weekly

NO.871             Ryo Onishi              1/20/2013  

 weekly
LAの観光スポット ホームページ バックナンバー
 
雑貨屋のひとり言

アルジェリアでのテロリストによる人質事件は、地政学的リスクのある国や地域で仕事をしている日本人が脅威にさらされていることを改めて認識されられました。
政府の対応も「人命優先」だけを唱えてあとは外国任せではちょっと情けない気がします。
今回の事件に限らず諸外国に比べて日本の情報収集力の弱さが目立ちます。各国にいる外交官はワインにはやたら詳しくなっているそうですが、そんなことより、もっとその国の事情通になってもらいたいと思います。≪R.O≫

 

銃乱射事件と進まぬ銃規制

昨年末(12月14日)、コネティカット州の小学校で子ども20人を含む26人が死亡した銃乱射事件は、その後しばらく連日のように報道され、全米から注目をあびました。

オバマ大統領もさすがに銃犯罪問題に関与せざるをえず、事件直後、「銃の規制強化に向けて行動を起こす」と述べ、バイデン副大統領をリーダーとする委員会をつくり、銃の規制強化に向け、具体案の作成に取り組むと述べました。この1月中に議会に具体案が提出されることになっています。

これまでアメリカ国内では銃による犯罪が多発し、都度、銃規制が論じられていたにもかかわらず、一向に規制強化が図られていません。先の大統領選挙でも争点にすらなりませんでした。しかし、さすがに今回の小学生大量殺害事件により銃の規制強化を求める声があがり、上記のようにオバマ大統領も真剣に取り組む姿勢をみせざるをえなかったようです。

しかし、問題はそう簡単ではないでしょう。アメリカという国の歴史と文化が大きな壁となっているからです。現在のアメリカ合衆国は 236年前にイギリスから独立を勝ち取った際、民衆の一人一人が銃を手に戦った歴史から始まり、その後の西部開拓ほか広大な土地は民衆が守りました。

アメリカ国民にとって我が身は自分で守るという伝統は建国以来のものであり、そう簡単には放棄するわけにはいかないのです。国民が武器を所持する権利は憲法で認められたものと理解されています。(憲法解釈上、異論のあるところですが)

銃規制を阻止するのが全米最大のロビー団体である N.R.A.(全米ライフル協会)です。N.R.A.の抵抗にあい、議会に提出される銃規制強化法案はいつも腰砕けで終わってしまいます。先日の銃乱射による小学生大量殺害事件に伴い、このN.R.A.がどんなコメントをするのだろうか、私はたいへん興味をもって発表を待ちました。

N.R.A.は例のコネティカット州、小学校乱射事件から1週間目にあたる12月21日、ワシントン市内で記者会見しました。そこで述べた彼らの主張は、なんと「銃を手にした悪人を止められるのは、銃を持つ善人だけだ」ということでした。彼らは相変わらず銃規制強化に強く反発しただけでなく、「銃には銃を」という積極的発想で、さすがとしかいいようがありません。さらに加えて全米の学校に武装した警察官を配置すべきだという提案までしていました。

彼らN.R.A.の主張は「銃の撤廃」ではなく、あくまでも「犯罪と事故の防止」なのです。「自動車は事故を起し、人を殺すからといって、自動車を禁止するのは正しくないのと同じである」という発想ではないでしょうか。

さらにN.R.A.は「若者たちの間で流行っている、暴力的な内容のテレビゲームが犯罪をうながしている」とし、テレビゲームこそが銃犯罪の諸悪の根源だ、といった主張をしていました。

銃によるこれだけ大きな学内乱射事件があったにもかかわらず、N.R.A.だけでなく、教師が銃を持つべきだと主張する人たちもいます。昨年末聞いたニュース報道によると、先日の銃乱射事件を受け、オクラホマ州、ミズーリ州、ミネソタ州、サウスダコタ州、オレゴン州などの学校でも、教師が銃を持つことを認める動きが出ているようです。

全米教育統計センターによると、アメリカには、銃を持った警備 員を置いている学校が、約2万8千校あり、その内訳は、小学校の約2割、中学校の約5割、高校の約7割にあたる数とのことです。

