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NO.880             Ryo Onishi              3/24/2013  

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雑貨屋のひとり言

津波による福島原発の事故から2年以上も経ちますが、改善されるどころかむしろ状況は悪化しているようです。そんな現実があるというのに、日本はいつの間にか現在停止中の原発の再稼働に向けて進んでいます。東南海地震が発生した場合は甚大な被害が生じると発表されていますが、原発の被害については何も言われていません。(言えないだけだと思います。)これはもう諦めなのか、ノー天気な国民性のせいなのか、安全の保証がないまま進んでいる不思議な国、ニッポンは本当に大丈夫なのでしょうか。≪R.O≫

 

忘れえずして忘却を誓う心の・・

数回前のこのコラムで、忘却の効用について書きましたが、年齢を重ね長い時間を経ても、どうしても忘れられない思い出がいくつか残るものです。青春時代の淡い感傷などもそのうちのひとつでしょう。きっと誰の心の奥にも、ひとつやふたつ、いつまでも忘れずにしまっておきたい思い出があるのではないでしょうか。

第二次大戦後の昭和27年(1952年)にNHKが放送した連続ラジオ・ドラマで、放送がはじまると「街の銭湯(お風呂屋さん)の女湯から人が消えてガラガラになる」といわれたほど人気を博した番組がありました。それは「君の名は」という連続ラジオ・ドラマでした。当時はまだテレビもなく、ラジオもNHKだけの時代でした。中学生だった私も真空管方式の音質の悪いラジオに耳を傾けたものでした。(その後、映画化、テレビ化されています)

脚本家・菊田一夫の作によるこのドラマの内容は、第二次大戦中の東京大空襲の夜、たまたま一緒になった男女(氏家真知子と後宮春樹)が戦火の中を逃げ惑ううちに、銀座・数寄屋橋までたどり着きます。互いの名前も知らないまま、お互いに生きていたら半年後、それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束し、そのまま別れます。しかし、運命はお互いの再会をなかなか許さず、やっと会えた頃には真知子はすでに人妻となっていたのです。夫との生活に悩む真知子、そんな彼女と春樹を運命の糸は複雑にからみ展開をしてゆきます。

毎回、このラジオ・ドラマのオープニングに後々まで語り継がれた台詞が登場し、印象的でした。私もドラマの時間になると、このオープニング台詞の朗読に胸をときめかせたものでした。

「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」―――主人公の二人(真知子と春樹)が、互いに愛を感じながら、すれ違ってなかなか会えない。忘れてしまったらどんなに心が軽くなるだろう。だけど忘れられない。―――という二人の心を表現したものです。

これまで私は「忘却力の充実」を強調してきましたが、それは「物忘れ」をネガティブなものと決めつけた前提によるものでした。今回の「君の名は」に代表されるような「忘れたくても忘れられない」ものはこれと次元の違うもので、無理に忘れる必要はないのではないでしょうか。この場合は「忘れる」ことがポジティブで、「忘れない」ほうがネガティブなのかもしれません。

とはいえ、前にも述べたとおり、どんな人にとっても、青春時代の忘れられない淡い感傷などが、ひとつやふたつあるものです。これらは生涯の宝物として胸の奥にいつまでも大切にしまっておくことが、いつまでも若さを保持する秘訣だと信じています

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


修理代高くてみんな使い捨て

環境を壊し絶滅危惧種とか

地下資源地球に穴を掘り続け

地下資源なくてひょうたん島平和

宇宙へとシルクロードが伸びて行く


( ニュースやぶにらみ )


