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NO.874             Ryo Onishi              2/10/2013  

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雑貨屋のひとり言

中国大陸からの大気汚染物質PM2.5は花粉より小さい微粒子で普通のマスクでは役に立たないそうですから、空気の悪そうな日はできるだけ外に出ない方がいいようです。北京オリンピックの時の空は、中国政府が無理やり押さえ込んだのだなと理解できます。つまりやろうと思えばできるということです。しかしこのようなひどい状況にもかかわらず根本的な対策をとろうとしない中国は、傲慢な国だという印象を私たちのみならずだれでも持つと思います。まったく困った隣国です。悪いことにこれからは黄砂とスギ花粉が加わり、日本はいやーな季節になりそうです。≪R.O≫

 

運の良い年(2)

――― 前号からの続き ―――
「運は天に在り(うんはてんにあり)」とは、人の運はすべて天命によるもので、人間の力ではどうすることもできない、という意味です。これは上杉謙信公が居城・春日山城内に常在戦場の心得として壁書きしたと伝えられる「春日山城壁書」の中の一節「運は天に在り。鎧は胸に在り。手柄は脚に在り」に由来したものです。

さらに似たような表現に「運否天賦(うんぷてんぷ)」があります。これも運の良し悪しは、すべて天が采配するものであるという意味に使われます。これらの言葉も考えようによっては、人の運の良し悪しは考え方ひとつでどちらにもなる、ということではないでしょうか。

インターネット版週刊誌(週刊プレイボーイ)に興味を引く記事がでていました。20代から40代の男性300人に、「運」に関するアンケートを行なってみたそうです。それによると、自分のことを「運がすごくいい」または「いい」と思っている人は、どの世代もせいぜい20%なのだそうです。「運がいい人」と自認する人はなぜ少ないのでしょうか。

この記事の中で、宗教人類学者(植島啓司氏)の解説によると、この結果は仕方のないことかもしれないのだそうです。例えば、飛行機が落ちたら誰もが『不幸』だというでしょうが、無事着陸したからといって『運がよかった』とはいいません。おそらく『あたりまえ』と思うでしょう。つまり、運が目に見える時は、悪いことのほうが圧倒的に多いのです。『あたりまえ』のことは本来、感謝すべきことなのに、われわれはそれを忘れて、ついつい不運だけをクローズアップしてしまう、ということによるのだそうです。

たしかに、飛行機が普通に飛び、普通に着陸しただけでは「ああ、幸せ!」と感ずる人は少ないかもしれません。この記事の中で、植島啓司氏は、こうした「あたりまえ」の物事のとらえ方をちょっと変えるだけで、人生を大きく変えることができるのだと示唆しているのだと思います。

さらに植島氏は「われわれは、人生の座標軸を『幸運』『普通』『不運』の3極で考えるべきで、その割合はだいたい5%、90%、5%ぐらいでしょうか。ここで約90%を占める「普通」を幸運の側に入れるか、不運の側に入れるかで、その人の人生は大きく変わってくると思います」と述べています。

「特に悪いことが起こらないから自分は運がいい」と考えるか、「いいことが何も起きないから不運」と考えるかの違いでしょう。でもこの差は大です。

今年が自分にとって「運の良い年」になるか「不運の年」になるかは、自分の心の持ち方次第ということだとわかりました。今年も私にとって「運の良い年」となるよう心をみがき、その上で“コトシ”(こだわらない、とらわれない、しばられない)それに“アスカ”(明るく、素直に、感謝の気持ち)でゆきたいと思います。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )


格付けは妻が上位とポチの勘

針振れているわと妻のポリグラフ

誰もいないところでおかあちゃんごめん

二人三脚 紐に変わった赤い糸

今日だけは主婦をやめてる受賞式


( ニュースやぶにらみ )


「領空侵犯」

PM2.5が −日本の空

「任期前倒し辞任」

これだけは自分で決めました −白川日銀総裁

「三宅坂」

下りばかりだった −社民党


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(265)「紀元節の思い出・高千穂峰」

古い話で恐縮だが、今から約40年前のこと、紀元節の時期にテレビ番組のロケハン(ロケーション・ハンティング=事前調査)で神話の国(宮崎県)をドライブしたことがある。

某年2月9日午前10時、購入したばかりの新車を、就航間もない(川崎港発の)日本カーフェリー『フエニックス号』に乗せ、22時間かけて宮崎県日向へ。冬の太平洋は波高く、もともと船に弱い翁、船酔いを心配したがスポンサーのご厚意で1等船室(個室)に乗せて貰い、お蔭で快適な船旅を楽しむことが出来た。

翌10日の朝8時に日向港着、船内で買っておいたスナックを食べながら、まず向かったのが美々津(みみつ)港。ここは神武天皇(初代天皇=紀元前660年?〜585年?)ご親卒の水軍が編成され東征(大和国=奈良への侵攻)のために出航した港という伝説に基づいて紀元2600年(昭和15年)に『日本海軍発祥之地』と定められた。なお“日本海軍発祥の地”と言われる場所は他にもある。神戸(ポートアイランドへ渡る神戸大橋の麓、幕末の海軍操練所跡)と、東京・築地(魚河岸水神社境内、ここも幕末の軍艦操練所跡)。2ヶ所とも翁が敬愛する幕臣・勝 海舟の足跡の場所である。