もちろん、これらの悲劇を受け、事件の起きた地元はもとより、全米各地で銃規制の運動も活発に行われていることも確かです。ハリウッドスターらが銃規制の強化を呼びかけるビデオが公開され、話題を呼んでいます。

また、ロイター通信によると、ロサンゼルスでは年末の12月26日、銃による悲劇を減らすことが狙いで市民が保有する銃を回収するイベントがあり、千3百丁以上が回収されたそうです。これはロサンゼルス市が主催、匿名で銃を持ち込むことができ、拳銃や散弾銃、さらに自動小銃などを地元のスーパーの商品券と交換されたそうです。

銃の所持に対する意見が二分するアメリカで、学校や地域がどのような方向に進むか注目されるところです。また、銃所持、規制全般に関しアメリカが今後どうなるか気になるところです。ただ、銃による犯罪はその後、一向に減少の気配はなく、相変わらず毎日のように銃による事件・事故がニュースで流れているのが現状です。

昨年末にはニューヨーク州で火災現場に到着した消防士4人に男が発砲し、2人が死亡、2人が重傷を負うという事件まで発生しました。こうなったら消火どころではありません。そして新年になっても連日のように銃による犯罪のニュースが目立ち、一向に減少する様子はみられません。アメリカという国が抱える銃に対する考え方の根深さをつくづく感じます。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

ドングリの背伸びが夢を追っている

ジャンプして夢のかけらをまた落とし

ぬるま湯にラストチャンスを囁かれ

身の程は知ってる俺は太郎冠者

四捨五入 五の人生も悪くない


( ニュースやぶにらみ )


「鳩山元首相を絶賛」

トラスト ユー −中国メディア

「北京で汚染物質の濃霧」

警察力で抑え込め −中国政府

「abさんご」

おばあさんのグループ? −AKB48


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

句会場(千駄木)周辺散歩(68)
*銀行通りー川崎大次郎
団子坂上交差点を南北に横切っているのが、旧藪下の道ですが、今は保健所通りと呼ばれています。本欄で毎度おなじみの、高村光太郎や宮本百合子が少女期と晩年を過ごした実家があった通りです。またその通りには安田財閥三代目の楠雄邸、岡本銀行の岡本家の広大な邸宅、川崎銀行頭取の川崎大次郎の邸があり、一時期 銀行通りとも呼ばれていました。 川崎邸については、谷根千28号にこんな記事が載っています。「〜それはみごとな洋館で、そのため戦後GHQに接収され、かなり長いことアメリカ人がいました。そのあともアメリカ大使館が使っていたようで、現大使の アマコストさんもいました」。(根岸充臣さん)
大次郎は1932年のロサンゼルス・オリンピックの馬術競技で愛馬ウラヌスで優勝した西竹一とも親友で、北大馬術部後援会のホームページにこんな文章が。『バロン西と愛馬ウラヌス物語』より。「輸送船〔日州丸〕で横浜を発ち、硫黄島へ向け南下中に(略)雷撃を受け戦車ともども輸送船は沈没してしまいます。生き残った西竹一は8月、戦車補充のため一旦東京に戻りました。このとき、川崎財閥の御曹司で親友であった川崎大次郎の車を借用して(略)馬事公苑で余生を過していたウラヌスに会いに行きました。ウラヌスは西竹一の足音を聞くや大喜びして首を摺り寄せ、最大の愛情表現である愛咬をしてきたといいます」。
その後、西は再度硫黄島に赴き戦死しました。

