまいました。というのも母が体調不良の為、予定より早くロスアンジェルから日本に帰ってきました。母は近いうちにN医療センターで入院して精密検査を受ける予定でしたがその前に具合が悪くなり先々週の週末にその病院に緊急入院する事になってしまいました。週末でしたので月曜日まで当直の先生に見ていただき月曜日からいろいろ精密検査を受けた上で治療方針を決めるという予定でした。ですからその時点では、まだ主治医の先生も決まっていない状態でした。
母にとって入院など今まで経験をした事もありませんでしたし今までこれといった大きな病気をしたこともなかったので本当にびっくりしました。母は2月の下旬は近くの公園に梅祭りを見に往復1時間歩いて出かけられるほど元気だったのに3月に入って寒さと冷えが重なって突然、具合が悪くなりました。点滴と痛み止めで何とか週末は持ち堪えましたがその週末は、私たちにとって、とても長い時間に感じました。
そして先週の月曜日の朝の事です。始発のバスに乗って早々母のいる病院を訪れた時12階のエレベーター前で外科医であり副院長でもある先生と偶然お会いしました。E先生のお顔は病院のホームページを見ていましたし病院内にある書店でもE先生のお書きになった本は見かけていましたので、すぐにE先生だとわかりました。何の面識も紹介もないのにいきなり″母の件でご相談したい事があります″と言うと先生は″いいよ、今日は午前も午後も外来の患者さんがいるので12時頃に私の所にいらっしゃい″と快くお返事をしてくださいました。
何がそんなに私を急がせたのかわかりません。とにかく早く何とかしなければいけないという切迫した強い気持ちが私を突き動かしました。
先生のオフィスの前で待つこと40分、それでもまだ外来の患者さんは2組先生の受診を待っていました。まだまだ長くかかりそうだと思っていたその時、先生のアシスタントの方に呼ばれて先生のオフィスに入れていただきました。中に入るとE先生はすでに母が外来で検査をしていた時のCTスキャンやレントゲンの資料に目を通していらっしゃいました。そして私にわかりやすく的確な説明をしてくださいました。そしてN先生はポケットから手帳を出すと ″来週まで待たせるのはかわいそうだからこの木曜日、この日は手術が3件あるけれど、この日にやりましょう″と言ってくださいました。
その時は飛び上がりたいほど嬉しくて、すぐに走って母の部屋に帰りその事を告げました。突然の手術の決定にもかかわらず母も覚悟が出来ていたのか何のためらいもなく、すぐに手術を承諾しました。異例の速さで事態は急展開になりました。直談判して良かった。
本当にそう思いました。N先生と話した後は不思議に不安が消えて心が落ち着いて今までの霧がスーっと晴れて行くような感じでした。
ふと気がつくと外は新緑の季節、日本に戻ってきた時は桜が満開でしたが、そんな桜を眺めている暇もなく日本に戻るとすぐに母と外来で診察に明け暮れる毎日でした。偶然出会ったN先生との出会いが母の命を救ってくれました。9時間にも及ぶ難しい手術でその日は朝から晩まで病院の中で母の手術の成功を祈りながらずっと待っていました。
手術が終わった後、麻酔から目が覚めた母は力ない、か細い声で ″E先生ありがとうございます。先生は命の恩人です。″そう母は言った。
現在は手術後の母の回復を待っているところです。母にとっても私にとっても初めての経験ですがたくさん学ぶこと感心する事、感動する事が日々あります。
また、その事は少しずつ、この雑貨屋でも書いていこうと思っています。
最近、原因不明なのですがPCが不調で写真がうまく作動しません。新たにPCを購入しようかと思っています。また、そのうちたくさん写真も掲載致します。
皆様も季節の変わり目の体調管理には気をつけてくださいね。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

今回はちょっとマニアックな感じのアルバムの紹介です。エレクトリックベースプレーヤーのJaco Pastoriousです。ジャンルはフュージョン/ジャズですが私がこれまで紹介したジャズやフュージョンとは違いちょっと個性的なので好みが分かれると思います。私もまだ数回しか聴いたことがありませんのでファンというまでのレベルではありません。彼はWeather Reportというバンドに参加し活躍していました。私と同じ1951年生まれですが、残念ながら1987年で他界しています。

"Rare Collection"  Jaco Pastorious

01 Dreamland by Michel Colombier
02 I Can Dig It Baby by Little Beave
03 The One Thing by Manolo Badrena
04 Spiral by Bob Mintzer
05 Nativity by Airto Moreira
06 Portrait Of Sal La Rosa by Ira Su
07 Ant Steps On An Elephant's Toe by
08 Mood Swings by Mike Stern
09 The Hope by Flora Purim

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

ピラティスのクラスに3回連続で参加しました。内容がきつくなってきているような気がしたのですが、お酒を飲んだ次の日だったのでピラティスがつらく感じたのかもしれません。

関西加洲会に参加されていた酒井多英子さんからチャリティイベントのお知らせを掲載してほしいと依頼がありました。このお知らせはイベント開催日まで掲載します。

「がん患者さんとご家族のために」「旅立った仲間のために」「今元気な人のために」
リレー・フォー・ライフ・ジャパン奈良は、がん啓発・がん患者支援のチャリティイベントです。グラウンドを24時間リレーしながら歩く事で絆を深め、地域全体でがんと向き合い、がんを理解し、がんになっても困らない社会を目指します。
2013/10/19(土)12:00〜2013/10/20(日)12:00
於:県立橿原公苑陸上競技場
http://relayforlife.jp/    http://rflnara.jimdo.com/

関西加洲会で雑貨屋のことを紹介しましたが、雑貨屋に皆様のアドレスを送って下されば、配信リストに乗せ、毎週配信させていただきますので、どうぞ送ってください。それ以外の目的で使用することはありませんのでご心配なく。関西加洲会の方に限らず、雑貨屋の読者で配信をご希望される方は遠慮なく雑貨屋にアドレスを送ってくだされば対応させていただきます。

《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.884

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com