「黒田日銀総裁就任」

フレーフレー −インフレ

「安全神話」

ネズミにまでばかにされた −福島第一原発

「賞与20%減」

パナソニクスめが −アベノミクス


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(271)「桜への想い」

毎年観る桜は同じ桜だが、観る年(歳)、観る場所、観る時刻の己れの状況によって我々に語りかけてくれる“桜の言の葉”の沁み具合は微妙に異なる。ある時は(観る人の)心を弾ませ、ある時は物哀しさを誘う。1300年前(万葉の時代)から桜の歌は数限りなく詠まれてきた。下記の詩歌にも詠み人(観る人)の“異なる桜への想い”が偲ばれる。
  ○世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
    *世の中に桜さえなければ(桜の咲き具合なんか気にせず)春をのんびり
     過ごせるものを――これは、平安前期の歌人・六歌仙(三十六歌仙)の1人、
     在原業平の作。桜を否定する句ではなく桜賛歌の裏表現。その返し歌に
  ○散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき
     *桜は散るから“哀れ”(調和の取れた優美繊細な情緒の世界)が味わえる。
この世に永遠なるものは何もないから、その一瞬に歓びを――詠み人不明。
また、江戸時代を代表する俳諧師3人の俳句から“桜への想い”を拾ってみた。
  ○さまざまの こと思ひ出す 桜かな(松尾芭蕉)
      この句の解釈は必要あるまい。そのものズバリ、感動主観を直感的に表現する俳聖・芭蕉らしい1句である。
  ○桜花 何が不足で 散り急ぐ(小林一茶)
      「何が不足で散り急ぐ」は「何が不満で急いで散るのだ」
      (ああ桜よ、もっと長く咲いていておくれ)という桜への
惜別の情を詠んだ句。幼少から家族愛に恵まれず、故に人一倍、人間愛、
動物愛、自然畏敬の念が強かった一茶らしい1句である。
  ○散る桜 残る桜も 散る桜(良寛)
      良寛和尚の辞世の句とされている。散る桜を哀れみ(惜しみ)ながら、今、咲き誇っている桜も、やがては散り行く運命(さだめ)。人間の生と死の宿命を重ね合わせた托鉢僧(曹洞宗の僧侶)らしい1句である。
さらに翁は、この句を読むたびに“靖国神社の桜”に想いを馳せる。御国の為に死地へ赴く将兵たち(先に行く者、後に続く者)の合言葉は「いずれ俺たち靖国で会おうぜ」だった。散華した彼らの霊が桜花となって年に1度、靖国で“花の宴”を催す。♪貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため・・・
靖国神社の境内は今年もまた“英霊たちの花宴”で賑わっている。

さて、先日(翁がかつて奉職していた)専門学校教師時代の同僚Aさん(『余話』の読者)から「私の家は(埼玉県上尾市の)見沼代用水跡のほとりにあり、家の前のシナミザクラが今、満開です」というメールと写真を頂戴した。翁、シナミザクラ(支那実桜、別名、唐実桜)を知らなかった。Aさんの説明によると、この桜の実(み)は粒が大きくて食用になるとのこと。また、見沼代用水は葛西用水(埼玉県)、明治用水(愛知県)とともに、“日本三大農業用水”の1つだったことも初めて知った。別の読者からも――拙宅の近くの友人Tさんから「先月開園したばかりの“文庫の森”の桜が満開です」とのメールをいただいた。今号の『余話』のテーマ決定はAさん、Tさんからの情報提供のお蔭である。

Aさん提供のシナミザクラ “文庫の森”のソメイヨシノ

“文庫の森”(品川区豊町)は、翁の家から歩いて片道25分、手頃な散歩の距離。ここは1918年に“三井文庫”(三井財閥の歴史記録書庫)が設置され、1972年(同敷地内に)“国文学研究資料館”が併設された。2008年に“国文学研究資料館”が立川市に移転、その跡地を品川区が取得、災害時における地域住民の避難場所・防災公園として2月23日にオープンした。“文庫の森”の名称は“三井文庫”(建物は現在も同公園内に保存されている)にちなみ、公募によって決められたそうだ。防火貯水池傍の満開のソメイヨシノが見事。

戸越公園のソメイヨシノ 同公園のオオシマザクラ

“文庫の森”の直ぐ隣に、江戸時代初期、熊本藩主・細川家の下屋敷だった“戸越公園”という品川区の代表的な名園がある。翁、ここには数回、訪れたことがあるので馴染み深い。こじんまりした回遊式庭園を一回りし、鯉・亀、水鳥がいっぱいの瓢箪池を眺めるのが好きだ。勿論、この時期、桜見物客が多い。同園の桜は数種類あるそうだが、翁には見分けがつかない。ふと古木に満ちる純白の花に目が止まる。幹にオオシマザクラの名称板。

年々歳々花相似たり、年々歳々“想い”同じからず。だが、数百の種類もあると言われる桜の共通性は、どの種の桜も優美・清純・精神美。翁は幸いに今年もそれらの桜霊に触れることが出来た。来年はどんな想いで桜を迎えられるだろうか?東日本大震災の被災者の皆さんには優美・清純・精神美のほかに勇気・希望が伴ってくれれば嬉しいが・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