龍翁余話

龍翁余話(262)「雪道運転の恐怖!」

雪道運転、2度目の恐怖――1月14日午前11時半に横浜市港北区日吉に住むゴルフ仲間のT君宅に行く約束をしていた。10時半、今から出ようとした時、T君から突然電話「もう辺りは真っ白、危ないから後日に変更しませんか?」10階のベランダ越しに外を見たら、確かにフワフワ雪が舞ってはいるが、それほど積もる感じはしなかったので「大丈夫、気をつけて行くよ」。駐車場から道路(中原街道)に出た途端、ワイパーを早回ししなければ前が見えないくらい吹雪始めた。直ぐ傍の交差点で信号待ちをしていたら隣のガソリンスタンドのスタッフが翁の車を認めて走り寄り「この雪の中、どこへ行くんですか、危ないですよ!」と注意してくれた。「な〜に、日吉まで30分だから大丈夫だよ、ありがとう」と礼を言って走り出した。ところが、だんだん大丈夫でなくなった。道路は一面雪に覆われて来た。ほとんどの車がスピードを落として走る。何故かT君の電話、ガソリンスタンドのスタッフの“注意”が再び耳に。5分ほど走った所(『旗の台』)に緩やかな坂道がある。前方の道脇に乗用車と軽トラックが(不整列に)止まっている。多分、スリップしたのだろう。出発してまだ5分そこそこ、だんだん不安が(と言うより恐怖心が)つのる。赤信号で停車した時、もう1人の龍翁の叱咤が聞こえた「雪をなめるな!己れの運転を過信するな!あの時を思い出せ!」で、信号が変わった時、翁、急遽左折して『旗の台商店街』へ。前後の安全を確認してから車を止め、T君に電話、中止を告げた。

「あの時を思い出せ!」――それは“雪道運転、最初の恐怖”だった。今から20数年前、厳寒の2月某日、親友H君のお父様の葬儀に行った時のこと――午前11時からの式典に間に合うよう東京・五反田駅にT君の共通の友人3人が10時に集合、翁の車で(今日と同じ中原街道〜綱島街道を経て)川崎市・武蔵小杉にあるお寺へ。15分前に到着、芳名録に記帳を済ませ、喪主・H君およびご遺族にお悔みの挨拶をして深々とした式場へ。約80人の会葬者、翁たち友人席は祭壇に向かって左側の後部座席。式典は厳かに進められ、喪主による会葬御礼の挨拶のあと、別室での精進落とし(料理)を薦められたが、翁たちは丁重に辞して駐車場へ。鉛色の空、今にもひと雨来そうな雲行き。寒さと空腹で急ぎ綱島街道沿いのファミリーレストランに入る。ランチタイムはとっくに過ぎているのに店内は満杯、ちょっと待っていたら運よく奥の方の6人掛けテーブルが空いた。

飲食、談笑すること約2時間、外に出た途端「あっ!」何と、駐車場をはじめ周辺は一面銀世界!我が愛車も既に5センチほどの雪を被っていた。誰かが言った「龍翁さん、運転大丈夫?」大丈夫な訳はない、翁、生まれてこのかた、雪道を走った経験はない。嫌な予感がしたが“街道筋なら車の通行が多いので、轍(わだち=通り過ぎた車輪の跡)を辿れば何とか(五反田駅まで)行けるだろう、いや、何としても戻らなければ”3人に不安感を抱かせてはいけないので「俺はまだ君たちと心中したくない、気をつけて走るから心配しなくていいよ」。だが車が走り出すと(少し前まで楽しく談笑していた)友人3人の口数が減った。多摩川の橋で道路の名称が綱島街道から中原街道に変わる(多摩川の橋の中央部が神奈川県と東京都の県境)。何とか無事に東京都へ入ったのだが、橋を超えて直ぐの上り坂でトラブルが発生した。翁の車の前で信号待ちをしていた2台の乗用車。突然、先頭の車がスローモーションでバックし始めた。「あ、ぶつかるぞ!」と声を発した途端、2台目の車にゴツン、その勢いで2台目の車が翁の車の前方バンパーにぶつかって来た。翁、用心して車間距離(約3m)をとっていたのだが、車が滑り出すともう止まらない。そして翁の車が後ろのタクシーへ、つまり“逆玉突き事故”が起きたのだ。先頭車の運転手が車から降りて来て2台目の運転手に詫びを入れ、2台目が翁に、翁はタクシー運転手へ、それぞれ“お詫びリレー”を行なった(タクシーの後ろは、赤信号のせいで後続車はなかった)。幸いに各車両ともバンパーが少し傷ついただけで大事に至らず「いいよ、いいよ」で済んだのはよかったが、さあ、今度は先頭車がスリップして再発進が出来ない。気がついたらタクシードライバーが、信号が変わって走ってきた後続車に手を振ってストップの合図。プロ・ドライバーの機転に翁は“さすがだ”と感心した。橋の傍の交番から2人の警官が駆けつけ、先頭車の後ろを押してやっと走り出した。2台目も2人の警官のおかげで走り出すことが出来た。その間、翁はトランクに入れておいた雑巾(大きなタオル)4枚を各タイヤの前に敷いた。雑巾の後始末を警官に頼んでアクセルを踏んだら難なく走り出した。窓から右手を挙げて後ろのタクシードライバーに挨拶した。タクシーから返礼のクラクションが鳴った。五反田駅に着くまで、まだまだ幾つかの恐怖体験があった。3人の友人たちもすっかり疲れきっていた。別れの挨拶もほどほどに、それぞれが山手線や地下鉄で帰って入った。その後、五反田駅から自宅マンションの駐車場に入るまで、更なる恐怖と苦労があったことは言うまでもない。“雪道運転、もう2度と御免だ!”と肝に銘じた、

