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NO.882             Ryo Onishi              4/7/2013  

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雑貨屋のひとり言

4月になりました。新年度で色々と変わっています。私たちが通っているスポーツジムも4月から新しいプログラムになっています。新しく始まったピラティスのクラスに参加してみました。ピラティスはヨガと類似しているところもあるのですが、ヨガは精神的なリラックスに重点が置かれているのに対し、ピラティスは筋肉(インナーマッスル)を鍛えて身体づくりをすることに重点が置かれています。体内の老廃物を含んだリンパが静脈に流れ込んで処理されることや、リンパ液がそれ自体の働く力が弱いので、運動などで筋肉を動かすことが必要だという話を聞いてとてもためになりました。参加者はほとんど女性で男性は二人だけでした。ちょっとハードな内容だったので今日は体中が痛いです。≪R.O≫

 

一 泊 入 院 記 (後)POLST

――― 前号から続く ―――
今回、私が演じてしまった入院騒ぎは、天下の大総合病院内で意識をなくしたことからはじまり、付添っていてくれた妻をはじめ、この病院関係者、ふだん私の面倒をみてくれているホーム・ドクター、各科担当のドクター、透析センターなど関係者にたいへんなご迷惑をおかけしてしまい申し訳なく思っています。それでも私は今回の一連の件で、アメリカの医療制度の特徴(主として良いところ)をまた知った気がします。

3月19日(火)の早朝に救急ユニットに運び込まれ、翌20日(水)夕方に退院許可がおりるまで、治療と検査を受けましたが、検査の結果は私の心臓の機能が少し弱くなっているということでした。その原因としては前にも書いた私の病歴と深くかかわっているようです。病院での入院中におこなったことは以上のとおりで、無事退院となったのですが、これで私は病院から開放されたわけではありませんでした。

退院時に病院から渡された書類には退院後の注意事項がこと細かく記された文章に混じって、日時を指定し(退院の2日後)病院付属のComprehensive Care Center というところへ行くように指示された紙が入っていました。このセンターは患者の退院後のアフターケアーを総括的にみるための機関のようです。

指定された日時にケアーセンターを訪れました。ドクターの資格を持った女性とアシスタントの女性が約2時間半にわたって私の入院中の治療や検査結果、食事や運動を含めた今後の生活方法などについてじっくり話してくれ、またこちらの疑問にも答えてくれました。医療関係の会話には専門用語など理解しづらいところもあったのですが、私と私の妻両方が理解するよう言葉を選び親身な様子で感動しました。

さらに驚いたのは、「POLST」用紙まで渡され説明があったことでした。「POLST」とは「Physician Orders for Life-Sustaining Treatment」のことで、「生命維持治療のための医師指示書」ということで終末時における生命維持治療のための指示書です。

「POLST」は4つのパートから構成され、
(A)心肺蘇生(CPR):脈拍がなく、呼吸が停止している状態でも、蘇生術をするか。
(B)医学的処置:症状を和らげる処置だけを行うか、病院に搬送して集中的な治療を行うか。
(C)抗生剤:抗生剤を使用するか。
(D)人工的栄養剤:胃にチューブをいれて栄養剤を長期間投与するか。

こうした内容を、医師と患者、または患者の代理人と相談して決め、指示書として保管しておく用紙です。

この用紙はすべての退院患者に配布しているわけではなく、一定以上の年齢とか病歴などによって基準があるのでしょうが、いずれにしても私にはこの用紙が配られました。「さすが合理主義のアメリカだ」と感心すると同時に「いよいよ私もそういう年齢と状況になったのか」という複雑な気持ちです。

日本では、「POLST」に相当する判断はどうなっているのでしょうか。多分、こうした判断はなかなか出来ず、高齢者に対し、最期はどうしますかとは聞きづらいし、なんとなく先延ばしにして、最後は患者の状態が悪化し、本人の意思がわからないままということになってしまうのではないでしょうか。

高齢化が進む中、本人が納得のいく最期を迎えるという知恵も必要なことです。私も今回の「POLST」用紙の受領を機に意思を書き込みドクターに提出しようと思っています。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