サウスベイハイキング

スプリングタイムになってから急にLAは初夏を思わせるような陽気になった。日差しも強烈でサングラスがないと眩しすぎる。 こんな日は早朝のハイキングが気持ちいい。久しぶりに海沿いを歩いてみようと週末の朝出かけてみるとビーチではヨガをやっているいくつかのグループを見かけた。砂浜にビー
朝ヨガ ヨガ ラベンダー

チタオルを広げて波の音を聞きながら潮風を受けてやるヨガは心身ともに解放感があっていい。今までモノトーンだった山や街も咲き始めたカラフルな花や木々の明るい緑で景色が益々明るくなっていく。癒し効果のある紫色のラベンダーも今がシーズンなのか、あちこちの店で見られる。どこからともなく匂ってくるいろいろな花の甘い香りもアロマ効果があって穏やかな気持ちにさせてくれる。 この時期は大地からのエネルギーを感じることが出来る、私が一番好きな季節だ。
太陽の光に触れる時間が1時間だけ長くなっただけなのに気分が違ってくる。今まで寒くてついつい億
黄昏 PV

劫になっていたイブニングハイクも先週から行き始めた。 ちょうど肉眼で見ることの出来るパンスター彗星が地球に接近している時で3月中旬から4月にかけて日の入り後の西の空に見られるというので、もしかしたらイブニングハイクの時に見られるチャンスがあるかもしれないとワクワクして出かけた。 日が西に傾き始めると空の色はどんどん変化してドラマティックなオレンジやピンク色に染め上げられて、あっという間にあたりは暗くなった。空が暗くなると今度は細い三日月のリングがちょうど下半分、プラチナの指輪のような光沢を放って夜空に輝き始めた。
昔、レイクイザベラにあるホットスプリングでキャンプをした時に見たヘール ポップ彗星は肉眼ではっきりと見えるものだった。 その日、海が一望出来るはずの休憩地点では雲海に包まれて私たちは天上人になっていた。 その時に、どこからともなく素朴な笛の音が響いてきた。その曲はホピインディアンの村を訪れた時に聞いたようなネイティブインディアンの民謡のような曲だった。目を凝らすと薄暗くなった木の上の方に背中をもたれて太平洋の海に向かって笛を吹いている人の姿がかすかに見え
笛を吹く人 バンスターズ彗星

た。 しばらく私たちは静かにその音楽の音色に耳を傾けた。 残念ながらパーンスターズ彗星は見えなかったけれど私たちは素敵な野外コンサートに出くわすことが出来た。 そして、その音楽を聞きながら静かに私たちはその場を離れ また同じ来た道を戻った。何だかとてもミステリアスな不思議な夜のひと時だった。
翌週、また私たちは、その同じコースを歩いてみた。また、あの音楽を聞けるかもしれないと期待して…″笛を吹いていた人がいたのは、あの木だったよね? ″そう尋ねる私にリーダーの人もうなずきながらあたりを見回したが人の気配は無かった。 そこにはその人がもたれてかかっていた木が風に吹かれて揺れていて、まるで黄昏時の夢物語のようだった。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

東京は今週末は桜が満開のようですね。花見を楽しまれていることと思います。
満開が早すぎて4月に桜をあてにして予定していたイベント関係者は困っていると思います。この桜の季節にちなんだアルバムを探してみました。松居慶子のCherry Blossomはいかがでしょう?
松居慶子のジャズは私の好きなスムースジャズで、どのアルバムを聴いても素晴らしいと思います。サウスベイにいたときによく聴いていたFM放送局KTWVを思い出します。Crescendo Frontierはアジアの某国で盗作されたほどのすばらしい曲です。

"Cherry Blossom" Keiko Matsui
01-Rainy Season
02-Sail South
03-Walking On The Bridge
04-Crescendo
05-She Prays To The Wind
06-Cherry Blossom
07-Frontier
08-Foot Steps
09-Dawn Opener
10-Hands Accross An Ocean

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

春になりました。東京ではもう満開ですが、関西はもうすぐ桜が咲くようなので楽しみです。 日頃はあまり見向きもされないのにこの時期になると街に桜の木がたくさんあるんだなあと気づきます。花粉症がだんだんひどくなってきました。薬はできるだけ飲みたくないのですが、ヨガをするときは仕方がないので薬を飲んでいます。《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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Zakkaya Weekly No.880

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com