今、(御免のはずの)2度目に直面している。何という馬鹿、愚かさか、我が不徳に腹を立てたが、反省は、直面している苦難・危険を乗り越えた後でよい、と開き直る。『旗の台』に車を入れたのは初めて。道を知らないばかりか、住宅街の細い道にはまり込んだ時は、もう積雪は10cmに達していた。こんな雪の中を歩く人もいた。宅配便のお兄さんもいた。が、吹雪いているので窓を開けて道を訊くことも出来ない。自分の方向感覚だけを頼りに中原街道へ出ることだけを祈りながら神経を集中させ、絶対に人・物を傷つけない徐行運転に徹した。喉が渇く。車内のボックスから“炭焼珈琲飴”を取り出し口へ放り込む。何と美味しいことか、少し気持ちが落ち着く。ヒヤヒヤ運転をしているうちに、やっと大きな道へ出た。「やったア!」思わず歓声。ところが、目的の中原街道ではなく、かなり離れた第二(京浜)国道だった。が“地獄”を脱出した喜びはひとしお、すでに通常の運転心理に戻った。多分、顔もほころんでいただろう。いつもなら5分で帰り着くところ、40分もかかったが、己れの浅慮から出た“試練の時間“、「雪道運転、もう3度目はないよ」と自分に言い聞かせながらの苦笑い・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

青山のファーマーズマーケット

先週の土曜日、久しぶりに東京の青山国連大学前で週末行われているファーマーズマーケットに出かけた。昼間は、穏やかなお天気に恵まれて気持ちのいい日だったので待ち合わせた友人と渋谷から青山までブラブラ歩いて行った。
少し前までは農家の後継者がいないとか年寄りばかりが農業に従事していて日本の農業の未来は暗いと言われてきたが最近は農業に関心を持って都会から地方に暮らし始める若者が増えてきているようだ。

草食系男子とも揶揄されたりしているが骨太の野菜愛好家や生産者も多い。自分で食材を選んで料理もその辺のプロに負けないほど上手な男性もたくさんいる。
この青山のファーマーズマーケットの主催者も生産者も圧倒的に若い人が多い。毎週土曜日か日曜日に自分が作った収穫物や加工食品を地方から持参してきて直接ここで売っている。都会に住む消費者にとっては作り手の顔が見えるというのがいい。その場でそのお野菜をどうやって食べたらいいのかを教えてくれるし作り手のこだわりや生産過程も詳しく説明してくれる。それにこのファーマーズマーケットを中心に食に関する様々なイベントや勉強会も活発に行われているようだ。また野菜や食だけにとどまらず地球の環境問題にも関心を寄せる人達が多そうでこのファーマーズマーケットのコンセプトもなかなかいいと思う。
店先には摘みたての元気なお野菜や果物がいっぱい並べられている。そんな旬のお野菜を見ているだけでも元気が出てくる。中には見たことも食べたこともない珍しいお野菜や食材が発見出来るので楽しい。その出店の周りにはランチトラックが数台並んでいて焼きたてのパンやコーヒーなどの軽食を販売していて美味しそうな匂いが食欲をそそる。ランチトラックの前に用意されたテーブルで食事をしながらライブミュージックも楽しめる。以前来た時よりも青山のファーマーズマーケットは店の数もランチトラックの数もお客さんも増えていて活気があって賑やかだった。
その中でも今回購入した旬のリンゴは絶品だった。リンゴはやっぱり日本が最高に美味しいと思う。富士アップルの名前が世界に広まったのも当然だと思う。アメリカ人の間でも富士アップルは人気があるが殆どのリンゴは日持ちがいいようにワックスをかけてピカピカにしているものが多い。最近はオーガニックのワックスがかかっていないリンゴもあるが味が今一つだ。日本の蜜が染み出したような甘く美味しいリンゴなどアメリカではあまりお目にかかれない。
こんな美味しいリンゴを口にしたらアップルパイやリンゴ飴などには、もったいなくて使えない。何も手をかけずにそのまま食べて美味しいのだからこんなリンゴが世界中に出回ったらどんな反応を示すだろう。