宮崎神宮参拝、ここには神武天皇を主祭神とし、父神・鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)、母神・玉依姫(タマヨリヒメ)が祀られている。参拝のあと(当時、新婚旅行のメッカだった)国定公園日南海岸の青島の隆起海床と奇形波食痕(鬼の洗濯板=天然記念物)、フエニックス並木のビュースポット堀切峠を経て鵜戸神宮(うどじんぐう)へ。ここは日本でも珍しい岩窟に掘られた社、朱塗りの神殿が青い海に映え、亀の姿をした奇岩(亀石)にも目が奪われる。神武天皇の父神・鵜茅葺不合尊を主祭神とし、天照大神以後、神武天皇に至るまでの(天照大神直系の)神々が祀られている。ここで神武天皇のご先祖を確認する(『古事記』より)。曽祖父は天照大神の孫(天孫)・邇邇芸尊(ニニギノミコト)で、天照大神のご下命を拝して高天原(タカマガハラ=神々が住む所)から豊葦原中津国(トヨアシハラナカツクニ=人間が住む所)の高千穂峰に降り立ち、荒んでいた人間世界を平定した神様。曾祖母は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)、祖父は彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト=一般的には山幸彦が有名)、祖母は豊玉姫(トヨタマヒメ)、父母は(前出の)鵜茅葺不合尊と玉依姫。それぞれの神様がどんな神格、逸話をお持ちか想像をめぐらせながら寒々とした聖域(洞窟)の中を歩く。翁は既に神話の世界へ入り込んでいる。と、岩天上から落ちている雫に目が止まる。これは豊玉姫が、赤ん坊の(神武天皇の父神)鵜茅葺不合尊を置き去りにして海へ帰った時に残して行った“お乳岩”・・・

さて、『紀元節の思い出・高千穂峰』へ急がねばならない。カーナビが無い時代だったから地図を頼りに日南市から都城市を経由して鹿児島県国分市(現・霧島市)から一気に霧島温泉郷へ。どこをどう通ったか、まるで記憶がない。到着した時は既に陽は落ちていた。
翌・紀元節(2月11日)の早朝に霧島神宮参拝。“しばれる“寒さだったが、眩しいばかりの朝陽が朱塗りの神殿を照らし、いっそう神話の世界を演出する。このお社は天孫降臨の邇邇芸尊を主祭神とし、木花咲耶姫、彦火々出見尊、豊玉姫、それに神武天皇の父母神・鵜草葺不合尊、玉依姫の5神を祀っている。

予約しておいたガイド(アルバイトの大学生)が翁の車のタイヤにチェーンを取り付けてくれ(彼の車の後から)いざ、天孫降臨の地・高千穂峰へ。高千穂峰は霧島連峰の一山で鹿児島県と宮崎県の県境に位置し、標高約1600m、山頂には青銅製の天逆鉾(あめのさかほこ)。幕末の志士・坂本龍馬と妻おりょうが訪れた時、大胆にも龍馬がこの鉾を引き抜いたというエピソードがあるが「実のところ、天逆鉾の確たる由来は不明です」とはガイド君の説明。それと残念ながら「この道路状況(雪道、凍結)では山頂までは危険」というガイド君の冷静(適切)な判断で天逆鉾を見ることは出来なかったが、山頂手前の巨大岩に刻まれた『天孫降臨之地』の碑の前で神々に恭しく拝礼。眼下に広がる白銀の樹氷林は、まさに神秘の世界。初めて見るその感動的光景は今でも忘れ難い。

樹氷林を抜けて、ガイド君は翁を『えびの高原』まで送ってくれた。お礼に温かな蕎麦でも、ということで2人、たった1軒しかない茶屋に入った(その後『えびの高原』は観光のメッカとなり、ハイカラなレストランや珈琲ショップが立ち並んでいるとか)。茶屋の土間の左側に“落書き板”が架けられており、所狭しとばかり旅人の“思い思い”が寄せ書きされている。「お客さんもどうぞ」と老主人に薦められて翁も少しばかりの空きスペースに1句書いた。(江戸時代の国学者・本居宣長の“敷島の大和心を人問はば”をもじって)先ほど『天孫降臨之地』の碑の前に立った時の、翁の率直な心情を詠んだ句である。
【高千穂に 日本心(やまとごころ)をたづぬれば 樹氷こたへし 天をみるべし】
(『天孫降臨之地』碑の傍で眼下の樹氷林を眺めながら、日本精神とは何ぞや、を考えた。“天を仰げ、天が答えを出してくれる”樹氷林からそんな声が聞こえて来るようだった)。

茶屋の老主人が奥から縦横80cmほどの無地の(中折り)屏風、筆、硯箱を持って来た。「あんたのような人を待っていた。どうぞ、これに書いて貰いたい」と懇願された。幾度か丁重にお断りしたが「どうしても」、それにガイド君の薦めもあって「ならば左側だけを使わせていただく。右側は、しかるべき人物が来られた時に書いて貰って下さい」ということで筆をとった。句の左端に日付と翁の雅号“龍雲”を署名した。