啄木の磯にも波浪注意報

北斎の目にしたたかな波頭

芙美子にはなれぬ私の放浪記

人形の家にもネット風を入れ

落ち込んだあの日みすゞの詩に出会い


( ニュースやぶにらみ )


「あと一人。なんでやねん!」

完全試合に −ダルビッシュ投手

国会採決で? −安部首相

「蒼国来の解雇無効」

相撲協会の差し違い −東京地裁

「小麦9.7%値上げ」

2%じゃないの −国民


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(273)「125年目の春、新生なった銀座・歌舞伎座」

去る3月27日(水)、東京・銀座の歌舞伎座新開場記念“GINZA花道”パレードの模様はテレビ中継で日本中に紹介された。江戸消防記念会の木遣り歌と纏組の先導で、ベテラン・若手(合わせて)63人の歌舞伎俳優による“お練り”は壮観そのものであった。歌舞伎座の歴史を追ってみると1889年(明治22年)、東京・木挽町(こびきちょう)に初代歌舞伎座が誕生する。木挽町とは東京中央区銀座にあった地名で江戸時代からの歌舞伎を中心とする劇場街であったとか。その初代の歌舞伎座は1921年(大正10年)に漏電火災で焼失、2代目の再建工事中に今度は関東大震災に見舞われる(1923年=大正12年)。3代目は1925年(大正14年)にオープン。しかし1945年3月10日の東京大空襲で半焼、戦後6年経った1951年(昭和26年)に復興した建物で4代目の開場式(こけら落とし)を行なう。そして2010年(平成22年)4月30日、老朽化による建て替えのため一時閉館、そのことは『龍翁余話』(126)「歌舞伎座さよなら公演」に書いた(2010年4月20日配信)。早いものでそれから3年、2013年(平成25年)“世界に誇る劇場空間歌舞伎の殿堂(5代目)歌舞伎座”のこけら落とし公演が4月2日から始まった(こけら落とし公演は、来年3月31日までの1年間続く)。歌舞伎座誕生125年目の春から伝統の継承と新たな創造の時が刻まれる。

2010年4月、解体直前の歌舞伎座(4代目) 2013年4月、新装歌舞伎座(5代目)

翁、早速(開場の前日)4月1日に新装なった歌舞伎座(建物)見物に出かけた。外観は3年前までの4代目のそれとほとんど同じ桃山形式のデザインだ。それもそのはず、長年の歌舞伎座ファンや銀座通り連合会など歌舞伎や銀座を愛する人たちの熱望に動かされ、施主の松竹株式会社は“4代目の精神を忠実に復元する”ことをモットーに建設に取り組んだ(とのこと)。したがって外観ばかりではなく内部も4代のデザインや具材を生かして再現したらしい。残念ながら翁はまだ劇場内に入っていないので、この目で確かめた訳ではないが(歌舞伎座の資料によると)舞台、廻り舞台、花道の広さ・長さなども前歌舞伎座の規模を踏襲している。ただ、バリアフリー化や災害時の避難拠点となるための工夫が施されていることや、客席数を60席減らして(1808席)座席の幅を3cm広くしたり前列との間隔も6cm広めて、ゆったりと芝居を楽しむことが出来るようになったことや、フロアーに勾配をつけて後方からも見やすくした、などの改良点が随所に見られるとのこと。更に従来のイヤホーンによるガイドに加え、前の座席の背に掛けるポータブルタイプの(数カ国語の)“字幕ガイド”の貸し出しも予定されているとか、これなら外国人ばかりでなく、あの難しい歌舞伎独特の台詞回しも理解されて若い層の歌舞伎ファンが見込めるのでは、と歌舞伎座では期待を膨らませているそうだ。