日本の農産物は充分世界の農産物と競争出来る品質のものがたくさんあると思う。
TPPをめぐって日本は今、賛成、反対意見がわかれているが世界で勝負出来るものを作っている生産者の人は逆にチャンスだし今まで努力も工夫もせずに生産ルートに乗って温存されてきた生産者の人にとっては危機だろう。
国が作った古い日本の農業のシステムも過渡期を迎えて変わる時期が来ているのかもしれない…

茶子 スパイス研究家

 

 

ジャズ&ポップ−今週のお奨 めアルバム

私がジャズを知ったのは1965年ごろニッポン放送の「ナベサダとジャズ」(資生堂の提供)で渡辺貞夫のジャズを聴いたからです。無料招待券でラジオの公開録音を聴きによく行ったものです。今でもその時の音が耳に残っています。それから十数年後にロスアンゼルスのFM放送局KTWVから流れていたスムースジャズ(どちらかというとフュージョン)に出会うことになります。これも衝撃的でした。なにしろ24時間ジャズを聴けるのですから。トロントでも同じようなジャズ専門の放送局があってよく聴いていました。あれから随分月日が経ちましたが、今でも幅広いジャンルのジャズを聴いているのでやはりジャズには大きな魅力があるのだと思います。このコーナーで毎週ジャズを紹介しているおかげでいつまでも飽きずに続けられています。
ジャズには下記のようにいろんなジャンルがあります。
ニューオーリンズ・ジャズ 、ディキシーランド・ジャズ、シンフォニックジャズ、ジプシー・スウィング、スウィング・ジャズ、ラテンジャズ、アフロ・キューバン・ジャズ、モダン・ジャズ、ビバップ、クール・ジャズ、メインストリーム・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、モード・ジャズ、ジャズ・ロック、ジャズ・ファンク、フュージョン、フリー・ジャズ、アシッドジャズ、スムーズジャズ、ニュージャズ(ウィキペディアより)
これまでご紹介してきたのはモダン・ジャズ、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ビバップ、スムーズジャズなどが多かったのですが、今回はちょっと変わったジプシージャズのアルバムを選んでみました。Tchavolo Schmittの"Seven Gypsy Nights"です。
Tchavolo Schmittのギター、Costel Nitescuのバイオリン、Mayo Hubert のリズム・ギター、Claudius Dupontのコントラバス、そしてGiani Lincan のツィンバロムが加わり弦楽器の独特な音のジャズを楽しませてくれます。
Tchavolo Schmitt1954年パリ生まれ。
"Seven Gypsy Nights"  Tchavolo Schmitt

01-Twelfth Year
02-It Had To Be You
03-Dans La Vie
04-But Not For Me
05-Julie At Midnight
06-Lyola Bossa
07-Swing 48
08-Manoir De Mes Reves
09-Appel Indirect
10-Paul At Midnight
11-Undecided
12-Summertime
13-Mire Pral
14-Tchavolo's Spleen

Tchavolo Schmitt (ギター)
Costel Nitescu (ヴァイオリン)
Mayo Hubert (リズム・ギター)
Claudius Dupont (コントラバス)
Giani Lincan (ツィンバロム)

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm
《R.O.》

編集後記

寒い日が続きます。私たちは知らず知らずのうちに背中を丸めてしまい姿勢が悪くなっています。最近のように寒くなると余計、背中が丸くなります。そうなると肩も凝りますし、呼吸も浅くなります。ヨガクラスでは常に胸を張って腹筋を引き締めることを意識するように言われます。これはヨガクラスだけではなく日常生活に取り入れることで気持ちよく暮らすことができます。今の私にとってヨガができていることが健康のバロメータになっています。《R.O.》

雑貨屋のブログ→ http://zakkayanews.jugem.jp/
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.871

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com