もう一度あの高千穂峰の樹氷林を見たい、あの茶屋にも行きたい、あの時のガイド君にも会いたい――遠い遠い思い出に浸る紀元節である・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

カリフォルニアオレンジ

真っ青な空に色鮮やかなオレンジが眩しく映える。こちらの南カリフォルニアの住宅地ではあちこちでオレンジがたわわに実った木を良く見かける。マーケットにはネーブルオレンジやバレンシアオレンジなどが一年中安く出回っている。それだけ、この土壌がオレンジやレモンなどに適した土地なのだろう。まさに南カリフォルニアはシトラス(柑橘)カントリーだ。
オレンジ オレンジピールとクランベリー入りの蒸しパン シトラスシュリンプグリル1

久しぶりに出かけたこちらのファーマーズマーケットで試食したオレンジはやっぱりジューシーで甘く美味しかった。このオレンジの原産地は当然カリフォルニアだと思っていたらインドのアッサム地方が原産地なのだそうだ。オレンジの語源はサンスクリット語で香りたかい″という意味があるらしい。15-16世紀頃インドから地中海沿岸、ヨーロッパそしてフランスに伝わった頃はオレンジの前にau−(金を意味する)が付き香りたかい黄金の果実 と名付けらるようになったそうである。その後、オレンジは中国、ポルトガルそしてコロンブスによってオレンジの木がアメリカに渡り今やカリフォルニアのシンボルになった。
Orange County Orange オレンジ色のサンセット

通常オレンジは果物としてそのまま食べたりジュースとして絞って飲んだりする事が多いのだが、たまに気が向くと普段は捨ててしまう皮を有効に利用してオレンジマーマレードのジャムを作ったりオレンジピールのお菓子を作ったりする。そうすると長く保存出来ていろいろなお菓子作りにも応用出来る。先日、クランベリーとオレンジピールをラム酒に漬け込んだものが残っていたのでホットケーキ用の粉を使って炊飯器でケーキを作ってみた。仕上がりはどちらかというと蒸しケーキのような感じだった。あまり甘くないのであっさりとした朝食の一切れにもいいかもしれない。
実はこのオレンジもスパイス百科事典のカテゴリーに入っている。七味唐辛子の中に入っている7つの薬味のうちの一つがこのオレンジの皮を乾燥させたものだ。これは日本の温州ミカンが使われているのだが英名ではサツマ、和漢名では陳皮、学名はCitrus unshiu 科名はミカン科の常緑低木で原産地は日本だそうだ。風邪薬の中の成分にもこの陳皮は薬効が認められていて漢方としても使われている。
また食べるのではなく料理の香り付けとして生のオレンジの香りだけを食材に移すという使い方もする。 以前、パーティーでバーベキュー用の生のシュリンプの上にライムとオレンジのスライスが豪快に彩りよく敷き詰められていてその贅沢な香りの使い方に感心した。シュリンプを焼く直前に粗塩をパッとふっただけのシンプルな味付けなのにシトラスの爽やかな甘い香りと塩味が絶妙にマッチしていてその味付けに感動した。
最近はこのオレンジの皮の部分にある成分のリモネンが油汚れを取るのに効果的だそうでオレンジの成分が入っている洗剤や床用ワックスや芳香剤なども良く見かけるようになった。香りの成分もまたアロマとしてリラックス効果があると言われ精油売り場でもラベンダーと同様に人気商品だ。それにあのオレンジの色は人を明るく元気にする活力があるような気がする。オレンジをテーブルにデコレートするだけでもそこがパット明るくなる。
先日サウスベイの山から見たサンセットもまた見事なオレンジ色で 香り高い黄金の果実という表現がピッタリだった。

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

3ヶ月に一度、通院している病院からの帰り、バスが当分来ないので歩くことにしました。久しぶりに歩きました。幸いウォークマンを持っていたので、紹介候補として入れていたアルバムを聴きながら歩きました。聴いたアルバムがStanley Cowell Trioの"Dancers in Love"です。楽しい音がします。気分よく歩けました。歯切れのいいピアノも特徴のあるドラムスも好きです。このアルバムもバランスのいいジャズトリオだと思います。ジャケットで選んだのではありません。

"Dancers in Love" Stanley Cowell Trio

01-A Whole New Word
02-Ole Texas
03-Charleston Rag
04-I Never Dreamed
05-St_Croix
06-Confirmation
07-Dancers In Love
08-But Not For Me
09-As The Sun Goes Down

Stanley Cowell - piano
Tarus Mateen - bass
Nasheet Waits - drums

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

暦の上では立春を迎えましたがまだまだ春は遠いようです。暖かくなったと思ったら、また急激な寒さがやってきました。バーゲンセールになっているコートなどは、結構売れているようです。
ようやく体調が回復してきて、ヨガができるようになりました。久しぶりに筋肉を使ったので体の節々が痛いです。《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
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http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.874

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com