さて、歌舞伎座自体の外観は確かに4代目の意匠を踏襲して“桃山文化”を漂わせているが、その背面にバカでかい近代ビルが建っている。“歌舞伎座タワー”という高さ145m、地上29階、塔屋2階、地下4階の商業ビルだ。土地の有効(経済)活用を考えれば仕方のないことだが、翁には新旧チグハグ感が拭えず遠景は見たくない(写真左)。しかも「あのビルは、まるで墓石だ」と言う人もいる。なるほど旧歌舞伎座閉場(2010年4月)以降、中村富三郎(2011年1月)、中村芝翫(同年11月)、中村雀右衛門(2012年2月)、中村勘三郎(同年12月)、市川団十郎(2013年2月)が逝った。これほど短期間のうちに歌舞伎界の重鎮が相次いで世を去ったので「何らかの呪いではないか」と囁くネット雀たちがいるそうだが、勿論、翁は、そんな因縁話には乗れない。故人たちは、どれほど新装歌舞伎座の舞台に立ちたかった(演じたかった)だろうか、そう思うと背面のタワーには今後の歌舞伎界の発展を見守ってくれる先人たちの霊が宿り、残された歌舞伎関係者はこれら先人への慰霊と感謝、敬愛の情を深める “祈りの塔”と位置づけ、一層の歌舞伎発展に努めるがよかろう・・そんなことを考えながら歌舞伎座タワーのエレベーターに乗った。

歌舞伎座タワーの5階に、庭園や歌舞伎の衣装や小道具、写真などが展示されているギャラリーが設けられているとかで上がったのだが、ギャラリーは4月末にオープン、庭園はわざわざ見るだけの価値はない。ガッカリしながら4階に降りた。4階の廊下に展示してある『国性爺合戦』(こくせんやかっせん=近松門左衛門作)のステンドグラス(写真中)に足が止まった。これは見応えあり。少しばかり満足したところで地下に降りた。そこは“歌舞伎座ムード”がいっぱいの広場(写真右)、手頃な値段の食堂(数軒)や土産店、コーヒーショップ、コンビニまで入っている。この広場は都営地下鉄浅草線・東銀座駅に直結している。翁の住む西五反田(戸越)から都営浅草線で20分、今までも時々は銀座に出かけているが「ちょっと銀座へ」が、ますます頻繁になりそう。近いうちの“こけら落とし公演”の観劇を楽しみにしている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

今週はお休みです。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

アメリカの代表的な作曲家であるHarold Arlen(1905-1986)が作曲した曲をOscar Petersonのピアノで奏でてるアルバムで1959年にリリースされたものです。Over The Rainbow, Blues In The Nightなど馴染みのある曲が入っています。Harold Arlenが作曲したのだと知りました。このアルバムは24曲も収録されていて、1時間15分という長さです。そしてほとんどがOscar Petersonのソロ演奏でとてもシンプルなアルバムです。

"Oscar Peterson Plays The Harold Arlen Song Book"       Oscar Peterson

01-As Long As I Live
02-I Gotta Right To Sing The Blues
03-Come Rain Or Come Shine
04-Ac-Cent-Tchu-Ate The Positive
05-Between The Devil And The Deep Blue Sea
06-I've Got The World On A String
07-It's Only A Paper Moon
08-That Old Black Magic
09-Let's Fall In Love
10-Stormy Weather (Keeps Rainin' All the Time)
11-Blues In The Night
12-Over The Rainbow
13-Happiness Is A Thing Called Joe
14-Stormy Weather (Keeps Rainin' All the Time)
15-Over The Rainbow
16-The Man That Got Away
17-Ill Wind (You're Blowin' Me No Good)
18-Let's Fall In Love
19-As Long As I Live
20-Come Rain Or Come Shine
21-Ac-cent-tchu-ate the Positive
22-Between The Devil And The Deep Blue Sea
23-I've Got The World On A String
24-That Old Black Magic

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

金曜日の午後、散髪に行きました。空いているだろうと思ったら結構混んでいました。担当してくれた人が私の話に上手く乗ってくれて、話が弾み、楽しい時間を過ごせました。黙って目をつむっているだけでは何も起こらなかったのですが、私が話しかけたことで期待以上のことが返ってきたので嬉しくなりました。

テキサス・レンジャーズのダルビッシュ投手が完全試合を逃し本当に残念でした。いつか達成できるといいですね。《R.O.》

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Zakkaya Weekly No.882

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com